誰かの望んだ世界

日灯

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後篇

繰り返す日々、初めてのこと

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 今年になってから、めっきり四人でいる時間が減った。
 とはいえ、今年は交流会もなかったので、晩飯を毎日一緒に食べることができている。

 すっかり新緑が目に眩しくなった頃、一人で学園内を散策するのがおれの日課となっていた。この学園は敷地が無駄に広いため、こうして歩いていると、未だに新たな発見があるのだ。
 その日も、青々と若葉の茂る森の小路をのんびり歩いていた。
 小さな川沿いを、心地好いせせらぎに耳を澄ませて進む。そのうち、視界に半透明な布の張られた大きなテントがぽつんと現れた。
 興味をそそられ近寄れば、中には様々な植物が窺えた。
 そういえば、薬草学の教師が、学園内には貴重な植物を育てている温室があると言っていたのを思い出す。

 ――こんな所にあったんだ。

 ここは寮から近い場所だが、森の入り口が鬱蒼としているため、あまり人が近寄らない。
 おれは布を押し上げ、中へ足を踏み入れた。
 光が存分に降り注ぐそこは、見たことのない植物がそこここで群生しており、まるで別世界のようだ。
 感心しつつ、目をキョロキョロさせて奥へ奥へとゆったり進む。
 ふと人の気配に気付き、はっと奥まった場所へ目をやった。
 そこにはちょっとした空間があり、猫足の臙脂色のソファが置かれている。ソファには、見知った二人が腰掛けていた。
 声を掛けようとしたとき、その内の一人が蒼白い顔で目蓋を閉じているのに気付き、口をつぐんだ。そんなおれに気付いたもう一人が、目許を緩めて手招きしてくる。
 おれはそっと近寄り、スペースの空いているその人の隣へ腰を下ろした。

「ここで人に会うのは初めてだ」

 そう言って微笑んだノヴァには、疲れが滲んでいる。隣で動かないリュイヴェに眉根を寄せたおれを見て、その笑みは苦笑に変わった。

「昼間の方が落ち着いて寝れるんだと。最近じゃ、すっかり昼寝が習慣だ」

 リュイヴェの髪をそっと梳くノヴァの表情はとても優しく、見ていると胸が詰まりそうになる。こんなに近くに人が居るのに全く気付かないなんて、以前のリュイヴェならあり得ないことなのだ。
 日の光の下、微動だにしない彼は、端整な顔立ちが相俟って精巧に造られた蝋人形のようだった。

「だいぶ悪化してるのか」

 掠れた声で囁くように聞いたおれの頭を、ノヴァが優しく撫でる。

「寝ても覚めても映像が見える上に、とうとう声も聞こえるようになっちまってよ」

 ――早い。この時期でそこまで深刻なのは初めてだ。
 思わず目を見開けば、銀色の瞳がつうと細まった。

「進行の速度を決める要因に、こいつの気の持ちようが関わっている気がしてならねぇ」

 リュイヴェの心を占めていることは――。
 金糸雀カナリア色の髪を持つ同室者ルームメイトが頭に浮かび、苦い顔をしてしまう。

「あいつに言っとけよ。自分で追い詰めてどうすんだって」

 微かに怒気の滲む声だった。

「ノヴァはラウレルの望み、」
「俺は、叶えてやる気はねぇ。それを叶えないことが、こいつの望みだからな。……おまえは?」

 真摯な銀色の瞳に見詰められ、そろりと目蓋を下ろす。

「おれには、幸せを願うことしか出来ない」

 がしがしと髪をかき混ぜられて、慌てて目を開ける。
 ノヴァは、明後日の方向を向いていた。

「……ったく、ラウの奴、何見て来やがったんだ」

 小さく落とされた呟きに、一瞬、身体を固くしてしまう。
 ――しまった、と思ったときには、ピタリと動きを止めたノヴァが驚きを湛えた銀の双眸でおれを捉えていた。

「おまえ…、おい、おまえにとって、今日は何度目だ?」

 なんて的確に痛い所を突いてくるのだろう。
 答えないおれに、ノヴァの目が細まる。

「二度…、いや、三度目だな」

 条件反射のようにパチリと瞬いてしまった。それを是と取ったのであろうノヴァは、長々とため息を吐いた。

「……本当、おまえって未知だわ。ラウの方の結末教えろっつったら、口開けるか?」

 やはり答えずにいると、ノヴァは諦めたように肩を竦める。それから、哀しい顔で微笑んで口を開いた。

「おまえも見てたんだな。……なぁ、何度も何度も辛くねぇ? 最後は悲惨だってもよ、楽しいことだってあったんだ。……いつの記憶だったか、分かんなくなんねぇの?」

 ――ノヴァは優しい。なんでいつだって、他人のことを考えられるのだろう。それに、忘れ難い悲痛な体験の後にも、楽しい思い出を忘れずにいる。全部受け入れて、大切にその胸に仕舞っている。――それは、とても難しいことなんじゃなかろうか。
 無言で美しい銀色を見詰めていたら、不意にふわりと包み込むように抱き締められた。

「……わりぃ」
「なんで?」

 強まった腕の力に目を瞬いてしまう。

「なぁ、おまえの望みって何?」

 耳許で囁かれ、身動ぎする。
 ――おれの望みは。

「幸せ、だ」
「誰の?」
「みんな」
「それがおまえの幸せか? おまえ自身の?」

 身体を離して近距離で見詰め合う。
 おれは、いつも幸せだから。こうして体験する世界の全ても幸せだったら、最高だ。――そこで生きる人たちも。それぞれに選択した体験をしているとはいえ、誰だって、心の底では幸せでありたいと願っているだろうから。それがイシキ本来の有様だから。

 こくりと一つ頷けば、眼前の銀が艶やかに細まった。

「やっぱり俺、おまえのこと好きだわ。俺の "唯一"、貰ってくんねぇ?」
「え?」

 唐突な言葉に着いていけず、銀の瞳を凝視する。

「なんだ、人を好きになったことねぇの?」
「そりゃあるけど、」

 今だって、ノヴァやラウレル、ジンにアスファーと、好きな人はたくさん居る。
 そこでノヴァは何かに気付いたような顔をして、微かに目を見開いて、髪を撫でてきた。

「そうだな…。俺の言った好きは、ラウにとってのリュイみたいなヤツだ」

 おれは「うーん」と首を傾げてしまう。そういう想いを、自分のものとして捉えたことはなかった。それは、おれにはないと思っていたから。

「じゃあ、俺で試してみれば?」

 愉しげに微笑んだ顔が近すぎてぼやけたとき、唇に温かなものが触れた。
 はっとして思わず退いたおれを見たノヴァは、声を抑えて笑った。

「な、に」
「口付け。初めてだったんだ?」
「は、」

 ――いや、分かったけど。初めてだけど。
 何故そういう状況になったのかいまいち分からず、半端に口を開いたままノヴァを凝視してしまう。

「照れるとか、可愛い反応はしてくれねぇのな」

 いつの間にかまた近くにあった顔に驚いて後退りしようとしたが、腰に回った腕のせいで叶わなかった。

「おまえ、隙だらけなんだよ。もっと警戒しろ」
「……あんたが言うのかよ」
「まぁな。本気で抵抗しないなら、俺は止めないぜ」

 言ってまた口を塞がれる。何度か啄むように吸いつかれ、次には湿ったものが閉じたままの唇の接合部を這う感覚がして、ぞわぞわと背筋が粟立った。
 開きかけのそこからぬるりと入ってきた熱が、おれの舌先に触れる。
 ビクリと震える身体。
 ようやく自由に息が吸えたときには、身体がぐったりしていた。

「俺以外の奴には、こんな事させんなよ?」

 覗き込むようにして言われ、力なく頷く。――こんな事しようとするのは、どうせノヴァくらいだ。
 やっとで呼吸するおれを余裕の表情で眺めてくるので、思わず睨んだ。

「……誘ってんの?」
「はあ?」
「いや…。おまえの中で、俺はどういう位置なんだ」

 どういう位置と言われても、ノヴァはノヴァだ。

「俺はおまえのこと、恋人って思っていいのか」
「おれに恋してんの?」
「今さらだろ」

 そうだったのかとまじまじとノヴァを見詰め、おれはどうなんだろうと考える。

「あー、さっきみたいな事されんのは、嫌じゃないんだな」
「うん、まあ」

 べつに嫌ではなかったと頷く。

「んじゃあ、相手がラウだったら?」
「別に」
「……ジン」
「うん」
「…………アスファー」
「ぶふっ、」

 アスファーだけは想像したら笑えた。だって、あのアスファーが慎ましやかに口付けなんて考えられない。噛みつくとか、そういう方が合っている気がする。
 おれの反応に何故かため息を吐いたノヴァは、顔を寄せてきた。目が据っている。

「イオ、俺の恋人になっとけ。友達じゃなくて、恋人だ」
「おれ、よく分かんないけど」
「恋人経験ないんだろ? 俺で知ればいい」

 やる気満々なノヴァに押されて、まぁ確かに、恋人はやったことがないなと軽い調子で頷く。その瞬間、嬉しそうに美しい銀色が細められたのを見て、この選択をして良かったと思った。
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