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後篇
アスファーと
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淡く色付いた花弁の舞い散る、麗らかな陽気のその日。おれは、石造りの門柱の前に立っていた。
銀に輝く堅牢な扉が開かれているそこから中へと足を踏み入れれば、緑豊かな道が学舎と寮へ通じている。
――三年目の学園生活が、今日、始まる。
回数にしても三度目の今日だな、と軽く笑って、ふよふよと舞う黄色い蝶に導かれるように、住み慣れた一室へ向かった。
二人部屋の共有スペースで、ゆっくりと形を変える雲をぼんやり眺めていたら、扉が開く音に続いて同室者の声が背に掛かった。
「おかえ、り…」
振り返って挨拶を返そうとした言葉が、予期せず尻窄みになる。
久し振りに会うラウレルは、幾らか痩せていた。久し振りだからそう見えたのかとも思ったが、もともと白い肌も、今や病的に感じるほどだ。
加えて、光に透ける金糸雀色の髪や儚く浮かんだ微笑が、いつか空気に溶けてしまうのではないかと。あらぬ焦燥を掻き立てる。
「ラウレル、」
「イオ、久し振り。俺たちももう、五年生だな」
「、ああ…」
いつもの調子で話される言葉。それでも、この感覚は紛れない。
「ラウレル、」
「ん?」
思わず、薄い身体を抱き締める。
こんなに彼の肩は頼りなくなかった。細身に見えても、おれよりガッチリしてたのに。
「なんでもない」
心の内で自分勝手な思いが湧いては、行き場もなく暴れ回った。
――おれだって、ラウレルは大切だ。けれど、一番はラウレルが幸せであることだから。だけど、でも、おれにも願いがないわけじゃない――。
ラウレルは何も聞かず、俺の背中へ細い腕を優しく回してくれた。
始業式。
新たな生徒会の面々は知り合いばかりだ。その中に、ラウレルとジンもいる。
魔力の高い者が多いため大方の人が顔色の冴えない中、ノヴァとヴィレオ、途中で注意事項を述べたセスリオだけが、変わりなく見えた。
闇属性のリュイヴェも少しやつれた様子だったのは、黒のエネルギーの影響だと思われる。
「……ラウレルの奴、大丈夫か?」
アスファーが顔をしかめる。
おれはやはり何も言えずに、黙ってラウレルを見詰めていた。
◇◇◇
午後には、さっそく生徒会の集まりがあるというラウレルとジン。お陰で、アスファーと二人きりだ。
「去年はよく、ジンとまったりしたなぁ」
「今年はそうはいかねぇぞ。あいつも役員だからな」
「ホントだな。アスファー、副委員長になれなくて残念?」
「ああ? なんで」
怪訝な顔を向けてきたアスファーに悪戯に微笑む。
「役職貰えたら、アスファーもジンたちともっと一緒にいれただろ」
金色の目を丸くしたアスファーは、次には眉根を寄せて、おれの髪をぐしゃぐしゃにしてくる。
「面倒が減って嬉しいことこの上ねぇよ」
「ふぅん?」
髪を直しながらそろりと目をむければ、何故か頭を叩かれた。――彼の表情は、分からなかった。
今でも体調が万全ではないアスファーと、自然溢れる木陰のベンチで癒される。
そういえば、イェシルに初めて会ったのはここだった。
「いい天気ー」
ぽかぽか陽気で、木漏れ日が優しく美しい。鳥の囀ずりがどこからか聞こえてきて。――なんて平穏なのだろう。
「なあアスファー、……」
隣へ目をやり、言葉が消える。
彼はいつの間にか、夢の世界へ旅立っていた。
アスファーが人前で自分から寝てしまうのは初めてかもしれない。
「受け入れてしまえよ」
杜人の中でただ一人、記憶を思い出さないでいるアスファー。
ふと黄土色の睫毛が震え、金の双眸が覗いた。虚ろな眼差しがおれを捉えると、その顔が嘲笑を含んで歪む。
「俺を殺しに来たのか、エルレウム」
「……なんで」
「お前の一族を滅ぼそうとしたのは俺だろう」
手を伸ばせば、届く距離。
ゆっくりと近付くおれの両手に一瞬身体を固くした彼は、しかしだらりと腕を下ろしたままだ。
その逞しい首に指を絡ませる。
「抵抗しないんだ?」
「……もう、疲れちまったのさ」
「そう」
彼はそれきり目蓋を下ろし、じっと動かないでいる。
――指に微かに力を込めてみる。
やはり、彼は動かない。
おれは小さく苦笑して手を離し、張りのある頬をそっと撫でてやった。ようやくゆるりと上げられた深遠なる金の瞳を覗き込む。
「もう終わったことだ」
「だが…」
「おまえは、何か理由があってここへ来たんじゃないのか?」
微かに目が見開かれ、金色がゆらりと揺れる。
「エルデ、全ては終わったんだ。今は、おまえの望んだ世界だ」
すると彼は、今度こそ限界まで目を見開いて、太股に肘を付き、俯いて両の手の平で目を覆ってしまう。
「俺は…」
「何があっても、おまえの本質は変わらない。美しさも優しさも」
魔力を持つ者たちは感受性が強い。だから、環境に左右されやすいのだ。
「もう許してあげたら?」
耳許でそっと囁くと、微かに震える指が固く握り締められた。
――しばらくして、顔を上げた彼は不審げな顔でこちらを見てくる。
「なに?」
「……俺、寝てたのか」
「ああ、それは見事に意識飛んでたよ」
「変な言い方するなよ」
軽く頭を叩かれたので睨みつけてやった。そんなおれを気にする様子もなく、アスファーは首に手をやっている。
「どうかしたのか?」
「いや…。でも、久し振りにスッキリした気分だ」
「そりゃ良かったな」
軽い調子で言ったおれに、やはりアスファーは突っ掛かることもなく素直に頷いた。
さやさやと梢を揺らす風の音。
ふいに、後ろに広がる森から草の根を分ける音が近付いてきた。振り返ったアスファーがぽそりと呟く。
「……おまえか」
「あれ、二人? ああ、彼ら忙しいもんな」
硬質で軽薄そうな声の主は、頭に巻きつけた朱色の布が印象的なアギだ。彼はおれの隣に何食わぬ顔で腰掛け、足を組む。
「いやぁ、こっちは平和で良いわ」
うっすらと微笑みしみじみ呟いたアギに、アスファーの眉根が寄った。
「向こうはそんなに酷いのか」
「酷いなんてもんじゃないぜ。ありゃ、絵に描いたような地獄だったな」
アギは背凭れに肘をついて身体を捻ると、身振りも交えて話し出す。
「山は火を吹き、大地は揺れ、海は高い壁のようになって陸地に押し寄せるんだ。その一方で、戦も激しさを増していた。あんな中でも戦ってるなんて、もう尊敬しちまうよ」
そう言いながらも嘲笑うように聞こえるのがアギらしい。
苦々しいため息を吐いたアスファーに変わり、おれが声を出す。
「アギ、アスファーと親しかったんだ」
「ああ。家系の関係もあってな。ま、学園じゃあまり接触しないようにしてるけど」
「なんで、」
「色々面倒になるからさ」
首を傾げたおれに、アギは肩を竦める。
「杜人とずっと一緒にいるおまえにゃ、分からないだろうよ」
「……おい、こいつの話した内容には突っ込まねぇのか」
なんとなく呆れ顔のアスファーに言われ、ああ、と漏らす。
「人間界行ってる家系なんだ」
「……反応薄いなぁ。そんなに俺に興味ないの」
杏色の瞳にじっと見詰められ、視線がさ迷う。
「えっと…」
「俺はイオのこと、とっても興味あるんだけどな」
猫のように細められた双眸を見て、アスファーの方へ身体を倒す。某保健医が頭を過ったのだ。
「ひでぇ。そこまで引かなくてもいいだろ」
「おまえの言い方に含みがあるからだ」
「情報屋の心を擽る要素満載なこいつが悪い」
おれの味方をしてくれたアスファーには目もくれず、アギが顔を寄せて来る。
アギも若干目尻が垂れてるな、などとぼんやり思っていた。
「深い青だなぁ。魔力が強いだけあって、クリアな色合いだ。……瑠璃色とどっちが強いんだ?」
後半、囁くように言われた言葉に目を瞬く。
すると間近の杏色が僅かに獰猛さを現し、艶やかに細められた。
花のような虹彩の模様がはっきり見えるほど距離が狭まった、そのとき。ふいにガシリと頭を掴まれ、アギの顔が遠ざかる。
上向けば、眉間にしわを寄せたアスファーの顔。視線を前に戻すと、アギも眉根を寄せている。
「邪魔するなよ」
「……同意を得てからやれ」
「あぁ、あんたが意外に真面目ちゃんなこと、忘れてたわ」
馬鹿にしたように肩を竦ませ、アギはすっくと立ち上がる。目が合うと、その顔に微笑が浮かんだ。
「今年は一人で暇することも多いだろ。仲良くしようぜ?」
軽く手を上げ去って行く後ろ姿を、アスファーが鋭い眼差しで追っていた。
「おまえ、もっと警戒心持てよ」
「へあ? うん」
ギロリと睨まれ、おれは咄嗟に頷いたのだった。
銀に輝く堅牢な扉が開かれているそこから中へと足を踏み入れれば、緑豊かな道が学舎と寮へ通じている。
――三年目の学園生活が、今日、始まる。
回数にしても三度目の今日だな、と軽く笑って、ふよふよと舞う黄色い蝶に導かれるように、住み慣れた一室へ向かった。
二人部屋の共有スペースで、ゆっくりと形を変える雲をぼんやり眺めていたら、扉が開く音に続いて同室者の声が背に掛かった。
「おかえ、り…」
振り返って挨拶を返そうとした言葉が、予期せず尻窄みになる。
久し振りに会うラウレルは、幾らか痩せていた。久し振りだからそう見えたのかとも思ったが、もともと白い肌も、今や病的に感じるほどだ。
加えて、光に透ける金糸雀色の髪や儚く浮かんだ微笑が、いつか空気に溶けてしまうのではないかと。あらぬ焦燥を掻き立てる。
「ラウレル、」
「イオ、久し振り。俺たちももう、五年生だな」
「、ああ…」
いつもの調子で話される言葉。それでも、この感覚は紛れない。
「ラウレル、」
「ん?」
思わず、薄い身体を抱き締める。
こんなに彼の肩は頼りなくなかった。細身に見えても、おれよりガッチリしてたのに。
「なんでもない」
心の内で自分勝手な思いが湧いては、行き場もなく暴れ回った。
――おれだって、ラウレルは大切だ。けれど、一番はラウレルが幸せであることだから。だけど、でも、おれにも願いがないわけじゃない――。
ラウレルは何も聞かず、俺の背中へ細い腕を優しく回してくれた。
始業式。
新たな生徒会の面々は知り合いばかりだ。その中に、ラウレルとジンもいる。
魔力の高い者が多いため大方の人が顔色の冴えない中、ノヴァとヴィレオ、途中で注意事項を述べたセスリオだけが、変わりなく見えた。
闇属性のリュイヴェも少しやつれた様子だったのは、黒のエネルギーの影響だと思われる。
「……ラウレルの奴、大丈夫か?」
アスファーが顔をしかめる。
おれはやはり何も言えずに、黙ってラウレルを見詰めていた。
◇◇◇
午後には、さっそく生徒会の集まりがあるというラウレルとジン。お陰で、アスファーと二人きりだ。
「去年はよく、ジンとまったりしたなぁ」
「今年はそうはいかねぇぞ。あいつも役員だからな」
「ホントだな。アスファー、副委員長になれなくて残念?」
「ああ? なんで」
怪訝な顔を向けてきたアスファーに悪戯に微笑む。
「役職貰えたら、アスファーもジンたちともっと一緒にいれただろ」
金色の目を丸くしたアスファーは、次には眉根を寄せて、おれの髪をぐしゃぐしゃにしてくる。
「面倒が減って嬉しいことこの上ねぇよ」
「ふぅん?」
髪を直しながらそろりと目をむければ、何故か頭を叩かれた。――彼の表情は、分からなかった。
今でも体調が万全ではないアスファーと、自然溢れる木陰のベンチで癒される。
そういえば、イェシルに初めて会ったのはここだった。
「いい天気ー」
ぽかぽか陽気で、木漏れ日が優しく美しい。鳥の囀ずりがどこからか聞こえてきて。――なんて平穏なのだろう。
「なあアスファー、……」
隣へ目をやり、言葉が消える。
彼はいつの間にか、夢の世界へ旅立っていた。
アスファーが人前で自分から寝てしまうのは初めてかもしれない。
「受け入れてしまえよ」
杜人の中でただ一人、記憶を思い出さないでいるアスファー。
ふと黄土色の睫毛が震え、金の双眸が覗いた。虚ろな眼差しがおれを捉えると、その顔が嘲笑を含んで歪む。
「俺を殺しに来たのか、エルレウム」
「……なんで」
「お前の一族を滅ぼそうとしたのは俺だろう」
手を伸ばせば、届く距離。
ゆっくりと近付くおれの両手に一瞬身体を固くした彼は、しかしだらりと腕を下ろしたままだ。
その逞しい首に指を絡ませる。
「抵抗しないんだ?」
「……もう、疲れちまったのさ」
「そう」
彼はそれきり目蓋を下ろし、じっと動かないでいる。
――指に微かに力を込めてみる。
やはり、彼は動かない。
おれは小さく苦笑して手を離し、張りのある頬をそっと撫でてやった。ようやくゆるりと上げられた深遠なる金の瞳を覗き込む。
「もう終わったことだ」
「だが…」
「おまえは、何か理由があってここへ来たんじゃないのか?」
微かに目が見開かれ、金色がゆらりと揺れる。
「エルデ、全ては終わったんだ。今は、おまえの望んだ世界だ」
すると彼は、今度こそ限界まで目を見開いて、太股に肘を付き、俯いて両の手の平で目を覆ってしまう。
「俺は…」
「何があっても、おまえの本質は変わらない。美しさも優しさも」
魔力を持つ者たちは感受性が強い。だから、環境に左右されやすいのだ。
「もう許してあげたら?」
耳許でそっと囁くと、微かに震える指が固く握り締められた。
――しばらくして、顔を上げた彼は不審げな顔でこちらを見てくる。
「なに?」
「……俺、寝てたのか」
「ああ、それは見事に意識飛んでたよ」
「変な言い方するなよ」
軽く頭を叩かれたので睨みつけてやった。そんなおれを気にする様子もなく、アスファーは首に手をやっている。
「どうかしたのか?」
「いや…。でも、久し振りにスッキリした気分だ」
「そりゃ良かったな」
軽い調子で言ったおれに、やはりアスファーは突っ掛かることもなく素直に頷いた。
さやさやと梢を揺らす風の音。
ふいに、後ろに広がる森から草の根を分ける音が近付いてきた。振り返ったアスファーがぽそりと呟く。
「……おまえか」
「あれ、二人? ああ、彼ら忙しいもんな」
硬質で軽薄そうな声の主は、頭に巻きつけた朱色の布が印象的なアギだ。彼はおれの隣に何食わぬ顔で腰掛け、足を組む。
「いやぁ、こっちは平和で良いわ」
うっすらと微笑みしみじみ呟いたアギに、アスファーの眉根が寄った。
「向こうはそんなに酷いのか」
「酷いなんてもんじゃないぜ。ありゃ、絵に描いたような地獄だったな」
アギは背凭れに肘をついて身体を捻ると、身振りも交えて話し出す。
「山は火を吹き、大地は揺れ、海は高い壁のようになって陸地に押し寄せるんだ。その一方で、戦も激しさを増していた。あんな中でも戦ってるなんて、もう尊敬しちまうよ」
そう言いながらも嘲笑うように聞こえるのがアギらしい。
苦々しいため息を吐いたアスファーに変わり、おれが声を出す。
「アギ、アスファーと親しかったんだ」
「ああ。家系の関係もあってな。ま、学園じゃあまり接触しないようにしてるけど」
「なんで、」
「色々面倒になるからさ」
首を傾げたおれに、アギは肩を竦める。
「杜人とずっと一緒にいるおまえにゃ、分からないだろうよ」
「……おい、こいつの話した内容には突っ込まねぇのか」
なんとなく呆れ顔のアスファーに言われ、ああ、と漏らす。
「人間界行ってる家系なんだ」
「……反応薄いなぁ。そんなに俺に興味ないの」
杏色の瞳にじっと見詰められ、視線がさ迷う。
「えっと…」
「俺はイオのこと、とっても興味あるんだけどな」
猫のように細められた双眸を見て、アスファーの方へ身体を倒す。某保健医が頭を過ったのだ。
「ひでぇ。そこまで引かなくてもいいだろ」
「おまえの言い方に含みがあるからだ」
「情報屋の心を擽る要素満載なこいつが悪い」
おれの味方をしてくれたアスファーには目もくれず、アギが顔を寄せて来る。
アギも若干目尻が垂れてるな、などとぼんやり思っていた。
「深い青だなぁ。魔力が強いだけあって、クリアな色合いだ。……瑠璃色とどっちが強いんだ?」
後半、囁くように言われた言葉に目を瞬く。
すると間近の杏色が僅かに獰猛さを現し、艶やかに細められた。
花のような虹彩の模様がはっきり見えるほど距離が狭まった、そのとき。ふいにガシリと頭を掴まれ、アギの顔が遠ざかる。
上向けば、眉間にしわを寄せたアスファーの顔。視線を前に戻すと、アギも眉根を寄せている。
「邪魔するなよ」
「……同意を得てからやれ」
「あぁ、あんたが意外に真面目ちゃんなこと、忘れてたわ」
馬鹿にしたように肩を竦ませ、アギはすっくと立ち上がる。目が合うと、その顔に微笑が浮かんだ。
「今年は一人で暇することも多いだろ。仲良くしようぜ?」
軽く手を上げ去って行く後ろ姿を、アスファーが鋭い眼差しで追っていた。
「おまえ、もっと警戒心持てよ」
「へあ? うん」
ギロリと睨まれ、おれは咄嗟に頷いたのだった。
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