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3章.Graduale
雨のなか
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その日、瞬間移動で昨日の町へ向かうと、しとしとと雨が降っていた。ずいぶん前から降っていたらしく、土の地面がぬかるんでいる。町の入口で見かけた荷馬車の荷台には雨避けの布が張られており、動く気配はなかった。
ミカエルは帽子に当たる雨音を聞きながら、着ている上着に目をやった。水滴は生地に沁みこむことなく、重なって流れていく。ルシエルの上着もそうだ。
「行くか」
帽子の影になっていた顔を見上げて言うと、ルシエルは肩をすくめた。
二人は目的の町へ向け、歩く。街道はとっくに田舎道となり、デコボコした大地に水たまりがあちこちあった。
ミカエルは小さな水たまりを軽やかに飛びこえる。避けて通ったルシエルに小さく笑った。
「楽しそうだね」
「そうか?」
自然のなかで過ごす、なんでもなく平穏な時が嬉しい。
ぬかるみに足を取られ、ルシエルが「うぇ、」と嫌そうな顔をした。それを笑ったミカエルに、今度は呆れたような顔をしている。
ミカエルは気にせず口を開いた。
「雨、強くなったな」
「出発を見送った荷馬車は正解だ」
ルシエルは言いながら進行方向へ目をやる。そちらを見ると、ぬかるみに車輪がはまって抜け出せなくなっている荷馬車があった。
男たちが後ろから押して脱出させようとしている。
「おーい、手伝ってくれ!」
こちらを向いた一人に見つかって、声を掛けられた。
ミカエルはチラリとルシエルを見やる。どうでもよさそうに寄越された紅の瞳に半目になって、彼の手を引いた。
荷台の後ろに回り、空けられたスペースに収まる。ルシエルも隣に来て、位置に着いた。
「んじゃいくぞ、せーのっ!」
少し動いたと思ったが、戻ってしまう。
当たり前のようにもう一度掛け声がかかり、もう一度全力で押し出そうとしたとき、フイッと荷馬車が前に動いて、ミカエルは危うく前に倒れそうになった。――隣の男は倒れている。
突然ぬかるみから脱出した荷馬車に誰もが首を傾げたが、喜びが勝たようで、その場は歓喜に包まれた。
「ありがとな、兄ちゃんたち!」
「いやぁ、雨は強くなるし、ホント参ったぜ」
「今度こそダメかと思ったな」
ハグをして喜びを分かち合い、互いを称え合う。ミカエルは彼らに倣ったが、ルシエルは無言の圧力で回避していた。
「いつからハマってたんだ?」
「もうずっとさ」
雲に覆われた灰色の空を見て、男は眉を上げた。
彼らと別れ、歩みを再開する。
ぬかるんだ道を行く雨の日は、馬車より徒歩のほうが快調でいいかもしれない。そんな事を思いつつ、ミカエルは小首を傾げて口を開いた。
「さっき、力使っただろ」
「さっさと終わらせたかったら、ちょっと」
「風で押した?」
「そう」
ミカエルも少しなら風を操ることができる。それをしなかったのは、押したほうが早いと思ったからだ。
「おまえ、風を操るのが得意なのか」
「どうだろう。闇を展開するのが一番ラクで、他は同じくらいだ」
「……器用だな」
目を丸くして呟いた言葉は、雨の音に紛れてルシエルまで届かなかったらしい。彼は片眉を上げ、いつもより大きな声を出す。
「いい加減、濡れなくていいよね」
「あ?」
意味がわからなくて首を傾げたら、聞こえなかったと思われたらしい。
歩み寄ったルシエルが幅広の帽子のつばを上げて、ミカエルに合わせて小さく屈む。
「こうすれば濡れない」
近距離で囁かれた言葉は、雨に紛れることはなかった。ルシエルとミカエルの頭上に、ドーム状の闇が展開されたのだ。
周囲が白く霞むほどの雨のなか、二人のいる場所だけ切り取られたかのようだった。
「聞こえた?」
「……聞こえてる」
ミカエルは濡れ羽色に囲まれた美しい瞳をじっと見る。
「人がいたから、やらなかったのか」
「君が雨に濡れるのを楽しんでたからだけど?」
「は、」
「そんなに楽しいものかなって、体験してみたくなった」
ルシエルは「さすがにこの雨ではね、」と言いながら姿勢を正し、帽子を被り直している。
ミカエルは上向いて、雨粒さえ飲みこむ漆黒の闇をぼんやり眺めた。
「不満?」
「ンなわけねーだろ。助かった。……おまえは楽しかったか?」
隣の彼に目をやると、ルシエルは目を瞬いて口を開いた。
「たまにはいいものだ。でも、ぬかるみはちょっと」
「それ、雨が降ってるのと関係ねえだろ」
「そもそも、俺はこんな日にこんな道歩こうとは思わない」
ミカエルは眉根を寄せる。
「先に言えよ。そしたら家で畑やった。ベッドだって、まだ完成してねえし」
「寄り道はさっさと終わらせるべきだろう」
「俺はそんなふうに思ってねえ」
身体ごとルシエルのほうを向き、正面から彼を捉えた。
「師匠と早く会いてえけど、そのために今を蔑にする気はねえ。ちゃんとやりてぇ事をやる。おまえとやる事は、おまえもやりたいって思うことがいい」
ルシエルは片眉を上げる。
「俺のことに付き合わせてるわけだけど、君はそれをやりたいと思ってるんだ?」
「当たり前だろ。おまえの大切な物なんだから、取り返してぇに決まってる」
彼が虚を突かれたような顔をするので、ミカエルは顎を引いて口を尖らせる。
「……なんだよ」
「俺の物なのに、君のほうが大切に思ってるのがおかしい」
「おまえだって思ってるだろ」
「そんなつもりはないな」
「それにしちゃあ、錬金術師が話すの聞いたとき、必死そうだったぜ」
会話が途切れ、ミカエルは雨音が弱まっていることに気が付いた。
進行方向へ目をやって、幾分見通しの効くようになった視界で、町らしき影を発見する。
「とりあえず、あそこまで行ってみよう」
「ヤじゃねえの?」
「ここまで来たら同じだろう。それに、君と雨のなかを歩くのは悪くない」
泥まみれのブーツで歩き出したルシエルに目を瞬いて、ミカエルも続いた。展開されたままの闇がミカエルたちの動きに合わせて頭上を着いてくるのが面白い。
「こんな便利な使い方もあるのな」
「君だって、火が必要なときには炎を灯すだろう。それと同じだ」
何か違う気がすると思っているうちに、町に着いていた。残念ながら、ここはまだ目的の町ではないようだ。
ミカエルは帽子に当たる雨音を聞きながら、着ている上着に目をやった。水滴は生地に沁みこむことなく、重なって流れていく。ルシエルの上着もそうだ。
「行くか」
帽子の影になっていた顔を見上げて言うと、ルシエルは肩をすくめた。
二人は目的の町へ向け、歩く。街道はとっくに田舎道となり、デコボコした大地に水たまりがあちこちあった。
ミカエルは小さな水たまりを軽やかに飛びこえる。避けて通ったルシエルに小さく笑った。
「楽しそうだね」
「そうか?」
自然のなかで過ごす、なんでもなく平穏な時が嬉しい。
ぬかるみに足を取られ、ルシエルが「うぇ、」と嫌そうな顔をした。それを笑ったミカエルに、今度は呆れたような顔をしている。
ミカエルは気にせず口を開いた。
「雨、強くなったな」
「出発を見送った荷馬車は正解だ」
ルシエルは言いながら進行方向へ目をやる。そちらを見ると、ぬかるみに車輪がはまって抜け出せなくなっている荷馬車があった。
男たちが後ろから押して脱出させようとしている。
「おーい、手伝ってくれ!」
こちらを向いた一人に見つかって、声を掛けられた。
ミカエルはチラリとルシエルを見やる。どうでもよさそうに寄越された紅の瞳に半目になって、彼の手を引いた。
荷台の後ろに回り、空けられたスペースに収まる。ルシエルも隣に来て、位置に着いた。
「んじゃいくぞ、せーのっ!」
少し動いたと思ったが、戻ってしまう。
当たり前のようにもう一度掛け声がかかり、もう一度全力で押し出そうとしたとき、フイッと荷馬車が前に動いて、ミカエルは危うく前に倒れそうになった。――隣の男は倒れている。
突然ぬかるみから脱出した荷馬車に誰もが首を傾げたが、喜びが勝たようで、その場は歓喜に包まれた。
「ありがとな、兄ちゃんたち!」
「いやぁ、雨は強くなるし、ホント参ったぜ」
「今度こそダメかと思ったな」
ハグをして喜びを分かち合い、互いを称え合う。ミカエルは彼らに倣ったが、ルシエルは無言の圧力で回避していた。
「いつからハマってたんだ?」
「もうずっとさ」
雲に覆われた灰色の空を見て、男は眉を上げた。
彼らと別れ、歩みを再開する。
ぬかるんだ道を行く雨の日は、馬車より徒歩のほうが快調でいいかもしれない。そんな事を思いつつ、ミカエルは小首を傾げて口を開いた。
「さっき、力使っただろ」
「さっさと終わらせたかったら、ちょっと」
「風で押した?」
「そう」
ミカエルも少しなら風を操ることができる。それをしなかったのは、押したほうが早いと思ったからだ。
「おまえ、風を操るのが得意なのか」
「どうだろう。闇を展開するのが一番ラクで、他は同じくらいだ」
「……器用だな」
目を丸くして呟いた言葉は、雨の音に紛れてルシエルまで届かなかったらしい。彼は片眉を上げ、いつもより大きな声を出す。
「いい加減、濡れなくていいよね」
「あ?」
意味がわからなくて首を傾げたら、聞こえなかったと思われたらしい。
歩み寄ったルシエルが幅広の帽子のつばを上げて、ミカエルに合わせて小さく屈む。
「こうすれば濡れない」
近距離で囁かれた言葉は、雨に紛れることはなかった。ルシエルとミカエルの頭上に、ドーム状の闇が展開されたのだ。
周囲が白く霞むほどの雨のなか、二人のいる場所だけ切り取られたかのようだった。
「聞こえた?」
「……聞こえてる」
ミカエルは濡れ羽色に囲まれた美しい瞳をじっと見る。
「人がいたから、やらなかったのか」
「君が雨に濡れるのを楽しんでたからだけど?」
「は、」
「そんなに楽しいものかなって、体験してみたくなった」
ルシエルは「さすがにこの雨ではね、」と言いながら姿勢を正し、帽子を被り直している。
ミカエルは上向いて、雨粒さえ飲みこむ漆黒の闇をぼんやり眺めた。
「不満?」
「ンなわけねーだろ。助かった。……おまえは楽しかったか?」
隣の彼に目をやると、ルシエルは目を瞬いて口を開いた。
「たまにはいいものだ。でも、ぬかるみはちょっと」
「それ、雨が降ってるのと関係ねえだろ」
「そもそも、俺はこんな日にこんな道歩こうとは思わない」
ミカエルは眉根を寄せる。
「先に言えよ。そしたら家で畑やった。ベッドだって、まだ完成してねえし」
「寄り道はさっさと終わらせるべきだろう」
「俺はそんなふうに思ってねえ」
身体ごとルシエルのほうを向き、正面から彼を捉えた。
「師匠と早く会いてえけど、そのために今を蔑にする気はねえ。ちゃんとやりてぇ事をやる。おまえとやる事は、おまえもやりたいって思うことがいい」
ルシエルは片眉を上げる。
「俺のことに付き合わせてるわけだけど、君はそれをやりたいと思ってるんだ?」
「当たり前だろ。おまえの大切な物なんだから、取り返してぇに決まってる」
彼が虚を突かれたような顔をするので、ミカエルは顎を引いて口を尖らせる。
「……なんだよ」
「俺の物なのに、君のほうが大切に思ってるのがおかしい」
「おまえだって思ってるだろ」
「そんなつもりはないな」
「それにしちゃあ、錬金術師が話すの聞いたとき、必死そうだったぜ」
会話が途切れ、ミカエルは雨音が弱まっていることに気が付いた。
進行方向へ目をやって、幾分見通しの効くようになった視界で、町らしき影を発見する。
「とりあえず、あそこまで行ってみよう」
「ヤじゃねえの?」
「ここまで来たら同じだろう。それに、君と雨のなかを歩くのは悪くない」
泥まみれのブーツで歩き出したルシエルに目を瞬いて、ミカエルも続いた。展開されたままの闇がミカエルたちの動きに合わせて頭上を着いてくるのが面白い。
「こんな便利な使い方もあるのな」
「君だって、火が必要なときには炎を灯すだろう。それと同じだ」
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