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2章.Kyrie
応接室からおん出たい
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「では、改めて。お名前は?」
ミカエルが口を開けないでいると、立ち上がったラファエルが傍にやってきた。
「やれやれ、先が思いやられます」
そう言ってポケットから小瓶を取り出しながら、ミカエルの顎をガッと掴んで上向かせる。小瓶の方に意識がいっていたミカエルは、突然のことに目を丸くした。
「他にも聞きたいことがあるんですよ」
耳許で囁かれ、嫌な予感に唇を引き結ぶ。すると今度は鼻を摘ままれた。彼はミカエルの口を開かせたいのだ。
蹴りを繰り出す前に足の上に乗られ、あえなく束縛された手で抵抗する。
「従順にできる、と、言ってませんでしたかね」
なんとか呼吸の自由を取り戻したと思ったら、今度は額を掴まれ、グイと後ろに圧された。ミカエルが首を後ろに反らした状態で額の手を退けようとする間にも、ラファエルはもう片方の手で顎を掴んで開かせようとする。
あの小瓶は、と辺りを見渡すと、ラファエルが蓋の部分を口で咥えていた。
「獣を相手にしているようですよっ」
不意に鳩尾を蹴られ、ミカエルは衝撃にうっかり口を開けてしまった。
すかさず親指をねじ込まれる。口が閉じられなくなった。
かすかに漂う血の匂い。
さすがに指を噛み切ろうとは思えない。
「案外、優しいですね」
涙目で睨みつけたミカエルに微笑を深めたラファエルは、蓋の部分を口に咥えたまま小瓶を引っ張り蓋を開け、容赦なくミカエルの口に突っ込んだ。
「っ、げほっ」
飲み下したのを確認し、ようやくミカエルの上から退いている。
ミカエルは身を屈めて咳き込んだ。指を喉に入れて吐き出そうとしたが、腕を掴まれ叶わず。
「なに、飲ませやがった」
「敬語、もう忘れたんですか」
身体に感じられる変化はない。
ミカエルは鳩尾に痛みを感じつつ、荒い息のまま、何が起こるのか恐々としていた。
ラファエルが隣に腰を下ろす。
身体を硬くしたミカエルを鼻で笑って足を組み、微笑を浮かべたまま口を開いた。
「お名前は?」
「……ミカエル」
ミカエルは目を丸くする。
「おいくつですか?」
「十七」
「君は森に住んでいると言ってましたが、本当ですか?」
意思とは関係なく身体が動いて、こくりと頷いた。
「一緒だった方はご家族ですか?」
「血は繋がってねえけど、家族、だと思う。デス」
ミカエルの顔がみるみる青褪めていく。それに笑みを深めたラファエルは、ゆっくりと次なる問いを口にした。
「その方の、お名前は?」
ミカエルは気合いで歯を食いしばり、両手で口を塞いだ。
「そんなに知られたくないんですか。これは是非とも、聞き出さなければ」
手は呆気なく外されて、唇が離れ、口が開いていくのを感じて泣きたくなる。
「……ぅあ…ら…き…え…る」
「アラキエル?」
首を振ってしまう。
見逃してくれと、気持ちを込めてラファエルの顔を見上げれば、張り付けたような微笑が愉悦に歪んだ。
「ミカエル。きちんと答えなさい。一緒に住んでいた方のお名前は?」
「……バ、ラ…キっエ、ル」
「バラキエル、ですか」
ミカエルが頷くと、ラファエルは微笑を浮かべながらも、なんとも言えない雰囲気になった。
ミカエルは肩を落として俯く。
知られたくなかった。巻き込みたくなかった。バラキエルは教会と関わりたくないのだ。だから今日まで、ミカエルに話さなかったに違いない。
「雷光のバラキエルといえば、教会関係者で知らない者はいません。枢機卿に推薦されたほどの方ですからね。その方が、ミカエルの重要性を知らないとは思えない」
つむじを向けたままの金色頭を眺め、ラファエルは思考を巡らせる。
「バラキエルさんも、敬語くらい教えてくだされば良いものを」
「師匠を悪く言うんじゃねえッ。デス」
ラファエルは組んだ足に肘を置き、頬杖をつく。
「師匠、ね。いつから一緒に暮らしてたんです?」
「覚えてないくらい昔から。チッ」
「二人でずっと?」
「ハイ。チッ」
「語尾に舌うちするのはやめなさい」
ミカエルは見えないように俯いたままベェッと舌を出し、ささやかな反抗をした。
「君への評価次第で、バラキエルさんの立場がさらに悪くなることを理解してます?」
そっぽを向いて頷くと、溜め息が聞こえた。
「目に余る行動があれば、すぐにでもショック療法を行います。そのほうが良いと教師が判断したときが、その時です。君を見ているのは私だけではありません。ミカエルと名乗るにふさわしい言動を、常に心がけてください」
「イヤだす」
ミカエルは速攻で答えた口に手を当てる。そろりとラファエルの顔を窺うと、ポカンと口を開けており、不意にくつくつと笑いだした。
「君は、本当にっ、面白い」
「変なの飲まされたせいだっス」
「でしょうね。君は従順になるつもりなんて、さらさらないでしょう」
「ハイ」
ミカエルは頭を抱えて唸り、開き直ってラファエルを睨む。
「この名が欲しけりゃ、誰かにくれてやる。俺はミカエルをやめる」
「名は体をなすと言いますが、どちらかというと教会は、その器に合う名前を授けているのです。ですから、いまさら君が改名したところで、君への評価は変わりません」
苦々しい顔をしたミカエルを嘲るように、ラファエルは笑みを深める。
「諦めて受け入れるんですね。返事」
「……ハイ、センセー」
「君のような人間が従順であることを装うのは苦痛でしょう。私がショック療法を促すのは、君を思ってのことですよ」
「どういう意味だ、スか」
「それを行えば、君は相応しい人間になる。周りもそのように接します。しかし、いまの君ではどうでしょう」
ラファエルはよいせと立ち上がる。
「その内わかりますよ。どちらを選んだ方がマシなのか」
そうして、着いてくるよう言われた。これから寮へ向かうらしい。
「ところで君、文字の読み書きはできますか?」
「そのくらいできるに決まってんだろっス」
「妙な言い方を身に付けないでくださいね」
こうしてミカエルは、応接室から出ることができた。
ミカエルが口を開けないでいると、立ち上がったラファエルが傍にやってきた。
「やれやれ、先が思いやられます」
そう言ってポケットから小瓶を取り出しながら、ミカエルの顎をガッと掴んで上向かせる。小瓶の方に意識がいっていたミカエルは、突然のことに目を丸くした。
「他にも聞きたいことがあるんですよ」
耳許で囁かれ、嫌な予感に唇を引き結ぶ。すると今度は鼻を摘ままれた。彼はミカエルの口を開かせたいのだ。
蹴りを繰り出す前に足の上に乗られ、あえなく束縛された手で抵抗する。
「従順にできる、と、言ってませんでしたかね」
なんとか呼吸の自由を取り戻したと思ったら、今度は額を掴まれ、グイと後ろに圧された。ミカエルが首を後ろに反らした状態で額の手を退けようとする間にも、ラファエルはもう片方の手で顎を掴んで開かせようとする。
あの小瓶は、と辺りを見渡すと、ラファエルが蓋の部分を口で咥えていた。
「獣を相手にしているようですよっ」
不意に鳩尾を蹴られ、ミカエルは衝撃にうっかり口を開けてしまった。
すかさず親指をねじ込まれる。口が閉じられなくなった。
かすかに漂う血の匂い。
さすがに指を噛み切ろうとは思えない。
「案外、優しいですね」
涙目で睨みつけたミカエルに微笑を深めたラファエルは、蓋の部分を口に咥えたまま小瓶を引っ張り蓋を開け、容赦なくミカエルの口に突っ込んだ。
「っ、げほっ」
飲み下したのを確認し、ようやくミカエルの上から退いている。
ミカエルは身を屈めて咳き込んだ。指を喉に入れて吐き出そうとしたが、腕を掴まれ叶わず。
「なに、飲ませやがった」
「敬語、もう忘れたんですか」
身体に感じられる変化はない。
ミカエルは鳩尾に痛みを感じつつ、荒い息のまま、何が起こるのか恐々としていた。
ラファエルが隣に腰を下ろす。
身体を硬くしたミカエルを鼻で笑って足を組み、微笑を浮かべたまま口を開いた。
「お名前は?」
「……ミカエル」
ミカエルは目を丸くする。
「おいくつですか?」
「十七」
「君は森に住んでいると言ってましたが、本当ですか?」
意思とは関係なく身体が動いて、こくりと頷いた。
「一緒だった方はご家族ですか?」
「血は繋がってねえけど、家族、だと思う。デス」
ミカエルの顔がみるみる青褪めていく。それに笑みを深めたラファエルは、ゆっくりと次なる問いを口にした。
「その方の、お名前は?」
ミカエルは気合いで歯を食いしばり、両手で口を塞いだ。
「そんなに知られたくないんですか。これは是非とも、聞き出さなければ」
手は呆気なく外されて、唇が離れ、口が開いていくのを感じて泣きたくなる。
「……ぅあ…ら…き…え…る」
「アラキエル?」
首を振ってしまう。
見逃してくれと、気持ちを込めてラファエルの顔を見上げれば、張り付けたような微笑が愉悦に歪んだ。
「ミカエル。きちんと答えなさい。一緒に住んでいた方のお名前は?」
「……バ、ラ…キっエ、ル」
「バラキエル、ですか」
ミカエルが頷くと、ラファエルは微笑を浮かべながらも、なんとも言えない雰囲気になった。
ミカエルは肩を落として俯く。
知られたくなかった。巻き込みたくなかった。バラキエルは教会と関わりたくないのだ。だから今日まで、ミカエルに話さなかったに違いない。
「雷光のバラキエルといえば、教会関係者で知らない者はいません。枢機卿に推薦されたほどの方ですからね。その方が、ミカエルの重要性を知らないとは思えない」
つむじを向けたままの金色頭を眺め、ラファエルは思考を巡らせる。
「バラキエルさんも、敬語くらい教えてくだされば良いものを」
「師匠を悪く言うんじゃねえッ。デス」
ラファエルは組んだ足に肘を置き、頬杖をつく。
「師匠、ね。いつから一緒に暮らしてたんです?」
「覚えてないくらい昔から。チッ」
「二人でずっと?」
「ハイ。チッ」
「語尾に舌うちするのはやめなさい」
ミカエルは見えないように俯いたままベェッと舌を出し、ささやかな反抗をした。
「君への評価次第で、バラキエルさんの立場がさらに悪くなることを理解してます?」
そっぽを向いて頷くと、溜め息が聞こえた。
「目に余る行動があれば、すぐにでもショック療法を行います。そのほうが良いと教師が判断したときが、その時です。君を見ているのは私だけではありません。ミカエルと名乗るにふさわしい言動を、常に心がけてください」
「イヤだす」
ミカエルは速攻で答えた口に手を当てる。そろりとラファエルの顔を窺うと、ポカンと口を開けており、不意にくつくつと笑いだした。
「君は、本当にっ、面白い」
「変なの飲まされたせいだっス」
「でしょうね。君は従順になるつもりなんて、さらさらないでしょう」
「ハイ」
ミカエルは頭を抱えて唸り、開き直ってラファエルを睨む。
「この名が欲しけりゃ、誰かにくれてやる。俺はミカエルをやめる」
「名は体をなすと言いますが、どちらかというと教会は、その器に合う名前を授けているのです。ですから、いまさら君が改名したところで、君への評価は変わりません」
苦々しい顔をしたミカエルを嘲るように、ラファエルは笑みを深める。
「諦めて受け入れるんですね。返事」
「……ハイ、センセー」
「君のような人間が従順であることを装うのは苦痛でしょう。私がショック療法を促すのは、君を思ってのことですよ」
「どういう意味だ、スか」
「それを行えば、君は相応しい人間になる。周りもそのように接します。しかし、いまの君ではどうでしょう」
ラファエルはよいせと立ち上がる。
「その内わかりますよ。どちらを選んだ方がマシなのか」
そうして、着いてくるよう言われた。これから寮へ向かうらしい。
「ところで君、文字の読み書きはできますか?」
「そのくらいできるに決まってんだろっス」
「妙な言い方を身に付けないでくださいね」
こうしてミカエルは、応接室から出ることができた。
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