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3章.Graduale
第三の名
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思い出語りをしているうちに、空の色が橙色になっている。
メアリエルが窓の外に目をやり声を上げた。
「あれはコルセの街ね」
「本日は、コルセ伯の邸宅で一泊となります」
ミカエルも窓から街を見下ろす。行ったことのある場所だが、空から見ると新鮮な気分になった。街を横断する大きな川が西日にキラキラ輝いている。あの橋の上で、ミカエルたちは美味しいパンのようなものを食べたのだ。
それにしても、長閑な空の旅である。
車を降りたメアリエルは、うんと腕を伸ばして身体を解している。その後ろに控えていたレレルに、ミカエルはこっそり聞いてみた。
「命を狙われてるとか、ねえのか?」
「ございません」
「……なんで俺らは呼ばれたんだ」
「殿下は、自由な身であるうちに、あなた方とお話しされたかったのでしょう」
結婚したら、家族と会う機会も、故郷へ戻る機会も、早々訪れない。
ミカエルたちと話しているときのメアリエルは楽しげで、望まない婚姻に向かう道中であることを忘れてしまうほどだった。――こんな時間は今しかないかもしれない。そう思うと、可憐な笑顔に胸が苦しくなった。
「あなたたちもありがとう」
メアリエルは微笑んでバイロンに触れていた。
玄関扉が開き、コルセ伯が出迎えてくれる。
「メアリエル殿下、ようこそおいでくださいました。おつかれでしょう。さぁ、こちらへ」
「レレル、行きましょう」
レレルはミカエルに小さくお辞儀して、メアリエルに続いた。
「ミカエル様とお仲間の騎士様でいらっしゃいますね。どうぞこちらへ」
ミカエルはルシエルと目を合わせ、声を掛けてくれた人の後を追う。カチッとした服を着た、初老の男性だ。
「ミカエル様、先日、コルセに続く街道に現れたデビルを見事に退治された件、伺っております。ご苦労様でございました」
「……どうも。バラキエルは来てないですか」
「雷光のバラキエル様ですね。ご活躍の時分にはたびたびお姿を拝見しましたが、近ごろは…」
そうして通された部屋は、ベッドが二つある部屋だった。
「そちらの騎士様と同じお部屋でよろしかったでしょうか。もう一部屋、ご用意することもできますが…」
それぞれに眠れるベッドがあるのだから、充分だろう。ルシエルに目をやれば、軽く肩をすくめる。
「ここでいいです」
「かしこまりました。晩御飯の準備が整いましたら、お呼びいたします」
使用人が出ていくと、ミカエルはさっそく手近なベッドにボフリと座った。ルシエルは窓際のアームチェアに座って足を組み、外を見ている。
「騎士って、誰かを護る人のことだろ」
声を掛ければ、こちらを向いた。
「ああ。女性を護っているイメージが強い」
「俺らはメアリの騎士ってことか」
「騎士というなら、俺は君の騎士だ」
「あ?」
「君の騎士にならなってもいい」
ルシエルはかすかに笑みを浮かべている。それがどこか楽しげで、ミカエルは半目になった。
「俺は騎士なんていらねえよ」
「俺は君の仲間なんだっけ?」
「おう。一人のことを仲間って言うのは変か?」
「おかしくはないけれど」
ルシエルのことを聞かれたときになんと答えるか。ミカエルはまだ決めきれていない。
「あー、なら相棒?」
「それなら一人の相手という感じだ」
「じゃあ、相棒な。っつか、名前言えればいいんだよ」
ミカエルは左腿に右足の足首を乗せ、ブーツに頬杖をついた。ルシエルはまだ公にルシエルと名乗りたくないようなのだ。
「ルシファーって、明けの明星だろ。カッケーのにな」
エルがついていないばっかりに、聖正教圏では受け入れがたい。
ルシエルは他人事のように肩をすくめている。そこでふと、ミカエルは閃いた。
「なぁ、ルシファーだとアレでルシエルがまだなら、ルシエルになるまで、外では違う名前名乗るのは?」
「ルシファーでもルシエルでもない名か。例えば?」
「……あー、ルシフェルとか」
絶妙に中間を狙った名前だ。
ルシエルは鼻で笑った。
「いいだろう」
「じゃあ、ひとに紹介するときはルシフェルな。俺はルシって呼ぶけど」
「好きにすればいい」
ミカエルはホッと頷いて、後ろに倒れた。ふかふかのベッドが弾んで揺れる。濃紺の天井に、星がたくさん描かれていた。
一日バイロン車に乗っていただけだが、疲れを感じる。
「おまえは、王にもそのままなのか」
「俺が俺であるかぎり」
ヨハエルがルシエルをその目に捉えたとき、なんとも微妙な雰囲気だった。"ルシファー" という存在は、王に匹敵する――あるいはそれ以上のものなのだろうか。
「なんで、……」
「俺は誰にも従属しない」
ミカエルもそれを望んでいる。しかし、"ミカエル" であるがため、できないでいる。ルシエルにはそれができる。"ルシファー" であるために。
それはミカエルが望んでいる在り方と、似て非なるものに感じられた。
メアリエルが窓の外に目をやり声を上げた。
「あれはコルセの街ね」
「本日は、コルセ伯の邸宅で一泊となります」
ミカエルも窓から街を見下ろす。行ったことのある場所だが、空から見ると新鮮な気分になった。街を横断する大きな川が西日にキラキラ輝いている。あの橋の上で、ミカエルたちは美味しいパンのようなものを食べたのだ。
それにしても、長閑な空の旅である。
車を降りたメアリエルは、うんと腕を伸ばして身体を解している。その後ろに控えていたレレルに、ミカエルはこっそり聞いてみた。
「命を狙われてるとか、ねえのか?」
「ございません」
「……なんで俺らは呼ばれたんだ」
「殿下は、自由な身であるうちに、あなた方とお話しされたかったのでしょう」
結婚したら、家族と会う機会も、故郷へ戻る機会も、早々訪れない。
ミカエルたちと話しているときのメアリエルは楽しげで、望まない婚姻に向かう道中であることを忘れてしまうほどだった。――こんな時間は今しかないかもしれない。そう思うと、可憐な笑顔に胸が苦しくなった。
「あなたたちもありがとう」
メアリエルは微笑んでバイロンに触れていた。
玄関扉が開き、コルセ伯が出迎えてくれる。
「メアリエル殿下、ようこそおいでくださいました。おつかれでしょう。さぁ、こちらへ」
「レレル、行きましょう」
レレルはミカエルに小さくお辞儀して、メアリエルに続いた。
「ミカエル様とお仲間の騎士様でいらっしゃいますね。どうぞこちらへ」
ミカエルはルシエルと目を合わせ、声を掛けてくれた人の後を追う。カチッとした服を着た、初老の男性だ。
「ミカエル様、先日、コルセに続く街道に現れたデビルを見事に退治された件、伺っております。ご苦労様でございました」
「……どうも。バラキエルは来てないですか」
「雷光のバラキエル様ですね。ご活躍の時分にはたびたびお姿を拝見しましたが、近ごろは…」
そうして通された部屋は、ベッドが二つある部屋だった。
「そちらの騎士様と同じお部屋でよろしかったでしょうか。もう一部屋、ご用意することもできますが…」
それぞれに眠れるベッドがあるのだから、充分だろう。ルシエルに目をやれば、軽く肩をすくめる。
「ここでいいです」
「かしこまりました。晩御飯の準備が整いましたら、お呼びいたします」
使用人が出ていくと、ミカエルはさっそく手近なベッドにボフリと座った。ルシエルは窓際のアームチェアに座って足を組み、外を見ている。
「騎士って、誰かを護る人のことだろ」
声を掛ければ、こちらを向いた。
「ああ。女性を護っているイメージが強い」
「俺らはメアリの騎士ってことか」
「騎士というなら、俺は君の騎士だ」
「あ?」
「君の騎士にならなってもいい」
ルシエルはかすかに笑みを浮かべている。それがどこか楽しげで、ミカエルは半目になった。
「俺は騎士なんていらねえよ」
「俺は君の仲間なんだっけ?」
「おう。一人のことを仲間って言うのは変か?」
「おかしくはないけれど」
ルシエルのことを聞かれたときになんと答えるか。ミカエルはまだ決めきれていない。
「あー、なら相棒?」
「それなら一人の相手という感じだ」
「じゃあ、相棒な。っつか、名前言えればいいんだよ」
ミカエルは左腿に右足の足首を乗せ、ブーツに頬杖をついた。ルシエルはまだ公にルシエルと名乗りたくないようなのだ。
「ルシファーって、明けの明星だろ。カッケーのにな」
エルがついていないばっかりに、聖正教圏では受け入れがたい。
ルシエルは他人事のように肩をすくめている。そこでふと、ミカエルは閃いた。
「なぁ、ルシファーだとアレでルシエルがまだなら、ルシエルになるまで、外では違う名前名乗るのは?」
「ルシファーでもルシエルでもない名か。例えば?」
「……あー、ルシフェルとか」
絶妙に中間を狙った名前だ。
ルシエルは鼻で笑った。
「いいだろう」
「じゃあ、ひとに紹介するときはルシフェルな。俺はルシって呼ぶけど」
「好きにすればいい」
ミカエルはホッと頷いて、後ろに倒れた。ふかふかのベッドが弾んで揺れる。濃紺の天井に、星がたくさん描かれていた。
一日バイロン車に乗っていただけだが、疲れを感じる。
「おまえは、王にもそのままなのか」
「俺が俺であるかぎり」
ヨハエルがルシエルをその目に捉えたとき、なんとも微妙な雰囲気だった。"ルシファー" という存在は、王に匹敵する――あるいはそれ以上のものなのだろうか。
「なんで、……」
「俺は誰にも従属しない」
ミカエルもそれを望んでいる。しかし、"ミカエル" であるがため、できないでいる。ルシエルにはそれができる。"ルシファー" であるために。
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