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第四章
【第九話】転職のススメ
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焔がソフィアの考えを図りかねていた頃。
外ではリアンが黒毛の馬に水をやり、餌箱を造ってやったり、馬小屋の用意をするといった類の雑用を真っ暗な夜空の下で済ませていた。焔からは指示されていない作業ばかりだが、生き物が相手だ、こういった事は早い方がいいだろう。
(…… 広い森の中で、生活感のあるこの拠点はかなり目立ちそうだな)
白い息を吐き出しながら、星で満たされた夜空を見上げてリアンが思う。
偶然に近い必然により焔の手で召喚されてしまった彼は、現在魔族達の捜索対象者となっている。誘拐されたであろう魔王を救おうと、魔物や獣人などといった魔族達は一丸となって誘拐犯である召喚士を探しているはずだ。意図せずいつの間にか重罪人になってしまった焔達を守る為、拠点の周囲に強固な結界を張り巡らせて、その存在をリアンが勝手に消していく。
有能な部下を多く持っている為、辺境とも言えるこの地であろうがもうそろそろ油断は出来ない。名付けられた事で生物の増えてきたノトスの森でも、魔族達の姿をちらほら見掛ける様になってきた。『城からは遠い此処ならば見つかるまい』と、いつまでも楽観視する程リアンは馬鹿では無いので、拠点の付近にまで魔族が出没し始める前に手を打ったのだ。幸か不幸かどちらも気が付いてはいなかったが、カバール村で一夜を過ごした晩に竜人族のケイトとニアミスしていたので、冷静な判断だと言えよう。
主人である焔と、魔導書の役目も果たしているソフィアがいないまま魔法を使えば、召喚魔となっている現状では魔力の消費量はかなり多い。毎夜以上の頻度で補充させてもらえてはいるが、自主的に捜索隊の隊長となりそうな竜人族のケイトを騙せるレベルのものとなるとかなり強固な術が必要となった。
「…… 今夜も魔力を補充させてもらわねばな」
半分程の魔力が消えたような感覚のある手をじっと見て、リアンが「ふふっ」と嬉しそうに笑みをこぼす。人型の召喚魔と召喚士の関係性をこの様なモノに企画していた過去の自分を褒めちぎってやりたい心境だ。
ソフィアと五朗が戻って来ているので、今夜は声を我慢してもらわねば。甘い声を彼等に聴かせぬ様に防音の魔法でも部屋にかけようか?いや…… それではスリルが足りないから、口枷などでもいいかもしれないな——などと、欲に塗れた事を思うと、より一層笑いが止まらなくなった。
「随分と楽しそうだな、リアン」
「——主人!」
不意に声を掛けられ、リアンが慌てて振り返った。
寝衣に着替え、その上に薄手のショールを纏っている焔がゆっくりとした足取りでリアンの元にやって来る。足は会った時の様に裸足で、靴を履いていない。そんな格好では寒くはないのかとリアンは少し心配になった。
様子を見に来たのが焔だけである事を確認し、「焔様…… そのような格好では風邪をひいてしまいますよ?」と気遣う声で言う。何もなかった空間から手品の様に厚手のショールを一枚引っ張り出すと、それを薄手の物の上に重ねて掛けた。
「あぁ、すまんな。まぁ…… 確かに夜は少し冷えるな。でも平気だ。この格好で雪山登山だって出来るぞ」
「じゃあ、看病イベントは発生しそうにありませんね」
焔なりの冗句だろうと受け止め、リアンが「ははっ」と短く笑う。
「それが…… 一概にそうとも言えん」
「…… やっぱり寒い、とか?」
何故そんな言葉が出たのかわからず、リアンが首を傾げた。
「なぁ…… 拠点から、変な臭いがするとは思わんか?」
目隠しですら隠し切れぬ程の渋い顔でそう言われ、リアンが視線を拠点の方へやり、慌てて匂いを嗅いだ。
今までは馬の匂いに気を取られていて気が付かなかったが、言われてみれば…… 確かに、変な臭いがする。
悪臭とまでは言わないが、気分のいいモノでは無い。何とも言葉に例え難く、自然と眉間にシワが寄る。ちょっと焦げた臭いが混じっていたので、調理に失敗でもしたのだろうか。
だが——
「五朗の晩御飯は、ソフィアさんが用意していましたよね」
「あぁ」
「…… でもソフィアさんは、普通に食事を作れますよね?」
「お前程ではないが、ちゃんと美味いな」
「じゃあ——」と言うリアンの声に、「五朗がやった」と焔が言葉を被せた。
「急いで室内へ戻りましょう!火事にでもなったら面倒です。換気と、それに掃除もしないと!」
足早に拠点へ戻ろうとするリアンの後ろを、焔が続く。
「あ、や。その辺はもうソフィアがやっているし、不思議とお前の造った台所は綺麗に使ってくれているんだ。『こんなキッチンと料理が出来るなんて』などと意味不明の供述をしながら丁寧に扱っていたぞ」
それは対物性愛者だからか?とリアンが思う。
それにしても、なんともまぁ気味の悪い発言だ。
「それなのに、この臭いですか?…… 一体何で」
「わからん。風呂からあがって、ソフィアの用意した、レシピ通りの飯を食って、『お礼に自分も何か作る』と普通に台所へ立っていたんだが…… 出てきた物は全て形容し難い物ばかりでな。何というか…… 敢えて無理矢理何かに例えるなら、外国の軍隊で出てくるレーション…… だな」
「焔様は本物の鬼なのに、変な知識はあるのですね」
「アレの場合は印象が凄かったからな。画像でしか存在を知らぬが、餓死する寸前でなければ口にするのは不可能だ。料理は見た目も大事だが…… そもそもアレは、食い物に分類してもいい物なのか?」
「今はそれを論議している場合ではありません。今度ゆっくり語らいましょう!」
「まぁ、そうだな」
扉を開け、室内に一歩踏み込んだだけで、なんとも微妙に不快な臭いに負けてリアンが鼻に腕を当てる。焔は羽織っていたショールで顔の下半分を隠し、頑張って中へと進んで行くリアンに続いた。
「窓は…… 全開でもコレですか」
全ての窓が開いている事を確認し、リアンは驚きを隠せない。話す声は腕が邪魔でくぐもっていた。
「お疲れ様っす!…… って、どうしたんですか?二人とも、戻るなりそんなポーズしちゃって。何か新しい戦闘態勢とか、新種のダンスとかっすか?」
テーブルの上に料理?を並べながら、五朗が不思議そうな声で訊く。
確かに焔の言う通り、皿に盛られたそれらはどれもこれも不可思議な物体で、千言万語を費やしても表現するのは無理そうな見た目をしている。色合いも食べ物の範囲から逸脱しており、材料が何だったかの想像すら出来ない。
「コレは一体…… 」
「晩飯のお礼に、お菓子を作ってみたんっすよ。自分の兄さん達がやってたのの見様見真似ですけど、初めてにしては案外上手く出来たんじゃないかと」
リアンにされた質問に五朗が笑顔で答えたが、『コレを前にして上手く出来たとは、一体お前の兄達も何を作ったというんだ』としか二人は思えない。
椅子の上ではソフィアが寝そべっていて、魂が抜けたみたいに微動だにしていない。不穏な臭いに気が付き、咄嗟に念動力で全ての窓を開けた辺りで力尽きたのだろう。リアンに助けを求める時、一緒に連れ出してやれば良かったと焔は今更後悔した。
「ケーキとゼリーとプリン。あとはクッキーなんかも作ったんっすよ」
「待て。それらはどれも、こんな短時間では出来そうにないラインナップですよ?」
リアンが外に居たのはせいぜい四十分程度の話だ。
五朗が風呂に入り、食事をし、その後に作った事を考えると、それらを作る時間なんかどう頑張って多く見積もっても、せいぜい十分程度しかなかったはず。そんな短時間で手作り出来るお菓子なんて、素人ではせいぜいホットケーキくらいなものだろう。
「そうなんっすか?」
本気でわかっていない顔で、五朗がきょとんとしている。
『普段から何を食べているんだコイツは!まずはこの見た目で、コレは料理じゃないとわかるだろ!』と大声で叫びたいが、リアンはそれ以上に顔を隠す腕を除けたくなくて、文句を全て腹の中に飲み込んだ。
「材料は保管庫や冷蔵庫の物を使ったんですか?」
「もちろんっす。自分、食材とか全然持ってませんしね」
「…… ある意味才能だぞ、コレは。食える物を使って、食えそうに無い物しか作れていないんだからな」
焔のその言葉を聞いて、リアンがハッとした顔になる。
山賊なんぞ、正直パーティー内に居ても無駄な存在だ。戦闘に使える優位な固有スキルは無いし、自動発動するスキルは微々たる効果なのでたいして使い物にならない。店での買い物価格は倍に跳ね上げるし、買取価格は半額になるしで、良い事なんかハッキリ言ってほぼ皆無だ。
でも元の世界での経験が縛りとなり、魔導士や剣士の様なまともな職には転職出来ない。だけど一つだけ、そんな縛りのある五朗にでも転職出来そうな職業をリアンは一つだけ思い出した。
「五朗に大事な話があります。——でもまずは、コレを捨てましょう」
「…… へ?何で?」
お礼のつもりで作った料理は全て残飯扱いされ、庭に深い深い穴を掘って埋めてくる事になったのだった。
◇
リアンによる風系の魔法での強制換気が済み、拠点内がやっと元通りになった。
悪気は微塵も無かったとはいえ、五朗には「もう料理はするな」とのお達しが焔から下った。あれはもう、投げれば武器にすらなりそうなレベルのもので、とてもじゃないが口に入れるなど到底無理な話だ。出来れば見るのすらも勘弁したい。
「さてと…… 。ソフィアさん、ハーブティーを淹れて下さってありがとうございます」
『いえいえ』
ソフィアはテーブルの側でふわりと浮かび、三人は椅子に腰掛けている。
温かな茶を前にしたおかげで気持ちが段々と落ち着いていき、カップから立ち登る香りで心が癒される。香りとは本来こうあるべきだと、お手本にしたいくらいだ。
「さっきのアレは、ちゃんと深く埋めて来ましたか?」
「うい。裏手の少し離れた場所にちゃんと深く埋めて来たっす。でも何でですか?ちょっと匂いはアレでしたし、見た目もまぁ少しは崩れていましたけど、初心者なんてあんなもんでしょ」
ちょっと?
少し崩れた?
いや、アレはそんなレベルで済む代物では無かったが、五朗にはその程度の範囲の物だったらしい。きっと許容出来る範囲が他人とは違い過ぎるタイプなのだろう。『ところで五朗はアレらの味見をしたんだろうか?生きているからしていないと思うべきか?』とリアンは少し気になったが、『んな事は、別にどうでもいいか』と、考えを即切り替える。
「さて、夜も遅いですし、早速本題に入りましょう」
「そうだな」
「ういっす」
焔達二人が同意して、五朗はしっかりと背筋を正した。
「…… 三人とも、魔毒士という職業を知っていますか?」
「いや。全く知らん」
焔は不思議そうな顔をし、五朗は「自分もっす」と言って首を横に振った。
『ワタクシは少しだけ。転職する事でしかなれない上級の職業ですよね。最低限必要な能力値の条件も厳しく、確か下級の職業がかなりの高レベルでなければならず、転職の為のクエストを受けないといけないはずです』
「流石ですね、その通りです」
優等生な回答を前にした教師の様な笑顔をリアンが浮かべた。
「本人が元来持ち合わせている才能も必要なので、転職可能な人は稀な職業です。主人の召喚士並に転職対象としては難易度の高いものと言えるでしょう」
「…… 召喚士も、なろうとするには難しい職業だったのか。驚きだな」
他にたいして魅力的な職業が無かったからという消去法で選んだ職だったので、条件の厳しさなんか気にも留めていなかった為、『そうだったのか』と言いたげにぽかんと焔が口を開けている。
『主人は転職するおつもりはないのですか?召喚士のレベルはもうMaxで、99になっていますけれども』
「無い。他の職業へ転職したら、リアンが消えてしまうだろう?それは嫌だ」
テーブルに頬杖をついたまま、焔がリアンの胸を鷲掴む。当然の様にリアンは喜びに顔を綻ばせ、そっと俯きながら両手で真っ赤な顔を覆った。
(消えて欲しくないとか…… つまりずっと俺と、永遠、永劫の刻を一緒に居たいと言うも同義じゃないか!)
歓喜で体を震わせるリアンに向かい、五朗が「んで、その魔毒士がどうしたんすか?」と問い掛ける。幸せに浸っていたいタイミングなのに空気も読まずそう訊かれた事で、リアンの中で五朗への好感度が見事に下がった。
だが今は時間が惜しい。このままでは話が先に進まないのも事実なので、リアンが一度咳払いをして気持ちを元に戻す。
「山賊がパーティーメンバーに居続けるのは、今後の事を考えると非常に厄介です。メリットはほぼ皆無で、ほとんど戦力にもなりませんし、ハッキリ言って私達のお荷物にしかなりません。——ですが、先程のお手並みで毒作成のスキルがある事は実証済みですので、五朗は早々に魔毒士への転職を試みてはいかがかと」
「…… 毒なんか作ってないっすけど」
『確かに…… アレは凄い腕前です。ワタクシは永い刻を生きてきましたが、初めて気絶というものを経験しました』
「かなり強烈だったな。不快ではあるが異臭でもない微妙なラインで、でも嗅いではいたくない不思議な代物だった。見た目は…… 完全に汚物だったのが残念でならん」
「みんなして酷い!言い過ぎっすよ」
悲しそうな顔をしながら五朗がそう叫んだが、誰も同情はしていない。全て事実だからだ。
「きっと元の世界でもなかなかな腕前であり、この世界のシステムで余計にその部分が誇張されているのでしょうね」
「料理下手か…… 。生涯関わりたくない生き物だ」
どうしてそれを拾ってしまったのか。流れで仕方なくだったとはいえ、美味しいモノが好きな焔が後悔する。でも今更見捨てるワケにもいかず、また一つ、早く元の世界へ戻りたい理由が増えた。
「どうでしょうか。これ以上レベルの上限を向かえた“山賊”を続けるメリットは微塵もありませんし、ここは一つ、さっさと“魔毒士”へ転職なさっては?」
「嫌っす!」
即答だった。
「——は?」と言ったリアンの声は少し怒り気味だ。断る理由がわからない。
「いーやーでーすぅ!断ります!お礼にと作った料理を毒物扱いされて嬉しいワケが無いっすよね⁉︎山賊に未練なんかこれっぽっちも無いっすけど、そんな理由で転職して、またレベル1からリスタートなんかしてたまるかって感じっすよ!」
ふんっと拗ねながら五朗が二人と一冊から顔を逸らす。意地になっている自覚はあったが、真面目に作った料理を批判された事が気に入らない。
そういえば、学校の調理実習の時もそうだった。一回目の時点でグループの皆から微妙な反応をされ、『片橋君には食器洗いだけを頼みたいな!』と懇願された事を思い出す。
実家でもそうだ。色々忙しくって五朗以外に手が空いていなかったはずの時ですらも、『兄ちゃん達が作るからお前は片付けだけを頼む』と言われてしまっていたのだ。
『——そう、なんですか?そうですか、そうですか。それは非常に残念です。…… 五朗さんには、山賊などのような下級職なんかよりも、断然魔毒士の様な上級職の方がお似合いでしたのに。魔法で毒を操り、敵を翻弄するお姿を見られるのかと思うと、とても楽しみでしたので、正直がっかりです。ですが仕方がないですよね、転職は他者に強制されてするものではありませんから。…… でも、本当に残念でなりません』
大袈裟過ぎる程の大きなため息を吐きつつ、ソフィアが項垂れるみたいな角度になる。
すると、そんな彼の姿を見た途端、五朗の態度が一変した。
「なるっす!一刻も早く転職しましょう!」
バンッとテーブルを叩きつつ、椅子から立ち上がって五朗が高らかに宣言した。ちょっと興奮気味で、ソフィアにいい格好したくてたまらないという顔だ。
コレでよろしかったですか?
えぇ、ありがとうございます
——と、視線っぽいモノだけでソフィアとリアンが会話する。
空気を読むのが得意なソフィアが、パーテーの為に、五朗から好かれている事実をフル活用した。別に本心としては全く楽しみではないのだが、胡散臭い演技をしててでも転職してもらうメリットの方が大きい事は誰の目から見ても明らかだ。
「じゃあ決まりだな」
ヨシッと頷き、焔が椅子から立ち上がる。隣に座っていたリアンも同時に席を立ち、焔の肩にそっと両の手を置いた。
「決断してもらえて良かったです。では明日は朝一番で冒険者ギルドへ行って、クエストを受けましょうか」
『そうですね。今夜はもう遅いですし、今からまた村へ戻るのも体力的に無理でしょうから』
「そっすね…… 。今からまたあの道程をUターンするとか、死ねと言われてるも同然なんで」
テーブルに突っ伏し、五朗が安堵した顔になった。
「じゃあ、部屋にはソフィアが案内してくれ。俺はもう寝る」
『かしこまりました、主人。では、お休みなさいませ』
「あぁ、おやすみ」と言いながら焔がリアンと共に二階へと上がって行く。寄り添う姿があまりに自然で、まるで恋人同士の様だ。
「…… 仲、いいっすよねぇ、あのお二人は」
突っ伏したまま、二階へ行く二人の姿をじっと観察していた五朗がぽつりとこぼした。
『えぇ、そうですね。でも召喚士と召喚魔なのですから当然ではないかと』
ソフィアは、もしかしたら既に二人は恋愛関係なのではないだろうかと思いつつも、一応ぼかして答える。本人達からそう宣言されてもいないのに、そうだと決め付ける真似はしたくない。
「…… リアンさんに、騙されてる訳じゃないといいんっすけどねぇ」
(主人さんは、なーんか純朴そうだからなぁ)
と、思いながら呟いた言葉はあまりに小さく、『さて、貴方もとっとと休んで下さい。明日は忙しいですよ!』と言ったソフィアの声で掻き消されてしまったのだった。
外ではリアンが黒毛の馬に水をやり、餌箱を造ってやったり、馬小屋の用意をするといった類の雑用を真っ暗な夜空の下で済ませていた。焔からは指示されていない作業ばかりだが、生き物が相手だ、こういった事は早い方がいいだろう。
(…… 広い森の中で、生活感のあるこの拠点はかなり目立ちそうだな)
白い息を吐き出しながら、星で満たされた夜空を見上げてリアンが思う。
偶然に近い必然により焔の手で召喚されてしまった彼は、現在魔族達の捜索対象者となっている。誘拐されたであろう魔王を救おうと、魔物や獣人などといった魔族達は一丸となって誘拐犯である召喚士を探しているはずだ。意図せずいつの間にか重罪人になってしまった焔達を守る為、拠点の周囲に強固な結界を張り巡らせて、その存在をリアンが勝手に消していく。
有能な部下を多く持っている為、辺境とも言えるこの地であろうがもうそろそろ油断は出来ない。名付けられた事で生物の増えてきたノトスの森でも、魔族達の姿をちらほら見掛ける様になってきた。『城からは遠い此処ならば見つかるまい』と、いつまでも楽観視する程リアンは馬鹿では無いので、拠点の付近にまで魔族が出没し始める前に手を打ったのだ。幸か不幸かどちらも気が付いてはいなかったが、カバール村で一夜を過ごした晩に竜人族のケイトとニアミスしていたので、冷静な判断だと言えよう。
主人である焔と、魔導書の役目も果たしているソフィアがいないまま魔法を使えば、召喚魔となっている現状では魔力の消費量はかなり多い。毎夜以上の頻度で補充させてもらえてはいるが、自主的に捜索隊の隊長となりそうな竜人族のケイトを騙せるレベルのものとなるとかなり強固な術が必要となった。
「…… 今夜も魔力を補充させてもらわねばな」
半分程の魔力が消えたような感覚のある手をじっと見て、リアンが「ふふっ」と嬉しそうに笑みをこぼす。人型の召喚魔と召喚士の関係性をこの様なモノに企画していた過去の自分を褒めちぎってやりたい心境だ。
ソフィアと五朗が戻って来ているので、今夜は声を我慢してもらわねば。甘い声を彼等に聴かせぬ様に防音の魔法でも部屋にかけようか?いや…… それではスリルが足りないから、口枷などでもいいかもしれないな——などと、欲に塗れた事を思うと、より一層笑いが止まらなくなった。
「随分と楽しそうだな、リアン」
「——主人!」
不意に声を掛けられ、リアンが慌てて振り返った。
寝衣に着替え、その上に薄手のショールを纏っている焔がゆっくりとした足取りでリアンの元にやって来る。足は会った時の様に裸足で、靴を履いていない。そんな格好では寒くはないのかとリアンは少し心配になった。
様子を見に来たのが焔だけである事を確認し、「焔様…… そのような格好では風邪をひいてしまいますよ?」と気遣う声で言う。何もなかった空間から手品の様に厚手のショールを一枚引っ張り出すと、それを薄手の物の上に重ねて掛けた。
「あぁ、すまんな。まぁ…… 確かに夜は少し冷えるな。でも平気だ。この格好で雪山登山だって出来るぞ」
「じゃあ、看病イベントは発生しそうにありませんね」
焔なりの冗句だろうと受け止め、リアンが「ははっ」と短く笑う。
「それが…… 一概にそうとも言えん」
「…… やっぱり寒い、とか?」
何故そんな言葉が出たのかわからず、リアンが首を傾げた。
「なぁ…… 拠点から、変な臭いがするとは思わんか?」
目隠しですら隠し切れぬ程の渋い顔でそう言われ、リアンが視線を拠点の方へやり、慌てて匂いを嗅いだ。
今までは馬の匂いに気を取られていて気が付かなかったが、言われてみれば…… 確かに、変な臭いがする。
悪臭とまでは言わないが、気分のいいモノでは無い。何とも言葉に例え難く、自然と眉間にシワが寄る。ちょっと焦げた臭いが混じっていたので、調理に失敗でもしたのだろうか。
だが——
「五朗の晩御飯は、ソフィアさんが用意していましたよね」
「あぁ」
「…… でもソフィアさんは、普通に食事を作れますよね?」
「お前程ではないが、ちゃんと美味いな」
「じゃあ——」と言うリアンの声に、「五朗がやった」と焔が言葉を被せた。
「急いで室内へ戻りましょう!火事にでもなったら面倒です。換気と、それに掃除もしないと!」
足早に拠点へ戻ろうとするリアンの後ろを、焔が続く。
「あ、や。その辺はもうソフィアがやっているし、不思議とお前の造った台所は綺麗に使ってくれているんだ。『こんなキッチンと料理が出来るなんて』などと意味不明の供述をしながら丁寧に扱っていたぞ」
それは対物性愛者だからか?とリアンが思う。
それにしても、なんともまぁ気味の悪い発言だ。
「それなのに、この臭いですか?…… 一体何で」
「わからん。風呂からあがって、ソフィアの用意した、レシピ通りの飯を食って、『お礼に自分も何か作る』と普通に台所へ立っていたんだが…… 出てきた物は全て形容し難い物ばかりでな。何というか…… 敢えて無理矢理何かに例えるなら、外国の軍隊で出てくるレーション…… だな」
「焔様は本物の鬼なのに、変な知識はあるのですね」
「アレの場合は印象が凄かったからな。画像でしか存在を知らぬが、餓死する寸前でなければ口にするのは不可能だ。料理は見た目も大事だが…… そもそもアレは、食い物に分類してもいい物なのか?」
「今はそれを論議している場合ではありません。今度ゆっくり語らいましょう!」
「まぁ、そうだな」
扉を開け、室内に一歩踏み込んだだけで、なんとも微妙に不快な臭いに負けてリアンが鼻に腕を当てる。焔は羽織っていたショールで顔の下半分を隠し、頑張って中へと進んで行くリアンに続いた。
「窓は…… 全開でもコレですか」
全ての窓が開いている事を確認し、リアンは驚きを隠せない。話す声は腕が邪魔でくぐもっていた。
「お疲れ様っす!…… って、どうしたんですか?二人とも、戻るなりそんなポーズしちゃって。何か新しい戦闘態勢とか、新種のダンスとかっすか?」
テーブルの上に料理?を並べながら、五朗が不思議そうな声で訊く。
確かに焔の言う通り、皿に盛られたそれらはどれもこれも不可思議な物体で、千言万語を費やしても表現するのは無理そうな見た目をしている。色合いも食べ物の範囲から逸脱しており、材料が何だったかの想像すら出来ない。
「コレは一体…… 」
「晩飯のお礼に、お菓子を作ってみたんっすよ。自分の兄さん達がやってたのの見様見真似ですけど、初めてにしては案外上手く出来たんじゃないかと」
リアンにされた質問に五朗が笑顔で答えたが、『コレを前にして上手く出来たとは、一体お前の兄達も何を作ったというんだ』としか二人は思えない。
椅子の上ではソフィアが寝そべっていて、魂が抜けたみたいに微動だにしていない。不穏な臭いに気が付き、咄嗟に念動力で全ての窓を開けた辺りで力尽きたのだろう。リアンに助けを求める時、一緒に連れ出してやれば良かったと焔は今更後悔した。
「ケーキとゼリーとプリン。あとはクッキーなんかも作ったんっすよ」
「待て。それらはどれも、こんな短時間では出来そうにないラインナップですよ?」
リアンが外に居たのはせいぜい四十分程度の話だ。
五朗が風呂に入り、食事をし、その後に作った事を考えると、それらを作る時間なんかどう頑張って多く見積もっても、せいぜい十分程度しかなかったはず。そんな短時間で手作り出来るお菓子なんて、素人ではせいぜいホットケーキくらいなものだろう。
「そうなんっすか?」
本気でわかっていない顔で、五朗がきょとんとしている。
『普段から何を食べているんだコイツは!まずはこの見た目で、コレは料理じゃないとわかるだろ!』と大声で叫びたいが、リアンはそれ以上に顔を隠す腕を除けたくなくて、文句を全て腹の中に飲み込んだ。
「材料は保管庫や冷蔵庫の物を使ったんですか?」
「もちろんっす。自分、食材とか全然持ってませんしね」
「…… ある意味才能だぞ、コレは。食える物を使って、食えそうに無い物しか作れていないんだからな」
焔のその言葉を聞いて、リアンがハッとした顔になる。
山賊なんぞ、正直パーティー内に居ても無駄な存在だ。戦闘に使える優位な固有スキルは無いし、自動発動するスキルは微々たる効果なのでたいして使い物にならない。店での買い物価格は倍に跳ね上げるし、買取価格は半額になるしで、良い事なんかハッキリ言ってほぼ皆無だ。
でも元の世界での経験が縛りとなり、魔導士や剣士の様なまともな職には転職出来ない。だけど一つだけ、そんな縛りのある五朗にでも転職出来そうな職業をリアンは一つだけ思い出した。
「五朗に大事な話があります。——でもまずは、コレを捨てましょう」
「…… へ?何で?」
お礼のつもりで作った料理は全て残飯扱いされ、庭に深い深い穴を掘って埋めてくる事になったのだった。
◇
リアンによる風系の魔法での強制換気が済み、拠点内がやっと元通りになった。
悪気は微塵も無かったとはいえ、五朗には「もう料理はするな」とのお達しが焔から下った。あれはもう、投げれば武器にすらなりそうなレベルのもので、とてもじゃないが口に入れるなど到底無理な話だ。出来れば見るのすらも勘弁したい。
「さてと…… 。ソフィアさん、ハーブティーを淹れて下さってありがとうございます」
『いえいえ』
ソフィアはテーブルの側でふわりと浮かび、三人は椅子に腰掛けている。
温かな茶を前にしたおかげで気持ちが段々と落ち着いていき、カップから立ち登る香りで心が癒される。香りとは本来こうあるべきだと、お手本にしたいくらいだ。
「さっきのアレは、ちゃんと深く埋めて来ましたか?」
「うい。裏手の少し離れた場所にちゃんと深く埋めて来たっす。でも何でですか?ちょっと匂いはアレでしたし、見た目もまぁ少しは崩れていましたけど、初心者なんてあんなもんでしょ」
ちょっと?
少し崩れた?
いや、アレはそんなレベルで済む代物では無かったが、五朗にはその程度の範囲の物だったらしい。きっと許容出来る範囲が他人とは違い過ぎるタイプなのだろう。『ところで五朗はアレらの味見をしたんだろうか?生きているからしていないと思うべきか?』とリアンは少し気になったが、『んな事は、別にどうでもいいか』と、考えを即切り替える。
「さて、夜も遅いですし、早速本題に入りましょう」
「そうだな」
「ういっす」
焔達二人が同意して、五朗はしっかりと背筋を正した。
「…… 三人とも、魔毒士という職業を知っていますか?」
「いや。全く知らん」
焔は不思議そうな顔をし、五朗は「自分もっす」と言って首を横に振った。
『ワタクシは少しだけ。転職する事でしかなれない上級の職業ですよね。最低限必要な能力値の条件も厳しく、確か下級の職業がかなりの高レベルでなければならず、転職の為のクエストを受けないといけないはずです』
「流石ですね、その通りです」
優等生な回答を前にした教師の様な笑顔をリアンが浮かべた。
「本人が元来持ち合わせている才能も必要なので、転職可能な人は稀な職業です。主人の召喚士並に転職対象としては難易度の高いものと言えるでしょう」
「…… 召喚士も、なろうとするには難しい職業だったのか。驚きだな」
他にたいして魅力的な職業が無かったからという消去法で選んだ職だったので、条件の厳しさなんか気にも留めていなかった為、『そうだったのか』と言いたげにぽかんと焔が口を開けている。
『主人は転職するおつもりはないのですか?召喚士のレベルはもうMaxで、99になっていますけれども』
「無い。他の職業へ転職したら、リアンが消えてしまうだろう?それは嫌だ」
テーブルに頬杖をついたまま、焔がリアンの胸を鷲掴む。当然の様にリアンは喜びに顔を綻ばせ、そっと俯きながら両手で真っ赤な顔を覆った。
(消えて欲しくないとか…… つまりずっと俺と、永遠、永劫の刻を一緒に居たいと言うも同義じゃないか!)
歓喜で体を震わせるリアンに向かい、五朗が「んで、その魔毒士がどうしたんすか?」と問い掛ける。幸せに浸っていたいタイミングなのに空気も読まずそう訊かれた事で、リアンの中で五朗への好感度が見事に下がった。
だが今は時間が惜しい。このままでは話が先に進まないのも事実なので、リアンが一度咳払いをして気持ちを元に戻す。
「山賊がパーティーメンバーに居続けるのは、今後の事を考えると非常に厄介です。メリットはほぼ皆無で、ほとんど戦力にもなりませんし、ハッキリ言って私達のお荷物にしかなりません。——ですが、先程のお手並みで毒作成のスキルがある事は実証済みですので、五朗は早々に魔毒士への転職を試みてはいかがかと」
「…… 毒なんか作ってないっすけど」
『確かに…… アレは凄い腕前です。ワタクシは永い刻を生きてきましたが、初めて気絶というものを経験しました』
「かなり強烈だったな。不快ではあるが異臭でもない微妙なラインで、でも嗅いではいたくない不思議な代物だった。見た目は…… 完全に汚物だったのが残念でならん」
「みんなして酷い!言い過ぎっすよ」
悲しそうな顔をしながら五朗がそう叫んだが、誰も同情はしていない。全て事実だからだ。
「きっと元の世界でもなかなかな腕前であり、この世界のシステムで余計にその部分が誇張されているのでしょうね」
「料理下手か…… 。生涯関わりたくない生き物だ」
どうしてそれを拾ってしまったのか。流れで仕方なくだったとはいえ、美味しいモノが好きな焔が後悔する。でも今更見捨てるワケにもいかず、また一つ、早く元の世界へ戻りたい理由が増えた。
「どうでしょうか。これ以上レベルの上限を向かえた“山賊”を続けるメリットは微塵もありませんし、ここは一つ、さっさと“魔毒士”へ転職なさっては?」
「嫌っす!」
即答だった。
「——は?」と言ったリアンの声は少し怒り気味だ。断る理由がわからない。
「いーやーでーすぅ!断ります!お礼にと作った料理を毒物扱いされて嬉しいワケが無いっすよね⁉︎山賊に未練なんかこれっぽっちも無いっすけど、そんな理由で転職して、またレベル1からリスタートなんかしてたまるかって感じっすよ!」
ふんっと拗ねながら五朗が二人と一冊から顔を逸らす。意地になっている自覚はあったが、真面目に作った料理を批判された事が気に入らない。
そういえば、学校の調理実習の時もそうだった。一回目の時点でグループの皆から微妙な反応をされ、『片橋君には食器洗いだけを頼みたいな!』と懇願された事を思い出す。
実家でもそうだ。色々忙しくって五朗以外に手が空いていなかったはずの時ですらも、『兄ちゃん達が作るからお前は片付けだけを頼む』と言われてしまっていたのだ。
『——そう、なんですか?そうですか、そうですか。それは非常に残念です。…… 五朗さんには、山賊などのような下級職なんかよりも、断然魔毒士の様な上級職の方がお似合いでしたのに。魔法で毒を操り、敵を翻弄するお姿を見られるのかと思うと、とても楽しみでしたので、正直がっかりです。ですが仕方がないですよね、転職は他者に強制されてするものではありませんから。…… でも、本当に残念でなりません』
大袈裟過ぎる程の大きなため息を吐きつつ、ソフィアが項垂れるみたいな角度になる。
すると、そんな彼の姿を見た途端、五朗の態度が一変した。
「なるっす!一刻も早く転職しましょう!」
バンッとテーブルを叩きつつ、椅子から立ち上がって五朗が高らかに宣言した。ちょっと興奮気味で、ソフィアにいい格好したくてたまらないという顔だ。
コレでよろしかったですか?
えぇ、ありがとうございます
——と、視線っぽいモノだけでソフィアとリアンが会話する。
空気を読むのが得意なソフィアが、パーテーの為に、五朗から好かれている事実をフル活用した。別に本心としては全く楽しみではないのだが、胡散臭い演技をしててでも転職してもらうメリットの方が大きい事は誰の目から見ても明らかだ。
「じゃあ決まりだな」
ヨシッと頷き、焔が椅子から立ち上がる。隣に座っていたリアンも同時に席を立ち、焔の肩にそっと両の手を置いた。
「決断してもらえて良かったです。では明日は朝一番で冒険者ギルドへ行って、クエストを受けましょうか」
『そうですね。今夜はもう遅いですし、今からまた村へ戻るのも体力的に無理でしょうから』
「そっすね…… 。今からまたあの道程をUターンするとか、死ねと言われてるも同然なんで」
テーブルに突っ伏し、五朗が安堵した顔になった。
「じゃあ、部屋にはソフィアが案内してくれ。俺はもう寝る」
『かしこまりました、主人。では、お休みなさいませ』
「あぁ、おやすみ」と言いながら焔がリアンと共に二階へと上がって行く。寄り添う姿があまりに自然で、まるで恋人同士の様だ。
「…… 仲、いいっすよねぇ、あのお二人は」
突っ伏したまま、二階へ行く二人の姿をじっと観察していた五朗がぽつりとこぼした。
『えぇ、そうですね。でも召喚士と召喚魔なのですから当然ではないかと』
ソフィアは、もしかしたら既に二人は恋愛関係なのではないだろうかと思いつつも、一応ぼかして答える。本人達からそう宣言されてもいないのに、そうだと決め付ける真似はしたくない。
「…… リアンさんに、騙されてる訳じゃないといいんっすけどねぇ」
(主人さんは、なーんか純朴そうだからなぁ)
と、思いながら呟いた言葉はあまりに小さく、『さて、貴方もとっとと休んで下さい。明日は忙しいですよ!』と言ったソフィアの声で掻き消されてしまったのだった。
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