上 下
20 / 73
2章.Kyrie

上手くやった裏目

しおりを挟む
 ここ数日でわかったのは、講義中に鞭を受ける生徒はそこそこいること。生徒にとって、鞭を振るわれるのは日常的な光景らしいこと。
 それから、暴力を受ける生徒の存在。

「なあ、なんであいつ蹴られてんだ?」
「歩いてたら肩がぶつかったとか、すれ違うときの態度が気に入らなかったとか?」
「は?」

 放課後、寮へ戻る途中、ミカエルは建物の影の中にそれを見た。

「君もわかるだろ。ここでの生活はストレスが溜まる。そのはけ口の一つがあれさ」
「バレたら罰があるんじゃねえの」
「バレたらね。告げ口する人はそういないし、君も体験したと思うけど、貴族を優遇する教師がいるから」

 ミカエルは顔をしかめて前を向いた。
 寮に着き、エントランスに足を踏み入れる。ファロエルの気配を感じて目をやれば、大きな顔をして階段を上っていた。ミカエルはそっと隅っこを歩いて観葉植物の影に身を隠す。

「何してるの?」
「しっ。あいつに見つかったら厄介だ」

 コソコソしているミカエルを不審げに見ていたサリエルは、ファロエルを見つけて「ああ、」と溢した。

「彼、よく共有スペースで寛いでるよ」
「ああ? 部屋に戻んねえのか」
「王様気分を味わうには、寮部屋より共有スペースのほうがうってつけさ」

 部屋に戻るには、共有スペースの前を通らねばならない。
 声を掛けられたら面倒だ。

「どこにいるか、ちょっと見てくるね」

 偵察に行ったサリエルが戻ってくる。

「あれは廊下を通る人にも声をかけやすい位置取りだよ。なぜか鞭を持ってるし。どうする?」
「……風になる」
「うん?」
「駆け抜ける」

 サリエルはしばし固まり、「僕がおしゃべりして気をそらすよ」と言った。
 作戦通り、先に階段を上がったサリエルがファロエルに話しかける。ファロエルは警戒するような表情をしていたが、サリエルを邪険に扱うことはない。
 その様子を階段の途中からこっそり確認したミカエルは、痛むお尻を励まして一気に階段を駆け上がり、部屋までダッシュした。

「何かいま…」
「それで、その鞭はペネムエル先生から?」
「ああ、そうとも。俺は期待されてるんだ。この鞭で――」

 部屋に入ってホッと息を吐く。
 あとは補講だ。ミカエルはサリエルが貸してくれた巻物を参考に、古語で書かれた聖典を頭に入れる作業を続ける。
 五ページほど進んだところで、サリエルが帰還した。
 
「やれやれ。無事に通れてよかったね」
「おう、助かった。おまえ、あいつと仲良いのか」
「ううん。こんなに話したのは初めてだよ」
 
 サリエルは上着の襟元を寛げ、椅子に座った。

「彼、ペネムエル先生から君を罰する権利を得たこと、自慢げに話してた」
「ケッ」
「君を鞭で打つのが楽しみで仕方ないって」
「ぜってー会わねえ」

 聖典に意識を戻そうとしたミカエルの背中に声がかかる。

「君が禁書で得たい知識は、学校を覆う結界のこと?」
「……なんでだよ」
「だって君、まえに聞いただろ。出られないって本当かって。君は試したんだね。それで、本当に出られなかったから、何か方法を探してるんだ」

 ミカエルは髪をガシガシ掻いて振り返る。

「おーおーそうだ。おまえはその方法、知ってんのか?」

 サリエルは目を瞬いて、眉を下げ、苦笑した。

「知らないよ。だけど、結界についてなら、少し話せる」
「聞かせろよ」
「うん…。結界はね、結界を作ったときの力より大きな力なら壊せるよ」
「力を使えたら、壊せるかもしれねえ?」
「結界を一人で作ったとは限らないし、君の力が強くても、君一人の力で壊せるかわからない」

 ミカエルは睫毛を伏せて考える。

「結界のせいで力が使えなくてよ、それ壊すために力が必要って言われてもよ、」
「卒業まで待てないの? 来たときから最高学年なんて、君、ラッキーだよ」
「待てねーーー」

 駄々を捏ねるように首を振り、本に向き直る。この瞬間にも、補講の時間が迫っていた。


 晩飯を終えて歩いていたら、なんだかお腹が気持ち悪くなった。
 ミカエルは眉根を寄せてお腹を擦る。

「トイレ寄ってく?」
「そういう感じじゃねえ」

 するとサリエルは、会得したような顔をした。

「ペネムエル先生のところに行きたくないんだね」
「それで腹がヘンになるのか?」
「なるよ。君、これまで本当にイヤな思いをすることなかったんだ」

 感心するような、呆れたような声音で言われ、ますます眉根が寄る。

「だからって、行かなかったらまた酷い目に遭うからね。ファイトっ。じゃあ、僕は行くね」

 サラッと言って行ってしまったサリエルを半目で見送り、ミカエルはペネムエルの待つ部屋に向かった。
 ノックをして「しつれーシマス」でペネムエルの元へ行き、差し出された手を取りキスをする。彼の手は無骨なバラキエルと大違いだ。骨張った、冷たい手である。

「座りたまえ」

 そこでようやくミカエルはソファに腰を落ち着ける。

「では始めよう」
「ヨロシクオネガイシマス。心を、魂を、力を尽くし、我が神、主を愛しマス。隣人も自分のように愛しマス」

 こうして順調に補講は進んだ。

「毎日皆で唱える言葉くらい覚えているだろう。朝の祈りから言ってみたまえ」

 これはいつか問われると思い、あらかじめしっかり練習したため、きちんと答えられた。ここまで鞭を食らうようなことは一つもない。
 ペネムエルがどこか不満げな表情をしている。
 そろそろ終わっても良い時間だが、ペネムエルはなかなか補講の時間を終わらせようとはしなかった。
 
「今日は一度も会わなかったとファロエルから聞いたぞ。君たちは同じ教室で講義を受け、同じ寮で生活している。にわかに信じがたい」

 ミカエルは沈黙を貫く。そこでペネムエルは、思いついたように言った。

「ファロエルは由緒正しき貴族の家柄だ。古語も幼いころより学んでいる。礼儀や古語について、彼から学びたまえ」
「は? イ」
「ファロエルには私から伝えておこう」
「……俺は、」
「頭を下げて教えを乞え。さすれば、快く応じてくれることだろう。わかったな」
「……ハイ、センセー」
 
 ミカエルはなんとか答えた。

 廊下を進む足取りは重い。
 時間が遅いため、共有スペースに誰もいないのがせめてもの救いだ。
 部屋に戻ると、こちらを向いたサリエルが心配そうな顔をした。

「おかえり。また鞭で打たれたの?」
「今日は打たれてねぇ」
「それにしては暗い顔だね」
「明日を思うとな」
「……また明日?」

 そういえば、こっ酷く鞭を振るわれた日も、前日に「明日」と言われていたのだった。
 ミカエルは息を吐き、ファロエルの件を話す。

「学ぶってンなら、首席のおまえといる方がいいはずだろ」
「僕は貴族じゃないから」

 サリエルは脱力して同情の眼差しを向けてきた。ミカエルは椅子にドカリと座り、上向いて口を開く。

「イヤだと思うことを避けて通ろうとすると、倍になって返ってきやがる」
「……教師は、君を思い通りにしたいんだ。反発すればより強く上から押さえつけようとするし、逃げようとすれば逃げ道を塞ぐ」
「かわす方法はねえのか」
「ここにいる限り、無理だと思う」

 ペネムエルもファロエルも、決して恐ろしい存在ではない。ミカエルは闘ったら勝つ自信がある。こんな閉鎖空間で力を封じられていなければ、取るに足らない存在なのだ。それが権力を笠に着て、ミカエルを痛みで脅す。拒めば、最後に待ち受けているのはラファエルで、記憶の抹消なのである。

「あークソッ。風呂行く」
「その手で? お尻は大丈夫?」

 ミカエルは全てを忘れて頭から熱いお湯を浴びたい気分だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皇帝の肉便器

眠りん
BL
 この国の皇宮では、皇太子付きの肉便器というシステムがある。  男性限定で、死刑となった者に懲罰を与えた後、死ぬまで壁尻となる処刑法である。  懲罰による身体の傷と飢えの中犯され、殆どが三日で絶命する。  皇太子のウェルディスが十二歳となった時に、肉便器部屋で死刑囚を使った自慰行為を教わり、大人になって王位に就いてからも利用していた。  肉便器というのは、人間のとしての価値がなくなって後は処分するしかない存在だと教えられてきて、それに対し何も疑問に思った事がなかった。  死ねば役目を終え、処分されるだけだと──。  ある日、初めて一週間以上も死なずに耐え続けた肉便器がいた。  珍しい肉便器に興味を持ち、彼の処刑を取り消すよう働きかけようとした時、その肉便器が拘束されていた部屋から逃げ出して……。 続編で、『離宮の愛人』を投稿しています。 ※ちょっとふざけて書きました。 ※誤字脱字は許してください。

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!

音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに! え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!! 調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?

MEIKO
BL
【完結】そのうち番外編更新予定。伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷うだけだ┉。僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げた。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなの何で!? ※R対象話には『*』マーク付けますが、後半付近まで出て来ない予定です。

俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします

椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう! こうして俺は逃亡することに決めた。

処理中です...