66 / 73
2章.Kyrie
決行
しおりを挟む
短くなった黒髪を追って突き当たりのドアから外へ。
螺旋階段を降りる。
紅の瞳は、いつもミカエルに一線を引いていた。そのため、ミカエルも親しみを覚えたことはない。ルシファーはミカエルの知らない世界を知っていて、異なる世界を生きているようだった。
正直に言えば、あの髪や目の色といい、あまりに整った美貌といい、人間ではないのではと時々思ってしまう。
記憶を失う前のミカエルは、そんな彼やサリエルに心底慕われていたのだろう。
十日にも満たない学生生活で、それを得たのだ。
それ以上の時をここで過ごしたというのに、ミカエルにはそのような相手はいない。それを思うと、記憶を失う前の自分が、ミカエルは少し羨ましかった。
「なに?」
「……なんでもない」
「結界を壊したら感知されるだろう。気を緩めないでね」
寮の裏手を進み、学校の敷地の周りにぐるりと巡らされた壁に辿り着く。
ルシファーは左手に持った剣の柄から切っ先に向かって、撫で上げるように手を這わせた。
その剣を、見えない結界目掛けて迷いなく振り上げる。柄に嵌まっている石が青く輝き、その力が伝わったかのように剣全体が青く光った。
暗い空が光って揺らぎ、罅割れる。
ガラスが割れたような凄まじい音が降り注ぎ、ミカエルはギョッとした。
身体中に流れるエネルギァの感覚。
壊れた結界の破片が小さな星のようにキラキラ煌めき消えていく。その向こうに、糸のように細い月が浮いていた。
ルシファーの纏うエネルギァの重みにゾッとする。
「結界はもう一つある」
「、おう」
付近に新たな気配が出没したのを感じ、ミカエルの動きが止まる。
ルシファーの手が耳に伸びたと思ったらピアスを力づくで外され、「イテッ」と言う間に額に当てられた手から温かなエネルギァを感じた。
これは治癒の波長だ。
記憶の断片が次々に頭に浮かんで押し寄せる。――医務室の天井、身体中を襲った稲妻のような痛み、ゾッとするような機械と椅子しかない部屋の、身体を括りつけられた椅子、ジルコンの不思議な煌めき、脱衣所のドアを出て行くルシファーの顔、出現した青光りする黒い剣、輝く力術円、親指を噛んで滲んだ血、たくさんの痛みの体験、いつもルシファーが癒してくれた。癒しといえばモフモフのクリス。信じて送り出してくれたサリエル。ラファエルに捕まって聖学校に連れて来られた。デビルが現れて、それまでずっとあの森で師匠と暮していたのに――。
最初は他人事のように感じていたイメージが、いつの間にか自分になって腑に落ちた。
「まさか、君が加担しているとは思いもしませんでした」
「どういたしまして?」
「その剣は…」
馴染み深い声に顔を上げると、思った通り、ラファエルが行く手を阻むように立っていた。
貼り付けられた微笑がこちらを向いて、残念そうに言う。
「どうやら、記憶を取り戻してしまったようですね」
「ずいぶん好き勝手してくれたな。思い出すとヘドが出るぜ」
「有言実行したまでですよ。素直な君は可愛かったですが、少々退屈でした」
「喜べ、それも今日までだ」
ミカエルは嬉々として走り込み、怒りの拳を振るった。
力を纏った拳は広範囲に威力を発揮する。空気を斬る熱い風。刃のような鋭さだ。
ラファエルは大きく後ろに飛んで避け、ベルトに固定していた鞭を手に持つ。
構わず突っ込むミカエル。
彼目掛けて鞭が打たれる。
ミカエルは斬れると踏んで一薙ぎしたが、手首に鞭を巻きつけられてしまった。炎で鞭を包み込む。しかし、鞭はビクともしない。
「、」
ラファエルがミカエルごと鞭を引っ張った。ルシファーが闇を展開し、ラファエルを包みこむ。
ラファエルが闇に呑まれたかに見えた一瞬後――。
「なるほど、君は本当にデビルのようですね」
霧散した黒から、ラファエルは微笑を湛えたまま現れた。
ミカエルを捕まえている鞭の他に、左手でもう一つ、鞭を持っている。
「この鞭に聖石が練りこまれていなければ、闇に侵食されていましたよ」
闇に侵食されたら、放っておけば身体が真っ黒になり、死に至る。それも治癒できるラファエルではあるが、時間を要するため戦闘中に食らいたいものではなかった。
ルシファーはラファエルの言葉などどこ吹く風で、再び闇を展開した。
ラファエルはそれに捕まらないよう、あちらこちらへ動きながら鞭を振るう。ミカエルも、ルシファーの闇と追いかけっこをしているラファエル目掛けて炎を放った。
その最中、ルシファーがラファエルのもとへ瞬間移動し、いきなり斬りつける。
「ッ、」
予想外な攻撃に、ラファエルは肩口から斜めに斬られ、よろめいた。
後ろに出現した闇。
炎が追い打ちをかけるように迫りくる。
ラファエルはミカエルを捕まえていた鞭を解き、二つの鞭で闇と炎をかわしに掛かった。なんとしても避けたい闇を一番に対処すると、隙間を縫って飛び込んでくる炎が間近に迫る。
ルシファーの次なる攻撃まで手が回らない。
その時、あらぬ方向から飛んできた弓矢。
ルシファーはハッとして瞬間移動し、ラファエルと距離を取った。
「……いいタイミングですね」
いつの間にか、周りを囲む多くの気配がする。ラファエルが応援を呼んだのか。
「さて。大人しく降参してはもらえませんか」
ラファエルは無事なほうの腕で口から垂れた血を拭い、斬られた胴体を治癒しながら首を傾げた。
片方の腕は防ぎきれなかった炎で火傷している。それなりの怪我を負っているはずだが、いつもの微笑は変わらない。
「無理な相談だな」
ミカエルはサラリと答えた。
たしかに敵は多く、強そうだ。しかしルシファーと二人なら、なんとかなるかもしれない。こうなれば、周りの木々や建造物のことまで、考えてなどいられない。
「そろそろ、本気でいかせてもらうぜ」
全身に力を纏ったミカエルが薄闇に浮かび上がる。その輝きは、代々の王族が継承している光氣を纏っているかのようだ。
ルシファーも闇を身に纏う。
螺旋階段を降りる。
紅の瞳は、いつもミカエルに一線を引いていた。そのため、ミカエルも親しみを覚えたことはない。ルシファーはミカエルの知らない世界を知っていて、異なる世界を生きているようだった。
正直に言えば、あの髪や目の色といい、あまりに整った美貌といい、人間ではないのではと時々思ってしまう。
記憶を失う前のミカエルは、そんな彼やサリエルに心底慕われていたのだろう。
十日にも満たない学生生活で、それを得たのだ。
それ以上の時をここで過ごしたというのに、ミカエルにはそのような相手はいない。それを思うと、記憶を失う前の自分が、ミカエルは少し羨ましかった。
「なに?」
「……なんでもない」
「結界を壊したら感知されるだろう。気を緩めないでね」
寮の裏手を進み、学校の敷地の周りにぐるりと巡らされた壁に辿り着く。
ルシファーは左手に持った剣の柄から切っ先に向かって、撫で上げるように手を這わせた。
その剣を、見えない結界目掛けて迷いなく振り上げる。柄に嵌まっている石が青く輝き、その力が伝わったかのように剣全体が青く光った。
暗い空が光って揺らぎ、罅割れる。
ガラスが割れたような凄まじい音が降り注ぎ、ミカエルはギョッとした。
身体中に流れるエネルギァの感覚。
壊れた結界の破片が小さな星のようにキラキラ煌めき消えていく。その向こうに、糸のように細い月が浮いていた。
ルシファーの纏うエネルギァの重みにゾッとする。
「結界はもう一つある」
「、おう」
付近に新たな気配が出没したのを感じ、ミカエルの動きが止まる。
ルシファーの手が耳に伸びたと思ったらピアスを力づくで外され、「イテッ」と言う間に額に当てられた手から温かなエネルギァを感じた。
これは治癒の波長だ。
記憶の断片が次々に頭に浮かんで押し寄せる。――医務室の天井、身体中を襲った稲妻のような痛み、ゾッとするような機械と椅子しかない部屋の、身体を括りつけられた椅子、ジルコンの不思議な煌めき、脱衣所のドアを出て行くルシファーの顔、出現した青光りする黒い剣、輝く力術円、親指を噛んで滲んだ血、たくさんの痛みの体験、いつもルシファーが癒してくれた。癒しといえばモフモフのクリス。信じて送り出してくれたサリエル。ラファエルに捕まって聖学校に連れて来られた。デビルが現れて、それまでずっとあの森で師匠と暮していたのに――。
最初は他人事のように感じていたイメージが、いつの間にか自分になって腑に落ちた。
「まさか、君が加担しているとは思いもしませんでした」
「どういたしまして?」
「その剣は…」
馴染み深い声に顔を上げると、思った通り、ラファエルが行く手を阻むように立っていた。
貼り付けられた微笑がこちらを向いて、残念そうに言う。
「どうやら、記憶を取り戻してしまったようですね」
「ずいぶん好き勝手してくれたな。思い出すとヘドが出るぜ」
「有言実行したまでですよ。素直な君は可愛かったですが、少々退屈でした」
「喜べ、それも今日までだ」
ミカエルは嬉々として走り込み、怒りの拳を振るった。
力を纏った拳は広範囲に威力を発揮する。空気を斬る熱い風。刃のような鋭さだ。
ラファエルは大きく後ろに飛んで避け、ベルトに固定していた鞭を手に持つ。
構わず突っ込むミカエル。
彼目掛けて鞭が打たれる。
ミカエルは斬れると踏んで一薙ぎしたが、手首に鞭を巻きつけられてしまった。炎で鞭を包み込む。しかし、鞭はビクともしない。
「、」
ラファエルがミカエルごと鞭を引っ張った。ルシファーが闇を展開し、ラファエルを包みこむ。
ラファエルが闇に呑まれたかに見えた一瞬後――。
「なるほど、君は本当にデビルのようですね」
霧散した黒から、ラファエルは微笑を湛えたまま現れた。
ミカエルを捕まえている鞭の他に、左手でもう一つ、鞭を持っている。
「この鞭に聖石が練りこまれていなければ、闇に侵食されていましたよ」
闇に侵食されたら、放っておけば身体が真っ黒になり、死に至る。それも治癒できるラファエルではあるが、時間を要するため戦闘中に食らいたいものではなかった。
ルシファーはラファエルの言葉などどこ吹く風で、再び闇を展開した。
ラファエルはそれに捕まらないよう、あちらこちらへ動きながら鞭を振るう。ミカエルも、ルシファーの闇と追いかけっこをしているラファエル目掛けて炎を放った。
その最中、ルシファーがラファエルのもとへ瞬間移動し、いきなり斬りつける。
「ッ、」
予想外な攻撃に、ラファエルは肩口から斜めに斬られ、よろめいた。
後ろに出現した闇。
炎が追い打ちをかけるように迫りくる。
ラファエルはミカエルを捕まえていた鞭を解き、二つの鞭で闇と炎をかわしに掛かった。なんとしても避けたい闇を一番に対処すると、隙間を縫って飛び込んでくる炎が間近に迫る。
ルシファーの次なる攻撃まで手が回らない。
その時、あらぬ方向から飛んできた弓矢。
ルシファーはハッとして瞬間移動し、ラファエルと距離を取った。
「……いいタイミングですね」
いつの間にか、周りを囲む多くの気配がする。ラファエルが応援を呼んだのか。
「さて。大人しく降参してはもらえませんか」
ラファエルは無事なほうの腕で口から垂れた血を拭い、斬られた胴体を治癒しながら首を傾げた。
片方の腕は防ぎきれなかった炎で火傷している。それなりの怪我を負っているはずだが、いつもの微笑は変わらない。
「無理な相談だな」
ミカエルはサラリと答えた。
たしかに敵は多く、強そうだ。しかしルシファーと二人なら、なんとかなるかもしれない。こうなれば、周りの木々や建造物のことまで、考えてなどいられない。
「そろそろ、本気でいかせてもらうぜ」
全身に力を纏ったミカエルが薄闇に浮かび上がる。その輝きは、代々の王族が継承している光氣を纏っているかのようだ。
ルシファーも闇を身に纏う。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
33
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる