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2章.Kyrie

塗りつけられた色

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 孤児院にいたという自分は、何を思い、何を考えただろう。親に捨てられた人生を生きる、命の意味は。

「もしかして俺、忘れたいって思うような人生だったのか」
「少なくとも、私の前では楽しそうでしたよ」
「アナタや神のことを知る前は?」
「そうですねぇ…。君はあまり過去を語りませんでしたから」

 どうして忘れてしまったのか、どうして思い出せないのか。
 自分に聞いてもわからない。

「ミカエル、過去も大切ですが、未来も大切です。君は聖学校の最終学年なんですよ。今年卒業するのです。その後、聖職者の道を歩むため、周りの子は勉学に励んでいます」
「そつぎょーっていつ?」
「もう半年もありません。それまでに、君は忘れてしまった分を取り戻さなければならないのです」

 ミカエルは両手で髪をグシャッと掴んで唸る。

「周りの学力に追いつけるまで、私が教えます。焦ることはありません。さぁ、教科書を開いて。この辺りまで習ったはずですが」
「……これが言葉?」
「数式です。こちらは?」
「読めねえ」
「これならわかるでしょう」
「読めるけど、意味わかんねえ」

 ラファエルの笑みが固まった気がする。

「何はともわれ敬語からですね。ミカエル、教育には鞭を使うのです。先生によってはすぐに打ちますよ。打たれたくないなら、ここでしっかり礼儀作法を身に付けるべきでしょう」

 まっさらな世界はこうして始まった。
 不思議な香りのする医務室で、ラファエルからたくさんの事を教わる。食事もラファエルが用意してくれた。トイレも風呂も近くにあり、ベッドなら常にある。

「ではミカエル、おさらいです。これを読んでください」
「まだやってないです」
「昨日やったんですよ」
「……覚えてないです」
「では、もう一度やりましょう。ミカエル、大丈夫ですよ。忘れたら、また覚えればいいんです」

 ミカエルの頭は覚えがいいが、ときどきすっかり忘れる。忘れてしまう内容はさまざまで、前触れもないので、重要なことは小さな羊皮紙にメモ書きし、それを持ち歩いて確認することが習慣になっていた。
 ラファエルはいつも微笑を浮かべており、忘れても忘れても根気強く教えてくれる。
 ミカエルはいっそ不思議に思う。

「先生、俺、こんなに忘れてばっかで、教えててイヤにならないですか」
「なりませんよ。君は私のかわいい生徒ですからね」

 頭を撫でられると、少し照れる。

「こんなふうになって、ごめんなさい」
「ミカエル、そんな言葉は君には似合いません。どんなときにも前を向いて生きるのが君なんですから」
「……はい、先生」

 記憶を失くす前の自分がラファエルを慕っていた理由がわかる気がした。

「先生、ずっとここにいて大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫です。君の学力や知識を取り戻すことが、最優先事項なのです」
「教会が、それだけ俺を必要としてるってこと?」
「それもあります」
「他には?」
「君が私の大切な生徒だからです」

 半分は、そう言ってほしくて尋ねているのだ。ラファエルはすっかりお見通しなのだろう。

「君は意外と甘えん坊ですね」
「神さまは見えないけど、先生はここにいる」
しゅと比べられるものなど存在しません。けれど、今回は特別に許しましょう。君が不安なのはわかりますから」

 ミカエルは少し反省し、いつも自分に付き合ってくれるラファエルのために癒しのハーブティを淹れた。

「君は聖戦についてどう思います?」
「教皇さまがやるっておっしゃるなら、神さまの意向だと思います」
「君は、その意向に沿って戦えますか」
「わかんねえけど、がんばると思います」

 ラファエルはたまにこのような質問をする。そんなとき、ミカエルが考えるのはラファエルの望む答えだ。

「君は強い。君ががんばれば、多くの人が助かります」
「がんばります」
「頼もしいですね」

 ラファエルはくすりと笑って金色の頭を撫でた。

「先生、先生は夜、どこで寝てるんですか?」
「隣室です」
「いつも夜にどこか行ってるのは、教会への報告ですか」
「そんなところです。……他にもあるんですが、君も行ってみたいですか?」
「いいんですか!?」
「いいですよ。私のバディのところです。罰を受け、地下牢にいるんですけどね」

 ミカエルは驚いて固まる。

「なんで、罰を?」
「誘惑に負け身を落とし、奴隷に知識を与えたからです。本人は否定してますが」
「……どんな罰を?」
「見ればわかります」

 垣間見たラファエルの一面に動揺する。しかし、穏やかな微笑の裏にある冷酷さを、始めから知っていたような気がした。

「知りたいですか?」
「……はい」
「では今夜、案内しましょう」

 好奇心と空恐ろしい感覚が同居してムズムズする。気になるが、知ってはいけない気もして、ミカエルは夜まで悶々としていた。
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