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2章.Kyrie

ルシファーという名前

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 ミカエルは腰に手を当て、振り返る。
 ゾフィエルが向ける眼差しにこれまでと異なる何かを感じ、片眉を上げた。

「王の話、本当なのか?」
「いや、出まかせだ」
「は、」
「だが、無謀な話じゃない」

 ゾフィエルはミカエルと瞳を合わせ、言葉を続ける。

「明日、陛下に話を持ちかける。上手くいけば、現実となるかもしれない。デビルの目撃情報が増えて、手が回らないのは事実だからな」

 ミカエルは視線を逸らす。肩に置かれた白手袋の手。ゾフィエルは落ち着いた声音で言った。

「その時には、よろしく頼む」

 穏便にあの場を切り抜けるため、その身や地位を迷いなく危険に晒したバディのゾフィエル。もし王がその話に乗らなければ、大変なことになるだろう。それなのに、その瞳に後悔の色など全くないのだ。

「……ああ」

 ミカエルが小さく答えると、ゾフィエルはそっと抱きしめてくれた。

「ありがとう」
「なんで、おまえが言うんだよ」
「君は誰かの命令に、易々と従うような人間じゃない」

 あのようなやり方しか思いつかなくて、済まなかった。 
 耳許で、耳通りのよい声が懺悔のように落とすので。ミカエルは思わず抱擁を解き、彼の肩を掴んで背伸びして、オフホワイトの髪をわしゃわしゃ撫でた。

「っおい、」
「もっと自分を大事にしろってんだよ」
「しているっ」

 ようやくミカエルが手を放すと、ゾフィエルは短い眉を下げ、困惑した様子で髪を整えた。
 ミカエルは小さく息を吐く。
 どこにも属したくないが、こうなっては仕方がない。教会と対立するのを避けられ、幸運だと思っておこう。

「ルシファーも来るだろ」

 しゃがんでクリスを撫でていた彼に目をやる。ルシファーは、肩をすくめた。

「……ここにいるより楽しめそうだ」
「なんだよ、破門されてなかったの気にしてんのか?」
「それのせいにして耐えてきたことが多くてね。少し、混乱してる」

 額に手を当て俯く彼に、ミカエルはカラッと言う。

「よかったじゃねえか。もう耐えなくていいってわかって」
「そうなるかな…」

 ルシファーは呆れたように言い、諦めたように肩の力を抜いた。そんな彼の頬をクリスがベロリと舐める。ルシファーはお返しとばかりにクリスの頭を撫でくり回した。
 クリスは尻尾を振って、ルシファーの手を甘噛みしようと奮闘している。
 ふと、ゾフィエルが口を開いた。

「その名を名乗る前、君はなんという名だったんだ?」
「覚えてない」
「そうか…」

 ミカエルは首を傾げた。

「その名前、気に入ってるわけじゃねえんだろ?」
「自分の名前という以上の感情は持ち合わせていない」
「じゃあ、違う名前になってもいいのか」
「まぁ、変な名前でなければ」

 破門やら名前やら、ミカエルにこだわりはないが、この世の中で生きる上では重要なことなのだろうと聖学校で理解した。そのあたりの感覚は、ルシファーにもあるのだろう。

「王としても、自分のもとで働くミカエルに関して、誤解を招くようなことは避けたいだろう」

 紅の冷めた眼差しに、ゾフィエルはどこか気まずそうな顔をした。

「ならよ、新しい名前決めようぜ」
「ノリが軽い」
「"外で名乗るとき用"くらいの軽さでいいだろ」
「……そーだね」

 ミカエルがあんまり気楽に言うので、ルシファーは息を吐いて肩をすくめた。その手は未だ、クリスをわしゃわしゃしている。

「エルをつけりゃいいんだから、あー、ルシエル」  

 途端にルシファーとゾフィエルが目を丸くする。ミカエルは二人の反応に片眉を上げた。

「そんなに変か?」
「いや、しごく真っ当だ。懐かしい名で、驚いた」
「同じ名前はダメだったな」
「その方はすでに亡くなっている」
「それ、もとの俺の名前」

 ゾフィエルとの会話は、ルシファーからポンと飛び出た言葉によって打ち切られた。

「おまえ、覚えてねえって、」
「思い出した。孤児院で、そう呼ばれてた」
「んじゃ、名前はそれでいいな。どっちで呼べばいいんだ?」
「思い出した自分が今の自分と違いすぎて混乱してる」
「またかよ。とりあえずルシって呼んどく」

 ふとゾフィエルの方を向くと、瞳を揺らしていた。

「そっちはなんだ?」
「彼は、ルシエルだったのだな」
「前のルシエルと何かあったのか」
「……その方は精鋭部隊の隊長で、彼のもとで働くことが、私の夢だった」

 切なげに歪められた目許から視線を外し、ミカエルは小さく息を吐く。クリスの元へ行き、最後に抱き着いてモフモフを堪能した。
 
「名前決まったことだし、とりあえずここ出ようぜ」
「ああ…、私は陛下にご報告する。その後のことはまた話す。君たちは、今夜はどこで?」

 切り替えの早いゾフィエルに目を瞬き、ミカエルは首を振る。

「家に帰りてえけど、ここがどこかわかんねえ」
「瞬間移動は、」
「やったことねえよ。やられたことならあるけどな」
「それならできるはずだ。瞬間移動は、実際に体験して感覚を掴めばできる」

 それを聞いたミカエルは目を輝かせ、ルシ何某の手首を掴んだ。
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