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2章.Kyrie

ペネムエルの執着

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 ミカエルが廊下を歩いていると、サリエルがやって来た。どこか焦ったような顔をしている。

「どこに行ってたのさ。何もなかった?」
「散歩だ散歩。なんもねえよ」
「ならいいけど…」

 探るように見てくるので、ミカエルは前を向いたまま何事もなかったかのようによそおう。
 サリエルは諦めて小さく息を吐いた。

「課題をやりに図書館行こう」
「おう」
「古語は順調?」
「なんとかする」

 ――そうして今日も、補講の時間がやって来た。

「じゃあ、がんばってね」
「おー」

 晩飯後、ミカエルは一人で昨日訪れた部屋へ行く。
 ノックをし、中に入ったら「しつれーシマス」。サリエルが教えてくれたルールだ。

「かけたまえ」
「ハイ、センセー」

 包帯の巻かれた両手を見て、ペネムエルは顔をしかめた。

「それはラファエル先生に?」
「ハイ、センセー」
「余計なことをっ」

 吐き捨てるように言って教鞭を持ち出すので、ミカエルはわずかに身を引く。

「君を更生させるのは私の役目だ」
「……ハイ、センセー」

 ミカエルは更生の意味も分からなかったが、怒るペネムエルを前に、良い子でいることにした。

「では、今日の講義を始めよう」
「ヨロシクオネガイシマス。心を、魂を、力を尽くし、我が神、主を愛しマス。隣人も自分のように愛しマス」
「……ここから音読したまえ」

 ミカエルは粛々と聖典を読む。間違えたら鞭を食らうかもしれないと思い、ゆっくり慎重に読んだところ、噛み締めながらじっくり読んでいるように見えたらしい。

「フンッ。よろしい。おさらいだ、戒律を述べよ」

 ミカエルの頭は、不要なことはすぐに忘れる。一瞬ヒヤッとしたが、ここで無事に暮らすために聖典の知識は必要と判断したらしく、きちんと答えることができた。

「いいだろう。古語の勉強は進んでいるのだろうな。ここに基本の文字を全て書け。それくらい、すでに覚えただろう?」

 ミカエルは無言で羽ペンを持つ。痛みでしっかり持てないこともあり、覚えたての慣れない文字は、幼い子どもがペンを握りしめて書いたようなものとなった。

「これが文字だと?」
「文字デス」
「ひとを馬鹿にするのもいいかげんにしろ。立ちなさい」
「手が痛くてちゃんと書けないだけデス」
「言い訳不要!」

 ミカエルはしぶしぶ立ち上がる。ペネムエルが教鞭を手にしているのを見て眉根を寄せた。

「上着を脱いで手を頭の後ろで組みなさい」
「あ? イ」
 
 ミカエルは首を傾げながら腰紐を解いて服を脱ぐ。そうして、頭の後ろに手をやった。

「昨日の無礼の件もある。鞭打ち三十回だ」
「は、」

 言うが否や、ペネムエルはミカエルの背後で教鞭を振るった。
 ミカエルは避けようと動きかけた身体をなんとか抑える。昨日ペネムエルに手を打たれていれば、ラファエルにここまで強く打たれることはなかったかもしれない。ペネムエルの鞭を避けてまたラファエルに痛い目に遭わされるより、ここで遭っておいた方がマシだ。

 バシリ

 それはミカエルのお尻に打ちつけられた。下着の上からということもあり、怪我を負うことはなさそうだ。痛いが手のときに比べればマシ、と思ったのだが。

「十一っ、十二っ」
「ちょっ、タイムっ」
「そんなものはっ、ないっ、十三っ」
「十五だろッ」

 何度も同じところを打たれれば、痛みは蓄積されていく。ミカエルが痛みに堪える一方、ペネムエルは息を切らして鞭を振るうのに必死になっていた。
 三十まで数え終えたペネムエルは、肩で息をしながらミカエルを見下ろす。

「今日は、ここまでだ」
「……アリガトウゴザイマシタ」

 ミカエルはさっさと部屋を出て行きたかったが、お尻が痛くて普通に歩くのもままならない。壁に手をつき、やっとで廊下に出た。
 痛みを感じないような動きを模索しながらモゾモゾ歩く姿は実に不審だ。すれ違う生徒がジロジロ見てくる。

「おい、おまえ。今日も補講だったんだろ」

 階段前でもたもたしていたところ、一人の生徒に仁王立ちされ、ミカエルは仕方なく顔を上げた。
 どこかで見たような顔だ。

「わかったぞ。ペネムエル先生に尻を打たれたんだろう」
「……うっせぇ。どけよ」
「庶民の分際でなんだその態度は!」
「っ」

 肩を掴んでガッと壁に抑えつけられ、踏ん張ろうとしたら盛大にお尻が痛んだ。これのせいで俊敏しゅんびんに動けないのがイライラする。

「俺は貴族だ。身分をわきまえろ」
「ああ?」
「俺はずっとおまえの態度が気に食わなかったんだ。庶民のくせに、髪が王族みたいなのも鬱陶しいんだよ。ミカエルだからって図に乗りやがって!」
「っ痛ェなッ」

 再び肩を掴んで身体を壁にぶつけられ、ついにミカエルも頭が出た。
 顎に頭突きを食らった相手は、怒りのままにパンチを繰り出す。
 ミカエルはお尻の痛みに耐えつつそれを避け、鳩尾みぞおちに肘鉄を食わらせた。

「ぃぐッ」

 腹を抑えて屈んだ相手を横目に、ジリジリと階段を上り始める。

「何事だ」

 聞きたくない声が耳に入ったのは、その時だった。
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