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前篇
学期末、落着…
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その日、教室に入ってきたグラディオは、なんだか機嫌が悪かった。教台に凭れ、クラスの生徒を見渡す。
「黒の結晶石が見つかった。それを消せば、世界はまた安定するだろう。あと少しの辛抱だ。そっちは闇と光の当代にお任せして、おまえらは、魔物を倒すのと祈りを捧げることに集中しろ」
無駄に騒いだり不安がったりする暇があったら祈ってろと、顔に書いてある。
生徒は聞きたい事が色々あるだろうに、誰も口を開かなかった。
「……実習が二日に一度になったのも、もう日常だな」
「ああ。慣れるもんだ」
人間の適応力は素晴らしい。それと、結構危機的状況なのに、まだ普通に生活できていることも。部隊の人や大人が、なんとかしてくれているのだろう。
「おいイオ、勉強してるか?」
「は? なんの」
「……おまえなぁ。来週、試験だろうが」
「…………シッテルヨ」
その日から、晩飯後の勉強会が始まった。アスファーは本当に保護者みたいだ。
◇◇◇
それから数日が経ち、おれらの生活は表面上は変わらないものの、生徒たちの話題は黒の結晶石で持ちきりだった。
どうして今頃そんな事態になっているのか、というのが一番の論点である。
何故なら、魔界で勃発していた大きな争いは百年前にはなくなったし、小さな紛争も、十五年ほど前にすべて終結したからだ。
今では、やはり恨みなどの重い思念が黒のエネルギーの結晶化に繋がるのではと考える人が大概になっていた。残念ながら、他に理由が思いつかなかったのだろう。
「アスファーとジン、前より顔色悪くない?」
昼食時、気になったので聞いてみると、二人は苦い顔をした。
「なに、まだ無理して祈ってんの?」
「……結晶石が曇ってっと、それだけで身体が重く感じるんだよ」
「宗家でなくても不調を感じ始めてるだろ。……おまえは元気そうだがな」
結晶石と共に生きている人への影響は免れられないらしい。
じっとりとした視線をジンから受け、へらりと笑う。おれは不調なんて、生まれてこのかた感じたことがない。
【人の悪意というのはなかなか消えるものではないため、積み重なるものがあったのだろうと、冷静に考える者もいる。
しかし一方では、人間界のせいだと考える者も出てきた。人間界では飽きもせず、大規模な戦が続いているらしいのだ。
しかも、あちらには魔物は存在しない。
代わりに、天災というものがあるといわれている】
「そういえば、親交ないのに、なんで人間界の様子が分かるんだ?」
なんの気なしに言うと、ラウレルが流し目をくれる。
「隔たりを越えて、人間界へ行く者がいるんだ」
「簡単に行けるの?」
「向こうの座標が分かれば」
となると、一度向こうに行かなくてはならないはずだが。
「こっそり受け継いでいる一族がいるらしい」
ラウレルは肩を竦めた。
「へぇー…」
その一族のお陰で、向こうの様子も知ることができるわけだ。
「闇とか光でも、位置、知らないのか?」
何かのときのために、彼らなら知っていそうだが。
ラウレルは一瞬固まって、ふいっと視線をそらす。
「……書庫を漁れば、どこかに記録があるかもな」
「そういうもんか…」
魔界の人は普段はあまり、人間界に関心がないらしい。
◇◇◇
それからすぐに、テスト週間がやってきた。
しかし、いつもより上の空の生徒が多い。日に日に高まる人間界へのバッシングに、学園内が妙な団結を見せつつあった。
多分、倒しても倒しても減らない魔物にうんざりしているのだろう。
村が壊滅するような事態にはなっていないが、被害は出ている。その上、不調を感じているのも原因の一つかもしれない。
それよりも、おれとしては日に日に顔色が悪くなるラウレルが気になっていた。彼は結晶石の影響は受けないはずだ。
察するものはあれど、おれにはどうしようもない事だった。
試験終了の鐘を合図に、ざわめきが戻る。
「……スッキリしない」
やっと試験が全部終わったのに、空気がまったく清々しくないのだ。むしろどんよりしている。
実家を心配している生徒も、最近は多くなった。
「来週末には、帰省できるんだがな」
ジンがため息を吐く。
「長期休暇ねー…。ゆっくり寛いではいられないだろうな」
おれはこれまで、長期休暇は旅をしていた。色んな所をこの目で見ておきたかったのだ。
この休みはどうしようかと考える。
どこへ行っても魔物がいそうだ。いっそのこと、幻想界に行くのもいいかもしれない。けれど――。
疲れきった様子のジンとアスファーの向こうで固い表情をしているラウレルをじっと見詰める。
彼の変化に、結晶石でいっぱいいっぱいの二人は気付いていないようだった。
そうして翌週発表されたテストの平均点は、普段より十点は低かった。教師は諦めた様子でテストを返す。それでも赤点がいなかったのは、流石は特級といったところか。
どの科目も長期休暇の課題が少なめだったのは、今の世界の状況を鑑みてだろう。
――その日の放課後。
「……闇の宗家より報告があってな、黒の結晶石の脅威は去ったそうだ」
帰りのショートにて、グラディオの言葉に、生徒たちは一斉に騒ぎたいのを堪えた顔をした。煩いとグラディオが怒るからだ。
グラディオは何処となく憂いの漂う雰囲気で続ける。
「で、明日から長期休暇なわけだが。魔物は勝手に消え去ったりしねぇから、実家で存分に役に立てよ。……よい休暇を」
早々に手を振って担任がいなくなると、途端に教室が騒がしくなった。
「一件落着か」
「ああ。今回も闇が片付けたんだな」
アスファーがラウレルに目をやる。顔を上げたラウレルは、どこか影のある表情で頷いた。
今日はいつにも増して、ラウレルが俯きがちだった。
そういえば朝早く、ルーフェスが部屋にやって来たことを思い出す。
「……当代は元気か?」
ジンが窺うようにラウレルに尋ねた。
「どうかな…」
「ラウレル?」
アスファーの不審げな声に、ラウレルの金糸雀色の睫毛が震えた。掠れた小さな声が落とされる。
「……光の当代は、俺になったんだ」
それは、ラウレルの母親の死を意味していた。――それから、リュイヴェの父親の死も。
時が止まったように感じたほんの一瞬後、アスファーが覆い被さるようにラウレルを抱き締めた。
「悪い」
「いや、」
ゆるゆると首を振るラウレルの手を、ジンがそっと握る。ラウレルはその手を握り返して口を開いた。
「……昨夜、だった。でも、朝の通信で死んでないって。眠りについたけど、心臓は動いてるって。だから…」
アスファーの腕から抜け出したラウレルは、変わらず暗い瞳ではあったが、気丈にもうっすらと口許に弧を描いてみせた。
「俺は、大丈夫」
自分に言い聞かせるような響きだった。
アスファーがラウレルの頭をガシガシ撫でる。
「何かあったら俺を頼れ」
「いや、こいつじゃ不安だろうから俺にしとけ」
アスファーの横からジンが覗き込むようにして言った。おれも二人を押し退けて言う。
「おれが一番頼もしいよな」
「「それはない」」
即答され、言葉に詰まる。
それから言い合いになったおれたちを、ラウレルが眩しそうに見ていた。
「黒の結晶石が見つかった。それを消せば、世界はまた安定するだろう。あと少しの辛抱だ。そっちは闇と光の当代にお任せして、おまえらは、魔物を倒すのと祈りを捧げることに集中しろ」
無駄に騒いだり不安がったりする暇があったら祈ってろと、顔に書いてある。
生徒は聞きたい事が色々あるだろうに、誰も口を開かなかった。
「……実習が二日に一度になったのも、もう日常だな」
「ああ。慣れるもんだ」
人間の適応力は素晴らしい。それと、結構危機的状況なのに、まだ普通に生活できていることも。部隊の人や大人が、なんとかしてくれているのだろう。
「おいイオ、勉強してるか?」
「は? なんの」
「……おまえなぁ。来週、試験だろうが」
「…………シッテルヨ」
その日から、晩飯後の勉強会が始まった。アスファーは本当に保護者みたいだ。
◇◇◇
それから数日が経ち、おれらの生活は表面上は変わらないものの、生徒たちの話題は黒の結晶石で持ちきりだった。
どうして今頃そんな事態になっているのか、というのが一番の論点である。
何故なら、魔界で勃発していた大きな争いは百年前にはなくなったし、小さな紛争も、十五年ほど前にすべて終結したからだ。
今では、やはり恨みなどの重い思念が黒のエネルギーの結晶化に繋がるのではと考える人が大概になっていた。残念ながら、他に理由が思いつかなかったのだろう。
「アスファーとジン、前より顔色悪くない?」
昼食時、気になったので聞いてみると、二人は苦い顔をした。
「なに、まだ無理して祈ってんの?」
「……結晶石が曇ってっと、それだけで身体が重く感じるんだよ」
「宗家でなくても不調を感じ始めてるだろ。……おまえは元気そうだがな」
結晶石と共に生きている人への影響は免れられないらしい。
じっとりとした視線をジンから受け、へらりと笑う。おれは不調なんて、生まれてこのかた感じたことがない。
【人の悪意というのはなかなか消えるものではないため、積み重なるものがあったのだろうと、冷静に考える者もいる。
しかし一方では、人間界のせいだと考える者も出てきた。人間界では飽きもせず、大規模な戦が続いているらしいのだ。
しかも、あちらには魔物は存在しない。
代わりに、天災というものがあるといわれている】
「そういえば、親交ないのに、なんで人間界の様子が分かるんだ?」
なんの気なしに言うと、ラウレルが流し目をくれる。
「隔たりを越えて、人間界へ行く者がいるんだ」
「簡単に行けるの?」
「向こうの座標が分かれば」
となると、一度向こうに行かなくてはならないはずだが。
「こっそり受け継いでいる一族がいるらしい」
ラウレルは肩を竦めた。
「へぇー…」
その一族のお陰で、向こうの様子も知ることができるわけだ。
「闇とか光でも、位置、知らないのか?」
何かのときのために、彼らなら知っていそうだが。
ラウレルは一瞬固まって、ふいっと視線をそらす。
「……書庫を漁れば、どこかに記録があるかもな」
「そういうもんか…」
魔界の人は普段はあまり、人間界に関心がないらしい。
◇◇◇
それからすぐに、テスト週間がやってきた。
しかし、いつもより上の空の生徒が多い。日に日に高まる人間界へのバッシングに、学園内が妙な団結を見せつつあった。
多分、倒しても倒しても減らない魔物にうんざりしているのだろう。
村が壊滅するような事態にはなっていないが、被害は出ている。その上、不調を感じているのも原因の一つかもしれない。
それよりも、おれとしては日に日に顔色が悪くなるラウレルが気になっていた。彼は結晶石の影響は受けないはずだ。
察するものはあれど、おれにはどうしようもない事だった。
試験終了の鐘を合図に、ざわめきが戻る。
「……スッキリしない」
やっと試験が全部終わったのに、空気がまったく清々しくないのだ。むしろどんよりしている。
実家を心配している生徒も、最近は多くなった。
「来週末には、帰省できるんだがな」
ジンがため息を吐く。
「長期休暇ねー…。ゆっくり寛いではいられないだろうな」
おれはこれまで、長期休暇は旅をしていた。色んな所をこの目で見ておきたかったのだ。
この休みはどうしようかと考える。
どこへ行っても魔物がいそうだ。いっそのこと、幻想界に行くのもいいかもしれない。けれど――。
疲れきった様子のジンとアスファーの向こうで固い表情をしているラウレルをじっと見詰める。
彼の変化に、結晶石でいっぱいいっぱいの二人は気付いていないようだった。
そうして翌週発表されたテストの平均点は、普段より十点は低かった。教師は諦めた様子でテストを返す。それでも赤点がいなかったのは、流石は特級といったところか。
どの科目も長期休暇の課題が少なめだったのは、今の世界の状況を鑑みてだろう。
――その日の放課後。
「……闇の宗家より報告があってな、黒の結晶石の脅威は去ったそうだ」
帰りのショートにて、グラディオの言葉に、生徒たちは一斉に騒ぎたいのを堪えた顔をした。煩いとグラディオが怒るからだ。
グラディオは何処となく憂いの漂う雰囲気で続ける。
「で、明日から長期休暇なわけだが。魔物は勝手に消え去ったりしねぇから、実家で存分に役に立てよ。……よい休暇を」
早々に手を振って担任がいなくなると、途端に教室が騒がしくなった。
「一件落着か」
「ああ。今回も闇が片付けたんだな」
アスファーがラウレルに目をやる。顔を上げたラウレルは、どこか影のある表情で頷いた。
今日はいつにも増して、ラウレルが俯きがちだった。
そういえば朝早く、ルーフェスが部屋にやって来たことを思い出す。
「……当代は元気か?」
ジンが窺うようにラウレルに尋ねた。
「どうかな…」
「ラウレル?」
アスファーの不審げな声に、ラウレルの金糸雀色の睫毛が震えた。掠れた小さな声が落とされる。
「……光の当代は、俺になったんだ」
それは、ラウレルの母親の死を意味していた。――それから、リュイヴェの父親の死も。
時が止まったように感じたほんの一瞬後、アスファーが覆い被さるようにラウレルを抱き締めた。
「悪い」
「いや、」
ゆるゆると首を振るラウレルの手を、ジンがそっと握る。ラウレルはその手を握り返して口を開いた。
「……昨夜、だった。でも、朝の通信で死んでないって。眠りについたけど、心臓は動いてるって。だから…」
アスファーの腕から抜け出したラウレルは、変わらず暗い瞳ではあったが、気丈にもうっすらと口許に弧を描いてみせた。
「俺は、大丈夫」
自分に言い聞かせるような響きだった。
アスファーがラウレルの頭をガシガシ撫でる。
「何かあったら俺を頼れ」
「いや、こいつじゃ不安だろうから俺にしとけ」
アスファーの横からジンが覗き込むようにして言った。おれも二人を押し退けて言う。
「おれが一番頼もしいよな」
「「それはない」」
即答され、言葉に詰まる。
それから言い合いになったおれたちを、ラウレルが眩しそうに見ていた。
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