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第六章
【第十一話】お願い事
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「さてと、だ。どこから話そうか?」
小休止でも取るみたいに、焔とオウガノミコトだと名乗る者がソファーで横並びになり座っている。手にはお茶の入る湯飲みを持たされているが、焔はまだ一口も口を付けていない。隣の部屋に居る五朗達も、急に目の前に出現したお茶をどう扱っていいのか困惑していた。
「本当にお前は、オウガなのか?」
焔をこの世界へ送り込んだ当人までもが何故此処来る必要が?そんなもの無いだろうと考え、どうしても彼がオウガノミコトであると信用出来ない。
「うん、そうだよ。焔なら匂いでわかるだろう?それにほら、君の名前を私が知ってるのが何よりの証拠にならないかな」
「まぁ…… そうかもな」
それでも胡乱に思う気持ちを払拭出来ずにいると、オウガノミコトは優しげな笑みを浮かべて「あぁ、この見た目のせいだね?」と言った。
「そうだ」
「これは四聖獣達の伝承から力を得て実体化したせいでね、こんな姿しか得られなかったんだよ。あの子達が実際に存在した者達ならばもう少しどうにかなったのだろうけど、彼らは世界の基礎となった企画書に『こういう存在が昔はこの地にいたそうだ』という伝説だけの存在だからね。この神殿も出来上がったその瞬間から地下に埋もれた廃墟だったし。私達からしてみればこの異世界は生まれたばかりの赤ん坊だ。記録から得られる残滓程度の力ではこの姿を得るのですら精一杯だったんだ」
ふぅと息を吐き、ソファーの背もたれにオウガノミコトが寄り掛かる。上から落ちてくる紅葉の葉を一枚手に取ると、くるくると回して手遊びを始めた。
「じゃあ賭けに負けたというのは、何の話だ?」
「実はね、このクエストは私達の賭け事だったんだよ。クエストを受けた時点で賭けは開始されていたってワケさ。ほら、依頼書の原本見る?ここ、最後の方に小さく『尚このクエスト依頼を受領した時点で賭けにのったものと判断する』って書いてあるだろう?」
一枚の羊皮紙をペロンと焔の前に出し、線の様に細い部分をオウガノミコトが指差した。虫眼鏡でもあればかろうじて読めそうな文章が、確かによく見ると最下部の方に書かれている。
「読めるかぁぁ!」
「まぁまぁ。いいじゃないか、些細な事さ!」
けろっと悪びれも無くオウガノミコトが言った。
「手掛かりを頼りに此処まで焔が来て、私の正体に気が付いていたら君の勝ち。わかっていなさそうだったら私の勝ちっていうやつだったんだ。いつもよりは相当難易度の低いものだろう?」
「手掛かり…… ?そんなもの、あったか?」と言う焔の表情は訝しげだ。
「あっただろう?私の匂いなんて答えそのものだったじゃないか。わざと人の多い時を狙って目撃者を残したりもしたし。今回はかなり緩かったんだけど、まさかそれでも確信を得られなかったなんてなぁ。焔は目を使ってモノを見ていない割には、他者が目視で得られるであろう情報に引っ張られ過ぎだよ?もっと心の目で物事を見ないと」
ふふっと笑われ、焔は悔しそうに口元を引き絞った。この姿を見る直前まではオウガノミコトが犯人だと確信があっただけに、寸前でその考えが揺らいでしまった事が悔やまれる。
「それにしても、まさかお前までこの世界に来ていたとはな。この一年間何をしていたんだ?何故今まで会いに来なかった?」
「私だって此処へ来る気なんか微塵も無かったよ。君を送り出した時に『大丈夫かな。上手くやれるかな』ってほんの少し思ったら、その気持ちがこっちにきちゃったって程度の存在だから、私の本体すら“私”が此処に居るとは気が付いていないしね。“小さな心配”でしかなかったから実体化するのに一年かかったし、その土台に四聖獣の伝承を使ったから私はこの街からは出られないんだ」
残念そうに息を吐き、オウガノミコトが焔の膝にぽすんと倒れ、掴んだままの紅葉の葉をくるくると回しながら勝手に膝枕でくつろぎ始めた。
「そんな訳で今の私は本体の毛先程の力も使えないからさ、ちょっと困った事になっているんだ。なので賭けに負けた焔には、その後処理を頼みたい」
「…… はぁ」と深く溜息をつき、またかと言いたげに焔が顔を顰める。この世界へ飛ばされる前も何かにつけて賭け事を持ちかけられ、毎度必ず負けては縁結びなどの行為をさせらててきたので仕方の無い反応だろう。
『情けは人の為ならずってね。こうしていればいつか、焔の願い事も叶うよ』
よくそんな事をオウガノミコトは焔に言っていたが、彼としては記憶の欠如のせいで“願い事”なんてものは無かったので、いつも『ここまでやらされるだなんて聞いてないぞ』『こんなのは鬼に頼む仕事じゃないだろ』と、少しだけ不貞腐れていた。過去を取り戻した今でもわざわざ善行を積んでまで叶えたい“願い事”は思い浮かばないままだが、“賭けに負けた”という縛りのせいで彼の頼みを断れない焔は渋い顔のまま、「何をしたらいいんだ?今回は」とぶっきらぼうな声で訊いた。
「じゃあ早速。——もう出て来ていいよ、サラン」
紅葉の木々が立ち並ぶ方へ向かい、オウガノミコトが声を掛ける。すると木の影から一人の少年が恐る恐る顔を出した。見たところ年齢は十歳くらいだろうか。金髪でふわふわとした髪をしており、現時点で既に見目麗しく、将来を期待したくなる容姿をしている。衣装の仮縫いの最中にそのまま連れてこられたのか、動きにくそうな印象のある豪華な服を着ており、雰囲気としては十二単に少し似ていた。
「——この子は、麒麟の神子か!」
前のめりになりながら焔が叫ぶ。するとサランと呼ばれた少年は驚いて肩を震わせ、また木の影に隠れてしまった。
「ここへ到着するなり、その壁をこれでもかってくらいに攻撃し始めた焔達を見て、すっかり怯えてしまったんだよ。まぁ当然だよねぇ。見たこともない生き物が本気で蹴るわ殴るわし始めたら、恐怖でしかないもんなぁ」
うんうんと頷きながらオウガノミコトが体を起こし、立ち上がってサランを迎えに行く。すると即座に彼はオウガノミコトの脚へと飛びつき、ギュッとしがみついた。
「よしよし。でもねあの子は怖くないよ、サランを助けに来てくれたんだ」
「…… ボクを、助けに?」
「あぁそうだよ、サラン」
紅葉の葉を彼に渡し、オウガノミコトが頭をそっと撫でると、サランが嬉しそうに目蓋を閉じる。その顔がちょっと子猫みたいで何だか可愛い。
「どういう事だ?オウガは神子を誘拐したんじゃないのか?」
「誘拐かぁ…… それは違うね。私視点では、これは誘拐じゃなくって救出だよ」
「救出?何からだ」
「神の名の下に好き勝手にしているクズ共から、この子を助けてあげたのさ」
ギルドから聞いていた話との違いに焔が困惑する。本当に誘拐ではなかったのか?と不思議に思ったが、彼をよく知る焔は即座にオウガノミコトの言葉こそが真実であると頭を切り替えた。巫山戯る事は多々あれど、基本的には潔癖気味で理性的であり、幼な子への情が深い彼が——いや、本物の神である者が、この程度の事でわざわざ偽りを語る理由が今は無いからだ。
「基本的に私はこの世界へ干渉する気は全く無い。その考えは今も変わらないよ。だけどねぇ、神の存在を利用し、利己的な理由で好き勝手にするのだけは、絶対に許せないなぁ」
淡々とした声でそう言ったオウガノミコトの表情を前にして、焔の背筋に寒気が走った。ただでさえ今はとても異質な姿なのに、更に瞳孔が開き、静かな怒りを滲ませる姿には神々しさの欠片も無い。怒りにより堕天した者を前にした様な恐怖を感じる。
「く、詳しく聞かせてくれないか?状況が分からないんだ」
「もちろん!」
オウガノミコトは焔の隣にサランを座らせると、木の幹で即席の椅子を造り出しそれに腰掛けた。サランはまだ焔が怖いのかソファーの端っこでビクビクと様子を伺っている。目隠しや角が気になるのか、視線はそこにばかり集中しているので好奇心は強い子なのかもしれない。
「怖くない、怖くないよー。彼は見た目と違ってとっても穏やかだから」と優しく笑いながらサランに声を掛け、「さて——」と呟きオウガノミコトはスッと瞳を細めた。
「焔は四聖獣の伝承は知っているかな?」
「あぁ、冒険者ギルドで聞いた。五ろ…… ぱぁてぃの仲間達が詳しかったおかげもあって、それなりに」
「そうか。それならそこは省こう。じゃあ、麒麟の神子がこの街ではとても重要だという事も?」
「そうみたいだな。もうすぐ新しい神子の就任を祝う大規模な祭りが近いから、それに間に合う様には助け出せと言われている」
「ふーん…… 」と言い、オウガノミコトが膝に頬杖をつく。とても冷めた目には怒りが滲み出ている。だが彼から見ればまだまだ幼い焔達の前では穏やかに話そうと気持ちを宥め、ゆっくりと深呼吸をした。
「“神子”だなんて大層な名前で呼ばれているけどね、アレの仕事はただの男娼だよ」
「…… は?」とこぼす焔の横で、サランは不思議そうに首を傾げた。どうやら、焔とは違って本当に幼い彼は、言葉の意味を知らない様だ。
「四聖獣の神官達は聖職者だからね、易々とは欲を発散したり嫁を貰う事も出来ない。だが、所詮は人間だ。どうしたって性欲はあるだろう?いくらお綺麗な事を口にしていても、シスターに手を出す神父や、聖歌隊の少年達を強姦していた者、弟子達に手を出した坊主の話だって、昔から絶えないみたいにね」
ふぅと息を吐き、話を続ける。
「大事な事だから念を押しておくけど、企画書の段階からその予定だった訳じゃ無いよ。伝承通りにただ麒麟の神子を選び、祭りを楽しむ日だったんだ。祝い事の裏話は盛大な方が断然楽しいからね。だけど代を重ねていくうちに、神官達は麒麟の神子の存在を歪曲して解釈し始めたんだ。自分達にとって都合よくね」
「麒麟の神子はただの好意的に思われていただけの仲介役だろう?歪曲のしようが無いんじゃ…… 」
「いや、神子は四聖獣達と恋仲だったんだ。四聖獣は四体とも神子に好意を持っていた。だから彼が仲裁に入った時に嫁として欲したんだ。昼間は自分達の神殿で神事に勤しみ、夜は麒麟の神殿へと通って嫁と愛を育む。だけどそこに性交渉は含まれはいなかったんだよ、お互いに姿が違い過ぎたのでそもそも無理だったし。それでも四聖獣は一人の神子を、神子は四体の獣を心から愛していた。だから美談なのだし、神聖であり、後世となった今でも語られる物語になり得たんだ。なのにそれを、数十代前の神官達が“嫁”であった部分を拡大解釈して、性交渉を含むとしたんだ」
「殺すか」
スンッと冷めた顔で焔が言う。
焔はよくオウガノミコトを潔癖な奴だと思っているが、彼から見れば焔の方が恋愛ごとに関してはより一層上だとな実感した。
「んー…… や、まずは続きを聞いてね」
自分以上に殺気立ち始めた焔を慌てて宥め、オウガノミコトは更に続ける。
「男娼として神子を迎えるに当たり、代を重ねるにつれて神官らは、より美しく、より幼い子供を選び始めた。残念な事に歴代の神官達には小児性愛者が多かったのだろうねぇ…… 。もしくは、長く楽しみたいが故に対象年齢が下がっていっただけかもしれないけど」
「いずれにしても、クズだな」
「まぁ…… クズにはクズだけど、神官では無い者が勝手にそれをやっている分にはまだ譲歩しようと思っていたんだ。自分はこの世界を創った担い手の一端ではあっても、本体が干渉する気も無いのに手出しは出来ないからね。それに、人間が人間である以上、綺麗事だけでは済まない裏の側面が世の中にはどうしたって存在するから。だけど神の名の下にそういった行為を、ましてや、ただの欲の吐口として扱う子に“神子”だなんて役を与えて、愛情の欠片も無い性行為を“神聖な儀式”だなんて嘘をついておこなっているというのには、流石に目が瞑れなくてね。勢いでつい助けてしまったんだよ」
額を抑え、まいったなぁと言いたそうにオウガノミコトが項垂れる。
「ただ、本体ならば如何様にでも天罰を下す事も出来たけど、今の私じゃやれる事は相当限られている。そこで焔に助けてもらおうと咄嗟に考え、今に至るんだ」
「つまりは神官共を殺して来たらいいんだな?」
わかったと言うように頷き、早速行動しようと焔が立ち上がろうとした。だがオウガノミコトは慌てて彼の腕を掴んで止め、もう一度座るようにと促す。
「待って待って待って!気持ちはわかるけど、異世界だろうが今はまだ、焔は人を殺めてはいけないよ。それにね、ああいった権力の権化みたいな輩は、拷問の末に命を奪うよりも、社会的に抹殺して底辺に叩き落としてからじわじわと始末する方がより一層苦しむから」
…… そっちの方が、酷くないか?
と、瞬殺以外に何も考えていなかった焔は思ったが、その言葉はそっと胸の奥に飲み込んだ。
「ここに証拠の品も揃えた。報告書、証拠写真、音声データを記録した魔法具。歴代の退任した神子家族からの証言なども揃えてある。…… 残念ながら神子だった者達は皆、既に死亡していたり、心を壊していて証言者としては不適切だったので話を聞くのは断念したよ。息子を持つ身として、そういうのも知ってしまうと、不介入であろうと思い続けるには無理があったなぁ」
悲しそうに歪む顔でオウガノミコトが無理矢理笑顔を作ろうとする。その表情を見て焔は胸がチクリと痛んだ気がした。
「人間みたいな手法に打って出るなんて生まれて初めての経験だったから、途中からまるでテレビドラマの探偵気分になってしまってね。今回は真面目に頑張っちゃった」
「その姿でよくまぁ」
「街の中でなら変化の術くらいは使えるからね。神殿の廃墟から出るととても疲れるから短時間しか使えないが、調査するくらいはまぁなんとかなったよ」
「大変だったな。んで結局俺は神官達を殺せないのなら、何をしたらいいんだ?じわじわと社会的にというのは苦手どころか、そもそも手段が浮かばないんだが」
「焔にはまず、これらの証拠一式を冒険者ギルドに提出してもらいたい。この街の管理者は神官達の息がかかっていて話しても無駄だが、ギルドは国営の組織だからね、無駄に発言力を強めている神組織の弱みを握れるとあれば喜んで協力してくれるよ。受付係のナツメ君なんか丁度適任じゃないかな、彼はとても真摯に働いている子だから」
「そこまで調べ上げているのなら直接オウガが持って行くか、送ればよかったのでは?」
「少しでも不介入を通したいから会うのはちょっと。だからといってこれらを送ったとしても、差出人不明の調査書では力が弱い。だけどこの世界の最高レベル者であり、いずれは救世主となる者が排出される異世界転移者達からの報告だとあっては冒険者ギルドも無下には出来ない。報告書を基に実態調査をする事に間違いなくなるから、焔達が出すのが一番適任なんだ」
こんなに頭を使っているオウガノミコトを初めて見た、と焔は思ったが、それもそっと言葉にせず黙っておく事に。
「もう一つ頼みがある」
「何だ?」
「サランと神官達との“縁”を完全に断ち切って欲しいんだ。完全に彼の事を忘れてしまうように、ね」
「…… いいのか?ソレはあまりやらせたくない行為だったろう?」
「そうだね。だけどこのままでは自分達の行いを棚上げして神官達が何をしでかすか分からないだろう?もしかしたら処分される前に逃げる者もいるかもしれない。その時に麒麟の神子を誘拐しないとも言えないし、権力を失った怒りに任せて八つ当たり的に殺す可能性だってある。だから、曲解だと言われるかもだけど、これは善行だよ」
「わかった。オウガの許可が下りたのなら、いいか」
深く頷き、焔が自分の目元に巻かれた布の結び目を緩め、ゆっくりと解いていく。
離れた位置から三人の様子をソワソワとした様子でずっと見ていた五朗は驚いたが、焔の素顔に興味があり目が離せないでいる。ソフィアは気を失ったままのリアンを気遣い、荷物の中からブランケットを取り出してかけてやったり、頭の下にタオルを入れたりと甲斐甲斐しく世話をしていた。
「サラン、だったか」
瞼を閉じたまま、隣に座るサランに焔が声をかけた。
「は、はい!えっと…… ボクは、どうしたら…… 」
オロオロとしているサランの頭にぽんっと手を乗せ、焔はちょっと雑にぐりぐりと撫でる。怖くないぞ、安心しろと言いたそうだが、幼な子を相手にする機会がほぼない為扱いがわからず少し緊張してしまう。
「何もしなくていい。ただお前は…… そうだな、『こうであって欲しい未来』の事でも想像しておけ」
そう言って焔は目蓋を開いた。オウガノミコトとは違う、キラキラとした宝石の様な真っ赤瞳を見てサランは、『この瞳の色をボクはきっと一生忘れないだろうな』と思ったのだった。
小休止でも取るみたいに、焔とオウガノミコトだと名乗る者がソファーで横並びになり座っている。手にはお茶の入る湯飲みを持たされているが、焔はまだ一口も口を付けていない。隣の部屋に居る五朗達も、急に目の前に出現したお茶をどう扱っていいのか困惑していた。
「本当にお前は、オウガなのか?」
焔をこの世界へ送り込んだ当人までもが何故此処来る必要が?そんなもの無いだろうと考え、どうしても彼がオウガノミコトであると信用出来ない。
「うん、そうだよ。焔なら匂いでわかるだろう?それにほら、君の名前を私が知ってるのが何よりの証拠にならないかな」
「まぁ…… そうかもな」
それでも胡乱に思う気持ちを払拭出来ずにいると、オウガノミコトは優しげな笑みを浮かべて「あぁ、この見た目のせいだね?」と言った。
「そうだ」
「これは四聖獣達の伝承から力を得て実体化したせいでね、こんな姿しか得られなかったんだよ。あの子達が実際に存在した者達ならばもう少しどうにかなったのだろうけど、彼らは世界の基礎となった企画書に『こういう存在が昔はこの地にいたそうだ』という伝説だけの存在だからね。この神殿も出来上がったその瞬間から地下に埋もれた廃墟だったし。私達からしてみればこの異世界は生まれたばかりの赤ん坊だ。記録から得られる残滓程度の力ではこの姿を得るのですら精一杯だったんだ」
ふぅと息を吐き、ソファーの背もたれにオウガノミコトが寄り掛かる。上から落ちてくる紅葉の葉を一枚手に取ると、くるくると回して手遊びを始めた。
「じゃあ賭けに負けたというのは、何の話だ?」
「実はね、このクエストは私達の賭け事だったんだよ。クエストを受けた時点で賭けは開始されていたってワケさ。ほら、依頼書の原本見る?ここ、最後の方に小さく『尚このクエスト依頼を受領した時点で賭けにのったものと判断する』って書いてあるだろう?」
一枚の羊皮紙をペロンと焔の前に出し、線の様に細い部分をオウガノミコトが指差した。虫眼鏡でもあればかろうじて読めそうな文章が、確かによく見ると最下部の方に書かれている。
「読めるかぁぁ!」
「まぁまぁ。いいじゃないか、些細な事さ!」
けろっと悪びれも無くオウガノミコトが言った。
「手掛かりを頼りに此処まで焔が来て、私の正体に気が付いていたら君の勝ち。わかっていなさそうだったら私の勝ちっていうやつだったんだ。いつもよりは相当難易度の低いものだろう?」
「手掛かり…… ?そんなもの、あったか?」と言う焔の表情は訝しげだ。
「あっただろう?私の匂いなんて答えそのものだったじゃないか。わざと人の多い時を狙って目撃者を残したりもしたし。今回はかなり緩かったんだけど、まさかそれでも確信を得られなかったなんてなぁ。焔は目を使ってモノを見ていない割には、他者が目視で得られるであろう情報に引っ張られ過ぎだよ?もっと心の目で物事を見ないと」
ふふっと笑われ、焔は悔しそうに口元を引き絞った。この姿を見る直前まではオウガノミコトが犯人だと確信があっただけに、寸前でその考えが揺らいでしまった事が悔やまれる。
「それにしても、まさかお前までこの世界に来ていたとはな。この一年間何をしていたんだ?何故今まで会いに来なかった?」
「私だって此処へ来る気なんか微塵も無かったよ。君を送り出した時に『大丈夫かな。上手くやれるかな』ってほんの少し思ったら、その気持ちがこっちにきちゃったって程度の存在だから、私の本体すら“私”が此処に居るとは気が付いていないしね。“小さな心配”でしかなかったから実体化するのに一年かかったし、その土台に四聖獣の伝承を使ったから私はこの街からは出られないんだ」
残念そうに息を吐き、オウガノミコトが焔の膝にぽすんと倒れ、掴んだままの紅葉の葉をくるくると回しながら勝手に膝枕でくつろぎ始めた。
「そんな訳で今の私は本体の毛先程の力も使えないからさ、ちょっと困った事になっているんだ。なので賭けに負けた焔には、その後処理を頼みたい」
「…… はぁ」と深く溜息をつき、またかと言いたげに焔が顔を顰める。この世界へ飛ばされる前も何かにつけて賭け事を持ちかけられ、毎度必ず負けては縁結びなどの行為をさせらててきたので仕方の無い反応だろう。
『情けは人の為ならずってね。こうしていればいつか、焔の願い事も叶うよ』
よくそんな事をオウガノミコトは焔に言っていたが、彼としては記憶の欠如のせいで“願い事”なんてものは無かったので、いつも『ここまでやらされるだなんて聞いてないぞ』『こんなのは鬼に頼む仕事じゃないだろ』と、少しだけ不貞腐れていた。過去を取り戻した今でもわざわざ善行を積んでまで叶えたい“願い事”は思い浮かばないままだが、“賭けに負けた”という縛りのせいで彼の頼みを断れない焔は渋い顔のまま、「何をしたらいいんだ?今回は」とぶっきらぼうな声で訊いた。
「じゃあ早速。——もう出て来ていいよ、サラン」
紅葉の木々が立ち並ぶ方へ向かい、オウガノミコトが声を掛ける。すると木の影から一人の少年が恐る恐る顔を出した。見たところ年齢は十歳くらいだろうか。金髪でふわふわとした髪をしており、現時点で既に見目麗しく、将来を期待したくなる容姿をしている。衣装の仮縫いの最中にそのまま連れてこられたのか、動きにくそうな印象のある豪華な服を着ており、雰囲気としては十二単に少し似ていた。
「——この子は、麒麟の神子か!」
前のめりになりながら焔が叫ぶ。するとサランと呼ばれた少年は驚いて肩を震わせ、また木の影に隠れてしまった。
「ここへ到着するなり、その壁をこれでもかってくらいに攻撃し始めた焔達を見て、すっかり怯えてしまったんだよ。まぁ当然だよねぇ。見たこともない生き物が本気で蹴るわ殴るわし始めたら、恐怖でしかないもんなぁ」
うんうんと頷きながらオウガノミコトが体を起こし、立ち上がってサランを迎えに行く。すると即座に彼はオウガノミコトの脚へと飛びつき、ギュッとしがみついた。
「よしよし。でもねあの子は怖くないよ、サランを助けに来てくれたんだ」
「…… ボクを、助けに?」
「あぁそうだよ、サラン」
紅葉の葉を彼に渡し、オウガノミコトが頭をそっと撫でると、サランが嬉しそうに目蓋を閉じる。その顔がちょっと子猫みたいで何だか可愛い。
「どういう事だ?オウガは神子を誘拐したんじゃないのか?」
「誘拐かぁ…… それは違うね。私視点では、これは誘拐じゃなくって救出だよ」
「救出?何からだ」
「神の名の下に好き勝手にしているクズ共から、この子を助けてあげたのさ」
ギルドから聞いていた話との違いに焔が困惑する。本当に誘拐ではなかったのか?と不思議に思ったが、彼をよく知る焔は即座にオウガノミコトの言葉こそが真実であると頭を切り替えた。巫山戯る事は多々あれど、基本的には潔癖気味で理性的であり、幼な子への情が深い彼が——いや、本物の神である者が、この程度の事でわざわざ偽りを語る理由が今は無いからだ。
「基本的に私はこの世界へ干渉する気は全く無い。その考えは今も変わらないよ。だけどねぇ、神の存在を利用し、利己的な理由で好き勝手にするのだけは、絶対に許せないなぁ」
淡々とした声でそう言ったオウガノミコトの表情を前にして、焔の背筋に寒気が走った。ただでさえ今はとても異質な姿なのに、更に瞳孔が開き、静かな怒りを滲ませる姿には神々しさの欠片も無い。怒りにより堕天した者を前にした様な恐怖を感じる。
「く、詳しく聞かせてくれないか?状況が分からないんだ」
「もちろん!」
オウガノミコトは焔の隣にサランを座らせると、木の幹で即席の椅子を造り出しそれに腰掛けた。サランはまだ焔が怖いのかソファーの端っこでビクビクと様子を伺っている。目隠しや角が気になるのか、視線はそこにばかり集中しているので好奇心は強い子なのかもしれない。
「怖くない、怖くないよー。彼は見た目と違ってとっても穏やかだから」と優しく笑いながらサランに声を掛け、「さて——」と呟きオウガノミコトはスッと瞳を細めた。
「焔は四聖獣の伝承は知っているかな?」
「あぁ、冒険者ギルドで聞いた。五ろ…… ぱぁてぃの仲間達が詳しかったおかげもあって、それなりに」
「そうか。それならそこは省こう。じゃあ、麒麟の神子がこの街ではとても重要だという事も?」
「そうみたいだな。もうすぐ新しい神子の就任を祝う大規模な祭りが近いから、それに間に合う様には助け出せと言われている」
「ふーん…… 」と言い、オウガノミコトが膝に頬杖をつく。とても冷めた目には怒りが滲み出ている。だが彼から見ればまだまだ幼い焔達の前では穏やかに話そうと気持ちを宥め、ゆっくりと深呼吸をした。
「“神子”だなんて大層な名前で呼ばれているけどね、アレの仕事はただの男娼だよ」
「…… は?」とこぼす焔の横で、サランは不思議そうに首を傾げた。どうやら、焔とは違って本当に幼い彼は、言葉の意味を知らない様だ。
「四聖獣の神官達は聖職者だからね、易々とは欲を発散したり嫁を貰う事も出来ない。だが、所詮は人間だ。どうしたって性欲はあるだろう?いくらお綺麗な事を口にしていても、シスターに手を出す神父や、聖歌隊の少年達を強姦していた者、弟子達に手を出した坊主の話だって、昔から絶えないみたいにね」
ふぅと息を吐き、話を続ける。
「大事な事だから念を押しておくけど、企画書の段階からその予定だった訳じゃ無いよ。伝承通りにただ麒麟の神子を選び、祭りを楽しむ日だったんだ。祝い事の裏話は盛大な方が断然楽しいからね。だけど代を重ねていくうちに、神官達は麒麟の神子の存在を歪曲して解釈し始めたんだ。自分達にとって都合よくね」
「麒麟の神子はただの好意的に思われていただけの仲介役だろう?歪曲のしようが無いんじゃ…… 」
「いや、神子は四聖獣達と恋仲だったんだ。四聖獣は四体とも神子に好意を持っていた。だから彼が仲裁に入った時に嫁として欲したんだ。昼間は自分達の神殿で神事に勤しみ、夜は麒麟の神殿へと通って嫁と愛を育む。だけどそこに性交渉は含まれはいなかったんだよ、お互いに姿が違い過ぎたのでそもそも無理だったし。それでも四聖獣は一人の神子を、神子は四体の獣を心から愛していた。だから美談なのだし、神聖であり、後世となった今でも語られる物語になり得たんだ。なのにそれを、数十代前の神官達が“嫁”であった部分を拡大解釈して、性交渉を含むとしたんだ」
「殺すか」
スンッと冷めた顔で焔が言う。
焔はよくオウガノミコトを潔癖な奴だと思っているが、彼から見れば焔の方が恋愛ごとに関してはより一層上だとな実感した。
「んー…… や、まずは続きを聞いてね」
自分以上に殺気立ち始めた焔を慌てて宥め、オウガノミコトは更に続ける。
「男娼として神子を迎えるに当たり、代を重ねるにつれて神官らは、より美しく、より幼い子供を選び始めた。残念な事に歴代の神官達には小児性愛者が多かったのだろうねぇ…… 。もしくは、長く楽しみたいが故に対象年齢が下がっていっただけかもしれないけど」
「いずれにしても、クズだな」
「まぁ…… クズにはクズだけど、神官では無い者が勝手にそれをやっている分にはまだ譲歩しようと思っていたんだ。自分はこの世界を創った担い手の一端ではあっても、本体が干渉する気も無いのに手出しは出来ないからね。それに、人間が人間である以上、綺麗事だけでは済まない裏の側面が世の中にはどうしたって存在するから。だけど神の名の下にそういった行為を、ましてや、ただの欲の吐口として扱う子に“神子”だなんて役を与えて、愛情の欠片も無い性行為を“神聖な儀式”だなんて嘘をついておこなっているというのには、流石に目が瞑れなくてね。勢いでつい助けてしまったんだよ」
額を抑え、まいったなぁと言いたそうにオウガノミコトが項垂れる。
「ただ、本体ならば如何様にでも天罰を下す事も出来たけど、今の私じゃやれる事は相当限られている。そこで焔に助けてもらおうと咄嗟に考え、今に至るんだ」
「つまりは神官共を殺して来たらいいんだな?」
わかったと言うように頷き、早速行動しようと焔が立ち上がろうとした。だがオウガノミコトは慌てて彼の腕を掴んで止め、もう一度座るようにと促す。
「待って待って待って!気持ちはわかるけど、異世界だろうが今はまだ、焔は人を殺めてはいけないよ。それにね、ああいった権力の権化みたいな輩は、拷問の末に命を奪うよりも、社会的に抹殺して底辺に叩き落としてからじわじわと始末する方がより一層苦しむから」
…… そっちの方が、酷くないか?
と、瞬殺以外に何も考えていなかった焔は思ったが、その言葉はそっと胸の奥に飲み込んだ。
「ここに証拠の品も揃えた。報告書、証拠写真、音声データを記録した魔法具。歴代の退任した神子家族からの証言なども揃えてある。…… 残念ながら神子だった者達は皆、既に死亡していたり、心を壊していて証言者としては不適切だったので話を聞くのは断念したよ。息子を持つ身として、そういうのも知ってしまうと、不介入であろうと思い続けるには無理があったなぁ」
悲しそうに歪む顔でオウガノミコトが無理矢理笑顔を作ろうとする。その表情を見て焔は胸がチクリと痛んだ気がした。
「人間みたいな手法に打って出るなんて生まれて初めての経験だったから、途中からまるでテレビドラマの探偵気分になってしまってね。今回は真面目に頑張っちゃった」
「その姿でよくまぁ」
「街の中でなら変化の術くらいは使えるからね。神殿の廃墟から出るととても疲れるから短時間しか使えないが、調査するくらいはまぁなんとかなったよ」
「大変だったな。んで結局俺は神官達を殺せないのなら、何をしたらいいんだ?じわじわと社会的にというのは苦手どころか、そもそも手段が浮かばないんだが」
「焔にはまず、これらの証拠一式を冒険者ギルドに提出してもらいたい。この街の管理者は神官達の息がかかっていて話しても無駄だが、ギルドは国営の組織だからね、無駄に発言力を強めている神組織の弱みを握れるとあれば喜んで協力してくれるよ。受付係のナツメ君なんか丁度適任じゃないかな、彼はとても真摯に働いている子だから」
「そこまで調べ上げているのなら直接オウガが持って行くか、送ればよかったのでは?」
「少しでも不介入を通したいから会うのはちょっと。だからといってこれらを送ったとしても、差出人不明の調査書では力が弱い。だけどこの世界の最高レベル者であり、いずれは救世主となる者が排出される異世界転移者達からの報告だとあっては冒険者ギルドも無下には出来ない。報告書を基に実態調査をする事に間違いなくなるから、焔達が出すのが一番適任なんだ」
こんなに頭を使っているオウガノミコトを初めて見た、と焔は思ったが、それもそっと言葉にせず黙っておく事に。
「もう一つ頼みがある」
「何だ?」
「サランと神官達との“縁”を完全に断ち切って欲しいんだ。完全に彼の事を忘れてしまうように、ね」
「…… いいのか?ソレはあまりやらせたくない行為だったろう?」
「そうだね。だけどこのままでは自分達の行いを棚上げして神官達が何をしでかすか分からないだろう?もしかしたら処分される前に逃げる者もいるかもしれない。その時に麒麟の神子を誘拐しないとも言えないし、権力を失った怒りに任せて八つ当たり的に殺す可能性だってある。だから、曲解だと言われるかもだけど、これは善行だよ」
「わかった。オウガの許可が下りたのなら、いいか」
深く頷き、焔が自分の目元に巻かれた布の結び目を緩め、ゆっくりと解いていく。
離れた位置から三人の様子をソワソワとした様子でずっと見ていた五朗は驚いたが、焔の素顔に興味があり目が離せないでいる。ソフィアは気を失ったままのリアンを気遣い、荷物の中からブランケットを取り出してかけてやったり、頭の下にタオルを入れたりと甲斐甲斐しく世話をしていた。
「サラン、だったか」
瞼を閉じたまま、隣に座るサランに焔が声をかけた。
「は、はい!えっと…… ボクは、どうしたら…… 」
オロオロとしているサランの頭にぽんっと手を乗せ、焔はちょっと雑にぐりぐりと撫でる。怖くないぞ、安心しろと言いたそうだが、幼な子を相手にする機会がほぼない為扱いがわからず少し緊張してしまう。
「何もしなくていい。ただお前は…… そうだな、『こうであって欲しい未来』の事でも想像しておけ」
そう言って焔は目蓋を開いた。オウガノミコトとは違う、キラキラとした宝石の様な真っ赤瞳を見てサランは、『この瞳の色をボクはきっと一生忘れないだろうな』と思ったのだった。
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