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2章.Kyrie
いつもの時間
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ミカエルはかすかな緊張を抱いて脱衣所のドアを開く。
ルシファーは、椅子にいた。
「君、一部で王子さまって呼ばれて人気らしいね」
「おーじ?」
「まぁいいや。先に風呂行けば」
ミカエルは首を傾げて風呂に行き、烏の行水で戻った。
タオルで身体を拭いていると、こちらを向いたルシファーの視線が下りて、眉根を寄せる。
「それ、」
「ん? ああ、やっぱあんまりしない物なのか」
「あんまりというか、普通しない。なんでしてるの」
「自分の罪を自覚するため。あと、忘れて夢精するのを防ぐ」
ルシファーは馬鹿にしたように笑う。
「罪? 君になんの罪が?」
「……性欲に走るのも、誰かの性欲を助長させるのも、よくない」
「君は誰かを襲おうとした? それとも襲われた?」
「どっちもないけど、」
「自由を望んでいた君が自らそれを手放すなんて笑える」
吐き捨てるように言われ、ミカエルは口を噤んだ。
「管理してるのはラファエルか」
「……先生が嫌い?」
「好きも嫌いもない。あの男は教会の忠実な手下だ。君を教会が求めるミカエルという存在に仕立て上げようとしている。君はそれを嫌がっていた」
ミカエルは眉根を寄せて服を着て、ルシファーのもとへ向かった。
「俺は孤児院で暮らしてて、ラファエル先生に会ってここに来た。熱心な生徒で、階段から落ちて頭を打って記憶を失くした。……俺はそう聞いてる」
おもむろに手を出され、ミカエルは首を傾げつつ、持っていたタオルを手渡す。
促され、彼の足許に座った。
頭にタオルが乗せられて、優しく髪を拭われる。ラファエルより柔らかで、ムズムズするような手つきだ。
「それで拭けてるのか?」
「拭けてるよ」
ふっと笑うように溢された声に、初めて温かみを感じた。
「いつも、ルシファーが俺の髪拭いてた?」
「まぁね。君がここに来るまでの話は屋上でした通り。君はバラキエルって人を師匠と呼んで、ずいぶん慕っているようだった。その人が急に出現した力術円でどこかへ行ってしまったとか」
「ここに来てからは?」
「君がここへ来てから記憶を失くすまで、十日もなかったな。だけど君は、色んな体験をした。望まない体験を」
ミカエルは緊張しながら話を聞いた。自分のことなのに、痛ましい出来事の数々に同情してしまう。
「俺、すでに男に…」
「そのときは、そんなに精神的ダメージがあるように見えなかったけど」
「ルシファーが介抱してくれたのか?」
「そう。それから――」
最後の日の話まで聞いて、ミカエルは顔を上げる。
「それから事故に?」
「俺はまだ、君が一番望んでいたことを話してない。それに関する行動の結果、君は記憶を失くした」
「話してくれよ」
「当ててごらんよ。ここに連れて来られた君は、何を思い、どんな行動を取ったと思う?」
ミカエルは膝を抱えて考える。
「一緒に暮らしてる人がいたのに、いきなり連れてこられたら、帰りたいと思う」
「今年で卒業できる」
「……そのバラキエルって人がどうなってるかわからないのに、ここで呑気に暮らせるか? 一番大事なのはその人や、その人との暮らしだったんだろ?」
「それならどうする?」
「先生に頼んで、」
「君の師匠は教会に追われる身だ。君を聖学校に入れなかったんだから」
ミカエルはハッと顔を上げ、困惑したように言う。
「それじゃあ、どうすればいいんだよ。教会の人たちは頼れない。この聖学校に、教会に背ける人間なんて…」
思わず紅の瞳をガン見した。
「……だから俺、おまえに協力を?」
「君は一人でもやるつもりだっただろう」
「やるってまさか、ここから抜け出すってことか!?」
「君の師匠は偉大だ。そんな事を考えて実際に行動するなんて、普通じゃない」
ここへ来て、ミカエルはようやく謎が解けた気分になった。
「それなら全て説明がつく。俺に前の話をするのを教師が禁じたことも、ラファエル先生が熱心だったのも。教会にとってミカエルは、特別な存在だから」
「君と話していると、俺は誰と話してるんだろうと思うよ」
「それで俺、何したんだ?」
全てを聞き終えたミカエルは、背筋が凍る思いがした。
「……こうなるかもって、わかっててやったのかよ。自分がこえぇ」
「お坊っちゃんみたいな君を見たときはイラついたものだけど、こうもらしくない姿を見せられると面白くなってくるものだ。君の怯える姿なんて、絶対見ることないだろうと思ってた」
「先生もこえぇ…」
「ラファエルはそういう男だ。君はそんな相手に、射精管理されてるんだっけ?」
「やめろ、ゾッとする」
「事実だろう」
ミカエルは頭を抱えた。
「ここから出たら、この頭、治るんだよな?」
「出られたら。そのピアス、ラファエルが?」
「孤児院にいたころ、先生がプレゼントしてくれた、って…」
銀色の輪っかのピアスは、目が覚めたときには耳に付いていた。
「前はしてなかった。たぶん、治癒のエネルギァを遮断するための物だろう。万が一頭に当たっても、治癒されないように」
「取れるよな?」
「構造は普通のピアスのようだから、大丈夫だと思うけど」
ルシファーはミカエルの耳に顔を寄せ、ピアスを触って確かめる。
ルシファーは、椅子にいた。
「君、一部で王子さまって呼ばれて人気らしいね」
「おーじ?」
「まぁいいや。先に風呂行けば」
ミカエルは首を傾げて風呂に行き、烏の行水で戻った。
タオルで身体を拭いていると、こちらを向いたルシファーの視線が下りて、眉根を寄せる。
「それ、」
「ん? ああ、やっぱあんまりしない物なのか」
「あんまりというか、普通しない。なんでしてるの」
「自分の罪を自覚するため。あと、忘れて夢精するのを防ぐ」
ルシファーは馬鹿にしたように笑う。
「罪? 君になんの罪が?」
「……性欲に走るのも、誰かの性欲を助長させるのも、よくない」
「君は誰かを襲おうとした? それとも襲われた?」
「どっちもないけど、」
「自由を望んでいた君が自らそれを手放すなんて笑える」
吐き捨てるように言われ、ミカエルは口を噤んだ。
「管理してるのはラファエルか」
「……先生が嫌い?」
「好きも嫌いもない。あの男は教会の忠実な手下だ。君を教会が求めるミカエルという存在に仕立て上げようとしている。君はそれを嫌がっていた」
ミカエルは眉根を寄せて服を着て、ルシファーのもとへ向かった。
「俺は孤児院で暮らしてて、ラファエル先生に会ってここに来た。熱心な生徒で、階段から落ちて頭を打って記憶を失くした。……俺はそう聞いてる」
おもむろに手を出され、ミカエルは首を傾げつつ、持っていたタオルを手渡す。
促され、彼の足許に座った。
頭にタオルが乗せられて、優しく髪を拭われる。ラファエルより柔らかで、ムズムズするような手つきだ。
「それで拭けてるのか?」
「拭けてるよ」
ふっと笑うように溢された声に、初めて温かみを感じた。
「いつも、ルシファーが俺の髪拭いてた?」
「まぁね。君がここに来るまでの話は屋上でした通り。君はバラキエルって人を師匠と呼んで、ずいぶん慕っているようだった。その人が急に出現した力術円でどこかへ行ってしまったとか」
「ここに来てからは?」
「君がここへ来てから記憶を失くすまで、十日もなかったな。だけど君は、色んな体験をした。望まない体験を」
ミカエルは緊張しながら話を聞いた。自分のことなのに、痛ましい出来事の数々に同情してしまう。
「俺、すでに男に…」
「そのときは、そんなに精神的ダメージがあるように見えなかったけど」
「ルシファーが介抱してくれたのか?」
「そう。それから――」
最後の日の話まで聞いて、ミカエルは顔を上げる。
「それから事故に?」
「俺はまだ、君が一番望んでいたことを話してない。それに関する行動の結果、君は記憶を失くした」
「話してくれよ」
「当ててごらんよ。ここに連れて来られた君は、何を思い、どんな行動を取ったと思う?」
ミカエルは膝を抱えて考える。
「一緒に暮らしてる人がいたのに、いきなり連れてこられたら、帰りたいと思う」
「今年で卒業できる」
「……そのバラキエルって人がどうなってるかわからないのに、ここで呑気に暮らせるか? 一番大事なのはその人や、その人との暮らしだったんだろ?」
「それならどうする?」
「先生に頼んで、」
「君の師匠は教会に追われる身だ。君を聖学校に入れなかったんだから」
ミカエルはハッと顔を上げ、困惑したように言う。
「それじゃあ、どうすればいいんだよ。教会の人たちは頼れない。この聖学校に、教会に背ける人間なんて…」
思わず紅の瞳をガン見した。
「……だから俺、おまえに協力を?」
「君は一人でもやるつもりだっただろう」
「やるってまさか、ここから抜け出すってことか!?」
「君の師匠は偉大だ。そんな事を考えて実際に行動するなんて、普通じゃない」
ここへ来て、ミカエルはようやく謎が解けた気分になった。
「それなら全て説明がつく。俺に前の話をするのを教師が禁じたことも、ラファエル先生が熱心だったのも。教会にとってミカエルは、特別な存在だから」
「君と話していると、俺は誰と話してるんだろうと思うよ」
「それで俺、何したんだ?」
全てを聞き終えたミカエルは、背筋が凍る思いがした。
「……こうなるかもって、わかっててやったのかよ。自分がこえぇ」
「お坊っちゃんみたいな君を見たときはイラついたものだけど、こうもらしくない姿を見せられると面白くなってくるものだ。君の怯える姿なんて、絶対見ることないだろうと思ってた」
「先生もこえぇ…」
「ラファエルはそういう男だ。君はそんな相手に、射精管理されてるんだっけ?」
「やめろ、ゾッとする」
「事実だろう」
ミカエルは頭を抱えた。
「ここから出たら、この頭、治るんだよな?」
「出られたら。そのピアス、ラファエルが?」
「孤児院にいたころ、先生がプレゼントしてくれた、って…」
銀色の輪っかのピアスは、目が覚めたときには耳に付いていた。
「前はしてなかった。たぶん、治癒のエネルギァを遮断するための物だろう。万が一頭に当たっても、治癒されないように」
「取れるよな?」
「構造は普通のピアスのようだから、大丈夫だと思うけど」
ルシファーはミカエルの耳に顔を寄せ、ピアスを触って確かめる。
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