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第三章

【第十話】互いの考え

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 カバール村の宿屋は酒場と一体型の構造で、一階のホールには酒場が、端にある階段を二階に上がった先には宿の受付と客室があるという造りになっている。浴場は一階の奥にあるようで、焔達の拠点と同じく此処の風呂場も温泉掛け流しらしい。

 受付で部屋の鍵をもらう時、吹き抜けの上側から一階の酒場の方へ焔が視線をやった。
 大勢の人間達の大騒ぎする声が二階にまで響いてかなり煩い。各客室には防音の魔法がかかっているそうだが、そうでもなければ泊まるのを取り止めたいくらいの盛り上がりっぷりだ。特にイベントがあったという訳でもなく、宿屋の亭主が言うには毎晩こんな感じだそうな。
 浴びる様に酒を飲み、色めいた雰囲気になっている者達も多々見える。此処で意気投合した者同士がそのまま上の階に行く流れが、焔にですら安易に想像出来た。

「随分と爛れているな…… 」
 宿主から受け取った鍵をローブのポケットにしまい、手摺りに体を預けて焔が一階の酒場を見下ろす。そんな彼の隣にリアンも並ぶと、ピタッと腕をくっつけて、まるで恋人同士の様に寄り添った。
「まぁ致し方ないかと。十八禁の世界ですし、恋愛ゲームでもありますしね」
「恋愛とは言えんだろ、不特定多数とだなんて」
「あぁ見えて、実は一夜限りでは無いのかもしれませんよ?元々彼らはカップルという可能性も捨てきれませんし」
「…… あぁ、それもそうか。だが、なぁ…… 」

(本当にそれだけだろうか?)

 オウガノミコトが創生に関わっている世界の割には、そういう部分が緩そうなのは確実に企画者が悪いのだろうなと、本人が真隣に居るとも知らずに焔が思う。

 オウガノミコトのみで創った世界なら、絶対にこうはならなかったはずだ。彼奴は一途な男で、遥か昔に亡くなった伴侶を今でも愛し続けている。そんな者の側にずっと居たせいか、自分も不特定多数となど考えた事もなかった。

 のに、だ——

 いくら魔力提供の為とはいえ、何で自分はリアンに触れられる事を許しているのだろうか?オウガノミコトと離れ、とうとう鬼としての横行闊歩おうこうかっぽしたい性質が表に出てきたから、色々と緩くなっているのかもしれない。

(だけど俺は、にしかこの身は——)

「…… ——焔様?」
「ん?あ、すまん…… 少しぼぉっとしていたみたいだ」
 目蓋の奥でよぎった、狐耳のある血塗れの青年の影を焔が頭を軽く横に振り、幻影の様な記憶を追い払った。この世界へ来てから随分と記憶が刺激され、何度も何度も古い情景が焔を襲うが、その理由が思い当たらない。

異世界此処に来てから度々あるコレは、何なんだ…… 一体)

 不思議に思うも答えが見付からない事が安易に想像でき、焔がすぐに気持ちを切り替える。長く生きているせいか、そんな事ばかりが得意になってしまった。

「えっと、じゃあ…… もうそろそろ部屋に行くか」
「そうですね。一階でお酒でも買ってから行きますか?」
「いいのか?俺が飲んでも」
 少しテンションが上がり、焔の声が弾んだ。
「あれ、もしかしてお酒を飲むと勃ちが悪くなるタイプだったりします?」
 ニヤッと笑われて、焔がペシッとリアンの胸を軽く叩く。

「『あぁそうだよ』——そう言ったら、今夜は魔力の補充を諦めてくれるのか?」

 挑発的な笑みでそう返すと、リアンの背筋がゾクッと震えた。今すぐにでも喰いつくみたいにその唇を奪い、この場でその身を貪りたいと思う程心を掴まれる。
「ははっ!」と短く笑い、嬉しそうにリアンが言葉を続けた。
「まさか。例えそうであろうとも、抱かれる側であれば問題は微塵もありませんしね」
「待て。俺は、まずそこに疑問を感じるんだが」
「何故ですか?」
 ん?と可愛い顔で首を傾げられたが、そんな彼の様子を見て、焔が額を片手で覆い、ため息をこぼした。

「魔力補充が、目的なんだよな?」

「…… まぁ」
 最初からそんな事のみを目的にはしていない為、そっと答えをぼかす。
「精液が欲しいんだよな?」
「えぇ。その点は、はい!」
 リアンが何度も頷き、両の拳を握った。変装用の狐耳はピンッと立ち、尻尾が犬の様に揺れている。正確には『精液を採取出来る様な淫猥な行為を焔としたい』だけで精液そのものに関してはもう二の次なのだが、魔力の補充もちゃんとしたいのでそう断言しておく。
 無駄に瞳を輝かせるリアンの正面に立ち、焔が彼の胸元をとんっと指さした。
「ならば、お前は抱かれる側になるべきじゃないのかと俺は思うんだ」

「嫌です」

 キッパリハッキリ、清々しいくらいのお断りを前にして、『うん。予想通りの反応だな』と焔が遠い目をするみたいな心境になる。答えはわかっていた。いたのだが、それでも焔は指摘しておきたかった。
「だって、可愛い側がネコであるべきでしょう?」
「俺はこの通り猫じゃないし、なる予定もないぞ」
 完全に意味を勘違いをしている事を何となく察したが、リアンがサラッと流す。そして焔の真っ白な頰をそっと手で包むと、小さな彼の耳元に顔を近づけた。

「それとも焔様は……私を抱きたい、とか?」

 低い声で囁かれ、今度は焔が体を震わせる番だった。
 古い記憶なのか——脳裏で似たような光景が瞬間的に浮かんだが、すぐ真っ赤な色にかき消されてしまう。
「…… 魔力の補充なら、それが自然だろう?手っ取り早く精液を、と言うからくれてやったが…… 口から飲むか、中に出されるかの二択であるべきじゃないか?」
「くっ」
 気付かれてしまったか!と思い、リアンが少しだけ視線を逸らした。

「ちなみに、抱きたいかという問いに対しての答えは『否』だ」

「…… 何故ですか?」と訊くリアンの瞳が、動揺で揺れている。
「まぐわうってのはその、なんだ。前にも言ったが、行為的に愛情を持って行なうべきだろう?こんな世界で生まれたであろう存在であるお前にはお堅いと言われそうだが…… 軽々と身を任せる気にはやっぱりなれないんだ。魔力補充までなら仕方なしとみなして許すが、最後までとなるとやっぱり話は別だと思う」

「私は…… 焔様が好きですが、それでもダメだと思いますか?」

「ソレは好感度のせい、なのだろう?システムから強制された感情は、本人の抱く好意とは言えないんじゃないか?」
 もうそんなモノの影響なんかほとんど受けていないリアンは、焔の肩に手を置き、長いため息を吐いた。

「確かに好感度の影響はあります。いえ、ありましたけど…… 今は全く関係無く、貴方を愛しく思っています」

「逢ったばかりなのにか?そんなの、ありえんだろう」
 一蹴して「はははっ」と笑う焔を前にして、リアンがちょっとムスッとした顔になった。
 鬼という不可思議な格好の相手だったせいで一目惚れとまではいかなかったにしても、心惹かれている事実をシステムのせいだろうと切り捨てられるのは苛立ちすら感じる。自分の手で既に散々よがってくれた事実もあるので、余計にかもしれない。

「逢ったばかりでも、ですよ。いっその事それだけご自分が魅力的であると、自覚してはいかがですか?」

 ぷにっと焔の頬を引っ張り、ちょっとだけ八つ当たりをした。
「しょうはいれてもなぁ」
 そのまま喋るもんだから、声がちょっと変だ。
 元の世界では縁結びの仕事を、彼らが住まう土地の守護神である白狐・オウガノミコトの下でやってきたくせに、一目惚れというものには否定的に捉えてしまう。何例もそういったカップルを見てきたのに、どうしても『そんな瞬間的に燃えた愛情なんぞ、所詮は錯覚だ』と冷めた目でいくつもの実例を流してきた。

 まるで、——

「一目惚れですとか、短い期間でも…… 深く愛してしまう恋というものもあると、私は思いますよ」
 だって、今の自分がまさにそうだ。城まで来られる様な勇者も現れない現状から、恋なんぞというものには当分お目にかかれないと思っていたのに、こうやって召喚され、たった数日で元の世界になんか帰してしまいたくないと心底思える程に、目の前に居る焔に恋焦がれてしまっている己がいい例じゃないか。だが、心を相手に見せる事は出来ないから、焔に信じてもらうのは苦戦を強いられそうだ。

「…… お前が言うように、本当にあるといいな。それこそ…… 何度も生まれ変わろうが、同じ相手に心惹かれるくらい深い愛とか、な」

 焔のその言葉を聞き、ふふっとリアンが笑う。
「——なんだ、焔様の方がずっとロマンチストじゃないですか」
 口元に手を当てて嬉しそうに笑い続けるリアンを見て、焔も笑みをこぼす。
「あぁ、そうかもな」

『きっとありますよ』と、どんなに言葉だけを重ねてもあまり意味は無いだろう。出来ればいつか、コレは本心からの恋心であると信じてもらえればと思いながらもリアンは、「——さてと、私は下でお酒を買って来るので、焔様は先に部屋でくつろいでいて下さい」と伝える。
「そう言えば、最初はそんな話をしていたんだったな。わかった。じゃあ俺は、テーブルにコップでも出しておくか」
 焔はそう言うと、借りた部屋の方へとゆっくり歩いて行く。
 そんな彼の後ろ姿を見ながらリアンは、『あぁ、やっぱり好きだな…… 』と、想いで焦げる胸元をぎゅっと掴んだ。
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