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3章.Graduale
束の間の安息
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カーテンの隙間から麗らかな日差しが射し込んでいる。
あまり眠った気がせず、ミカエルはぼんやり眼で部屋を出た。
リビングへ向かうと、マグカップを手にソファに腰掛けているルシエルの姿があるではないか。ミカエルを捉え、かすかに表情が柔らかくなる。
「おはよう」
「……はよ。早ぇな」
「なんだか早く目が覚めた」
どこか氣が立っているように感じる。
ミカエルは喉を潤しながら、彼をじっと見た。
「なに?」
「昨日の夜、どこ行ってた」
確信を持った緑の目を見て、ルシエルは諦めたように肩をすくめた。
「昨夜は例の儀式の日だった」
「まだ行くのか」
「自分から行くか、無理やり連れていかれるか。今のところ、選択肢はその二つ」
ミカエルのコップを持つ手に力がこもる。
「イヤなんだろ。無理やり連れにきたら、俺も闘う」
「きっと敵わない」
静かな紅の瞳にサラリと言われ、ミカエルは絶句した。
「外見や力…。俺がこうである限り、逃れることはできないだろう」
「なら、もとに戻るしかねえだろ」
「それ以外は自由でいられる。俺は、それでいい」
ミカエルは唇を引き結ぶ。
希望がなければ、絶望もない。そうでなければいられないほどの苦しみを、ルシエルは今でも抱えているのかもしれない。
「……わかった。考えが変わったら言えよ」
ミカエルに言えるのは、それくらいだった。
いつものようにコーヒー豆を挽き始めると、ルシエルがゆったりやって来た。
伸しかかるように後ろから抱き着かれる。
「俺はクリスじゃねえ」
「君、俺の氣質が本当にヤじゃないの」
「意識して感じるとゾワゾワするけどな。なんつーか、慣れ?」
「ふぅん」
ルシエルはミカエルの後ろから、ガラガラと回る車輪を眺めている。
ミカエルがおもむろに言った。
「そのお守りで大丈夫そうか」
「……ああ、うん」
「おまえ、忘れてただろ。馴染んでるならいいけどよ」
かすかに眉根を寄せて、眠たそうに目を瞬く。
どこか疲れを感じるようなミカエルの様子に、ルシエルは首を傾げた。
「昨日、あんまり眠れなかった?」
「おー。俺の部屋にいるはずの誰かもいねえしな」
「俺と寝たかったんだ」
「ちげぇっ。耳許でしゃべんな」
ただでさえ色気を感じる声が甘やかに言うので身体が熱くなる。その反応に、ルシエルはくつくつ笑った。
「ミカは耳が弱いな」
「っ、おまえの声がわりぃんだろ」
ミカ、と。呼ばれたのはこれが初めてだ。ルシエルに呼ばれるのは慣れないからか、ちょっとソワソワする。
「……へぇ」
「おら、コーヒー淹れるから退け」
傍からじーーっと感じる視線を無視し、ミカエルはコーヒーの芳しい香りに集中した。
ゾフィエルが食糧を持ってきてくれたので、食事の心配はない。
畑をやって、森を散策し、穏やかに日々が過ぎていく。
「ここに師匠もいたらな」
ミカエルは思わず呟いた。
しかし、この今でさえ、以前と異なることを理解している。こんな生活ができるのは、城へ呼ばれるまでのことなのだ。今、こうして静かに暮らせるのは、王権下で働くことになっているからに違いない。
「なぁ、おまえも来いよ式」
「イヤだね。そんなのやめて、どこかへ逃げればいい」
「ゾフィにわりぃだろ」
「ゾフィ、ねえ」
風呂上がり。ソファにて、タオルで髪をもにょもにょ拭かれる。
「大変なバディがいることだ」
「こんな事になるとは思わねえ」
ミカエルはますます眉根を寄せた。
「パーティーで、妙な相手を引っかけないよう気をつけて」
「友好的に、だろ」
「俺はそのままの君でいいと思うけど」
ミカエルは記憶を失くしていたときの自分を思い出す。
気安く話しかけられてちょっかいを出されるのも、前のミカエルに重ねられるのも、御免だと思った。
「そうだな」
明日はいよいよ式の日だ。
城というものすら想像できない。ミカエルは考えることをやめ、逃避するように眠りに就いた。
あまり眠った気がせず、ミカエルはぼんやり眼で部屋を出た。
リビングへ向かうと、マグカップを手にソファに腰掛けているルシエルの姿があるではないか。ミカエルを捉え、かすかに表情が柔らかくなる。
「おはよう」
「……はよ。早ぇな」
「なんだか早く目が覚めた」
どこか氣が立っているように感じる。
ミカエルは喉を潤しながら、彼をじっと見た。
「なに?」
「昨日の夜、どこ行ってた」
確信を持った緑の目を見て、ルシエルは諦めたように肩をすくめた。
「昨夜は例の儀式の日だった」
「まだ行くのか」
「自分から行くか、無理やり連れていかれるか。今のところ、選択肢はその二つ」
ミカエルのコップを持つ手に力がこもる。
「イヤなんだろ。無理やり連れにきたら、俺も闘う」
「きっと敵わない」
静かな紅の瞳にサラリと言われ、ミカエルは絶句した。
「外見や力…。俺がこうである限り、逃れることはできないだろう」
「なら、もとに戻るしかねえだろ」
「それ以外は自由でいられる。俺は、それでいい」
ミカエルは唇を引き結ぶ。
希望がなければ、絶望もない。そうでなければいられないほどの苦しみを、ルシエルは今でも抱えているのかもしれない。
「……わかった。考えが変わったら言えよ」
ミカエルに言えるのは、それくらいだった。
いつものようにコーヒー豆を挽き始めると、ルシエルがゆったりやって来た。
伸しかかるように後ろから抱き着かれる。
「俺はクリスじゃねえ」
「君、俺の氣質が本当にヤじゃないの」
「意識して感じるとゾワゾワするけどな。なんつーか、慣れ?」
「ふぅん」
ルシエルはミカエルの後ろから、ガラガラと回る車輪を眺めている。
ミカエルがおもむろに言った。
「そのお守りで大丈夫そうか」
「……ああ、うん」
「おまえ、忘れてただろ。馴染んでるならいいけどよ」
かすかに眉根を寄せて、眠たそうに目を瞬く。
どこか疲れを感じるようなミカエルの様子に、ルシエルは首を傾げた。
「昨日、あんまり眠れなかった?」
「おー。俺の部屋にいるはずの誰かもいねえしな」
「俺と寝たかったんだ」
「ちげぇっ。耳許でしゃべんな」
ただでさえ色気を感じる声が甘やかに言うので身体が熱くなる。その反応に、ルシエルはくつくつ笑った。
「ミカは耳が弱いな」
「っ、おまえの声がわりぃんだろ」
ミカ、と。呼ばれたのはこれが初めてだ。ルシエルに呼ばれるのは慣れないからか、ちょっとソワソワする。
「……へぇ」
「おら、コーヒー淹れるから退け」
傍からじーーっと感じる視線を無視し、ミカエルはコーヒーの芳しい香りに集中した。
ゾフィエルが食糧を持ってきてくれたので、食事の心配はない。
畑をやって、森を散策し、穏やかに日々が過ぎていく。
「ここに師匠もいたらな」
ミカエルは思わず呟いた。
しかし、この今でさえ、以前と異なることを理解している。こんな生活ができるのは、城へ呼ばれるまでのことなのだ。今、こうして静かに暮らせるのは、王権下で働くことになっているからに違いない。
「なぁ、おまえも来いよ式」
「イヤだね。そんなのやめて、どこかへ逃げればいい」
「ゾフィにわりぃだろ」
「ゾフィ、ねえ」
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「大変なバディがいることだ」
「こんな事になるとは思わねえ」
ミカエルはますます眉根を寄せた。
「パーティーで、妙な相手を引っかけないよう気をつけて」
「友好的に、だろ」
「俺はそのままの君でいいと思うけど」
ミカエルは記憶を失くしていたときの自分を思い出す。
気安く話しかけられてちょっかいを出されるのも、前のミカエルに重ねられるのも、御免だと思った。
「そうだな」
明日はいよいよ式の日だ。
城というものすら想像できない。ミカエルは考えることをやめ、逃避するように眠りに就いた。
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