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第一章

【第四話】元の世界へ戻る方法

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「——目を覚ましたか」
 片手で受け止められた“名も無き本”をパッと離し、一歩後ろに下がりながら焔が言う。
「…… 殺気がありましたので」と、召喚された男が小声で答えた。

(この俺をそっちが勝手に呼び出しておきながら、 まさか…… 殺す気だったのか?)

 と、まだ思考の鈍い彼の頭の中は疑問でいっぱいだ。
『よ、よかったです!このままではワタクシまで砕けるかと思いましたよ!』
 男の手のひらの上で横向きだった体をふわりと宙に浮かせ、“名も無き本”が叫ぶ様な声で言った。

「コレで起きなかったら、やっぱり返品しようと思っていたんだがな」

「なるほど、つまりコレはテストであったと」
 細身の体をむくりと起こし、自分の周囲の地面がベッコリと下に沈んでいるのを確認する。コレでテストとは…… 一体俺は何者に呼ばれたんだ?と、彼は最速で胸の奥に不安を感じた。

 そして、まずは覚えている限りの記憶を呼び起こし、召喚された男がそれらを急いで整理することに決める。

 数十秒前まで、自分は魔王城の、自らの王座の間に居たはずだ。
 そしてあの時は確か…… 寸前まで部下のキーラから定時報告を聞いていた。
 数少ない仕事が終わり、私室に戻ろうとした時、突然召喚陣が足元に現れ、その中にずるずると取り込まれていった気がする。

 ——そして…… あの様な状況だったのに、キーラに名前を呼んでもらえなかった事を…… 彼は思い出した。

「お前の事は何と呼べばいい?」
 そう言って、焔が召喚対象に向けて手を差し出す。
 その手を彼はじっと見詰めると、今更目の前の存在の持つ異質さに気が付き始めた。

 召喚された男が差し出された手は小さくて、爪は自分と同じく鋭く尖っている。肌は雪の様に白く、小柄な体には紺色の着物を着ており、石榴の実や花、葉などが描かれていて場違いな程に美しいが、足は裸足のままだ。
 そこまでならばまだ、裸足である事を不思議に思いながらも、和風な格好をした少年だなという感想で彼も終わっただろう。

 手から視線を上げ、目の前に立つ存在の顔をジッと見る。
「立つのを助けようと思ったんだが…… ?やはり触れたくは無いか、鬼の手は」
「いえ、そういうわけでは」と答えながら首を横に振り、召喚された男は焔の手を掴み、その場で立ち上がった。

 手を取ったまま焔の前に立つと、より一層彼の小ささを実感する。二人の身長を比べると、焔は召喚者の胸くらいまでの身長しか無い。だがそんな低い身長なんかよりも気になるのは、目の周囲にぐるっと巻かれている包帯の様な細長いぼろきれだった。何周にも巻かれ、端の方が耳の後ろ側からだらんと肩まで垂れ下がっている。完全に目元がその布に覆われていて、全く焔の瞳を見ることが出来ない。
 額からは小さな角が一本生えており、自分の手を『鬼の手』だと言った言葉通り、目の前の存在が鬼である事を告げている。烏に似た漆黒の髪は額の角を避けるみたいに真ん中で分かれ、前髪は目元近くまでと少し長めだが、うなじが見える程まで後髪はすっきりと切りそろえられており、全体的には清潔感のある印象だった。

「で?お前の事は、何と呼べばいいんだ?」
「…… リアン、です」

 あぁ…… 自分の名前の響きを耳にしたのは、何年ぶりの事だろうか?

 そう思うと、リアンの胸の奥にじんわりと熱いものが込み上がってくる。昔は部下達も皆『リアン様』と呼んでくれながら気軽に抱きついてきたり、じゃれついてくれて楽しかったのになぁ…… と、懐かしい気持ちで少し心が苦しくなった。

「リアンか、いい響きだな」

 しかも褒めてもらえるとか。
 昔は友人同士の様に仲の良かった腹心達にすら、この数年はずっと“魔王様”だなんて御大層な呼び方ばかりされてきたせいか余計に嬉しい。

『“リアン”は確か……“動揺しない守護者”という意味があったかと。召喚士である主人を守るにはこれ以上ない存在ですね』

「守る…… 出来るのか?こんな優男っぽいのに」
 リアンの首に巻かれた黒い羽製のファーを指差し、焔がズバッとはっきり言う。
『何をおっしゃいますか!先程も言いましたが、多分彼は激レアさんですよ⁉︎』
「や、まず『激レア』とか言う者の希少価値が俺にはよくわからない。そして、その価値の高い者の全てが、使える奴だとは限らないだろう?現に、コイツの見た目は弱そうだしな」
『よ、弱そう⁉︎いやいやいやっ。この角!この過剰梱包に負けない豪華な容姿!どこをどう見ても、最強クラスの召喚魔でしょう!イフリートやフェンリルにも並ぶ魔物かもしれませんよ?』
 例えとして出てきた名前が、焔にはどっちもわからない。だけど、会話する気はちゃんとあるので、最強クラスだと言う言葉から何とか自分でも理解出来る存在の名前を知識から引っ張り出した。
「天照大神や須佐男クラスみたいな者って事か?まぁ…… 見目は眼福ではあるけどなぁ」

(この様子だと、目隠しをしていてもこちらが見えてはいるのか)

 焔の発言を聞き、リアンは思った。
「ご心配なく。少なくとも力不足で不満を抱かせる事は無いと断言します。が…… 実は私、本来なら絶対に召喚対象にはならないはずなのですけど…… なぜ貴方様は私を召喚出来たのですか?」

『…… 一周目では、召喚対象、じゃ無い?』

 “名も無き本”がそう言って、動きを止めた。
「あぁ、だからコイツのページの説明文が表示されなかったのか」
 焔はあっさりと納得したのだが、“名も無き本”の方は事実を受け止めきれず、あわあわと浮いたまま慌てだす。
『ま、待って下さい!主人、主人!』と言いながら、“名も無き本”が焔の耳元にその身を寄せた。そして小声で『今リアン様は、「一周目」とおっしゃいませんでしたか?』と訊く。
「…… 言っていたな」
 焔も小声で答えると、コクッと深く頷いた。
『まさかこのお方、この世界が“ゲーム世界”っぽいモノであると知っているのでは?』
「…… あり得るのか?」
『そうですね…… あり得ないとは言い切れません。此処には、元の世界の記憶を持った転生者や転移者が居るのは確かです。それらの者達ならば過去の知識を元に、簡単に気が付けると思いますので』
「じゃあ、コイツも転移者の類なのか」
『そこまでは分かりませんが…… 多分それは違うと思います。この方は、召喚魔ですので』
「あぁ、それもそうか」と言って、二人が頷き合う。

 そんな二人の会話が丸聞こえだったリアンは、反応に困りつつ軽く首を傾げてみせた。

「あの…… 内緒話中に大変申し訳ないのですが、ちょっとよろしいですか?」
 右手で焔の手を掴んだまま、リアンが左手をすっとあげる。
「ん?」
「その洋書は…… えっと」
『“名も無き本”でございます、リアン様』と言い、洋書は胸を張ってみせる様な仕草をした。

「…… “名も無き本”?おいおい、企画書の不備がこんなところにまで残っていたのか」
 リアンが言った言葉は、声が小さ過ぎて焔達には聞こえなかった。

「何か言ったか?」
「いえ、名前が長いなと、ちょっと思っただけです」
「まぁ確かにな。二人きりなら『お前』だ『貴様』でいいだろうが、複数での行動となると、呼び名はあった方がいいのか」
 納得し、焔が頷く。
「だが、俺は呼び名を決めるのは得意じゃないぞ?…… 義忠とか、長可とか、あとは…… 信良?」

『あまりに和風過ぎやしませんか⁈』

 “名も無き本”は不満を隠さず訴える。元の世界でならばどれも好みの名前なのだが、今の姿にはあまりにも合わない。
「そ、そうですね。洋書には合わないのではないかと」
 リアンも“名も無き本”に同意し、何か合う名前はないかと思案する。
「じゃあ…… ソフィアはいかがでしょうか?知恵という意味があるので、レベルやスキルを確認出来る本にはピッタリではありませんか?」

『主人主人!リアン様はワタクシの役目まで知っておりますよ!』

「あぁ、そうみたいだな」
 呼び名の方はスルーかな?とリアンが残念がっていると、焔の口元がニッと笑った。
「いい響きの呼び名も決めてくれたし、コイツは使えるな」
「あ、ソフィアは採用でしたか。ありがとうございます」
 頭を下げて、リアンが礼を言う。
 こういった雰囲気がちょっと楽しくって、彼の口元も焔の様に笑みがこぼれた。
『な、名前を頂けるだなんて…… 感激ですっ』
「や、呼び名な?付喪神なお前に、名前はマズイだろ」
「そうなのですか?洋書さんは、付喪神でしたか…… その点は驚きですね」

「…… ん?お前はいったい、何をどこまでなら知っているんだ?というか、いつまでこの手は繋いだままなんだ」

「あ、そういえばそうですね。これは失礼いたしました」
 そう言って、パッとリアンが焔の手を離す。
 不思議と感じる名残惜しい気持ちは、そっと胸の奥に仕舞い込んだ。
「何を知っているかと訊かれても…… 私の発言はそちらの進行度に応じてロックがかかるので、あまり多くは語れませんよ?」

『やっぱり!リアン様は色々知っていそうですよ!主人っ』

「煩い。俺でもそのくらいわかる」と言いながら、ソフィアと名付けられた“名も無き本”を焔が叩き落とした。
「お前は、この世界が何なのか知っているのか?」
「えぇ、まぁ」とリアンが短く答える。だがしかし、何故知っているのかまで言うつもりは無いようだ。

「コレは話が早いな」

 焔が喜び、ぐっと拳をつくる。
 戦闘能力云々に関しては未確認なので別として、ナビゲート役が二人に増えたも同然だ。迷い無く進める事は時短になる。初の召喚で自分は大当たりを引き当てたのだと、焔はやっと確信を得る事が出来た。

「じゃあ、元の世界へ戻る方法をリアンは知っているか?」

『いやいや、いきなり本題ですか。でも流石にそれは——』と言うソフィアの発言は、「知っていますよ」の一言でリアンがかき消した。

「方法は二つ。一つは、転移者もしくは転生者が復活の手段が無い状態で、この世界での死を迎えるという方法です」

「それは楽そうだが、俺の流儀に反するから却下だな。攻撃されそうになったら、絶対に反撃し返す自信しか無い」
 腕を組み、焔が胸を張る。
 何故か彼はドヤ顔をしていそうな空気感を纏っていたが、リアンもソフィアも自分達の主人がドヤる理由が全く読み解けなかった。
 わからんものはサラッと流す事に決め、ソフィアがリアンに『えっと、もう一つの方法はどんなものなのですか?リアン様』と訊く。すると、リアンは少し戸惑いを見せ、ふぅと一度息を吐き出した。

「…… 魔王を倒せば、元の世界へ戻れます」

 焔の隠された瞳の位置をじっと見て、リアンがゆっくりと言った。
 魔王…… つまり、今目の前に居るリアンを倒せば、この世界の主軸を構成するストーリーが一度完結する。それにより、異世界への転移者達は褒美を得て元の世界へ戻る事が出来るという暗黙のルールが存在しているのだが、コレを達成出来た者は魔物達の躍進により、まだ一人もいない。今までの帰還者は全て、魔王勢に初期段階で倒されて、強制的に戻されたパターンばかりである。

 此処で今『そして、自分がその魔王だ』と言えば、鬼である焔は迷わずその鋭い爪でリアンの喉元を嬉々としてを切り裂き、早々に元の世界へ帰るかもしれない。

 そうなったとしても、抵抗する気が今のリアンには無い。

 昔は仲の良かった魔物達に崇められ、名前すらも呼んでもらえなくなってからもう随分と経つ。『魔王様、魔王様』と全員から距離を置かれ、周囲が有能過ぎる為に勇者が来る気配も無く、最終ボスである己の存在意義を見出せなくなった、“お飾り魔王”にすぎなくなってしまった自分の命に、価値を感じないからだ。
 この胸を差し出し『さぁ、此処を刺し貫けば帰れますよ』と、ただ一言言うだけで、すぐにでもこの新たな主人の願いを叶えてやれる。

 ——だけど…… 。

「よし、じゃあソレで決まりだな。魔王を倒して、元の世界へ帰る。コレでいこう」
『魔王退治ですか?…… ですが、主人は召喚士ですよ。勇者では無いのに倒せるのでしょうか。流石に無理なのでは?』
 焔のレベルが1のままである事も気になり、ソフィアが後ろ向きな発言をする。素の力でも焔ならば倒せそうではあるが、魔王というくらいなのできっとスゴイ存在に違いない!と、すぐ側にソレが立ていると微塵も気が付いていないソフィアは、ゴクリと唾を飲みこんだような気持ちになった。
「勇者じゃないと、魔王は倒せないルールでもあるのか?」
「…… いえ、そういったものは特に」と、焔の問いにリアンが答える。

 ——言わねば、言わないと『ちなみに、自分がその魔王ですよ』って。

 そう思うのに、口を開けてもすぐに閉じてしまう。
 この世界に執着など無いから死ぬのは怖くないのだが、二人の気安い感じに居心地の良さを感じてしまい、上手く言葉が出なくなった。

「良かった。ならあとは有言実行するだけだな。じゃあ、早速行くか」
 そう言って、焔が一人森の中を先に歩き始める。
 先程匂いを嗅いだおかげで人里のありそうな方向はわかっいる。まだ随分と距離があるが、やるしかないとサクサク進んで行く。
『承知致しました、我が主人よ』と言い、ソフィアがふわふわと空中に浮いたまま焔の後に続いた。

「…… 」

 待って、私は——と、頭の中では声を掛けたつもりだったのに、やっぱり声が出ない。手を伸ばし、焔の腕を掴んで止めようとしても、体が固まってしまってその手も伸ばせない。

(もしかして俺は、まだ…… 此処に居たいのだろうか?)

 魔王である事を言おうとした時だけ自分の体がいう事をきいてくれない理由をリアンが己の中で必死に探し、少しだけ納得する。
「どうした?落ちた衝撃で怪我でもしていたのか?」
 歩き出さないリアンを不思議に思い、振り返った焔が声を掛けた。

「あ、いえ!すみません、今行きます」

 ダッと地面を蹴り、リアンが焔達の元へ駆けて行く。
 自分が魔王である事は、まだ二人には黙っていこう…… と、思いながら。
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