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第六章

【第十話】犯人の正体

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「主人っ!主人ぃぃ!」
 本心では『焔!』と名を叫びたい気持ちを必死に胸奥へとに閉じ込めながら、透明な壁に魔法でありとあらゆる種類の攻撃をリアンが仕掛けていると、ソフィアが身を挺して止めに入った。そのせいで角の方が少し焦げたが、それでも声を張り上げソフィアが『リアン様!』と叫ぶ。

『リアン様!魔力の使い過ぎです!主人の指示無しにそう連発しては、いざと言う時に主人を助けられなくなりますよ⁉︎』

 その言葉を聞き、リアンの動きがピタリと静止した。
 今のリアンでは“召喚魔”としての制約がかかり、“魔王”である時の様には魔力を無尽蔵には使えない。召喚士である焔の命令で行動してやっと真っ当な消費量で戦うことが出来るので、この様な行為はパーティーにとって結果的に痛手となる事を思い出し、リアンはギリッと歯を食いしばった。
「その通りっす。この壁はどんなに攻撃しても無駄みたいですし、下手したら吸収型で術者を強化しているパターンも考えられます。だからここは一旦中断しましょう!ちょっと落ち着いて、今は別の攻略法を探した方がいいっすよ!」
 リアンの猛攻撃と同時並行して独自に色々と試行錯誤していた五朗が真剣な顔でそう提案する。だが、さっきの様にコレかもという案は必死に頭を働かせても一何一つとして思い浮かばない。
 ただ、現状のままではこの壁を通過する事は無理っぽいが、頑丈な壁越しではあっても透明なおかげで焔の安否を確認出来る事が唯一の救いだ。

 顔面蒼白な状態のリアンが焔の方へ顔を向けると、彼は相当渋い顔をして今回の件の主犯と思われる全身が真っ白な者と何やら話をしている様子が確認出来た。強固な壁のせいで声や音は一切聞こえない。何を話しているのかは全くわからないが、どうやら焔が即危険な目にあう状況では無さそうだ。
「…… にしても、えらく頑丈な壁っすね。見た目はただの透明なガラスっぽいのにリアンさんの魔法も打撃も全然効かないし、相当厄介そうっすよ」
『向こう側からおこなった主人の攻撃も全く効果が無かったですしね。見た所ヒビも入らず、汚れもせず、火の攻撃で発生した熱気で曇ったりすらしないとは』
「『押してダメなら引いてみろ』みたいに、発想を変えればって感じでもなさそうっすよねぇ」と言いながら、ダメ元でゆっくり優しく壁に触れて押してみる。だがやはり、何も起きる気配は無かった。
「強打が無理ならもしくは…… と思ったんすけど、やっぱ違うかぁ」
 項垂れる五朗の横で、リアンが唇をギュッと噛む。鋭い八重歯が刺さり血が滲んだがお構いなしだ。

 ドンッ——

 透明な壁をリアンが叩き、鋭い視線を紅葉の木々に囲まれた男に向かい投げつける。その視線に気が付いた白衣の男はスッとソファーから立ち上がると、一瞬だけとても嬉しそうな笑みを浮かべたが、即座に表情をキョトンとした顔に戻し、長い尻尾を揺らしながら焔の元へと歩き始めた。

「え?私だよ、私」
「知らん!寄るなっ」

 間の抜けた声でそう言って男が自身を指差す。やっと対面した焔から『誰だお前は』と言われただけでなく、『知らん!寄るな』と拒絶までされた事が相当ショックだったのか、少し涙目になってきた。

「まさかこれは、新手の詐欺が⁉︎」

 焔はすっかり警戒心丸出しの野良猫みたいになっている。髪は少し逆立ち、瞳のある位置は赤く光を帯びてと攻撃態勢を崩そうとしない。
「違うよ⁉︎オレオレ詐欺的なものじゃないよ?」
 あわあわとした顔で手を前に出し、また一歩焔に近づく。
「主人に近づくな!」
 硝子越しにリアンが叫ぶが焔には届かない。だが白衣の男には聞こえているのか、彼の口角が少し上がった。

「確かにお前から漂うのは知ってる匂いだが、お前の事は一切知らん!」と、焔がはっきりと言い切る。

「えぇぇぇっ!」
 泣きそうな声の男が残念そうに項垂れ、歩みを止めた。
 そんな男の姿を改めてじっと焔が見詰めたが、彼が予想していた者と同じ点はせいぜい肌と髪の色くらいだ。遠目では虎の尻尾の様に見えていたものはよくよく観察してみると白い蛇だった。真っ白な肌は鱗の様になっていて光が反射して煌めき、耳の上からは龍の様に立派な角が左右の双方から生えている。手や足指の一本一本は鳥の足を連想させ、瞳は燃える様に赤くて見る者に朱雀を思い起こさせた。
 まるで四聖獣を模したキメラだな、というのが焔の受けた正直な感想だ。

 やはりお前だったか。

 と、主犯との対面時の言葉まで恥ずかしながら何となく考えていただけに、焔の中で『コイツは誰だ?』や『騙された』感がより強くなる。
「最近の詐欺は用意周到だというからな。名前や職業をあらかじめ調べてから電話をしてくるそうじゃないか。だが、匂いを真似てくるとは…… 小癪な」
「や、流石にそんな騙し方をする奴らは、どんなに探してもいないと思うけどなぁ…… 」
 舌打ちをしつつ真面目な顔でアホな事を言った焔に対して、キメラの様な男は生暖かい視線を向けた。

「…… 私は君の、義父おとうさんだよ?」
「俺に父なんぞいない!」

 硝子越しに二人の様子をただ見ているしか出来ないでいるリアンの中で苛立ちが募る。
 邪魔な壁のせいで焔の側に居られないだけでも腹が立つのに、何やら今度は主犯と焔がわちゃわちゃと言い合い始めたではないか。焔は壁に対して背を向けてしまったので表情は見えないが、キメラの様な男の表情だけで勝手に楽しそうだなと判断した。

 もう手段は選ばず、とにかくコイツをぶっ殺す!

 そう決意したリアンが最終手段に打って出る事にした。やり過ぎたせいで魔力の残量は確かに少ないが、確か荷物の中には回復薬があったはずだ。魔力系の物まで潤沢にあったかは確認していないが、もうそんな事はどうでもいい。今は目の前の茶番劇を止めさせる事しか考えられない。
 持てる限りの魔力を全身から総動員し、リアンは彼の固有スキルである“企画者権限”を発動させ始めた。どうやら彼は強固な壁の構造を根底から作り替えるつもりなのだ。
 獣の様に鋭い八重歯を剥き出しにし、歯と歯の擦りあう音がギリギリと室内に響く。焔に言われて短く切った黒髪が自然と伸びてゴーゴンの如くうねりだし、着ている服の色まで彼の心境に引っ張られて侵食していくかの様に漆黒にじわりと染まり始めた。
「…… リ、リアンさ、ん?」
 今まで一度も見た事の無かった姿を前にして、五朗がジリジリと後ずさって行く。ソフィアも驚きで言葉が発せず、ただ呆然としていた。
 鉤爪かの如く爪が長く伸び、手の平の中に光が集まる。あと少し、あと少し——

「おっと。焔が絡むとひどく交戦的になる所は全く変わっていないね。だけど、ソレはいただけないな」

 リアンが今にも硝子の構造を作り替え、更には破壊までしようとしたその瞬間、キメラの様な男はパチンッと高らかに指を打ち鳴らした。五朗達の居る部屋と焔の居る空間の両方でその音が響き、ガクンッとリアンが急に膝から崩れ落ちる。

「へ?——リ、リアンさん!」
『リアン様⁉︎』

 慌てて駆け寄り、五朗がリアンの体を受け止める。「でかっ!重っ!」と叫びながらも何とか体を支えて、ゆっくりと彼の体を畳の上で横に寝かせた。
『…… 気を失ってますね』
「コレって間違いなく…… 」と言って五朗が恐る恐る後ろを振り返ると、嘲るでもなく嘲弄するでもない様子の男と目が合い、体がブルッと震えた。

 こんな相手じゃ勝てるはずがない。

 戦力を二分され、しかも火力の高いリアンですら触れずとも戦闘不能に出来てしまう様な相手を前にして、そうとしか考えられない。神殿内という神聖な場所で神かの様に絶対的な存在が側に居るせいで、蛇に睨まれた蛙の気分を五朗は全身で体感した。

「リアン!」

 壁の側まで走って戻り、焔が何度も壁をガンガンと叩く。力任せに破壊しようとした時以上に加減が出来ず、次第に彼の骨からピシリと異音が鳴り出し始めた。真っ赤に腫れた肌からは血も滲み、腕に沿ってポタポタと伝い落ちる。
「駄目だよ、このままでは君の骨が砕けてしまう」
 男は音も無く焔の背後に立つと、彼の小さな拳にそっと手を重ね、耳元に近づき、囁く様な声で優しく宥めた。
「心配無いよ、あの子を私が傷付ける事などありえない。ただ今は冷静に行動出来る状態では無かったからね、ちょっと大人しくさせただけだから、用が済めばちゃんと起こすよ」
「…… 用?」と呟き、焔が振り返る。
 異質な姿に惑わされず、声だけを聴いたおかげか少し冷静さが戻った様だ。

「そう。焔はね、私との。だからまずはちょっと座って話そうか」

 ニコッと微笑んだその顔を見て、焔がポカンとした顔になる。匂いや声に続き、『賭け』という言葉を聞き、やっと目の前に居る男が自分の知る者と同一人物である可能性を抱き始める。

「お前はまさか、オウガノミコト…… なのか?」

「やっとわかったのかい?おっそいなぁ、もう」
 ぷくっと頰を膨らませ、オウガノミコトがツンツンと焔の頬をつっついた。
「わ、わかるかぁぁぁぁぁ!」
 巫山戯る彼の手を咄嗟に振り払い、大声で叫んだ声は分厚い硝子の壁をも超え、五朗とソフィアの耳にまで届いたのだった。
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