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2章.Kyrie
鞭も教師もさまざま
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大人しく講義を受けていると、手の痛みに意識がいってしまう。羽ペンをきちんと持てないため、羊皮紙に書き取るのもままならない。この痛みこそ勉強に差し支える。血が止まればいいという話ではないと、ラファエルに言ってやりたい。
ミカエルは気をそらすため、ここから脱出することや、早くも懐かしさを覚える森での生活に思いを馳せた。
古典の時間。まだ古語を覚えていないミカエルは、教師に指名されない。前の席に座っていた生徒が指され、教科書の音読を始めた。ゆっくりと、間違えないように。そう感じられる読み方だ。その声がつっかえて止まり、やり直す。
彼が音読を終えたとき、傍らに教師が立っていた。
「手を」
生徒は立ち上がって両手を前に出し、パシリと鞭で打たれる。手加減されたような打ち方だったが、痛みはあるはずだ。
「ありがとうございます」
生徒はそう言って席に着いた。信じがたいやり取りに、ミカエルは前の生徒を凝視する。
講義が終わると、衝動のままに彼の背中をつっついた。おっかなびっくり振り返った相手に顔を寄せる。
「おまえ、打たれてありがとうってなんだよ」
「っえ。間違えちゃったら、打たれるのも当然だし。罰を受けることで、救われる気がするっていうか…」
「救われるぅ?」
ミカエルは眉根を寄せる。
「うーん、気持ちを切り替えられるんだ。次は絶対間違えないようにしようって、思うし。も、もういいかな」
彼は赤い耳を隠すように髪を撫でつけ、そそくさと席を立った。
ミカエルは隣のサリエルに目をやる。
「あれがフツーなのか?」
「人それぞれだと思うけど、まず拒否する人はいないね」
「……」
「教師もいろいろで、すぐに鞭で打つ人も、まったく鞭を使わない人もいる。すべては教師個人の判断なんだ。僕たちはそれに従うだけ」
ここでは全てにおいて、君の意志は関係ありません、なのだろう。
「色んなやつがいたら、ややこしいだろ」
「教師にも序列があるから、複数の教師に異なることを言われたら、一番偉い教師に従えばいいよ」
「しらねー」
お祈りからの昼食後、痛みと格闘しながら腹を満たしたミカエルは、一刻も早くここを出たい思いでいっぱいになった。サリエルがトイレに行った隙に、一人で建物から出て森に入る。移動中や教室にてそれとなく観察し、学校の敷地を囲む壁までの距離が一番短そうな所を狙って来たつもりだ。
背丈より高い壁が見えると、ミカエルは走りこんで飛び蹴りした。しかし、足が壁に触れた感覚はない。
初日に連れ込まれた部屋と同じだ。ミカエルは舌打ちして引き返した。力を使うことも、ここから出ることも叶わない。考えながら歩いていたら、ふと人の気配がした。
「君、」
教師だ。見回りでもしていたのだろうか。
ミカエルは足を止め、相手を観察する。
健康的な肌色。焦茶の癖っ毛に浅紫の瞳。身長は同じくらい。この教師はこれまで見たなかで一番若く、人が良さそうに見える。
「こんなところで何をしてるんだ?」
「道に迷って」
相手が無邪気に首を傾げるので、ミカエルはサラリと言った。
キョトンとした顔を見て、やはり言い訳にしては雑すぎたかと思っていたところ、教師は会得したようにうんうん頷いた。
「君、ミカエルだろ。来たばかりだもんな。何か困ったことはないか? 一人で抱え込まず、周りに相談するんだぞ」
「ハイ、センセー」
「ああ、俺はツァドキエル。よろしくな」
「よろしくオネガイシマス」
「あ、」
ツァドキエルのハッとしたような顔を見て、ミカエルは思い出した。
「心を、魂を、力を尽くし、我が神、主を愛しマス。隣人も自分のように愛しマス」
「うん、そう。よかった。その手は教師に?」
「ハイ、センセー」
「酷いな…。正直、俺はこういうやり方は良くないと思うよ」
「俺もそう思う。マス」
ツァドキエルは辛そうな顔をしている。教師とは思えないほど良い人で驚いた。
そんなミカエルの反応に目を瞬いて、ツァドキエルは息を吐くように笑って語った。
「聖正教では、子どもは善にも悪にも染まりやすいから抑制しないといけなくて、そのために鞭打ちしたり叩いたりは、むしろ推奨されている。鞭を惜しめばダメになる。誰もが言うよ」
ミカエルが頷くと、ツァドキエルは遠くに目をやった。
「子どもも同じ人間だ。対等に接するべきだろう。俺はそうやって育ててもらったし、そうしたい。俺の親、異教徒だったんだ。平穏に暮らすため、改宗せざるを得なかったらしい。……ここにいると、自分が何者か突きつけられるようだ」
「俺もデス」
「そうか…。俺はここへ来たばかりで、あまり力になれることはないけれど、話を聞くくらいならできるから」
「ハイ、センセー」
良い子を演じるミカエルに、ツァドキエルは小さく苦笑した。
「ところで、どこに行きたかったんだ?」
「建物が見えたから、もう行けマス」
「そうか。あまり一人で行動するなよ」
「ハイ、センセー」
数歩行ったところでミカエルは足を止め、振り返る。
「センセー、恥ずかしいから、ここで会ったこと誰にも言わないでクダサイ」
「わかった」
ツァドキエルはクスリと笑って頷いた。
ミカエルは気をそらすため、ここから脱出することや、早くも懐かしさを覚える森での生活に思いを馳せた。
古典の時間。まだ古語を覚えていないミカエルは、教師に指名されない。前の席に座っていた生徒が指され、教科書の音読を始めた。ゆっくりと、間違えないように。そう感じられる読み方だ。その声がつっかえて止まり、やり直す。
彼が音読を終えたとき、傍らに教師が立っていた。
「手を」
生徒は立ち上がって両手を前に出し、パシリと鞭で打たれる。手加減されたような打ち方だったが、痛みはあるはずだ。
「ありがとうございます」
生徒はそう言って席に着いた。信じがたいやり取りに、ミカエルは前の生徒を凝視する。
講義が終わると、衝動のままに彼の背中をつっついた。おっかなびっくり振り返った相手に顔を寄せる。
「おまえ、打たれてありがとうってなんだよ」
「っえ。間違えちゃったら、打たれるのも当然だし。罰を受けることで、救われる気がするっていうか…」
「救われるぅ?」
ミカエルは眉根を寄せる。
「うーん、気持ちを切り替えられるんだ。次は絶対間違えないようにしようって、思うし。も、もういいかな」
彼は赤い耳を隠すように髪を撫でつけ、そそくさと席を立った。
ミカエルは隣のサリエルに目をやる。
「あれがフツーなのか?」
「人それぞれだと思うけど、まず拒否する人はいないね」
「……」
「教師もいろいろで、すぐに鞭で打つ人も、まったく鞭を使わない人もいる。すべては教師個人の判断なんだ。僕たちはそれに従うだけ」
ここでは全てにおいて、君の意志は関係ありません、なのだろう。
「色んなやつがいたら、ややこしいだろ」
「教師にも序列があるから、複数の教師に異なることを言われたら、一番偉い教師に従えばいいよ」
「しらねー」
お祈りからの昼食後、痛みと格闘しながら腹を満たしたミカエルは、一刻も早くここを出たい思いでいっぱいになった。サリエルがトイレに行った隙に、一人で建物から出て森に入る。移動中や教室にてそれとなく観察し、学校の敷地を囲む壁までの距離が一番短そうな所を狙って来たつもりだ。
背丈より高い壁が見えると、ミカエルは走りこんで飛び蹴りした。しかし、足が壁に触れた感覚はない。
初日に連れ込まれた部屋と同じだ。ミカエルは舌打ちして引き返した。力を使うことも、ここから出ることも叶わない。考えながら歩いていたら、ふと人の気配がした。
「君、」
教師だ。見回りでもしていたのだろうか。
ミカエルは足を止め、相手を観察する。
健康的な肌色。焦茶の癖っ毛に浅紫の瞳。身長は同じくらい。この教師はこれまで見たなかで一番若く、人が良さそうに見える。
「こんなところで何をしてるんだ?」
「道に迷って」
相手が無邪気に首を傾げるので、ミカエルはサラリと言った。
キョトンとした顔を見て、やはり言い訳にしては雑すぎたかと思っていたところ、教師は会得したようにうんうん頷いた。
「君、ミカエルだろ。来たばかりだもんな。何か困ったことはないか? 一人で抱え込まず、周りに相談するんだぞ」
「ハイ、センセー」
「ああ、俺はツァドキエル。よろしくな」
「よろしくオネガイシマス」
「あ、」
ツァドキエルのハッとしたような顔を見て、ミカエルは思い出した。
「心を、魂を、力を尽くし、我が神、主を愛しマス。隣人も自分のように愛しマス」
「うん、そう。よかった。その手は教師に?」
「ハイ、センセー」
「酷いな…。正直、俺はこういうやり方は良くないと思うよ」
「俺もそう思う。マス」
ツァドキエルは辛そうな顔をしている。教師とは思えないほど良い人で驚いた。
そんなミカエルの反応に目を瞬いて、ツァドキエルは息を吐くように笑って語った。
「聖正教では、子どもは善にも悪にも染まりやすいから抑制しないといけなくて、そのために鞭打ちしたり叩いたりは、むしろ推奨されている。鞭を惜しめばダメになる。誰もが言うよ」
ミカエルが頷くと、ツァドキエルは遠くに目をやった。
「子どもも同じ人間だ。対等に接するべきだろう。俺はそうやって育ててもらったし、そうしたい。俺の親、異教徒だったんだ。平穏に暮らすため、改宗せざるを得なかったらしい。……ここにいると、自分が何者か突きつけられるようだ」
「俺もデス」
「そうか…。俺はここへ来たばかりで、あまり力になれることはないけれど、話を聞くくらいならできるから」
「ハイ、センセー」
良い子を演じるミカエルに、ツァドキエルは小さく苦笑した。
「ところで、どこに行きたかったんだ?」
「建物が見えたから、もう行けマス」
「そうか。あまり一人で行動するなよ」
「ハイ、センセー」
数歩行ったところでミカエルは足を止め、振り返る。
「センセー、恥ずかしいから、ここで会ったこと誰にも言わないでクダサイ」
「わかった」
ツァドキエルはクスリと笑って頷いた。
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