誰かの望んだ世界

日灯

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後篇

終わりと創造

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 魔界が夜になる頃、人間界は朝となる。
 人間界に移動した闇と光の者たちは、荒れ果てた大地や崩れ落ちた建物、薙ぎ倒された木々、濃密な黒のエネルギーに唖然とした。――どうしたらこんな風になるのか、彼らにはさっぱり分からなかった。
 それに、黒のエネルギーの濃度は魔界の比ではない。彼ら以外の属性の者は即倒するだろう。彼らですら、意識を保つのがやっとだ。
 人間界の人々は、彼らほど影響を受けていない。
 なんとなく怠いとか、頭がぼーっとするとか、その程度。それよりも、怒涛の如く襲い来る災害が頭を占めている。朝になっても辺りが暗ぼったいことを、ようやく不審に思い始めたようだ。

 くだんの洞窟付近に、淡い緑の光が揺らめく。

 魔方陣から現れたのは、ラウレルだった。一人だ。本家へ戻らず、単身、現場に乗り込んだらしい。
 彼は黒のエネルギーの重圧に眉をしかめて歩みを進める。
 ――ラウレルは、一人で決着をつけようとしていた。
 浄化して進めば身体はだいぶ楽だろう。しかし、今は僅かでも力を温存しておきたい。――黒のエネルギーの源泉を、浄化するために。
 ラウレルが洞窟に消えた後、再び魔方陣が現れ、今度はリュイヴェが登場した。
 歩き出そうとするも、がくりと膝を折ってしまう。額を押さえて荒い息を繰り返し、彼はやっとで立ち上がった。
 視線で人が殺せそうなほど鋭い眼差しを洞窟に向け、ゆらりと歩き出す。覚束ない足取りは、徐々に早まり駆け足となった。

 ラウレルは暗い洞窟の中を黒のエネルギーの湧き出る方向を頼りに進む。
 激しい頭痛に眉をしかめたまま、歩調は緩めない。黒の結晶石クォーツがあったであろう場所に近付くほど視界が霞んだ。濃密な重いエネルギーに、呼吸も儘ならなくなってくる。
 そこへ辿り着いたとき、辺りは闇に包まれていた。――真っ暗で何も見えない。しかし、そこに在ると感じる。
 ラウレルはなんとか息を吸い、ガンガン響く頭痛の中、震える腕を広げた。
 集中して黒のエネルギーを光で包み込む。

 ――暗闇に現れたまばゆい光。

 ラウレルは目を閉じたまま、黒のエネルギーを一点に凝縮するように光で押し留めていく。
 湧き出ようとするエネルギーと押し留めようとするエネルギーは拮抗し、彼の腕にビリビリと余波を感じさせた。

 ――持久戦では敵わない。

 細く深く息を吸い、自身の奥深くから力を放出する。
 命を削られているかのような胸の激痛。自身の中に、徐々に暗い空間が広がるのを感じた。――それで満たされたら、命が尽きるだろうとも。黒のエネルギーは光の波に圧されるようにして一点に集められ、凝縮していく。そうして少しずつ、光に溶けるように密度が薄くなっていた。
 ラウレルは自身の命を顧みたりはしなかった。
 彼の希望はすでについえている。
 絶望を連れてくる恐れのある黒の結晶石クォーツを片付けて、リュイヴェより先に逝けるなら本望だった。胸の奥深くにある魔力の源泉は遂に渇え、胸から指先に向けて徐々に何かが抜け出て冷たくなるのを感じていた。

 ――いける。

 ラウレルが確信を持ったとき、不意に地響きが鳴り、地面がぐらぐらと揺れだした。
 それに気を取られた一瞬、光が揺らぐ。
 波打つ黒のエネルギー。――核の最後の一塊が膨張する。
 ラウレルは動揺していた。心が乱れては、力は発揮出来ない。
 襲い来る黒い塊を揺れる視界で見詰める。
 地面の揺れが激しくなった。
 刹那、ラウレルの後ろから闇が黒い塊に伸びる。
 瞬時に振り返ったラウレルの目に映ったのは、岩に凭れて力を解放したリュイヴェの姿。唇を引き結び、黒曜石オブシディアンのような瞳に強い力を込めて。――只でさえ彼は、死線をさ迷っている状態なのだ。

 ――死んでしまう。

 ラウレルは咄嗟にリュイヴェに飛びついた。
 二人して地面に倒れ込む。
 揺らいでいた最後の光が激しく放たれ、闇に捕らわれて無に還ろうとしていた最後の塊が光に溶ける。

 置いてかないで 一緒に

 その光を浴びたリュイヴェは、胸に響いた言葉に目を見開いた。
 近くの岩が崩落する。今や、洞窟全体が崩壊しようとしていた。ひっしと抱き締めてくる冷たい身体。二人とも、まともに歩く体力すら残っていない。
 リュイヴェはそっとラウレルの背中に腕を回す。

「一緒に…」

 小さく呟いて長い銀色の睫毛を伏せた。――微かに震える肩を抱いて。
 ラウレルは額をリュイヴェの肩に押し付け、固く目を瞑る。彼の心は泣いていた。

 一緒に生きたい。

 叶わないところまで来てしまってから、今までで一番大きな声で叫んでいた。
 後から後から流れる熱い涙。
 冷たい身体。
 リュイヴェは薄れる意識の中で、透明な雫の熱を感じていた。


 ――ノヴァが人間界に着いたとき、突如大地が唸り、揺れ出した。
 初めて体験する地震というものに眉をしかめ、洞窟へ向かう。黒のエネルギーの放出が収まり、弱まっているのを感じていた。本家にいた彼は、慌てた様子のルーフェスと見当たらないリュイヴェの姿に妙な胸騒ぎを覚え、急いでこちらへ来たところだった。
 今のリュイヴェが一人で黒のエネルギーの放出を止められるとは思えない。ラウレルがやったに違いない。
 一瞬、膨張した黒のエネルギー。
 少しして、流れが止まった。核が始末された。二人は無事か――?
 揺れに足をとられながら洞窟を少し進んだとき、岩が崩落した。

 ――崩れる。

 二人がまだ中に居るのに。
 ノヴァは落ちてくる岩や雪崩れ込む土砂を避け、奥へ奥へと進んだ。道が塞がってしまった所は魔法で道を開き、ずんずん進む。
 ようやく揺れが収まった頃、抱き合って倒れ伏す二人を発見した。
 駆けつけて脈を取る。
 ――手遅れだった。
 唖然と座り込む。

 各結晶石クォーツを護りきり、リュイヴェの願いが叶えば良いと、ノヴァは思っていた筈だった。
 折しも、両方とも叶っている。
 それなのに、リュイヴェは痛みを耐えるような顔をしているし、ラウレルの頬には涙の跡が見られ、疲れたように目蓋を下ろしている。
 そして何より、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚が彼の思考を奪っていた。

 ――むなしい。

 二度目の結末を迎えた彼の心からは、またもや涙すら零れなかった。

 おれは静かに彼の傍らに降り立つ。
 ぼんやりとした瞳を向けてきたノヴァは、突如現れたおれに何も言わなかった。

「望んだ世界は見れた?」

 彼は緩くかぶりを振る。

「今のあなたなら、再び願いを叶えることが出来る」

 また望んでみる?

 するとノヴァは目を伏せた。

「……やってみても、どうしたら満足するか分かんねぇよ」

 この時に、助言をしようと思ったのは初めてだった。
 おれは全てをただ体験し、受け入れる。そこに良し悪しはなく、強いて言うなら、どうなったとしてもだった。

 ――けれど。

 この今、おれに新たな感情を教えてくれた人が途方に暮れている。それを黙って見ている気にはなれなかった。

「……ラウレルは、『戻れるなら』と言った。あなたは、『もう一度』と言った」

 ゆっくりと彼の目が見開かれる。
 再びおれを捉えた銀の瞳には、光が差していた。

「俺はあのとき、未来に過去を持ってこさせた…?」

 は万能だ。時間という幻想の中で、ノヴァの望みを叶えるため、次の瞬間に過去のその時を創造したのだ。

「また望んでみる?」

 苦笑するノヴァ。
 一度リュイヴェとラウレルに目をやって、穏やかな眼差しで口を開いた。

「ああ。……叶うなら、」

【叶うなら?】

 応えるように頭に響くの声。ノヴァは瞳を閉じて緩やかに微笑んだ。

 ――今を生きる全ての者の、清らかな望みが叶った、世界を…―――

 ‥…―世界が光に包まれる―…‥
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