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2章.Kyrie

ただいま、我が家

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 そこで、はたと思い出す。

「出らんねえ結界もぶっ壊すぞ」
「ああ、うん」
「おい、」

 ゾフィエルが何か言う前に、ミカエルは使えるようになった力で清々しく火炎を放った。ルシ何某は未だ混乱の中にいるようだったが、湧き上がる様々な感情をぶつけるかのように底の見えない闇を結界目掛けてぶちまけた。
 あの夜対峙したデビルのようなおぞましい感覚に包まれる。
 それでもミカエルは、掴んだままの手首を離さなかった。

 結界が揺らぎ、壊れ落ちながら消える。

「こんなんじゃ、スカッとしねえな」
「君、こんなに間近で俺の力を感じていながら、よく平然としているね。こんな俺に気安く触れるなんて普通じゃない」
「あ? 触られんのイヤなのか?」
「触る側が嫌だろう」
「ヤじゃねえよ。おまえは、一応人間、だろ」

 半目でクッと口角を上げ、いつか言われたことを言ってやる。するとルシ何某は、かすかに眉根を寄せた。

「おまえが同じ人間なのは、ここで過ごして知ってる。力が使えなきゃ、到底俺に勝てそうにねえひょろさだってこともな」
「力が使える俺は、人間の形をしたデビルのようなものだ」
「逆だろ。デビルの力を纏ったような人間」
「……君が嫌じゃないならいい」

 かすかに眉根を寄せたまま、ルシ何某はそっぽを向いて諦めたように言った。
 あんなに激しい光や音がしたのに、クリスはまだそこにいる。ルシ何某の気配にも、動じていない。

「じゃあな、クリス」

 きっと彼も、察しているのだろう。
 ミカエルは円らな瞳と見詰め合い、最後にまろい頭を一撫でする。

「んじゃ、また」

 絶句しているゾフィエルに軽やかに言い放ち、バラキエルと暮らしていた家を思い浮かべて瞬間移動した。

「できた…」
「君は簡単にできるって思ったからできたんだ。すんなりいく人ばかりじゃない」

 ルシ何某が腕を引かれて歩きながら言う。
 ミカエルは随分久しぶりに感じる我が家に目を細め、半端に開かれたままの玄関から中に入った。

「帰ったぜ」

 返事はない。ミカエルは手のひらに炎を灯し、燭台に明かりを灯して回った。

「中は荒らされてねえようだ」
「シャワー浴びれる?」
「おう。寝床は師匠か俺の部屋のベッド」
「君のベッド」
「じゃあ俺は師匠のベッド」

 ようやく戻って来ることができた。そんな感慨は、バラキエルがいないためか、あまり湧かない。
 これから、ようやくバラキエルを探すことができるのだ。しかし、探すといってもまったく当てはなかった。
 ルシ何某がシャワーを浴びてリビングに戻り、ミカエルがソファから立ち上がる。
 濡れ髪を拭く姿を横目で捉え、ミカエルは口を開いた。

「髪、バッサリいったな」
「ずっと長かったから変な感じだ。身軽でいい」

 着古したバラキエルのシャツも、ルシ何某が着るとなんだか優美だ。
 記憶を失くしたミカエルは、いろいろと人間離れしている彼に、畏敬の念を抱いていた。

「変? それとも、やっぱり俺の力に引いてる?」
「慣れねえ感覚だからよ。おまえのほうが力強ぇし。それなのに、ルシエルって名は聖典で見かけなかったな」
「ああ、載ってない」
「強ぇのに、なんでおまえは聖典にある名前にならなかったんだ?」

 ルシ何某は前髪を掻き上げる。その腕に目がいって、気になったミカエルは彼の手首を掴んで袖を捲った。かすかに残る数多の傷跡。
 そっと撫で、治癒で消す。

「……ルシエルは伝承に登場する人の名前だ。聖典が巷で広まる前から伝えられている。かつて、この地の人々を侵略者から守ったミカエルという人物の、兄の名だ」
「兄、」

 顔を上げると、ルシ何某は小さく頷き、傷跡の残るミカエルの腕を持ち上げ治癒してくれた。

「一節には、ルシエルのほうが活躍したとか。聖典に名前が出てくるミカエルを、教会が布教のために持ち上げたと考えている人もいる。真実は誰にもわからない」
「じゃあ教会は、ちまたのためにルシエルって名を強ぇやつに与えるのか」
「まぁね。ミカエルがすでにいるとき、それ以上強い者が現れたらつける名として、それほど相応しいものはない」

 ミカエルは半目になってボソリと問う。

「何月生まれ?」
「二月。君は?」
「九月。もし、おまえが一年早く産まれてたら、」
「俺がミカエルだったかも?」

 ルシ何某はおどけて言った。ミカエルは盛大に舌打ちする。

「だけど残念ながら、もし、はあり得ない」
「教会は、ルシエルはどうでもいいのか?」
「よくはないだろうけど。ミカエルより重要な存在はいないだろう」
「っつか、俺のほうが年上になるのか」
「俺の誕生日が来るまでね。まぁ、俺は誕生日がわからないけど」
「へぇ」

 ミカエルは、自身より身長が高く、伝承のなかでは兄という、ルシエルという名を与えられた存在を半目で眺めた。

「そういや、あの腕輪、制御装置って言ってたよな。なくて平気か?」
「ああ…。どちらかといえば、精神的な拠り所だったかも」

 ミカエルはしばし考え、首から下げていた十字架を外してルシ何某に手渡した。
 ルシ何某は眉を上げている。

「代わりになるかわかんねえけど。これ、貸してやる。師匠曰く、お守りだ」
「それは、大事な物では?」
「まぁな。問題ねえよ。おまえは俺といるだろ。そんなら、それも俺とあるってことだ」
「……それなら、ありがたく」

 ルシ何某は初めて手にした異界の物でも扱うかのような妙な顔で、十字架を首から下げた。

「聖石でできてっから、使えると思ったんだよ」
「わかってる」

 彼は長い指で慎重に十字架を掴み、顎を引いて観察している。
 ミカエルは鼻で笑って脱衣所へ向かった。

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