誰かの望んだ世界

日灯

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後篇

名コンビ

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 うとうとと船を漕ぎながら文献の頁を捲る。
 常になくならない課題は、気を抜くと投げ出したくなるくらい溜まってしまうのだ。なんとか三つ以上溜めないようにこなしているが、一人でやっていると、どうにも気が抜けてしまう。
 ――役員でありながら、課題もしっかりと提出しているラウレルやジンが信じられない。
 欠伸が出たちょうどそのとき、頭に重たい何かを落とされた。
 振り返れば、猫のように目を細めて笑っているアギの姿が。手には、分厚い文献を持っている。

「……地味に痛いぞ、それ」
「目ぇ覚めただろ? 感謝しろよ」

 アギは飄々とそんなことを言ってのけ、隣に座る。

「一人じゃ、やる気も起きないだろうな。おまえ、いつもあいつらに急かされて課題やってたから」
「よく知ってるな」
「そりゃ、気になる奴のことだから?」

 にんまりと口許に弧を描いたアギだが、その目には鋭い光が宿っている。
 僅かに身を引いたおれに肩を竦めて、アギは続けた。

「最近、また雲行きが怪しいな」
「何かあったっけ?」
「よく耳にするだろ。黒の結晶石クォーツがなくなって、もうじき一年くらい経つのに、なんで魔物は減らないんだとかなんとか。風紀も参ってる」

 そういえば最近、アスファーの巡回の頻度が増した気がする。

「不安ってのは、溜まるとろくな事がない」

 アギは嘲るように言って、文献に目を落とす。

「アギは不安じゃないのか?」
「べつに? なるようにしかならねぇだろ、世の中」

 アッサリそう言えるのがアギらしい。

「俺の一族はずっと、人間界傍観して来たんだ。だからか分かんねぇけど、いまいち傍観者っつう立ち位置が抜けなくてな。お陰でうちは、薄情者とか冷徹とか、よく言われる」

 そこまで一気に話して、やっと杏色の瞳がゆるりとおれを捉えた。うっそりと浮かぶ微笑は酷薄そうだ。

「否定はしねぇよ? 俺から見ても、家の奴らはそう見えんだから。おまえにも、俺はそう見えてるだろうしな」

 たしかにアギの笑みは大抵嘲笑っぽいし、声も軽薄に聞こえるし、口を開けば辛辣な言葉が出てくるし、行動も遠慮がない。
 けれど杏色の瞳は凪いでいて、熟した果実の芳醇な香りが匂いたちそうなくらい、甘い色合いなのだ。

「アギって、人間好きだよな」

 そうでなければ、こんな瞳はしてないだろう。
 アギは、おれの言葉に目を見開いた。

「……今の話の流れで、その言葉出てくるか? 普通」
「そう言われても」

 そう思ったのだから仕方がない。
 するとアギは珍しくも眉尻を下げ、後ろ頭を掻いた。

「おまえ、やっぱ分かんねぇわ。んで、」

 ずいと顔を寄せてくる。

「知れば知るほど……知りたくなる」

 いつかも見た顔の近さだと思ったとき、不意にアギが沈んだ。
 その頭を後ろから机に押し付けている手を辿って視線を上げれば、凛々しい顔立ちの短い黒髪の生徒と目が合う。

「すまない。大丈夫か?」
「え、うん」
「こいつに隙なんて見せるなよ。取って食われるぞ」
「ひでぇ言い方だな。俺が見境いないようじゃねぇか」

 やっと頭を掴まれていた手を離され、アギが嫌そうに顔を上げた。

「おまえにそんなものあったのか?」
「好みくらいあるさ」
「そういう話じゃないだろう。……目を離すとすぐこれだ」

 そう言って、彼はどっかりとアギの隣の椅子に座った。それから、今気付いたかのように改めておれに目を向ける。
 
「俺、イリヤ。こいつは同室者ルームメイトなんだ」
「おれイオ」
「知ってる」
「こいつ、クラスメイトだって分かってるか? 級長」

 アギのバカにしたような声に言葉を呑む。言われてみれば、教室で見かけた気もした。
 イリヤはおれの反応を気にせず課題を始めている。
 アギも肩を竦めて文献を捲った。

 ゆっくりと流れる静かな時間は居心地好く、おれも久し振りに集中して課題に取り組めたように思う。

「そろそろ閉館だ」

 イリヤがそう言ったときには、外はすっかり橙色に染まっていた。

「は~、頭使った」
「はかどったようで良かった」
「うん。イリヤとアギのお陰」

 イリヤはそこで初めて目許を緩めた。彼の持つ雰囲気は落ち着いており、穏やかな心地になれる。

「また一緒に課題やってやるよ、おまえのために」
「そりゃありがたい」
「ちょっかい掛けたいだけだろ。イオ、何かあったら俺に言ってくれ」

 軽薄な笑みを浮かべているアギを諌めるようにイリヤが言った。

「イリヤ、保護者みたいだ」

 思わず言えば、アギが軽薄な笑みを浮かべたままイリヤを顎でしゃくる。

「こいつはみんなの相談窓口だからな」
「誰のせいだか分かってるか?」
「さてね。人好きのする同室者のお陰か?」
「面倒事をそこここでばら蒔いて来る同室者のせいだ」

 飄々としているアギと凛々しい雰囲気のイリヤは、まったく異なる性質なのに、妙に息が合っている。それがおかしくて、笑ってしまった。

「イオ、俺にしてみれば、笑い事じゃないんだぞ」
「ごめんごめん。いいコンビだなって」
「だろ? 打てば響く安心の安定感よ」
「面倒なことばかり押しつけられてる気がするがな」

 じーっと冷めた視線を送るイリヤもなんのそので、アギはイリヤの肩に肘を乗せる。

「頼りになる同室者で良かったぜ」
「ああ、おまえと同室になったのが運の尽きだった」

 そこでアギを無理やり退かしたイリヤが、変わらない調子で続ける。

「急ぐぞ。食堂、混むからな」

 そうしてスタスタ歩き出した後ろ姿を見て、アギが小さく笑った。

「ホント、良い同室者に当たったもんだぜ」

 イリヤはなんだかんだ言いつつ突き放しもせず、アギを受け入れているのだ。

「またな」

 おれが食堂で飯を食わないのを知っているアギは、彼にしては珍しくも柔らかく微笑んで、特に急ぐ様子もなくイリヤの後を追っていった。

 アギたちと別れて部屋に向かう途中、アトロとばったり出くわした。
 蓬色の瞳が微かに見開かれ、次いで口許に笑みが浮かぶ。

「今、帰りか」
「おう」

 並んで寮へと歩く。
 アトロとは級長の関係で、会ったときにちょいちょい話すようになっていた。
 彼は昨年度の終わり頃に比べて、表情が明るくなった気がする。

「ゼフとリアが、俺の右目について話してくれた」

 唐突に話し始めたアトロ。視線は遠く、その時のことを思い返しているようだ。

「驚いたよ。時代が違うとはいえ、あの兄弟が対立するとは思えなくてな」

 己の目については棚に上げ、そんなことを言う。

「先日、俺もその頃の記憶を自らの体験のように思い出したんだが…。今の二人の様子に、心底ホッとした」

 アトロは穏やかな表情をしている。本当に二人のことが大切なのだろう。

「不思議なこともあるものだな。聞けば、他の杜人もりびとたちも記憶を取り戻しているという。……何か、意味があるのだろうな」

 なんとなく、アトロは何があっても揺るがないんだろうなと思った。

「おまえも記憶があるのか?」

 ちらりと視線が向けられる。

「うん」

 記憶があるというか、体験した事があるという感じだけれど。

「水のエルレウム…。今もその血が続いているとは」

 温かな微笑みをくれたアトロに、少しだけ胸が痛んだ。
 エルレウムの血はおれの前で絶えている。おれは、そこに加えてもらっただけなのだ。
 ――不意に、頭に大きな手が乗せられた。
 はっとして顔を上げる。
 いつの間にか、視線が下がっていたらしい。
 感情に呑まれるなんてどうしたことだろう。今までなかったことなので微か、動揺した。

「すまない」
「いや、」

 僅かに眉尻を下げたアトロに焦る。どうやら勘違いさせてしまったようだ。

「リアもゼフもアトロも、前よりいい顔してる」

 いきなりそんな事を言ったおれに、アトロは一瞬きょとりとし、安心したように微笑んだ。

 寮での別れ際、振り返ったアトロが真っ直ぐに視線を合わせてきた。
 
「イオ、いつぞやの助言、感謝する」

 今さらだがなと苦笑して、おれの頭を一撫でし、颯爽と去って行く。
 背筋をすっと伸ばした後ろ姿が、なんだかとても眩しかった。
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