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第7話
しおりを挟むそれから一ヶ月。
俺が仕事の度に一緒について来るのが当たり前になった葛葉は、毎日はくおうの姿で玄関に待機している。
院内に入ってからは、人間の姿でウロウロする事もあり焦ったりもするが、姿は消したままでいてくれた。それを破ったら二度と連れて行かないと約束させたからだろう。
両親は葛葉に最近会ってないと悲しんでいたが、彼女の方はあまり気にしてない様子だった。
「たまには、母さん達にも顔を見せてやったらどうだ?」
『んー……昴さんが『はくおう』じゃない私も見てくれるようになったら、そうしますよ』
「そしたら永遠に無理じゃないか」
『ふぁ!また私を全面否定ですか』
葛葉にはそう言うも、実は少しづつ俺の中で、彼女達の境界線が曖昧になってきている。当然だ、葛葉もはくおうも、どうやったって同じ存在なんだ。何度も何度も交互に変わる姿を見せられては、イヤでもそう実感させられる。
慣れとは怖いものだ。そうこうしているうちに、どちらの姿で側に居られても大した違和感を感じなくなってきた。だが、それを葛葉に伝えるのはまだ早いと俺は思っている。変な期待はさせたくないからだ。
人ではない存在を受け入れる怖さもある。受け入れてしまった時、それが葛葉にとっては何を意味するのかを考えるのも恐ろしい。
もし、俺に対して人間同士でいう恋人のような関係を求められても受け止められる気がせず困ってしまう。葛葉に対して抱き始めた気持ちは、そういった感情とは全く違う気がする。まぁもっとも、恋愛感情など経験した事のない俺には、本当に違うのかなどすらよくわからないのだが……。
◇
ある日の夜勤中、救急で一人の患者が搬送されてきた。
交通事故で重症を負っており、意識不明との事で、外科の医師達が急いで受け入れの準備を始めた。
俺にも何かできる事はないかと、廊下に出て運ばれていく患者の顔を遠目に見る。
「……じ、仁⁈」
血まみれで顔が見え難いが、確かにそれは弟の顔に見えた。
「宮川先生、お知り合いですか⁈」
手術室へと運ぶ看護師に訊かれた。
一緒になって後を追うように走り「俺の弟だ!」と叫ぶと、「他のご家族も呼んで下さい!血液の輸血を頼む場合があるかもしれませんし」と言われた。
急いで実家へ連絡し、両親を病院へ呼ぶ。心臓の鼓動が異様なまでに跳ね上がり、まともに息が出来ない。外科医の若菜が中に入ろうとしたのが目に入ったので「俺にも何かできないか?」と声をかけた。だが「内科のお前が出来る事なんて今はあるかっ」と一蹴されてしまった。
「せめて立ち合わせてくれ!大事な弟なんだ」
「ダメだ、死なせたくないなら俺を信じて待ってろ。そんな錯乱した奴が側に居たら集中出来ない事くらい、お前も医師ならわかるだろうが!」
「——だけど!」
それでも食い下がろうとする俺に、背後から誰かが抱きついてきた。
「先生、信じて待つのも同じ医師への礼儀ではないですか?」
穏やかな女性の声で、諭すように言われた。
「そっちの看護師の方がよっぽどわかってるな。もう行くぞ、死なせたくないんだろ?」
そう言って、若菜が駆け足で去って行った。追おうかとも思ったが、抱きつく奴の腕の力が強くてそれもできない。
誰なのかと思いながら振り返ると、それは看護師の姿をした葛葉だった。
「んなっ!お前その格好はどうした⁈」
完全に姿が見えている。
「大丈夫です、絶対に死にません。だからここで待ちましょう?昴さんの代理が出来そうな先生の了承は得て来ましたから」
「……葛葉」
葛葉の言葉を聞き、俺はその場にへたり込んでしまった。
体が震えて止まらない。妹が、綾が死んだ日を思い出してしまい、怖くてしょうがなかった。
また兄弟を失うだなんて耐えられない、考えたくもない。そんな俺の体を、葛葉がギュッと強く抱き締める。頭を撫で、何度も何度も「私が死なせませんから、大丈夫……大丈夫だから」と囁いてくれた。
そうは言うも、だが……もし、もし最悪仁が死んで、また反魂なんて行為をやったらお前はどうなるんだ?
随分前に『まだ傷が癒えていない』と葛葉が言っていたのを、俺は覚えている。
そんな状態でまた摂理に反するような術なんか使ったら、それこそ葛葉の魂までもが消え去るんじゃないだろうか。
葛葉が俺の体を軽々と持ち上げ、側にあった長椅子に座らせる。隣に座って、ギュッと手を握ってくれた。
怖い……怖い……どちらもイヤだ。
人を救えるような存在になりたいと医者になったというのに、弟が大怪我の時に何も出来ない自分も許せない。
ぐちゃぐちゃな感情で心がいっぱいになり、正常な判断が出来ない。自分がここまで怯え、錯乱している事も受け入れれない。次第に、呼吸が全く出来なくなってきた。
それに気が付いた葛葉が俺の唇に自分の唇を重ねる。スッと何かが中に入ってくるような感触がし、途端に少し体が楽になった。
「落ち着いて、仁さんは死にはしませんから。私を信じて」
額を重ね、優しい声で葛葉が言う。
わってる。それは、わかっているんだ……。きっとお前ならどうにかしてしまえるんだろう。だけど、そうなったら俺達はお前を失うんだろう?たとえ消えなかったとしても、また三十年も寝られてみろ、今度は立ち直れる自信など無い。罪の意識に苛まれ、自らの命をどうこうしてやろうと考えてもおかしくはないだろう。
だからといって、弟を見殺しになどもしたくない。どう診たってなかりの重症だったのは、俺でも一目でわかるんだ。相当困難な手術になるはずだ。……何にも出来ないくせに、一体俺はどうしたらいいんだ?と無駄に色々考えてしまう。
「自分で自分を苦しめないで下さい。そんな事をしても仁さんの容態は変わりませんよ?」
俺の頬に、葛葉が両手を添える。
「そんなに私の言葉が信用できませんか?何度も仁さんは助かると言っているのに」
「……だが、その為にならお前はなんでもするんだろう?」
図星だったのか、葛葉が黙った。
ゆっくり目を閉じ、少し何かを考えだす。
「そうですね、昴さんがまた何かを失う事になるのなら、きっと私は全力でそれを阻止するでしょう」
やっぱり……。
「でも、私が嫌いなのでしょう?今までの生活に戻れるんです、よかったじゃないですか」
そう言う声が、悲しそうな色を持つ。
「出来れば、俺はどちらも失いたくない……」
「……昴さん」
「どちらも大事だ。すごく、ずっと……一緒に居たい」
頬に触れる手に自分の手を重ね、ギュッと握る。
「失って気が付く前に、失わずに済みたいんだ」
「……その言葉に、偽りはないですか?」
「ああ」
「正直、完治している私の体なら仁さんの状態を治すのは容易い事です。まだ死んではいないですし」
死——その言葉に体がビクッとする。
「昴さん……私と番になってはくれませんか?」
こんな状況でお前はいきなり何を言ってんだ?
「……冗談言ってる場合か?俺は鳥じゃないぞ」
「ごめんなさい、適切な表現が浮かばなくて。ただその、昴さんの力の半分を私にもらえませんか?」
「……力?」
「昴さんの中に眠る邪気を払う力は相当なものです。今まで一度も貴方自身に霊が寄って来る事は無かったでしょう?」
確かにそうだが……。
「それだけのものを半分もらえれば、癒えていないこの体でもどうにかできると思うんです」
「構わないよ、仁が助かるなら。だが……それとお前の言う『番になる』のと、何か関係があるのか?」
「……昴さんの魂を傷つける事になります。なので、出来れば私が責任を取りたいなと」
クスクスと笑い声が出てしまった。
「ようはあれか、助ける代わりにお前と結婚しろって話か?」
「人間の言葉で端的に言ってしまえば、そうですね」
「お前はそんなに俺が好きなのか?」
「……はい」
「人間でも、それでも一緒に居たいのか。どんどん年をとって確実にお前よりも先に死ぬのにか?不毛だぞ」
「そうですね、人間の人生など私達にとっては一瞬です。いつかは昴さんを看取らねばなりませんが……それでも」
大事な者が先に死んでいくのを看取るのは相当辛い。それでも、葛葉は覚悟の上で俺と居たいのか。自分がどれだけ想われているのかを垣間見た気がした。
俺は葛葉に何もしてやっていないというのに。嫌いだという言葉を投げつけるだけなのに、それなのにコイツは——
「……わかった。躊躇している時間も惜しいしな、好きにしてくれ」
「本当ですか⁈」
「そんな嬉しそうな顔をするな、こんな時に不謹慎だろうが」
「ご、ごめんなさい」
葛葉が俺の手を取り、立ち上がる。
「昴さんはそのまま座って、目を閉じて下さい」
言われるままに目を閉じた。
少しづつ体が熱くなる感じがする。
フワァッと髪の毛が浮くような感じも。
瞼を閉じていても、今自分の目の前がひどく明るいのがわかる。
何が起きるんだ?と気になっていると、急に左眼に違和感を感じた。
「んなっ⁈」
驚いて俺が目を開けようとすると「まだ瞑っていて!今の姿を見せたくはないんです‼︎」と言われ、必死にギュッと強く瞑る。
すると、グリュッと何かが抜けるような感覚が体に走った。
「き、気持ち悪い……」
内臓を掻き出されるみたいな感触が気持ち悪く、痛みは無いが吐きそうだ。
「ごめんなさい、もうちょっとだから……」
ゆっくりと熱かった体の温度が下がり、葛葉が手を離した。目を開けてもいいのかわからず、じっと目を瞑ったままでいる。
葛葉が「もういいですよ」と言い、俺の目の下を擦ってきた。
「お前……その目は?」
藍色の瞳が左だけ黒いものになり、鮮血がダラダラと流れ出ていた。
「これは、番の儀のせいです。痛くはないんで平気ですよ。その代わり……昴さんの左目は藍色になってしまいました。……ごめんなさい」
俺の目も?
頬を触ると、俺の瞳からも血が出ているせいで指にべっとりと血がついた。
「私達の種族での古くからの風習なんです。本来は人間と交わすものじゃないので、まさかこんなに血が出るとは思っていませんでした。本当にごめんなさい」
「何かが抜けるような感覚があったのは、俺の力を抜き取ったからなのか?」
気不味げに微笑み、葛葉が首肯した。
「では、少し待っていて下さいね。約束は果たします」
そう言うと、葛葉はスッと俺の前から姿を消した。
◇
「昴!仁の容態は⁈」
廊下の奥の方から母さんのそう叫ぶ声が聞こえ、父さんのドスドスと走る音がする。
「……かなり重態だけど、今同僚の外科医が最善を尽くしてくれてるから」
「……仁……仁までそんな……」
綾を思い出したのだろう。母さんが泣き出し、父さんがそんな母さんの肩を抱く。
「大丈夫だよ、ちゃんと助かるから。俺が保証するよ」
そうだ、絶対に大丈夫。葛葉がそう言っていたんだから。
——三時間くらいは経っただろうか。
血塗れになった白衣を着替え、両親と共に長椅子に座ったまま待っていると、手術室のドアが開いて担当してくれた外科医の若菜が廊下に出て来た。すぐさま駆けより「どうだった?」と訊く。大丈夫だとは思うも、やはり心配だ。
若菜はニヤッと笑い「上手くいったよ」と言いながら俺の肩を叩いてきた。
「最初は出血も多くてどうなるかと思ったんだがな、途中から……何ていうか……うーん……」
口に手をあて、眉間にシワが寄る。
「ハッキリ言っていいぞ?」
「緩やかになんだが、自然に治癒していくみたいな感じが……ちょっとな……。いや、多分気のせいだし。ちゃんと俺も仕事したんだぞ⁈」
葛葉だ……本当にやってくれたんだ。
「わかってるよ、ありがとう」
微笑みながら礼を言うと、若菜がすごく嬉しそうな顔をしてくれた。
「お前が礼だなんて……しかも笑った顔なんてするんだな!」
「そんなに変か?」
「ああ!凄くな!……でも、その方がずっといいよ」
「……そうか」
「先生、ありがとうございます!本当に……ほんとうに……うぅ」
泣き出す母さんに、困り顔の若菜。
そういえばコイツは、こういうのが苦手だったような。
「母さん、もう休ませてやらないと。コイツだって疲れてるから」
顔をハンカチで押え、母さんがコクコクと頷く。
「悪いな」と小声で言うと、若菜が苦笑いしながら戻って行った。
代わりに看護師が来て、親に色々説明をしだす。
「ここは頼むよ、俺ももう仕事に戻るから」
そう言って、俺もその場を後にした。
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