誰かの望んだ世界

日灯

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後篇

彼の判明

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 講義の間の休憩時間。
 おれはだらりと机に上体をくっつけて目を閉じる。過ごしやすい今の時期は、よく睡魔に襲われるのだ。
 同じくだらりと気の抜けた様子のジンや、椅子に深く沈んでぼーっとしているアスファーは、多分、おれとは異なる理由だろう。ラウレルはといえば、窓の外をぼんやり見ている。

「そーいやイオ、課題よく間に合ったな」

 ふと、アスファーが金の瞳を向けてきた。

「力強い味方が出来たんだ」
「味方?」
「おう。アギとイリヤ」

 その瞬間、アスファーの眉間にシワが寄った。

「アギの野郎の前で気、抜くなよ。イリヤが居るときは良いが」
「うん?」
「……おまえ、前に言った事忘れたのかよ」

 いつか、アスファーと居たときにアギが来たときの事だろうか。

「あいつ、手が早ぇから」
「相手が嫌がる事はしないぜ?」

 上から降って来た声に顔を上げれば、嘲るような笑みを浮かべたアギの顔。
 途端にアスファーの眼光が鋭くなった。

「あれ、アギ帰るの?」

 肩に引っ掛けるようにして持っている鞄が目についたのだ。
 アギはおれの言葉に肩を竦めて、目を細める。

「急遽、あっちへ行くことになってな」

 「あっち」とは、人間界だろう。それにしても、講義を抜け出すなんて、余程急ぎなのだろうか。

「やっと干渉する気になったみたいだぜ?」

 耳許でそう囁いたアギは、微かに肩が跳ねたおれに笑って頭を一撫でし、去っていった。

「おい」

 ドスの効いたアスファーの声に目を向ける。
 いつの間にかきちんと椅子に腰掛け、実に不機嫌そうな顔である。

杜人もりびとは関係してないのか?」
「……まだ聞いてねぇ」

 アスファーとジンは当代ではないことを思い出した。見れば、顔を上げてこちらを向いていたジンとも目が合う。
 周囲を見渡すと、もう教室には人がまばらだ。だからアギは話し掛けてきたのかなと思う。

「人間界に干渉するらしいよ」

 言えば、二人は目を見開いた。
 この五千年、互いに不干渉で来たのだから当たり前か。

「……黒の関係だろうな」
「人間界…」

 おれはそれきり黙ってしまった二人から、ラウレルに視線を移す。
 静かな群青色の瞳とかち合った。――ラウレルは知っていたようだ。家の関係でというより、多分――

「人間界に黒の結晶石クォーツがあるのか…?」
「……住む場所は違うが、同じ惑星だもんな…」

 想い至ったらしいジンとアスファーが顔を見合わせている。
 それから、ジンが肩を落としてため息を吐いた。

「新たな可能性が出た分、捜索範囲が広まった」

 なんとも複雑である。

 ◇◇◇

 放課後、また一人で暇になったので、くだんの温室へ向かうことにした。
 道中麗らかな日差しや爽やかな風に癒される。この時期は、緑が一番生き生きしてるようだ。
 温室に入り、ぐるりと中を一周してみる。――今日は誰もいない。なんだか分からない奇妙な植物たちは、見てるだけで楽しい。
 観察するのに夢中になっていた時、布の擦れる音がして二人分の足音が近付いてきた。
 なんとなく気配を消して小さくなる。
 聞こえてきた声は、よく知るものだった。

「―――…‥、今年は実技大会も中止だ」
「皆、疲弊しているからな」
「行事がないと楽で良いが、理由が理由だから微妙だぜ」
「ああ。しかし‥…―――」

 暫くして、温室に静寂が戻った。リュイヴェが眠りに就いたのだろう。

「おい、出て来いよ」

 別段大きくないのによく通る声。
 立ち上がってソファの方へ向かうと、眠るリュイヴェの傍ら、書類を眺めていたノヴァが微笑んだ。

「今日は早いのな」
「真っ直ぐ来たから」

 誘われて、隣に腰掛ける。
 大きな手が頭を撫でるのが心地好く、おれまで寝てしまいそうだ。

「親父たちが人間界に向かった」
「アギが早退してたよ」
「おまえ、アギとも親しいのか」
「一緒に課題やったりしてる」

 重たくなってきた目蓋と格闘していると、不意に顎を掴まれ唇が重なった。与えられる甘やかな刺激に、眠気も飛んでしまう。
 呼吸が自由になったとき、見上げたノヴァの瞳は妙に真剣だった。

「アギの前で気を抜くなよ」

 昼間アスファーにも言われたが、そんなにアギは危険人物だろうか。

「大体イリヤもいるし、大丈夫だって」
「……おまえ、分かってないだろ」

 少し乱暴に頭を撫でられる。首を傾げれば、ため息が降ってきた。

「俺は、おまえがアギにちょっかい出されんのが気に食わない」

 分かったか、とばかりに見てくるので頷く。

「恋人だから?」
「そ。キスなんてされてみろ。俺しか考えられなくなるくらい感じさせてやる」

 艶やかな微笑を浮かべるノヴァの目が笑ってない。――ひくりと頬が引き攣った。
 アギといるときは、もう少し警戒心を持とうと決意する。

「リュイとラウが上手くいってりゃ、互いに往き来出来るのになぁ」

 ラウと入れ替えに俺がおまえの部屋へ行くのにと、ノヴァは詰まらなそうに言った。今はリュイヴェをなるべく一人にさせたくないのだろう。
 そこでふと、疑問が湧いた。

「ノヴァって、シェルツさんとも従兄弟なんだろ? リュイヴェと随分親しさが違うよな」

 昨年の感じだと、シェルツさんとはあまり親しくなさそうだった。
 頭を掻いたノヴァは、投げ槍に言う。

「あー、シェルツとは家が離れてるし。……昔はあいつ、俺らより小さくてな。よくそれで、からかったりしてたんだ」

 シェルツさんはノヴァたちほどではなくとも背が高いので意外だ。そして、ルーフェスの態度が二人にキツいのはそれが原因か。

「今じゃ考えらんないけど」
「……まぁな」

 ノヴァは遠い目をしている。
 それから再び書類に目を落としたノヴァの隣で微睡んでいたとき、ふと小さな呻き声が聞こえた。苦しそうにしているリュイヴェを、ノヴァが揺さぶる。

「起きろリュイ、おいリュイ、おい」

 ようやく気だるげに蒼白い目蓋を上げたリュイヴェのぼんやりした様子に、ノヴァの声が強くなった。

「リュイ?」

 辺りを見渡していたリュイヴェと視線が絡む。

「おまえも居たのか」

 ――その言い方でピンと来た。リュイヴェも見たのだ。あの頃の夢を――。
 おれは彼の夢の残り香を辿ってみた。

【黒い霧のようなエネルギーを無に還す闇の者たち。 大地を浄化する光の者たち。 魔物を駆逐する力ある者たち。
 黒い結晶石クォーツを見つけたのは、当時一番力の強かった闇の者。 一人で結晶石クォーツを無に還そうと試みる。
 それが達成されたかのように見えたとき、彼は力尽き、地に伏した。
 駆けつけた土の杜人もりびとの治癒もままならぬ中、見落としていた結晶石クォーツの欠片を見つけた彼は、最後の力を振り絞って己に封じようとした。 
 しかし、押さえきれず黒のエネルギーに呑まれてしまう。――彼は止めに入った土の者を伸し、黒のエネルギーの意のままに魔物や人を襲い、大地を穢した。

 やむを得ず杜人総出で彼を制し、闇の者がとどめを刺した。

 そうして黒のエネルギーの暴走を止めた時、立ち会った光の者の心が壊れ、先に逝った闇の者を追うかの如く漂う黒いエネルギーに侵食される――。】

「なんの話だ?」

 怪訝な顔をするノヴァへの説明をおれに押しつけ、力強い光の宿った目を細めたリュイヴェは、ラウレルの元へ行ってしまった。
 その後ろ姿を見送ったノヴァが呟く。

「良い方向に動けばいいが…」
「大丈夫じゃない?」

 リュイヴェは、夢のお陰でラウレルの望みを知っただろう。それならきっと、死より生を、共に生きる道を画策する筈だ。

「で? リュイに何があった」

 静かな声に、真摯な銀の瞳。――ノヴァとリュイヴェの繋がりの強さを感じさせる。

「……リュイヴェだけじゃなくて、杜人や付近の人もなんだけど。記憶が甦ってるんだ。……五千年前の」

 途端に目を見開いたノヴァ。

「記憶、だと?」
「生まれ変わりっていうか、そんな感じ」

 その当時のリュイヴェの立ち位置を予想したであろうノヴァの瞳が揺れた。

「リュイに甦った記憶ってのは…」
「……黒の結晶石クォーツを無に還したときの」
「結末は?」

 ――これは伝えてしまっていいのだろうか。
 ノヴァは苦々しい表情で銀の瞳をぎらつかせている。結局、無言の圧力に負け、おれは口を開くことにした。

「杜人総出で黒に呑まれた彼と闘って、止めを刺したのは…」
「俺か」

 頷けば、ノヴァは何処か安堵したような顔をする。

「ラウは、」
「心が耐えきれなくて、黒に侵食されたよ」
「……なるほどな」

 ノヴァは細く息を吐いてソファに沈んだ。

「おまえも居たのか」

 確信を持ってリュイヴェと同じセリフを吐いたノヴァは、目だけをこちらへ向けてきた。
 澄んだ銀の瞳に捉えられると、身の竦む思いがする。

「おまえはさ、記憶が甦ったんじゃなくて、」

 ――ノヴァは鋭い。
 心臓が煩く主張する。

「その時も、んじゃないか?」

 その瞬間、時が止まったような気がした。
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