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3章.Graduale
森の朝
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バラキエルの匂いに包まれ眠りに就いたミカエルは、久しぶりに安らかな心地でグッスリ眠れた。
目覚めたのは昼頃だった。
伸びをしてベッドから抜けだし、窓を開ける。
――見慣れた景色だ。
花々が賑わう春は盛りを過ぎて、鮮やかな新緑が存在感を増している。移りゆく時を、ミカエルはここで師匠と過ごしてきたのだ。
静寂に響く鳥の声。澄んだ空気を震わせる。
帰ってきた。
唐突に湧き上がった思いが胸に染み入る。木々や草花はいつも優しい。柔らかに揺れる木漏れ日に頬が緩んだ。
ミカエルは穏やかな心地でリビングに向かった。
自室のドアは閉まったままで、そこにルシ何某の姿はない。
――そのうち起きてくるだろ。
ミカエルはキッチンに立ち、使いこまれたコーヒーミルの上部の蓋を開ける。そこへ麻袋から取りだしたコーヒー豆を入れた。
分量はいつもと同じ二人分。
蓋を閉めて下の方をしっかり押さえ、横についている車輌のようなダイヤルを回してガラガラと豆を挽く。
思いの外早くミカエルの部屋のドアが開いて、ルシ何某が眉を顰めてやって来た。
「はよ」
「おはよう。何してるの?」
「コーヒー淹れようと思ってよ」
「いい香りの出所はこれか」
「豆挽いてんだ。ほら」
上の蓋を開いて見せれば、眉を上げている。
「コーヒー、飲んだことねえの?」
「ある。粉になってるのしか見たことなかった」
「へえ」
「俺が住んでた所には、コップを置くとコーヒーを淹れてくれる機械があってね。それが全部やってくれたから」
ルシ何某をこのようにした人物は、発明家でもあったらしい。彼曰く、料理も機械がやっていたのだとか。
「これは趣があっていい」
キッチンテーブルに寄りかかって目を細める姿をチラと見て、ミカエルはダイヤルを回す手の感覚に意識を集中させた。
カラカラと音が変わってダイヤルが軽くなる。すべての豆を挽き終えた合図だ。
泡の様子を見ながらコポコポお湯をそそぐのを、ルシ何某が興味深そうに見ていた。
「ここにあるのは生ハムと…、セサミくらいだな。お、チーズ。オリーブもある」
吊るされた熟成肉の塊に、ルシ何某が眉を上げた。
ミカエルはさっそく包丁を取り出し、セサミを薄くスライスしていく。
「極薄」
一枚渡されたものを透かし見ていた彼に、ミカエルはクッと口角を上げた。
「やってみるか?」
「初挑戦だから。上手くできるかわからないけど?」
「わかってる」
ミカエルは高みの見物だ。
何かを試されている気分になったルシ何某は、慎重に包丁を下ろした。薄さを意識しすぎて半切りになったりしつつ、なんとか二人分を切り終える。
「ま、いい線いってんじゃね?」
「……それはどうも」
これで何かが分かるのだろうか。
唇に弧を描いて盛り付けた皿を運ぶミカエルの後ろ姿を、ルシ何某は怪訝に思って眺めてしまった。
その後ミカエルは生ハムをささっとスライスし、かち割ったチーズとオリーブと共にお皿に盛った。
穏やかな朝だ。
食卓にはコーヒーの芳しい香りが漂っている。
「おいしい」
「だろ。あとで畑見に行かねえとな」
「収穫できるものがある?」
「あー、あると思う」
優雅にカップを傾けるルシ何某を見ていると、不思議な気分になる。
住み慣れた家での何気ない日常。聖学校での日々がゆめのようだ。しかし、ここにバラキエルはおらず、ルシ何某の存在が辛かった日々と今を繋いでいる。
「まだ疲れが抜けないなら、もう少し寝ればいい」
「いや、妙な感じでよ」
「ここにいるのが俺で?」
「おぅ」
ミカエルはオリーブをサクリと刺して口に運んだ。
「師匠は出現した力術円と一緒に消えた。あの円は、俺を狙ってたんだ」
「教会以外で君を狙うとしたら、教会に反感を抱いている組織か…」
「そんな組織あんのか」
そちらに目をやると、ルシ何某は肩をすくめた。
「噂で聞いたことがある。他には、王も君を欲しているだろう」
「王はなんでだ?」
「伝承の話だ。王族は、この地を救ったミカエルの末裔ということになっている」
「色んなミカエルがいるんだな」
紅の瞳がミカエルを意味深に捉え、「そうらしい」と溢す。
「ミカエルは、教会側につけば聖典のイメージが強まり、王につけば伝承のイメージが強まる」
どちらも人気取りに利用したいというわけだ。
目覚めたのは昼頃だった。
伸びをしてベッドから抜けだし、窓を開ける。
――見慣れた景色だ。
花々が賑わう春は盛りを過ぎて、鮮やかな新緑が存在感を増している。移りゆく時を、ミカエルはここで師匠と過ごしてきたのだ。
静寂に響く鳥の声。澄んだ空気を震わせる。
帰ってきた。
唐突に湧き上がった思いが胸に染み入る。木々や草花はいつも優しい。柔らかに揺れる木漏れ日に頬が緩んだ。
ミカエルは穏やかな心地でリビングに向かった。
自室のドアは閉まったままで、そこにルシ何某の姿はない。
――そのうち起きてくるだろ。
ミカエルはキッチンに立ち、使いこまれたコーヒーミルの上部の蓋を開ける。そこへ麻袋から取りだしたコーヒー豆を入れた。
分量はいつもと同じ二人分。
蓋を閉めて下の方をしっかり押さえ、横についている車輌のようなダイヤルを回してガラガラと豆を挽く。
思いの外早くミカエルの部屋のドアが開いて、ルシ何某が眉を顰めてやって来た。
「はよ」
「おはよう。何してるの?」
「コーヒー淹れようと思ってよ」
「いい香りの出所はこれか」
「豆挽いてんだ。ほら」
上の蓋を開いて見せれば、眉を上げている。
「コーヒー、飲んだことねえの?」
「ある。粉になってるのしか見たことなかった」
「へえ」
「俺が住んでた所には、コップを置くとコーヒーを淹れてくれる機械があってね。それが全部やってくれたから」
ルシ何某をこのようにした人物は、発明家でもあったらしい。彼曰く、料理も機械がやっていたのだとか。
「これは趣があっていい」
キッチンテーブルに寄りかかって目を細める姿をチラと見て、ミカエルはダイヤルを回す手の感覚に意識を集中させた。
カラカラと音が変わってダイヤルが軽くなる。すべての豆を挽き終えた合図だ。
泡の様子を見ながらコポコポお湯をそそぐのを、ルシ何某が興味深そうに見ていた。
「ここにあるのは生ハムと…、セサミくらいだな。お、チーズ。オリーブもある」
吊るされた熟成肉の塊に、ルシ何某が眉を上げた。
ミカエルはさっそく包丁を取り出し、セサミを薄くスライスしていく。
「極薄」
一枚渡されたものを透かし見ていた彼に、ミカエルはクッと口角を上げた。
「やってみるか?」
「初挑戦だから。上手くできるかわからないけど?」
「わかってる」
ミカエルは高みの見物だ。
何かを試されている気分になったルシ何某は、慎重に包丁を下ろした。薄さを意識しすぎて半切りになったりしつつ、なんとか二人分を切り終える。
「ま、いい線いってんじゃね?」
「……それはどうも」
これで何かが分かるのだろうか。
唇に弧を描いて盛り付けた皿を運ぶミカエルの後ろ姿を、ルシ何某は怪訝に思って眺めてしまった。
その後ミカエルは生ハムをささっとスライスし、かち割ったチーズとオリーブと共にお皿に盛った。
穏やかな朝だ。
食卓にはコーヒーの芳しい香りが漂っている。
「おいしい」
「だろ。あとで畑見に行かねえとな」
「収穫できるものがある?」
「あー、あると思う」
優雅にカップを傾けるルシ何某を見ていると、不思議な気分になる。
住み慣れた家での何気ない日常。聖学校での日々がゆめのようだ。しかし、ここにバラキエルはおらず、ルシ何某の存在が辛かった日々と今を繋いでいる。
「まだ疲れが抜けないなら、もう少し寝ればいい」
「いや、妙な感じでよ」
「ここにいるのが俺で?」
「おぅ」
ミカエルはオリーブをサクリと刺して口に運んだ。
「師匠は出現した力術円と一緒に消えた。あの円は、俺を狙ってたんだ」
「教会以外で君を狙うとしたら、教会に反感を抱いている組織か…」
「そんな組織あんのか」
そちらに目をやると、ルシ何某は肩をすくめた。
「噂で聞いたことがある。他には、王も君を欲しているだろう」
「王はなんでだ?」
「伝承の話だ。王族は、この地を救ったミカエルの末裔ということになっている」
「色んなミカエルがいるんだな」
紅の瞳がミカエルを意味深に捉え、「そうらしい」と溢す。
「ミカエルは、教会側につけば聖典のイメージが強まり、王につけば伝承のイメージが強まる」
どちらも人気取りに利用したいというわけだ。
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