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2章.Kyrie

血と名前

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 寮部屋に戻ったミカエルは、さっそくサリエルに話す。

「いま、剣に血をそそいできた。きみも知ってるんだろ」
「ミカエル、思い出したの?」
「なんも覚えてねえよ。けど、それが真実だと思った」
「……そっか」

 サリエルは肩を下ろしてかすかに笑んだ。そうして、机の奥から瓶を取り出す。
 中に入っている赤い液体を見て、ミカエルは目を丸くした。

「これ、僕が溜めてた血。使って」
「きみも血を…。強いか?」
「僕はそこまでじゃないよ。それでも、少しくらいは足しになるだろ」
「ありがとな」

 聞けば、サリエルも腕を切ってやっていたらしい。差し出してくれた血の量は軽く引くくらいだが、見せてくれた腕はルシファーほど痛々しくない。

「君は手の平を切ったんだね。これ使って」
「治癒クリーム?」
「うん。薬草学の先生とちょっと親しくなって、必要な植物をもらったり、失敬してね。完治するほどの物は作れなかったけど、毎日塗れば数日で綺麗に治る」

 少し分けてもらったので、ルシファーにも渡そうと決めた。

「サリエルも協力してくれるなら、意外と早く達成できそうだ。四分の一くらいにはなってそうだな」
「君も計算したんだ」
「あ? ……忘れたけど知ってた」
「まあいいや。君がこの計画を続けてくれて嬉しいよ」
「なんで?」
「そうすれば元の君に戻れるだろうし、君が本当に望んでたことだから」

 サリエルがルームメイトでよかったと心から思った。

 定められた日程をこなす日々のなか、ラファエルと会う機会はあまりない。たまたま廊下で遭遇するのが関の山だ。その日も廊下でバッタリ出会い、放課後、医務室に寄るよう言われた。
 讃美歌の練習を終えたミカエルは医務室へ向かう。
 ドアを開けて中に入ると、独特の匂いに心が落ち着いた。ラファエルは奥の机にいて、ミカエルのためにハーブティを淹れてくれる。
 二人は並んでベッドに腰掛け、夕焼け色に寛いだ。

「よく励んでいるようですね」
「はい、先生」
「友だちはできましたか」
「サリエルがいます。あと、同級生もよくしてくれます」

 たまにいきなり何かを忘れるミカエルに、周りは優しい。すれ違えば挨拶をして、忘れ物を届けてくれたり、道を教えてもらったりした。最近では、課題に使う参考文献を渡されたりする。彼らは皆、好意的で楽しげだ。

「それは良かったですね」
「はい、ありがたいです」

 頭を撫でられると、やっぱり嬉しい。

「おや、手を怪我したんですか?」
「よく覚えてないけど、つまずいて転んだみたいです」
「ミカエル、そういう時はここへ来ていいですよ。そのための医務室です」
「はい、先生」

 ミカエルは俯きがちに答えて頷いた。

「君を呼んだのは、そろそろ出したほうがいいと思いましてね」 
「出す…?」
「今日まで、誘惑に駆られることはありましたか?」
「、ありません」

 太腿を撫で上げられて、ようやくミカエルは理解した。

「良いことです」

 ラファエルはマグカップをチェストの上に置き、ミカエルの上着の前を開く。
 そうしてベルトを外し、下履きの前を寛げた。
 マグカップを持っていた温かな手に中心を包まれ、熱が集まる。しかし根元を戒められているため、快感が走ると苦しさが増した。

「先生、外してくださいっ」
「こういう時は、イかせてと言うんですよ」
「イかせてくださいっ」
「君の罪が、誰かを駆り立てたことはありましたか?」

 脳裏にコカビエルが浮かんだ。どうして都合の悪いことは忘れないのだろう。

「あるんですか」
「コカビエル先生が、よく触ってきて…」
「それだけですか?」
「……はい」
「コカビエル先生は、君に触るだけなんですね」
「……一度、それ以上のことを、やろうとしたと思います」

 微笑の圧に負け、ミカエルは話してしまった。

「なぜ、コカビエル先生はやめたのでしょう」
「俺が、イヤがったから…」
「コカビエル先生の行為において、君に罪はないと思いますか」

 コカビエルは誰にでも手を出すわけではない。手を出す相手を選んでいるのだ。

「……なくはないと思います」
「なぜ?」
「俺に何か駆り立てるものがあるから、……先生は、あんな事をしようとした…?」
「君の取った行動は、正しかったのでしょうかね」

 ミカエルはハッとしてラファエルの顔を見上げる。

「俺に罪があるから、やられるべきってこと?」
「ミカエル、君はミカエルです。すべての人の罪を背負い、救済できる可能性を持つ」
「……だから俺は、相手の罪を受け入れて、この身を差し出さなきゃいけない…?」
「どうすべきかは、ミカエルである君が自ら考え、導きだすべきです」

 ミカエルは戦慄した。
 そんなのイヤだと思うのに、そうしなければならないと思う。記憶を失くしていなかったら、そうは思わなかったかもしれない。けれどミカエルは、ミカエルの重要性を何度もかれ、受け入れて、ミカエルらしくありたいと思っていた。

「さあ、ミカエル。足を開いて、よく見えるようにしてください。その身を神に捧げた君に、やましい事などないはずです。当然、隠すべきことも」

 ミカエルは全てを差し出すような気分で股を広げる。

「苦しいですか?」
「苦しい、です」
「いま、楽にしてあげますよ」

 ラファエルの手により高められ、苦しみが限界に達しようとしたとき、唐突にそれは解放された。
 視界が弾ける。
 ミカエルはかつてない解放感と衝撃に、驚いて声も出なかった。
 くたりとした身体をラファエルに支えられる。

「いっぱい出ましたね」
「……」
「おや、気持ち良すぎて放心してます?」

 ミカエルがぼぅっとしているうちに、身体を清められ、再び根元を戒められていた。

「ミカエル、疲れたときはここに来なさい」
「はい、先生」 
「もう帰るんですか」
「お腹すいたから早く食べたいです」
「早く行っても、食べられませんけど。足元に気をつけてください」
「はい、先生」

 ミカエルはゆらりと立ち上がり、ぼんやりしたまま寮に戻った。
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