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番外編【昔々の物語(オウガノミコト・談)】
【昔々の物語④】失うのならば食うのみ
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泣き疲れ、竜斗の亡骸をどうにかせねばと冷静になる。だが隣室からは相変わらず紅焔がバタバタと暴れる激しい音が聞こえ続けていた。
怒りがおさまらず、帯が邪魔で仕方がないのだろうか。いや、ただ呼吸が苦しくって逃げたいだけかもしれない。だが逃す気など毛頭ない。私の愛する息子の体を惨殺した報いは受けて貰わねば。
身動きが取れない今のうちにアレを殺そうか?
いや、そんな一瞬で終わるなど生ぬるい。
ならばこのまま苦しみ続けさせておこうか?
いや、アレは鬼の子だ。そんな事をしてもあまり意味は無いだろう。
鬼母神からの預かり者でもある。最愛の息子の想い人でもある。
憎い憎い憎い、死ね、死んでしまえ、消滅しろ!と耳元で叫び、薄い腹を爪先で切り裂き、腑を引きずり出して餓鬼どもの巣窟へ放り込んでしまいたいが、唇を噛んでぐっと堪える。首飾りの勾玉で眠る我が子に、そんな光景を見せる訳にはいかないと、必死に己へ言い聞かせた。
まだだ、まだなんとかなる。
魂の消滅は避けられた。
紅焔の動きに迷いがあったと竜斗が言っていた。食い散らかしてはいても、躊躇があったおかげで完全に我が子を失わずには済んだ。
ならばそこには理由があったはずだ。
自分は鬼ではない。神格高き神として、最良の選択を、必要ならば裁きを、可能ならば許しを与えてやらねば。
…… あの瞳が原因であった事は間違いないだろう。鬼母神もあの瞳を危惧し、私にあの子を預けてきたのだ。昨日までは好意を寄せ合っている様に見えた二人が、急に殺し殺されの間柄に変貌するなど、そうそう起こりうる事では無いのだから。
『…… 紅焔を、地下の座敷牢へ放り込んでおけ』
隣室で暴れる紅焔を幾重にも包んでいる帯の付喪神達に命じると、彼らはズルズルと畳の上を移動していく。言葉にならぬ叫びをあげ続ける紅焔の体が引きずられていった畳の上に、べっとりとした血の跡がくっきりと残っていた。コレが竜斗の血なのだと思うと、悔しくてらなない。
悲しい、苦しい、アヤツヲコロシタイ——
殺傷衝動が胸に湧き起こったが、首から下がる勾玉に触れて、また耐えた。
部屋の中を改めて見渡したが、とてもじゃないがこの部屋を再度使える様にするのは無理だろう。状況的にも、心情的にも。
竜斗の遺体はあの子が創った庭に埋めてやろうと思う。この離れの縁側から丁度見える位置に広がっているが、一番相応しい場所だろう。
竜斗の、紅焔への愛が詰まった庭だ。
“竜斗”が最後の最後まで、無意識のままに貫いた愛を大事にしてやらねば。
腕の中に息子の遺体を抱いたまま、部屋の中にあった縦長な鏡の前に立つ。そして私は、『物見の鏡よ、何があったのか…… 私に教えてくれないか?』と話し掛けた。
鏡には血飛沫が飛んでいて美しい縁取りの細工が台無しになっている。残念だ、この鏡は竜斗のお気に入りだったのに。少し前までは、優しい光景ばかりを目にしていただろうに。
鏡の付喪神が私の声に応え、少し前の出来事を映し出してくれる。角度の問題は多少あるが、それでも何とか二人の様子は見て取れそうだ。
『…… ——紅焔、おはよう。あぁもう!君は今日も可愛いね』
竜斗の元気な声が再現される。
愛情のたっぷりと込もった『可愛いね』の声に対し、悲しい気持ちになる日がよもや来ようとは。
『そう言うお前の方が、今日もまた一段と美しいな』
竜斗の挨拶に応える紅焔の声も落ち着いていて、淡々としている。
縁側で庭を見ていた彼の隣に座る竜斗の黒髪をそっと掴み、まるで髪へ口付けるみたいに顔を寄せている。とてもじゃないが、この数分後には目の前の存在を殺したい程に発狂する様には到底見えない。益々もって、この後何が起きたのかわからなくなった。
『あーもう、そんな事言うから唇に口付けしたくなるじゃないか』
『…… す、すればいいんじゃないか』
ボソッと呟く紅焔の声には照れを感じるが、嬉しそうでもある。
こんな彼の声を初めて聴いた。てっきり今はまだ竜斗の片想いなのかと思っていたのだが、どうやらもう十分相思相愛の間柄だったらしい。
『んー…… 今日は駄目、かな。でも明日は、しようか』と小声で囁いて、ふふっと竜斗が笑う。当然の様に“明日”がある事を信じている息子の言葉が、酷く私の胸を苦しめた。
『どうしてだ?お前らしくないな、俺が嫌と言おうが、いつもは——』
そう言った紅焔の声が、途中で途切れた。
互いを見詰め、ちちくりあっていた二人の視線が庭の方へ移っている。どうやら何かがそこに居るみたいだ。
『来たか、ポン太』
狸の子供の名前が聞こえ、嫌な予感がした。悪い子では無いのだが、あの子には無遠慮な所がある。昔、竜斗の名前の事を揶揄って息子の気持ちを傷付けた子だ。そんな子を紅焔に会わせたのか?何故——と思った時、自分が昨日言った言葉を思い出した。
紅焔にも竜斗以外の友人が必要だろうと言った言葉を、あの子は早速行動に移していたのか。
ポン太は多分彼等と歳も近い。紅焔が正確には何歳なのか不明だが、小柄で体格が近いし、懐っこい性格でもあるから、二人目の友人としては最適だと思ったのかもしれない。
『おぉ!お前のお気に入りを、このオレが一目見てやるよー』
子供っぽい明るい声が聞こえるが、鏡に映る紅焔は警戒心たっぷりといった雰囲気だ。じっとポン太君の様子を見ているだけで返事をしない。
『んー?口のきけない奴なのか?挨拶は大事だぞ』
そう言うポン太の姿がやっと鏡に映った。縁側に座る二人の前にしゃがみ込み、下から紅焔の顔をじっと見ている。
『ホントに鬼っ子なんだな。すげぇ…… オレ初めて見たよ。地獄か地上にしか居ないもんなぁ、普通は』
『おい、見せ物じゃないんだからそんなに無遠慮にジロジロ見るな』
竜斗が不快感を隠さずに指摘する。
全くもってその通りだ。他人に慣れていない紅焔にそんな態度をしては、警戒心がますます高まるじゃないか。
『鬼ってもっとガーッてした感じで、でっかくって真っ赤とか真っ青だとかそんなんだと思ってたけど、こんな綺麗な鬼もいるんだな!』
直球で褒めたからか、『そうだろう?お前もそう思うよな!』と竜斗の方が喜んでいる。まるで宝物を絶賛されたみたいな反応だ。
『紅焔はな、色も雪の様に白いし、八重歯はカッコイイし、着物がよく似合っていて、背格好も綺麗で脚が長くて——』
祈るみたいに手を組んで竜斗がうっとりと語りだす。
そんな竜斗の着物を掴み、紅焔が『や、やめろ。頼むから』と言って止めた。放っておいたらこの先何を言い出すかと不安そうだ。
『惚気やがって、この野郎。はいはいご馳走様ですー』
呆れ声の後に竜斗とポン太の笑い声が聞こえた。角度のせいで見えないが、紅焔ははにかんだ様な笑みを浮かべているのだろうなと想像出来る。
『でも、これ邪魔じゃね?この紙何だ?』
ポン太のこの一言で、私は全てを察した。アイツが元凶だったのか、と。
『やめ——』と叫ぶ声と、紙を引っ張る微かな音が聞こえた。ポン太が、紅焔の目元を隠していた札を剥がしてしまったのだ。
『お前はもういい!帰れよ!』
地面に札がはらりと落ちていき、竜斗が腕を振ってポン太君を追っ払った。息子が二人の間にすかさず割って入ったので、幸いにしてポン太は紅焔の素顔を見てはいないみたいだった。
『なんだよ!あんなんあったら顔がちゃんと見えなくって邪魔だろう?ったく。もういいよ、帰る!』と言って、拗ねた顔をしたポン太が狸の姿に変化して、そそくさと帰って行く。
『ごめんね、紅焔。札の事は話してあったんだけど——』
駄目だ、振り返るな!
過去の記録なのに、そう叫びたくなった。
変えられない事実なのに、腕の中の遺体の冷たさのせいで、猛烈に現実を塗り替えたくなる。
——ぶつんっ
竜斗と紅焔の視線が合った途端、帰宅時に聞こえた音が突如響いた。
申し訳なさそうにしていた竜斗の顔付きが、段々と変化していく。目の前に居る存在が何者なのかと、訝しげな雰囲気に。
マズイ、マズイマズイ!疑問を口にするな、言わないでくれ、頼むから。
『…… 君は、誰?何で此処に鬼の子供がいるの?どこから入ったんだ?』
眉間に皺がよっていて、不審がる声のせいで紅焔の体が震えている。
『…… 俺を、忘れたのか?』
『忘れるって…… いや、そもそも知らないからそんな事言われてもなぁ』
竜斗がそう口にした途端、紅焔は息子の着物の胸ぐらを片手で掴み、離れの畳の上に勢いよく投げ飛ばした。そして竜斗の腰に馬乗りすると、両肩を掴んで体を揺らしている。
『竜斗が、俺を忘れるなんて許さない!』
普段は淡々と、感情をほとんど隠して話す紅焔が怒号の様な声をあげた。表情は悲痛に歪んでいて、涙がボロボロと瞳から零れ落ち、髪が少し逆立っている。
『母のように、お前まで離れていくなら、もういっそ——』
依存対象が己を認識していない事を受け止められず、幼い彼では衝動を堪えられなかったのか、紅焔が竜斗の狐耳に食らい付いた。だが、動きは確かに鈍い。避けようがあるし、まだまだ逃げようもある。なのに竜斗は激痛に耐えながらも悲鳴をあげようとはせず、拘束から抜け出そうとしない。泣き叫ぶ紅焔の気が晴れるのなら、この身くらい差し出そうとしている事が嫌でも伝わってくる。
周囲を囲む付喪神達が、オロオロとしている事も見て取れた。主人の息子を助けねばと思ってくれている様だが、紅焔の扱い方がわからない。彼らも神の端くれではあっても、怒り狂う鬼に個々が対抗出来る程にはまだ育っていないので仕方が無い事だった。
核となる心臓部分を避けて、早く逃げろ、もう自分では止められないから逃げてくれ、と言わなんばかりにあちこちを無造作に食い散らかしていく。手を耳を、腹の横を、首近くを食らい、それでも逃げぬ竜斗を様子を見て、紅焔はとうとう脚をも食いちぎった。
これではもう逃げる事もままならないだろう。腕で這いつくばっていけばまだ望みは多少あろうが、失うくらいならばいっそ一つになってしまいたいと泣く者を前にしては、それすらしたくはなさそうだった。
どうして君達は、こうも揃って献身的に愛を貫こうと出来るのだ——
“彼の者”の姿と、その息子である竜斗の亡骸が重なって見える。
愛情も深過ぎると我が身すら滅ぼすというのに、そこまでの愛を自分は貰うに値する者にいつかはなれるのだろうか?と、今更思い悩んでしまう。
『…… もういい、わかった』
私の呟きに応え、鏡は過去を映すのを止めた。
今目の前の鏡には、過去の出来事の結果が無惨な姿で眠っている。皆が皆、良かれと思っての行動だったのに、何でこうも上手くいかないのだろうか。愛しているだけなのに、気遣っただけなのに、顔にこれは邪魔だろうなとちょっと思っただけだったのに。
だが、二人の惨事を見届けて、やっと紅焔の魔眼の持つ能力がわかった。
彼の能力は“縁”に関わるモノだ。
ずっと繋がっていた強固な赤い糸が、あの不快な音の後には消え去っていた。そして同時に、竜斗との縁まで切れてしまったのだろう。
推測でしかないが、きっと、ポン太君に対して関わりたくないあっちへ行けとでも思っていたのだと思う。その感情が運悪く魔眼の持つ神通力と共に、その瞳を見てしまった竜斗へとかかってしまったのだろう。
繋がりが急に切れて、初めて出逢ったあの日からずっと紅焔に好意を持っていた竜斗は、その全てを忘れてしまったのだな、きっと。なのにそんな相手でも、目の前で泣かれている姿を見たらどうにかしたくなるだなんて、ほんの一瞬の間にまた一目惚れでもしていたのだろうか。
確認は取れないが、確信を抱く。まず間違いは無いだろう、あの様子からいっても。
何が起きたのかがわかれば、後はもう次に進むしか無い。
立場的にもポン太を咎める事は出来ないが、相手の事情をもっと察しろ位には狸共に叱ってもらおうか。
名付け親気取りな龍神にはどう話そうか…… 。奴も竜斗を溺愛していたからな、面倒な事になりそうだ。
紅焔の扱いも考えねば。今まで通りになど、あの様子では到底無理だろう。かといって無責任に鬼母神へ返す訳にもいかないが、今あの子の顔を見れば殺したくなる気がする。まずは互いに距離を保ち、気持ちを落ち着かせるか。
『——まずは、きちんと弔ってやろうな、竜斗』
亡骸に声を掛け、私は息子の遺体を弔う準備を始めたのだった。
【続く】
怒りがおさまらず、帯が邪魔で仕方がないのだろうか。いや、ただ呼吸が苦しくって逃げたいだけかもしれない。だが逃す気など毛頭ない。私の愛する息子の体を惨殺した報いは受けて貰わねば。
身動きが取れない今のうちにアレを殺そうか?
いや、そんな一瞬で終わるなど生ぬるい。
ならばこのまま苦しみ続けさせておこうか?
いや、アレは鬼の子だ。そんな事をしてもあまり意味は無いだろう。
鬼母神からの預かり者でもある。最愛の息子の想い人でもある。
憎い憎い憎い、死ね、死んでしまえ、消滅しろ!と耳元で叫び、薄い腹を爪先で切り裂き、腑を引きずり出して餓鬼どもの巣窟へ放り込んでしまいたいが、唇を噛んでぐっと堪える。首飾りの勾玉で眠る我が子に、そんな光景を見せる訳にはいかないと、必死に己へ言い聞かせた。
まだだ、まだなんとかなる。
魂の消滅は避けられた。
紅焔の動きに迷いがあったと竜斗が言っていた。食い散らかしてはいても、躊躇があったおかげで完全に我が子を失わずには済んだ。
ならばそこには理由があったはずだ。
自分は鬼ではない。神格高き神として、最良の選択を、必要ならば裁きを、可能ならば許しを与えてやらねば。
…… あの瞳が原因であった事は間違いないだろう。鬼母神もあの瞳を危惧し、私にあの子を預けてきたのだ。昨日までは好意を寄せ合っている様に見えた二人が、急に殺し殺されの間柄に変貌するなど、そうそう起こりうる事では無いのだから。
『…… 紅焔を、地下の座敷牢へ放り込んでおけ』
隣室で暴れる紅焔を幾重にも包んでいる帯の付喪神達に命じると、彼らはズルズルと畳の上を移動していく。言葉にならぬ叫びをあげ続ける紅焔の体が引きずられていった畳の上に、べっとりとした血の跡がくっきりと残っていた。コレが竜斗の血なのだと思うと、悔しくてらなない。
悲しい、苦しい、アヤツヲコロシタイ——
殺傷衝動が胸に湧き起こったが、首から下がる勾玉に触れて、また耐えた。
部屋の中を改めて見渡したが、とてもじゃないがこの部屋を再度使える様にするのは無理だろう。状況的にも、心情的にも。
竜斗の遺体はあの子が創った庭に埋めてやろうと思う。この離れの縁側から丁度見える位置に広がっているが、一番相応しい場所だろう。
竜斗の、紅焔への愛が詰まった庭だ。
“竜斗”が最後の最後まで、無意識のままに貫いた愛を大事にしてやらねば。
腕の中に息子の遺体を抱いたまま、部屋の中にあった縦長な鏡の前に立つ。そして私は、『物見の鏡よ、何があったのか…… 私に教えてくれないか?』と話し掛けた。
鏡には血飛沫が飛んでいて美しい縁取りの細工が台無しになっている。残念だ、この鏡は竜斗のお気に入りだったのに。少し前までは、優しい光景ばかりを目にしていただろうに。
鏡の付喪神が私の声に応え、少し前の出来事を映し出してくれる。角度の問題は多少あるが、それでも何とか二人の様子は見て取れそうだ。
『…… ——紅焔、おはよう。あぁもう!君は今日も可愛いね』
竜斗の元気な声が再現される。
愛情のたっぷりと込もった『可愛いね』の声に対し、悲しい気持ちになる日がよもや来ようとは。
『そう言うお前の方が、今日もまた一段と美しいな』
竜斗の挨拶に応える紅焔の声も落ち着いていて、淡々としている。
縁側で庭を見ていた彼の隣に座る竜斗の黒髪をそっと掴み、まるで髪へ口付けるみたいに顔を寄せている。とてもじゃないが、この数分後には目の前の存在を殺したい程に発狂する様には到底見えない。益々もって、この後何が起きたのかわからなくなった。
『あーもう、そんな事言うから唇に口付けしたくなるじゃないか』
『…… す、すればいいんじゃないか』
ボソッと呟く紅焔の声には照れを感じるが、嬉しそうでもある。
こんな彼の声を初めて聴いた。てっきり今はまだ竜斗の片想いなのかと思っていたのだが、どうやらもう十分相思相愛の間柄だったらしい。
『んー…… 今日は駄目、かな。でも明日は、しようか』と小声で囁いて、ふふっと竜斗が笑う。当然の様に“明日”がある事を信じている息子の言葉が、酷く私の胸を苦しめた。
『どうしてだ?お前らしくないな、俺が嫌と言おうが、いつもは——』
そう言った紅焔の声が、途中で途切れた。
互いを見詰め、ちちくりあっていた二人の視線が庭の方へ移っている。どうやら何かがそこに居るみたいだ。
『来たか、ポン太』
狸の子供の名前が聞こえ、嫌な予感がした。悪い子では無いのだが、あの子には無遠慮な所がある。昔、竜斗の名前の事を揶揄って息子の気持ちを傷付けた子だ。そんな子を紅焔に会わせたのか?何故——と思った時、自分が昨日言った言葉を思い出した。
紅焔にも竜斗以外の友人が必要だろうと言った言葉を、あの子は早速行動に移していたのか。
ポン太は多分彼等と歳も近い。紅焔が正確には何歳なのか不明だが、小柄で体格が近いし、懐っこい性格でもあるから、二人目の友人としては最適だと思ったのかもしれない。
『おぉ!お前のお気に入りを、このオレが一目見てやるよー』
子供っぽい明るい声が聞こえるが、鏡に映る紅焔は警戒心たっぷりといった雰囲気だ。じっとポン太君の様子を見ているだけで返事をしない。
『んー?口のきけない奴なのか?挨拶は大事だぞ』
そう言うポン太の姿がやっと鏡に映った。縁側に座る二人の前にしゃがみ込み、下から紅焔の顔をじっと見ている。
『ホントに鬼っ子なんだな。すげぇ…… オレ初めて見たよ。地獄か地上にしか居ないもんなぁ、普通は』
『おい、見せ物じゃないんだからそんなに無遠慮にジロジロ見るな』
竜斗が不快感を隠さずに指摘する。
全くもってその通りだ。他人に慣れていない紅焔にそんな態度をしては、警戒心がますます高まるじゃないか。
『鬼ってもっとガーッてした感じで、でっかくって真っ赤とか真っ青だとかそんなんだと思ってたけど、こんな綺麗な鬼もいるんだな!』
直球で褒めたからか、『そうだろう?お前もそう思うよな!』と竜斗の方が喜んでいる。まるで宝物を絶賛されたみたいな反応だ。
『紅焔はな、色も雪の様に白いし、八重歯はカッコイイし、着物がよく似合っていて、背格好も綺麗で脚が長くて——』
祈るみたいに手を組んで竜斗がうっとりと語りだす。
そんな竜斗の着物を掴み、紅焔が『や、やめろ。頼むから』と言って止めた。放っておいたらこの先何を言い出すかと不安そうだ。
『惚気やがって、この野郎。はいはいご馳走様ですー』
呆れ声の後に竜斗とポン太の笑い声が聞こえた。角度のせいで見えないが、紅焔ははにかんだ様な笑みを浮かべているのだろうなと想像出来る。
『でも、これ邪魔じゃね?この紙何だ?』
ポン太のこの一言で、私は全てを察した。アイツが元凶だったのか、と。
『やめ——』と叫ぶ声と、紙を引っ張る微かな音が聞こえた。ポン太が、紅焔の目元を隠していた札を剥がしてしまったのだ。
『お前はもういい!帰れよ!』
地面に札がはらりと落ちていき、竜斗が腕を振ってポン太君を追っ払った。息子が二人の間にすかさず割って入ったので、幸いにしてポン太は紅焔の素顔を見てはいないみたいだった。
『なんだよ!あんなんあったら顔がちゃんと見えなくって邪魔だろう?ったく。もういいよ、帰る!』と言って、拗ねた顔をしたポン太が狸の姿に変化して、そそくさと帰って行く。
『ごめんね、紅焔。札の事は話してあったんだけど——』
駄目だ、振り返るな!
過去の記録なのに、そう叫びたくなった。
変えられない事実なのに、腕の中の遺体の冷たさのせいで、猛烈に現実を塗り替えたくなる。
——ぶつんっ
竜斗と紅焔の視線が合った途端、帰宅時に聞こえた音が突如響いた。
申し訳なさそうにしていた竜斗の顔付きが、段々と変化していく。目の前に居る存在が何者なのかと、訝しげな雰囲気に。
マズイ、マズイマズイ!疑問を口にするな、言わないでくれ、頼むから。
『…… 君は、誰?何で此処に鬼の子供がいるの?どこから入ったんだ?』
眉間に皺がよっていて、不審がる声のせいで紅焔の体が震えている。
『…… 俺を、忘れたのか?』
『忘れるって…… いや、そもそも知らないからそんな事言われてもなぁ』
竜斗がそう口にした途端、紅焔は息子の着物の胸ぐらを片手で掴み、離れの畳の上に勢いよく投げ飛ばした。そして竜斗の腰に馬乗りすると、両肩を掴んで体を揺らしている。
『竜斗が、俺を忘れるなんて許さない!』
普段は淡々と、感情をほとんど隠して話す紅焔が怒号の様な声をあげた。表情は悲痛に歪んでいて、涙がボロボロと瞳から零れ落ち、髪が少し逆立っている。
『母のように、お前まで離れていくなら、もういっそ——』
依存対象が己を認識していない事を受け止められず、幼い彼では衝動を堪えられなかったのか、紅焔が竜斗の狐耳に食らい付いた。だが、動きは確かに鈍い。避けようがあるし、まだまだ逃げようもある。なのに竜斗は激痛に耐えながらも悲鳴をあげようとはせず、拘束から抜け出そうとしない。泣き叫ぶ紅焔の気が晴れるのなら、この身くらい差し出そうとしている事が嫌でも伝わってくる。
周囲を囲む付喪神達が、オロオロとしている事も見て取れた。主人の息子を助けねばと思ってくれている様だが、紅焔の扱い方がわからない。彼らも神の端くれではあっても、怒り狂う鬼に個々が対抗出来る程にはまだ育っていないので仕方が無い事だった。
核となる心臓部分を避けて、早く逃げろ、もう自分では止められないから逃げてくれ、と言わなんばかりにあちこちを無造作に食い散らかしていく。手を耳を、腹の横を、首近くを食らい、それでも逃げぬ竜斗を様子を見て、紅焔はとうとう脚をも食いちぎった。
これではもう逃げる事もままならないだろう。腕で這いつくばっていけばまだ望みは多少あろうが、失うくらいならばいっそ一つになってしまいたいと泣く者を前にしては、それすらしたくはなさそうだった。
どうして君達は、こうも揃って献身的に愛を貫こうと出来るのだ——
“彼の者”の姿と、その息子である竜斗の亡骸が重なって見える。
愛情も深過ぎると我が身すら滅ぼすというのに、そこまでの愛を自分は貰うに値する者にいつかはなれるのだろうか?と、今更思い悩んでしまう。
『…… もういい、わかった』
私の呟きに応え、鏡は過去を映すのを止めた。
今目の前の鏡には、過去の出来事の結果が無惨な姿で眠っている。皆が皆、良かれと思っての行動だったのに、何でこうも上手くいかないのだろうか。愛しているだけなのに、気遣っただけなのに、顔にこれは邪魔だろうなとちょっと思っただけだったのに。
だが、二人の惨事を見届けて、やっと紅焔の魔眼の持つ能力がわかった。
彼の能力は“縁”に関わるモノだ。
ずっと繋がっていた強固な赤い糸が、あの不快な音の後には消え去っていた。そして同時に、竜斗との縁まで切れてしまったのだろう。
推測でしかないが、きっと、ポン太君に対して関わりたくないあっちへ行けとでも思っていたのだと思う。その感情が運悪く魔眼の持つ神通力と共に、その瞳を見てしまった竜斗へとかかってしまったのだろう。
繋がりが急に切れて、初めて出逢ったあの日からずっと紅焔に好意を持っていた竜斗は、その全てを忘れてしまったのだな、きっと。なのにそんな相手でも、目の前で泣かれている姿を見たらどうにかしたくなるだなんて、ほんの一瞬の間にまた一目惚れでもしていたのだろうか。
確認は取れないが、確信を抱く。まず間違いは無いだろう、あの様子からいっても。
何が起きたのかがわかれば、後はもう次に進むしか無い。
立場的にもポン太を咎める事は出来ないが、相手の事情をもっと察しろ位には狸共に叱ってもらおうか。
名付け親気取りな龍神にはどう話そうか…… 。奴も竜斗を溺愛していたからな、面倒な事になりそうだ。
紅焔の扱いも考えねば。今まで通りになど、あの様子では到底無理だろう。かといって無責任に鬼母神へ返す訳にもいかないが、今あの子の顔を見れば殺したくなる気がする。まずは互いに距離を保ち、気持ちを落ち着かせるか。
『——まずは、きちんと弔ってやろうな、竜斗』
亡骸に声を掛け、私は息子の遺体を弔う準備を始めたのだった。
【続く】
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