誰かの望んだ世界

日灯

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前篇

微かな予兆

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 はらはらと舞い散る花弁が薄墨色になる頃、いつもより少し早く起きたおれは、机の上にある鶯色の本を手に取った。

「あんまり見ないでおきたいんだけど」

 プレイヤーとしては、道筋を知らない方が面白い。とはいえ、基礎知識がないと不便でもある。

「加減が難しいな…」

 表紙を捲ると、内表紙に【グノームの歴史】と文字が浮かんだ。この星の転換期と考えられているのは、やはり五千年ほど前の出来事だろう。
 それを頭に思い浮かべて、ページを捲った。


 ◇◇◇

 午後の講義はまるっと実習になっているため、四年特級の生徒は学舎のエントランスに集まっていた。

「南の方だといいな~」
「ああ。寒いのは好きじゃない」

 実習の内容は、一言で表すと魔物狩りだ。
 魔方陣から現地に飛ぶため、移動は簡単。よっぽど過酷な環境でない限り、前もって場所を知らされる事はない。

「級長、報告」

 グラディオが腕組みをして促すので、手を上げて答える。

「はいはい、全員揃いましたー」
「『はい』は一回」
「……はーい゙ッ」
「伸ばすな」

 意外と細かい担任はスパルタである。飛んできた氷の玉が、額に直撃した。
 ――そうだ、こいつ、闇属性だった。

「今回は森の中になる。一班から陣に入れ」

 おれとラウレル、ジン、アスファーの四人が一班だ。担任の近くにある、淡い緑に輝く魔方陣へ向かう。リーダーのアスファーがグラディオの前に立った。

「一班、出撃」
「健闘を祈る」

 陣の縁が一層強く輝き、ベールのように外部を遮断する。それが霧散すると、辺りは深い森になっていた。

「どこ目指す?」
「あ、あの丘は?」
「いいぜ、出発だ」

 実習の場として選ばれる場所は、事前に学園の守衛隊により調査されており、学年の実力に合った魔物しかいない。
 一班はクラスで一番強い班なため、手を抜かないようにと、リーダーのアスファーは魔物の好む香りのする匂袋を持たされていた。

「実習って自由だからいいよなー」
「イオ、呑気なこと言ってないで倒せ!」

 ズドンと一発、アスファーが大技を繰り出し、魔物が三頭動かなくなった。

「おい、その袋捨てようぜ」

 ジンが一頭を狙い撃ちして言う。火属性なので気を使っているのだろう。

「……ああ。これは多すぎだ」

 ラウレルも土属性の魔法で数を減らしていた。

「賛成」

 おれも氷を作り出し、ぐさぐさと魔物に放つ。

「けどよ、そしたら、他の奴らが大変だろうが」

 アスファーが金色の瞳を魔物に向けたまま律儀なことを言えば、ジンが眉根を寄せた。

「バカ。俺らみたいに、会う奴全部倒したりしねーから普通」

 ラウレルも頷いて口を開く。

「みんな、自分の実力は心得てる」
「隠れてる奴らもいるしな」

 ちらりと見上げた先の木で、しーっと口に人差し指を立てた生徒たちに、おれは苦笑した。

「そうかよ!」

 アスファーが遠くに匂袋を投げると、それにつられて魔物が少し減った。――そう。少し。
 匂袋を投げた後も身体に匂いが移ったのか、おれらは未だに結構な数の魔物に追われている。

「だー! しつっこいんだよ!!」
「アス、デカい声出すなッ」
「埒が明かないぞ」

 ずっと走り通しな上に、魔力もだいぶ消費していてツラい。
 そこでふと、打開策を思い付いた。

「なあ、水ぶっかけていいか」
「……このままよりマシだな」

 ジンが顔をしかめて答えてくれた。

「ああ? どうした!?」

 少し離れていたアスファーは会話が聞き取れなかったらしいが、ラウレルが頷いたのを見ておれは決意する。
 直後、おれらの頭上に滝のような雨を降らせた。

 ◇◇◇

 最初に目指していた丘の上。見晴らしの良いそこで、おれらはやっとで座り込んでいる。

「……もっと早く、決断すべきだった」

 飴色の髪を垂らして俯き、力なく言うジンに頷く。

「いきなりやるなよ。焦ったじゃねぇか」
「ちゃんと言ったし」
「ああ、聞いた」

 ラウレルが返事をくれた。

「俺は聞こえなかったんだよ!」

 うん、みんな知ってた。

「多数決だよ、多数決」

 適当に言ってアスファーに目をやると、しかめっ面をしていたが、それより垂れ下がった前髪が新鮮で目を見開いてしまう。

「……十六に見える」
「ぁあ゙? どういう意味だ」

 吹き出すように笑い出したラウレルを睨み付け、アスファーが髪を掻き上げた。しかし、ラウレルの起こした風のお陰ですっかり渇いていた髪は、はらりと額に落ちてしまう。

「あははっ、いいじゃん。そのままで」
「笑うな! っつか、おまえらはなんでいつもと同じ髪型してんだよ?」
「イオがワックス貸してくれたから」

 素直に答えたラウレルを叩き、アスファーがずいっと手を出してくる。

「俺にも貸せ」
「やだよ」
「なんでだよ」
「もったいない」

 一瞬固まったアスファーのこめかみに青筋が浮く。

「ラウレルには貸したんだろ。俺にも貸せよ」

 ジリジリと迫ってくるので、ジリジリと後退する。

「ラウレルは風起こしてくれたもん」
「うぜぇな。いいから、貸、せ!」
「やなこっ、た!」

 飛び掛かってきたところを避けて横に飛べば、ウトウトと半分意識を飛ばしていたジンの上にアスファーが雪崩れ込むように倒れてしまった。

「テメェっ、避けるな!」

 笑いを堪えて言う。

「ムリ」

 その時、ゆらりと上体を起こしたジンが視界に入った。

「貴様…」

 寝起き最悪なジンは、アスファーの胸ぐらをむんずと掴む。
 思わず舌打ちをしたアスファー。

「寝惚けてんのかコラ」
「それはおまえだ。イオの野郎に嵌められたんだよ」
「能書きはいい」

 いきなり掌に炎を宿したのを見て、さすがに慌てたラウレルが、眩い光を二人の間で炸裂させる。光のエネルギーは繊細で心地好く、力が抜けてしまうのだ。アスファーの胸ぐらを掴んでいたジンの手も、とさりと草原に落ちた。

「頭を冷やせ」

 言ってラウレルが二人の頭を叩けば、二人は仲良く倒れ込んでしまう。
 悔しそうにラウレルを睨み付けるジン。近距離にアスファーがいながら、身体が動かないのが堪えるのだろう。それからスタスタとこちらへやって来たラウレルに、おれは自然と正座をしてしまった。

「イオ」

 ラウレルの声は単調だが、心に染み込む。

「……すみませんでした」

 三つ指をついて頭を下げると、ため息が降ってきた。――ラウレルは怒ると怖いと実感しました。

 数分後、鈴の音が森に響き渡り、実習の終わりを告げた。
 魔方陣を作り、ようやく身体を起こせたジンとアスファーも共に学園へ戻る。

「一班ただいま戻りました」
「お疲れ」

 今日は魔物が多かったので、誰もが疲れきった顔をしていた。
 アスファーが魔物を倒した証拠に、その体の一部である鱗や爪を集めた袋をグラディオに渡す。すると、グラディオは眉を上げた。

「……大漁だな」
「そんなもんじゃなかったぜ。多すぎて、いちいち構ってらんないくらいだったんだからな」
「匂袋捨てちゃったよ」
「それは構わねぇが…」

 思案顔になった担任をじっと見ていたら、頭を叩かれた。しっしと追い払われて、ラウレルたちの元へ戻る。
 今日はこれで放課となるので、そのまま寮に帰る生徒が大多数だった。

「今日は?」
「……今日も」
「御愁傷様」

 ラウレルの肩にポンと手を置く。

「俺も今日はいい」
「へいへい、がんばー」

 肩を落として学舎に入っていった二人を見送り、ジンと寮へ帰ることにした。

「今日はちゃっちゃと食って早く寝るか」
「ああ。疲れた」

 ということで、直接おれとラウレルの部屋に来たジンとパパっと飯を食い、早めに風呂に入って部屋に籠った。


 ◇◇◇

 真夜中、カチャリと控え目に玄関ドアの開く音がする。次いで、隣の部屋のドアの閉まる音。
 そうしてまた、静寂が訪れる。
 月明かりの下、おれは窓枠に腰掛けて鶯色の本を開いた。そうすれば、今日の前の明日を見つけることが出来る。

 そこに確かに存在する、一章分の厚みをそっとなぞる。それは彼の心に仕舞われた、真実の記録――。
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