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3章.Graduale
異母兄弟までいたらしい
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ふさふさの睫毛が下ろされ、艶めいた唇が触れそうになったとき、慌てた様子で走ってきた男が叫んだ。
「貴様っ、何をしている!」
ハッとして後ずさりした彼女の腕を取り、男はミカエルから距離を取る。
「下劣な奴め! 婚姻前の女性に手を出すとは…! この事は皇帝陛下にご報告する。首を洗って待っていろ!」
「まって、彼は、」
「ムニーラ殿下、ご無事ですか。お気を確かに。唇は奪われておりませんな」
「ええ…。あのね、わたしが、」
「さあ、参りましょう。このような所は、殿下がおられる場所ではないのです」
彼女は男に腕を引かれ、ミカエルを振り返りながら連れて行かれてしまった。
たった今起こった事がにわかに信じられない。
ミカエルは彼女に取られた手を持ち上げ、その手の平をぼうっと眺める。柔らかな肌の感触が、指先にまだ残っていた。
そこへゾフィエルがやって来て、ホッとしたような顔をする。
「ミカ、ここにいたのか。何かあったのか?」
「いや…。……あったかも」
「どうした、君らしくない」
ミカエルは女性と男が去った方へ目をやり、口を開く。
「ムニーラ殿下って、どこの国の人?」
「ああ、彼女はアクレプン帝国の皇女だ。異教の大国さ。我が国とは親交がある」
ミカエルは首に手をやった。
「その国と何かあったら俺のせいかも」
「……皇女とお会いしたのか」
「ちょっとしゃべって、肌に触れた」
「、なに!?」
「あっちがそうしてきたんだよ」
ゾフィエルは額に手をやり、息を吐く。
「たしかムニーラ殿下は、婚姻が近い。異教の国の話で、詳しくはわからんが…。ご本人は、その事に納得がいっていないのかもしれんな」
「メアリエル殿下も結婚するって聞いたけど、そんな年齢か?」
ミカエルが問うと、ゾフィエルは目を瞬いた。
「殿下は御年十四才だ」
「まだ子どもじゃねえか」
「女性は十三才から結婚が可能だ」
ミカエルは眉を上げた。
「殿下は、君が兄であることを知らされていない」
「……だろうな」
二人は会場に向け、歩きだす。
ふと目を遣ると、少し離れた所に佇み、会場内を眺める男の姿があった。
「ブルーノ卿」
彼の存在に気づいたゾフィエルがポツリと言った。それが聞こえたかのように、彼がこちらを向く。優しげな印象を与える目許が、王やラジエルに似ていた。年齢は、ラジエルより若そうだ。
「おひさしぶりです、ゾフィエル隊長。そちらは…」
「おひさしぶりです、ブルーノ卿。彼はミカエル。本日の主役です」
「ああ、君が。私はブルーノ伯アダルベル。今はツィビーネ共和国にいるが、母国はブランリスなんだ」
「……どうも」
アダルベルはミカエルをじっと見る。
ミカエルがかすかに首を傾げると、「おっと、すまない」と苦笑した。
「さすがは "ミカエル"。惹きつけられるよ」
ゾフィエルはミカエルにチラと目をやり、アダルベルに視線を戻す。
「メアリエル殿下には、お会いになりましたか?」
「いえ…。どのような顔で会えば良いのか」
「もうすぐ結婚ですからね」
「相手は女好きで有名だとか」
「そうなのかデス?」
ミカエルはポンと口から出てしまった言葉にかろうじて語尾を足した。
アダルベルは一瞬固まり、やはり苦笑する。
「ラジエル殿下が心配そうにおっしゃっていたよ」
どうやらあのラジエルにも、妹を思う心はあるらしい。
「彼女は望んで結婚するのではないだろう。結婚はめでたい事だが、祝う気にはなれない」
アダルベルは地面に目を落とし、小さく息を吐きだした。それから、ゾフィエルの方を向く。
「私が来ていたことは、内緒にしてください」
彼は暗闇に去った。
その背中が闇に紛れたころ、ゾフィエルがこっそり言った。
「彼は結婚するまで、メアリエル殿下と親しくてな。あれは気があったかもしれん」
「アルビー兄さま?」
ミカエルが言えば、かすかに目を丸くする。
「殿下が言ってた。会えなくてさびしいってよ」
「……ここだけの話、彼の父親は陛下なんだ」
「認知してねえのか」
「相手の女性は結婚してから彼を産んだ。身籠っているとは思わなかったんだろう。彼は結婚相手の息子として育てられたんだ。家の威信を損なわないためにも、それしかなかったのさ」
ミカエルはパチリと目を瞬いて、小首を傾げる。
「本人は知ってんの?」
「どこかのタイミングで聞いたことだろう。殿下はご存じないがな」
「殿下は察しがよさそうだったぜ。俺のことも、気づいてるんじゃねえか」
ひょいと眉を上げれば、ゾフィエルは肩をすくめた。
「たしかに。君に話したのも、年齢が近く、関連性を感じたからかもしれん」
「年齢が近い?」
「ブルーノ卿は十八才だ。十六で結婚された」
ミカエルは頭を掻く。
貴族の世界では、ミカエルも結婚していておかしくない年齢なのだ。
「彼は決して殿下と結ばれることはない…」
二人は歩きながら話す。
「陛下には、庶子が一人おられる。ああ、ちょうどラジエル殿下とお話しされている方だ。レーヌ伯アストエル。彼は地位を得て貴族になるのではなく、軍人として生きる道を選んだ」
「へぇ」
庶子になったからといって、与えられた地位に甘んじなければならないわけではないらしい。
アストエルの髪は山吹色だ。凛々しい顔立ちで、髪型はすっきりとした短髪だった。
「彼は前教皇の時代にあった異教の国との戦いで、若干十八才ながら司令官として指揮を執り、勝利に導いた。その功績から今では、ネデ八州という地域の総督を任されている」
執事長の夫妻のもとで育ったアストエルは、幼い頃からラジエルと親しいのだとゾフィエルは語った。
「貴様っ、何をしている!」
ハッとして後ずさりした彼女の腕を取り、男はミカエルから距離を取る。
「下劣な奴め! 婚姻前の女性に手を出すとは…! この事は皇帝陛下にご報告する。首を洗って待っていろ!」
「まって、彼は、」
「ムニーラ殿下、ご無事ですか。お気を確かに。唇は奪われておりませんな」
「ええ…。あのね、わたしが、」
「さあ、参りましょう。このような所は、殿下がおられる場所ではないのです」
彼女は男に腕を引かれ、ミカエルを振り返りながら連れて行かれてしまった。
たった今起こった事がにわかに信じられない。
ミカエルは彼女に取られた手を持ち上げ、その手の平をぼうっと眺める。柔らかな肌の感触が、指先にまだ残っていた。
そこへゾフィエルがやって来て、ホッとしたような顔をする。
「ミカ、ここにいたのか。何かあったのか?」
「いや…。……あったかも」
「どうした、君らしくない」
ミカエルは女性と男が去った方へ目をやり、口を開く。
「ムニーラ殿下って、どこの国の人?」
「ああ、彼女はアクレプン帝国の皇女だ。異教の大国さ。我が国とは親交がある」
ミカエルは首に手をやった。
「その国と何かあったら俺のせいかも」
「……皇女とお会いしたのか」
「ちょっとしゃべって、肌に触れた」
「、なに!?」
「あっちがそうしてきたんだよ」
ゾフィエルは額に手をやり、息を吐く。
「たしかムニーラ殿下は、婚姻が近い。異教の国の話で、詳しくはわからんが…。ご本人は、その事に納得がいっていないのかもしれんな」
「メアリエル殿下も結婚するって聞いたけど、そんな年齢か?」
ミカエルが問うと、ゾフィエルは目を瞬いた。
「殿下は御年十四才だ」
「まだ子どもじゃねえか」
「女性は十三才から結婚が可能だ」
ミカエルは眉を上げた。
「殿下は、君が兄であることを知らされていない」
「……だろうな」
二人は会場に向け、歩きだす。
ふと目を遣ると、少し離れた所に佇み、会場内を眺める男の姿があった。
「ブルーノ卿」
彼の存在に気づいたゾフィエルがポツリと言った。それが聞こえたかのように、彼がこちらを向く。優しげな印象を与える目許が、王やラジエルに似ていた。年齢は、ラジエルより若そうだ。
「おひさしぶりです、ゾフィエル隊長。そちらは…」
「おひさしぶりです、ブルーノ卿。彼はミカエル。本日の主役です」
「ああ、君が。私はブルーノ伯アダルベル。今はツィビーネ共和国にいるが、母国はブランリスなんだ」
「……どうも」
アダルベルはミカエルをじっと見る。
ミカエルがかすかに首を傾げると、「おっと、すまない」と苦笑した。
「さすがは "ミカエル"。惹きつけられるよ」
ゾフィエルはミカエルにチラと目をやり、アダルベルに視線を戻す。
「メアリエル殿下には、お会いになりましたか?」
「いえ…。どのような顔で会えば良いのか」
「もうすぐ結婚ですからね」
「相手は女好きで有名だとか」
「そうなのかデス?」
ミカエルはポンと口から出てしまった言葉にかろうじて語尾を足した。
アダルベルは一瞬固まり、やはり苦笑する。
「ラジエル殿下が心配そうにおっしゃっていたよ」
どうやらあのラジエルにも、妹を思う心はあるらしい。
「彼女は望んで結婚するのではないだろう。結婚はめでたい事だが、祝う気にはなれない」
アダルベルは地面に目を落とし、小さく息を吐きだした。それから、ゾフィエルの方を向く。
「私が来ていたことは、内緒にしてください」
彼は暗闇に去った。
その背中が闇に紛れたころ、ゾフィエルがこっそり言った。
「彼は結婚するまで、メアリエル殿下と親しくてな。あれは気があったかもしれん」
「アルビー兄さま?」
ミカエルが言えば、かすかに目を丸くする。
「殿下が言ってた。会えなくてさびしいってよ」
「……ここだけの話、彼の父親は陛下なんだ」
「認知してねえのか」
「相手の女性は結婚してから彼を産んだ。身籠っているとは思わなかったんだろう。彼は結婚相手の息子として育てられたんだ。家の威信を損なわないためにも、それしかなかったのさ」
ミカエルはパチリと目を瞬いて、小首を傾げる。
「本人は知ってんの?」
「どこかのタイミングで聞いたことだろう。殿下はご存じないがな」
「殿下は察しがよさそうだったぜ。俺のことも、気づいてるんじゃねえか」
ひょいと眉を上げれば、ゾフィエルは肩をすくめた。
「たしかに。君に話したのも、年齢が近く、関連性を感じたからかもしれん」
「年齢が近い?」
「ブルーノ卿は十八才だ。十六で結婚された」
ミカエルは頭を掻く。
貴族の世界では、ミカエルも結婚していておかしくない年齢なのだ。
「彼は決して殿下と結ばれることはない…」
二人は歩きながら話す。
「陛下には、庶子が一人おられる。ああ、ちょうどラジエル殿下とお話しされている方だ。レーヌ伯アストエル。彼は地位を得て貴族になるのではなく、軍人として生きる道を選んだ」
「へぇ」
庶子になったからといって、与えられた地位に甘んじなければならないわけではないらしい。
アストエルの髪は山吹色だ。凛々しい顔立ちで、髪型はすっきりとした短髪だった。
「彼は前教皇の時代にあった異教の国との戦いで、若干十八才ながら司令官として指揮を執り、勝利に導いた。その功績から今では、ネデ八州という地域の総督を任されている」
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