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3章.Graduale
腑に落ちて微笑
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彼女は魅力的で美しい。自身も興奮している。それなのに、どうしてかやりたいと思えない。
「ごめん」
ミカエルは睫毛を伏せて言った。
頬に温かな手が触れ、顔を上げる。ダイアはとても優しい顔をしていた。
「あなたが謝ることはないわ」
「でも、これが仕事なんだろ?」
「お客様のご要望に応えるのが私の仕事。あなたがやりたくない事は、やらなくていいの」
それを望む人が多いだけと彼女は言った。
「お客様のなかには、女性を抱けるか確かめに来られる方もいるわ。そういう方は、同性しか愛せない自分を認められないのね」
宗教的な倫理観がそうさせるのだという。なるほど、こういったお店に来る人も様々らしい。そこではたとミカエルは思う。
「俺、」
「あなたは女性も愛せるわ。ほら、高まってるでしょ。ただ、そうね…、とても優しいのかもしれないわ」
「優しい?」
ミカエルが目を瞬くと、ダイアは笑った。
「あなたからは、征服欲は感じなかった。快楽に溺れているようでもない。あなたは、私を自分と対等に見ている。女だからと、見下すようなこともなく。だから、そうね。好きでもない相手と行為に及ぶことを、心が望まないんじゃないかしら」
ミカエルはしばし考え、口を開く。
「柔らけぇ肌に触りてえと思うのと、最後までやりてえと思うのは別?」
「そういう人も、いるかもしれないわ」
ダイアは見事な金髪に指を通して悪戯に言う。
「あなた、素直ね。なんだか弟と話しているみたい」
「弟がいるのか?」
「わからないわ。小さなころに、売られてきたの」
お互い裸で話しているのが不思議だ。穏やかな心地で、性的興奮はどこかへ行ってしまった。改めて彼女を見ると、やはり魅力的で美しいと感じる。けれども、それだけだった。
「なぁに? ジロジロ見て」
「美しいって思っただけだ」
ダイアはかすかに目を丸くして、けれど次にはしたり顔になった。
「その目は知ってるわ。画家の目よ」
「画家?」
「そう。鳥や花を美しいと思うように、女体を美しいと思う画家」
その言葉に、ミカエルは納得した。
「ダイアはスゲェな。お…あなたと話せてよかった」
「良い心がけね。私もよ、マイケル」
「……姉みてえ」
「あら、お姉さまがいらっしゃるの?」
「いねえけど」
二人は目を見合わせてクツクツ笑った。
軽やかな会話を楽しみながら身支度を整え、ドアへ向かう。
「またここへ来たら、私を指名してちょうだい」
「あなたは予約が取れなくて有名なんだろ」
「かわいい弟のためなら、なんとかするわ」
ミカエルの頬にキスをして妖艶に微笑む彼女は、数多の男を虜にしてきた女性の顔だった。
来たときのように、ダイアの先導で廊下を行く。
すすすっと女性が現れ、お辞儀した。
「お連れ様はこちらです」
そういえば、ルシエルも楽しんでいるのだろうか。そのような所にお邪魔するのは悪いのでは。ミカエルがそんな事を考えているうちに、ドアの前に辿り着いてしまったようだ。
ダイアはノックをすると、躊躇なく開けてしまう。
ミカエルは遠慮がちに中を覗いて目を丸くした。壁紙も調度品も花柄なその部屋で、ルシエルはソファに優雅に腰かけていた。向かいのソファには、店のエントランスにいた派手な女性がいる。二人の間に置かれたテーブルの上には、空の硝子瓶が幾つもあった。
「……何してるんだ?」
「やぁ、もう済んだのか」
こちらを向いたルシエルは気怠い表情で、どこか色気がある。一方、正面の女性は顔が真っ赤だった。
「こっちあまあ、勝負の途中だよ」
「勝負?」
「彼女から誘われたんだ。どちらが飲めるか。勝てば君のお代はタダ」
「っそれ、ぜんぶ酒!?」
ミカエルは信じられないものを見るような目で二人を見る。
「マダム、そろそろやめたほうがいい。呂律が回っていない」
「うーさいね。このあたぃが、負けるわけあいんた」
ふらふら揺れながら答える女性は、かなり酔っていそうだ。見かねたダイアが歩み寄り、足許でしゃがんで彼女を見上げ、その腕を取った。
「ママ、彼の言う通りよ。もうやめて」
「おまえ、タダでいいわけにゃーでろう」
「いいのよ。彼とは最後までやらなかったの」
「さ、あ…?」
「いい時間だったわ」
ダイアが柔らかな笑みを浮かべると、女性はその頬を慈しむように撫でた。ダイアの手を取り、隣に座らせる。ダイアは女性にしなだれるように身を任せ、優しい腕の中で目蓋を閉じた。
「ママ、今日はもうお休みになって。あとはルーシーがやるわ」
「ああ…わたいのかあいー子…」
ミカエルが母子の美しい愛をそこに感じて見入ったのも束の間のこと。女性はキッとルシエルを睨みつけ、堂々と言いきった。
「いーおと、おーえておーーさい! ついはまえあーわ!」
一瞬、時が止まる。
「……いいだろう」
数秒をかけて投げられた言葉を理解したルシエルは、魔王のごとき風格で凄艶な微笑を浮かべて答えた。
「ごめん」
ミカエルは睫毛を伏せて言った。
頬に温かな手が触れ、顔を上げる。ダイアはとても優しい顔をしていた。
「あなたが謝ることはないわ」
「でも、これが仕事なんだろ?」
「お客様のご要望に応えるのが私の仕事。あなたがやりたくない事は、やらなくていいの」
それを望む人が多いだけと彼女は言った。
「お客様のなかには、女性を抱けるか確かめに来られる方もいるわ。そういう方は、同性しか愛せない自分を認められないのね」
宗教的な倫理観がそうさせるのだという。なるほど、こういったお店に来る人も様々らしい。そこではたとミカエルは思う。
「俺、」
「あなたは女性も愛せるわ。ほら、高まってるでしょ。ただ、そうね…、とても優しいのかもしれないわ」
「優しい?」
ミカエルが目を瞬くと、ダイアは笑った。
「あなたからは、征服欲は感じなかった。快楽に溺れているようでもない。あなたは、私を自分と対等に見ている。女だからと、見下すようなこともなく。だから、そうね。好きでもない相手と行為に及ぶことを、心が望まないんじゃないかしら」
ミカエルはしばし考え、口を開く。
「柔らけぇ肌に触りてえと思うのと、最後までやりてえと思うのは別?」
「そういう人も、いるかもしれないわ」
ダイアは見事な金髪に指を通して悪戯に言う。
「あなた、素直ね。なんだか弟と話しているみたい」
「弟がいるのか?」
「わからないわ。小さなころに、売られてきたの」
お互い裸で話しているのが不思議だ。穏やかな心地で、性的興奮はどこかへ行ってしまった。改めて彼女を見ると、やはり魅力的で美しいと感じる。けれども、それだけだった。
「なぁに? ジロジロ見て」
「美しいって思っただけだ」
ダイアはかすかに目を丸くして、けれど次にはしたり顔になった。
「その目は知ってるわ。画家の目よ」
「画家?」
「そう。鳥や花を美しいと思うように、女体を美しいと思う画家」
その言葉に、ミカエルは納得した。
「ダイアはスゲェな。お…あなたと話せてよかった」
「良い心がけね。私もよ、マイケル」
「……姉みてえ」
「あら、お姉さまがいらっしゃるの?」
「いねえけど」
二人は目を見合わせてクツクツ笑った。
軽やかな会話を楽しみながら身支度を整え、ドアへ向かう。
「またここへ来たら、私を指名してちょうだい」
「あなたは予約が取れなくて有名なんだろ」
「かわいい弟のためなら、なんとかするわ」
ミカエルの頬にキスをして妖艶に微笑む彼女は、数多の男を虜にしてきた女性の顔だった。
来たときのように、ダイアの先導で廊下を行く。
すすすっと女性が現れ、お辞儀した。
「お連れ様はこちらです」
そういえば、ルシエルも楽しんでいるのだろうか。そのような所にお邪魔するのは悪いのでは。ミカエルがそんな事を考えているうちに、ドアの前に辿り着いてしまったようだ。
ダイアはノックをすると、躊躇なく開けてしまう。
ミカエルは遠慮がちに中を覗いて目を丸くした。壁紙も調度品も花柄なその部屋で、ルシエルはソファに優雅に腰かけていた。向かいのソファには、店のエントランスにいた派手な女性がいる。二人の間に置かれたテーブルの上には、空の硝子瓶が幾つもあった。
「……何してるんだ?」
「やぁ、もう済んだのか」
こちらを向いたルシエルは気怠い表情で、どこか色気がある。一方、正面の女性は顔が真っ赤だった。
「こっちあまあ、勝負の途中だよ」
「勝負?」
「彼女から誘われたんだ。どちらが飲めるか。勝てば君のお代はタダ」
「っそれ、ぜんぶ酒!?」
ミカエルは信じられないものを見るような目で二人を見る。
「マダム、そろそろやめたほうがいい。呂律が回っていない」
「うーさいね。このあたぃが、負けるわけあいんた」
ふらふら揺れながら答える女性は、かなり酔っていそうだ。見かねたダイアが歩み寄り、足許でしゃがんで彼女を見上げ、その腕を取った。
「ママ、彼の言う通りよ。もうやめて」
「おまえ、タダでいいわけにゃーでろう」
「いいのよ。彼とは最後までやらなかったの」
「さ、あ…?」
「いい時間だったわ」
ダイアが柔らかな笑みを浮かべると、女性はその頬を慈しむように撫でた。ダイアの手を取り、隣に座らせる。ダイアは女性にしなだれるように身を任せ、優しい腕の中で目蓋を閉じた。
「ママ、今日はもうお休みになって。あとはルーシーがやるわ」
「ああ…わたいのかあいー子…」
ミカエルが母子の美しい愛をそこに感じて見入ったのも束の間のこと。女性はキッとルシエルを睨みつけ、堂々と言いきった。
「いーおと、おーえておーーさい! ついはまえあーわ!」
一瞬、時が止まる。
「……いいだろう」
数秒をかけて投げられた言葉を理解したルシエルは、魔王のごとき風格で凄艶な微笑を浮かべて答えた。
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