誰かの望んだ世界

日灯

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前篇

当代の務め (sideリュイヴェ

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 ノヴァの父親――ゼピオさんの声は、空っぽの頭によく響く。

「エレネ……君の母親はね、十を過ぎた頃から不快な夢や幻覚に悩まされ初め、十二才になる頃には、意識を保っていられなくなるときがあった」

 不快な夢…?
 俺が最近見る夢のことだろうか。ならば、俺も――。

「当時、ザイロ君とすでに婚約していたエレネは、とても苦しんでいたよ。子どもは欲しいけれど、我が子にこの苦しみは与えたくないと」

 結晶石クォーツの中の母さんは、とても穏やかな顔をしている。

「その頃、有名な術者が訪れて、もしかしたら望みを叶えられるかもしれないと話してくれた。……それは、生きたまま結晶石クォーツに自身を封じる事だったのだけど…」

 母さんは俺のために、後世のために、闇の当代に脈々と受け継がれてきた黒のエネルギーの連鎖を食い止めようとしたのか。
 
「エレネは大層喜んでいたよ。それから君を産むことに決めた。その頃から幻聴が治まり初めて、杜人もりびとも猶予をくれたようだ」

 ゼピオさんはそこで息を吐き、コツリと靴を鳴らして足をこちらへ向けた。

「それから一年、エレネは一人っ子では寂しいだろうからと、エリスさんを身籠ったんだ。エレネは焦っていた。エリスさんを産んだ彼女は、穏やかな顔で術者に自身を封じることを願い出たそうだ」

 真っ白な頭のまま、ゼピオさんの方を向く。

「……俺も…。最近…、夢を見ます」

 その瞬間、ゼピオさんの顔が強張った。

「リュイ君、……」

 ゼピオさんが動揺するのを初めて見た気がする。
 必死に言葉を探しているようだ。

「それでも、エレネさんのしたことは、意味があると思うぜ? だってよ、リュイ、今まで普通に過ごせたわけだし」

 いつも通りのノヴァの口調に誘われ、銀色の瞳に目をやる。

「普通は、十にもなれば侵食されてんだろ?」

 いつの間にか目の前に来たノヴァが、俺を覗き込むように顔を近づけた。

「だからさ、おまえは母さんに感謝して、精神を蝕まれないようにどっしり構えてりゃいいんだよ」

 こいつはブレない。どうしていつも、余裕を持っていられるんだ。こんな時でさえ――。
 麻痺したように思考が鈍った頭では、口を開くのも億劫だ。それでも俺は、口を開かずにはいられなかった。

「……ノヴァ、俺もいずれ…」
「そんときゃ、そんときだ。……勝手に逝きやがったら承知しねぇからな」

 間近にある強く煌めく銀色を見ていたら、不思議と心が落ち着いた。ノヴァはこうやって、いつも俺の後ろ向きな迷いを取っ払ってしまうのだ。――そう、こんな時でさえ。
 回転を速めた頭で新たに知った事実を受け止めれば、重く心に沈みこんでくるようだった。
 当たり前に過ごしてきた日々が、母の犠牲の上にあったこと。母の叶わなかった望み、残り僅かな寿命――。
 
「……介錯かいしゃくでもしてくれるのか?」

 ヤケクソに口角を上げて言ってみる。すると、ノヴァは口許に弧を描いてこたえてくれた。

「ばーか、俺が一撃で殺してやるよ」

 上手く笑みを浮かべようとして失敗する。
 ノヴァも、途端に泣きそうな顔をした。
 少し高い位置にある額にゴツリと額をぶつけ、あまり力の入らない手でノヴァの腕を掴む。込み上げる感情を殺して口を開くと、情けなく掠れた声が出てしまった。

「ラウを苦しめたくない」
「ああ。……遺される俺の身にもなれとは言わねぇさ」

 投げやりに前髪をかき混ぜられ、小さく苦笑する。

「言ってるじゃないか」
「あーあー。言わなきゃ、おまえの頭は俺に裂く隙間もねぇだろうと思ってな」
「確かにそうだな」
「……おまえ、そこは否定しろって」

 ノヴァがショックを受けた顔をする。それに笑って、さっきからヒッソリと成り行きを見守っていたゼピオさんの方を向いた。

「聞けてよかった。ありがとうございます」
「リュイ君、一人で溜め込まないで、私たちを頼るんだよ」
「はい。鬱憤はこいつで晴らすので大丈夫です」
「おい、そういう意味じゃねえから」

 俺たちを見て穏やかに微笑んでいたゼピオさんが、思い出したように声を上げた。

「さあ、戻ろう。ラン君にも早く顔を見せなくてはね。酷く心配していた」

 それに頷き、最後にもう一度結晶石クォーツを見上げる。

「リュイ君、これからはいつでも来て構わないから。今まで黙っていて、申し訳なかった」
「いえ…」

 ゼピオさんは、俺の母が五千年続く忌まわしき継承を断ち切ったと信じていたのだろう。母も、だからこんなに穏やかな顔をしている。
 洞窟内を戻る道すがら、ひたすら考えた。――どうしたら俺で断ち切ることができるのか。それを達成することが、母への唯一の償いだと思っていた。

 屋敷に戻り、ノヴァと共にノヴァの兄貴、ランジェノーの部屋へ向かう。この屋敷はあまりに広いため、俺の家族とノヴァの家族は一緒に住んでいた。
 ランジェノーはノヴァの兄だが、俺にも本当の弟のように接してくれる。
 気付いたときにはノヴァといた俺は、自然と彼を兄のように慕っていた。

 ノヴァが兄さんの部屋をノックすると、すぐさまドアが開く。同時に聞こえてきた赤ん坊の泣き声に、俺は固まった。

「おかえり、ノヴァ、リュイ。……リュイ、話は聞いているか?」
「……父さんと母さんの話なら」
「そうか…」

 聞きたい事が色々ある。
 黒に暖かな緋色が散った瞳は、俺の言葉を待っているようだ。それを遮ったのは、ノヴァの声だった。

「兄貴、赤ん坊が」
「ッああ、今ミルクをやっていたところでな、」
「産まれたんだ?」
「……。すっかり伝えた気になっていた」

 色々立て込んでいたから仕方がない。
 兄さんはノヴァと俺を促し、部屋へ戻る。着いて行くと可愛らしい揺りかごがあり、なんと三人の赤ん坊がいた。――賑やかなわけだ。

「……三つ子…」
「そうなんだ。予想していなかったから、名前を考えるのが大変でな」

 三人の赤ん坊を必死にあやす兄さんに苦笑する。

「……おめでとう」
「ありがとう」

 手招きされ、揺りかごを覗き込む。
 ちょうど真ん中の赤ん坊と目が合い、背中を冷たいものが伝った。

「兄さん、この子の目の色…」
「ああ。おまえと同じ、真っ黒い綺麗な目だ」
「次期当主なのか」
「そうなるな」

 無邪気に笑い、手を伸ばしてくる赤ん坊。俺が受け継がれてきた連鎖を断ち切らなかったら、次はこの子が苦しむのだ。

「リュイ…?」
「リューイ。まだ時間はある」
「、ああ」

 息を吐き、兄さんの方を向く。彼はまだ知らないはずだ。

「……俺も受け継いでいる。母は、封じ切れなかった」

 途端に兄さんは目を見開き、ガシリと肩を掴んできた。
 いつの間にか、身長が追いついてしまったなと思う。
 目の前の真摯な瞳を見ているのが辛い。

「症状が現れているのか? いつから、」
「夢を見るくらいだ。……今月の頭くらいから」

 抱き締められ、言葉を失くした。

「どうにか、方法を探そう。今度こそ誰も傷つかない方法を。おまえを喪いたくない…」

 祈るような声に胸が熱くなる。
 我が子の未来が心配だろうに、俺のことも考えてくれる兄さん――。嬉しさに次いで、申し訳ない気持ちが溢れた。

「責任を感じる必要はない。おまえもエレネさんも、勝手に背負わされただけだ。誰のせいでもない」

 兄さんは的確に欲しい言葉をくれる。

『リュイ君、一人で溜め込まないで、私たちを頼るんだよ』

 ゼピオさんの言葉を思い出した。
 彼らの優しさに、少しだけ心が軽くなった気がする。

「リュイ、これから周りの態度が変わって嫌な思いをするかもしれないが、私たちは何があっても、おまえの味方だ。忘れないでくれ」
「……頼りにしている」

 ノヴァが一族の様々な思惑に耐えてきたのを知っているし、兄さんが俺たちを守っていてくれたことも知っている。

「おまえが望んでも、独りになんてさせねぇからな」

 腕を組んで言ったのはノヴァだ。
 ノヴァは兄弟とも友人とも違う。互いに絶対の信頼を置いていると思う。――ノヴァなら本当に、俺が望めば、戸惑いなく一撃でほうむってくれるだろう。
 上手い切り返しが見つからなくて、目を瞑って肩を竦める。
 今さら感謝など、恥ずかしくて伝えられない。

 来週の宗家の集まりに、ラウは来るだろうか。――会いたいのに、会いたくない。
 ただでさえ、俺たちへのラウの態度が変わって気まずいのに。原因が分からない己に、苛立ちすら覚える。
 なんにせよ、一日も早く、良い解決策を見つけなければ。
 焦る気持ちをやっとで押さえつけていた。
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