騎士団長は恋と忠義が区別できない

月咲やまな

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【第六話】最果ての森

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 出来るだけ真っ直ぐ前を向いているつもりなのに、気が付くとロシェルの谷間に目がいっている。気が付いては逸らし、また無意識に見てしまう。そんな不毛な行動を繰り返しながら、森を目指し始めてかれこれ二時間程経過した。
 その間、街を守る巨大な魔法の保護壁を見たり、遺跡群があったりとなかなか見所が多く移動しているだけでも楽しかった……はずだ。実はあまり覚えていない。邪念の発生源がチラチラ視界に入ると、どうしてもまともに旅路を記憶しておけなかった。

「ここで馬はもう降りるぞ。そこに預けておけば、管理の者が我等が戻るまで面倒を見てくれる」
 サビィルはそう言い、翼で森のすぐ側にある小屋を指し示した。
 森へ行く者は多くはないそうだが、かといって少ないわけでもないらしい。魔物の数を減らす為に討伐依頼を受けた警護兵や騎士団達が入ったり、冒険者達が古代の遺物や魔法具を作る為の素材を集める為に来たりするそうだ。
 そんな者達の為、馬車屋は共同で貸出した馬を一時的に預かる商売を森の入り口でおこなっているらしく、そこへここまで俺達を運んでくれたこの子を預けるのだとか。
 言われた通りその小屋で手続きをし、馬を預ける。そして俺達は、夕方になりそうな空の下最果ての森の中へと入って行った。


 森は入るなり鬱蒼としていて少し暗く、漂う空気には妙な重さがあり、気温が低い。木々は歪な形で空へと伸び、禍々しさすら感じさせる。物語だと『魔女の森』や『死の旅路』といった名前がつきそうな雰囲気だ。
 そんな場所なのに、俺が目下気になるのは別の事だった。
 谷間が見える様な格好のロシェルでは寒いのでは?と思い「寒くないか?」と声をかけると全然平気だと言われて安堵した。
 森の中に道らしい道は無く、獣道に毛が生えた程度のものだけだ。薄暗さすらある道をサビィルが飛んで道案内をし、先に歩くシュウが白い体を光らせて足元を照らしてくれた。
「シュウが役に立つ日がくるとは……」
 愛らしい姿を愛でさせるくらいしか出来る事が無いのかもと正直思っていたシュウが、しっかりと使い魔らしく働く姿に少し驚いた。
「もっと色々出来るみたいですよ。なんたってこの子は、この世界を作った神々が、異世界を旅した時にオトモだった子なんですからね」
 今は自分の使い魔だからか、ロシェルがとても自慢気に話す。
「由緒正しき存在だったのか。……ん?シュウがカルサールにいたという事は、ここの神々とやらも俺の世界に来た事があるのか?」
「そうなりますね。似た様な物がこの世界にもあるのなら、気に入って取り入れた物なのかもしれませんよ?」
「なるほど」
 納得し、頷く。建造物や生き物、植物など共有する物がかなり多い事の答えを得た気がした。

「この辺はまだ魔物もいないはずだ。もう少し先に進んだら野営準備をしようか」
「わかった。その辺の事は任せてくれ」
 教えてくれたサビィルにそう答えたのだが、「すまん、言ったそばから早速一匹こちらへ向かってきている!すぐ来るぞ!前方だっ」と大声で叫んだ。
 それを合図に俺は肩にかけていた鞄を隅に投げ捨て、大剣を構えた。
「くるぞ!」
 サビィルの叫ぶ声と同時に、四つ足の獣が腐った様な姿をした物体が、形容し難い呻き声をあげて俺達の方へと飛びかかってきた。
「ふんっ!」
 重さの丁度いい剣は扱いやすく、目の前の生き物を簡単に切り裂く事が出来る。真っ二つになったモノは切った側から塵になり、空気の中へと消えていった。
「……これが魔物か」
 初めて見たが、気分のいい物では無かった。しかも、たいした手応えも無く簡単に倒せる。これならば『レイナードが居るから大丈夫』という理由でロシェルを俺に預けたカイル達の言葉にも頷けた。
「この辺はまだいないはずなんだが、珍しいな」
 サビィルが周囲を見渡し、不思議そうに首を傾げる。
「ロシェル、大丈夫だったか?」
 そう言いながら彼女の方を見ると、魔法を使おうとしていたのか、手を前にかざした格好をして下ろすタイミングを逸していた。
「えぇ、大丈夫です。すみません」
 頷いてロシェルが構えを解く。
 また役に立たなかったと言いたげな顔で悄気ているのがありありとわかる。そんな彼女の頭を俺はローブ越しにポンポンと叩き「気にするな」と声をかけた。
「先に進んでまた居ると面倒だ。もう今日はここで野営しよう」
「わかった、そうするか」
 サビィルに従い、投げた荷物を取りに行く。鞄を拾い上げながら周囲を見渡し、どこにテントを張ろうかと考えながら段取りを指示する。
「ロシェル、焚き火を作りたいから乾いた枝をこの辺で集めてきてくれないか?シュウ、お前は彼女について行き守るんだ。出来るよな?」
「わかったわ、任せて!」
 ギュッと両手を握り、少し鼻息を荒げて見えるロシェルがなんだか可愛らしい。
「ピャアァ!」
 そんなロシェルの足元で、得意げな声をあげてシュウが光を撒き散らしながら一回転してみせる。この様子なら大丈夫だろう。
「私は少し周囲を見てくる」
 サビィルはそう言うと、即座に上空へと飛んで行った。
 即座に動いてくれた彼女達の姿を見送る。
 さて、俺はまず今のうちに寝床の確保だと思い、荷物を解いて簡易テントを取り出した……のだが、おかしい。

(——無い……無い、無い!一個しかテントが無いっ‼︎)

「っ‼︎‼︎⁈」
 慌てて全ての荷物を鞄から引っ張り出し、中身を確認する。だが、やはり無い!絶対に一人用の簡易テントを二つ入れた。自信がある。だって、何度も其処は入念にチェックしたのだから!誰かが抜き取ったとしか思えないくらいご丁寧に消えている。

(だが、そんな事誰かがする意味は無いのだし、自分が……間違えたのか?)

 額に手を当て、暗くなる気持ちを何とか鎮めようとするがなかなかそれが出来ない。
 理由は不明だが、無い物は仕方がないと、無理に己へ言い聞かせた。

「……ロシェルだけでも寝かせるか」
 そうだ、それがいい。俺なら野営も徹夜も慣れている。木に寄り掛かり、座ったままでも仮眠程度取る事が出来れば、道中もなんとかなるだろう。
 考えはまとまったので、一つだけしかなかった簡易テントを広げ、仕方無くそれを組み立てる。一人用だと思っていたそれは意外に大きく、どうやら二人用のテントだったみたいだ。
「まち……がえたのか?それにしてはおかしくないか?」
 イレイラが持って来てくれた旅支度の荷物はそれぞれ一人用の物が数個ずつだったはずなので納得が出来ない。出来ないが、目の前にコレがある以上事実として認めねばならないが……これは厄介だぞ。二人用だとなると、俺が『ロシェルだけで』と言った所で彼女が聞いてくれる気がしない。さて、なんと言って説得しようかと悩んでいると、焚き火に使えそうな枝を沢山抱えてロシェルがシュウと一緒に戻ってきた。

「あら、もう組み立てていてくれたのね。ありがとう!」

 少し開けた場所に枝を置き、ロシェルが微笑んだ。
 テントが一つだけである事に疑問が無い様子を見て『もしかして、テントは彼女が入れ替えたのか?』と思った。

「……テントって、もう一つ無かったかしら」

 首を傾げる姿を見て、即座にロシェルを疑ってしまった事を詫びたくなった。
「それが……二つ持って来ていたはずだった物が一つになっていて、しかもこれは二人用なんだ。入れ替えた記憶は無いし確認もしっかりしたから、こうなった理由は全くわからない」
「んー……。仕方がないですね、ここまで来てしまった以上これで寝るしか……な、ないですよ。うん」
「なぁ、テントにはロシェルが——」
 即座にロシェルが俺の言葉を遮り「また!しっかり寝ないとダメですよ。これしかない以上一緒に休むしかないんです!そんなに私と一緒は嫌ですか⁈」と、予想通り俺の考えは否定された。
 その言葉に『異性と一緒に寝られる訳がないだろ!』と反論したいが、その理由を問われては答えられないのでそれも言えない。
 うぐっと声を喉に詰まらせるだけしか出来ないまま固まっていると、それを勝手に同意したものと捉えたロシェルが、頰を赤くしてはいたものの満足げに頷く。
「わかればいいのです。大丈夫ですよ、安心してシド。……使い魔を襲ったりなどしませんから」
 心配していなかった事を言われても、反応に困る。
「さあ、本格的に夜になる前にキャンプの用意をしてしまいましょうか。焚き火の位置はここで問題ないですか?」
 話題を変えたいのか、ロシェルが違う話を始めた。
「あ、あぁ。問題無い」
 俺の声に頷いて応えたロシェルは乾いた枝を組み上げて、魔法を使って簡単に火をつける。火打ち石がいらない事に、今更また驚いた。
 旅の知識はあると言っていたロシェルが、少し安堵した顔になった。実践経験の無い者が教科書通りに出来て嬉しいといった感じに見え、可愛らしさに微笑むのを抑えられない。
 周囲を見回し、座れそうな岩を探す。丁度手頃な物があったのでそれを運ぶと、焚き火の側にそれらを並べた。
 机代わりになりそうな平たい石も小さいながらに見つかり、組んだ木の上にそれを置く。
「こんな石よくありましたね。すごい、テーブルみたいだわ」
 喜ぶロシェルに同意して、二人で椅子代わりの岩に座る。
 焚き火の炎は少しずつ勢いを増し、周囲を温める。追加の枝も後で探して来ようと考えていると、サビィルが見回りから戻ってきた。
「お帰りなさい。周囲はどうだったかしら」
 ロシェルがそう問いながら、サビィルへ右腕を差し出す。そこへ彼が止まるとぶるっと震えてから一息ついた。
「問題ない。この辺はいつも通りまだ安全だった。取りこぼしがここまで来てしまったのだろうな。なに、たまにある事だ心配無い」
 その言葉に頷き「そうか、ありがとう」と礼を伝えた。
「偉いだろう?撫でるか?撫でても良いのだぞ?」
 ふっふっふと笑い、羽をフワッと広げるサビィルを、ロシェルが撫でる。目を細め、うっとりとする姿に俺は少し心が和んだ。
 それを見て、シュウが俺の方へと駆けてきて『自分も!』と言うように手へと擦り付いてきた。促されるまま首の下を撫でてやる。焚き火を囲み、すっかり子ども動物園で動物達と戯れる一団のようになってしまった。
「携帯食があるから、今日はそれで済ませよう。明日は私がウサギでも獲ってきてやるから安心しておけ」
「それならサビィル、私が魔法で罠を張りますからウサギをこちらまで追い込んでもらえませんか?」
「それはいいな。任せろ!」
 名案だとサビィルが何度も頷く。
「じゃあ俺が調理しよう。ロシェルは……やりにくいだろ?」
「えぇ、お願いします。流石にウサギの調理を一からは出来る気がしません」
 そんなやり取りをしながら、ロシェルが持って来た鞄から魔法で防腐処理をしてあるらしい携帯食を取り出す。腹一杯食べる訳にはいかないが、栄養は取れるので夕食はそれで済ませた。
 カップで水を温め、白湯を作る。それを彼女へ渡すと、互いに一息ついた。
「そうだ、見張りは私とシュウでやるからお前らはキチンと寝るのだぞ」
「いや、俺も見張りにつく。交代で——」
 サビィルに向かい言った言葉は「アホか!」の一言で遮られた。この世界は話を最後まで聞いてくれる奴が少なく無いか?と思う。
「私が何のために来たと思っておる!私は夜行性だぞ?昼間に積極的に寝ておいたから、一晩中でも見張れるわっ」
 その一言にシュウまで賛同する声をあげた。どうやら一緒に見張りをするつもりらしい。
「しかし……」
 ロシェルと一緒のテントで一晩寝るのは無理がある。交代出来れば逃げる口実になると考えたのだが、まさかサビィルの方から退路を塞がれるとは……。
「大丈夫ですよ、シド。私は寝相は良い方ですし、貴方の安眠を妨害などしません」
 白湯を飲みながら、ロシェルがまた見当違いの事を言う。
 何故逆の心配をしないんだ?俺はそんなに安全な対象なのか?……そういえば、まず俺は人間だとすら思われていないのだったな。
 自分が彼女の“使い魔”という立場で側にいる事を改めて実感し、納得した。ならば、徹底して使い魔を演じていれば、案外眠れるかもしれない。

(……よし、いっそ俺はただの枕だと思おう。枕が不貞を犯す訳がない。それでいこう)

 戦火で培った精神力を別の方向に発揮し、俺達は手に持っていたカップを石のテーブルの上に置くと、休む為同じテントへ向かう事になった。


       ◇


「案外広いものなんですね」
 ロシェルはそう言うが、決して広くは無いと思う。あくまでも見た目よりはといった程度だ。
 入り口となる布の重なりを捲り、先に入ったロシェルに続き腰を屈めて中へと入る。
 荷物まで中へ入れると流石に狭いので、鞄一式は外に置き、それらには雨や朝露などで濡れないようロシェルが防護壁を張っておいてくれた。
 掛け布団代わりの布が二枚と枕が二つ、テントを組んだ時点で既に運び込んで置いてある。この空間に二人で横になるのだと思うと……『俺は枕だ』と自分に言い聞かせていても、否が応でも緊張してきた。
「……なぁ、ロシェル」
 やっぱり俺は外で見張りを——と言おうとしたのだが、察した彼女が即座に首を横に振る。やっぱりダメだった。
 こういった場合は普通、女性側が抵抗するものじゃないのか?と思うが、比較できるような経験が無いので確信を持って強気に出られない。むしろここまで過剰に地味な抵抗をすることの方がよりロシェルを異性として意識しているとアピールしているに等しいのか?と思えてきた。
「明日から本格的に移動して行くことになるんです。私よりも、シドの方がより負担も大きくなるでしょう。なのでしっかり休んでくれないと。寝不足では皆が危険になりかねません」
 正論を言われては、これ以上何も言い返せなくなった。
「わかりました、ご主人様」
 ちょっとワザとらしく、敢えて“使い魔”っぽく言ってみる。そうでもしないと、この狭過ぎる空間では色々な事を割り切れそうになかった。
 そんな俺の葛藤など素知らぬロシェルは、横になる為ローブを脱ぎそれをテントの中に敷布団代わりにと敷いた。魔法を発動させ光り出した指先でポンッとローブを軽く叩くと、サイズが広がり二人でも寝られそうな大きさになった。
 満足気に微笑み「弾力も持たせましたら、背中も痛くならないですよ」と無邪気に言うロシェル。一緒に寝る気満々だ。
 谷間の見える大胆なラインをした白いワンピース姿のまま、彼女が枕に頭をのせゴロンと横になる。掛け布団代わりの布を体にかけると、不思議そうに俺の方を見上げてきた。

「シドは鎧を脱がないの?」

 うっと喉が詰まった。脱がないと寝難いのは確かだが、身を守る物が無くなるのは妙に心細い。このままでと言いたいところだが、それではまともに寝られる気がしないので仕方なく脱ぐ事にした。留め具を外し、パーツごとに各部位を外していく。その様子をじっと見詰められ、裸になる訳でも無いのに居た堪れない気持ちになってきた。
「何かあったか?」
「え?」
「いや、ずっと見ているから……どうしたのかと」
「……え⁈やだ、すみません。そんなつもりじゃ……」
 無意識の行動だったみたいで、ロシェルはサッと視線を逸らし俺に背を向けた。
 鎧一式を脱ぎ、トラウザーズとイレイラ特製の鎖帷子姿になる。絹布並みの質感と軽さなのに、頑丈さは鎖以上だと得意気に話していた一品だ。このまま寝ても違和感がなさそうだったので、鎖帷子は脱がずに空いているスペースへと横になった。
 ギリギリではあったが足を伸ばして眠れそうだったが、問題は横幅だ。自分の体格だとロシェルにどうしてもくっついてしまう。ギリギリまで離れようとするとテントの布が邪魔で離れようが無い。もっとロシェルも離れてくれと頼むのも失礼な気がして、俺は彼女に背を向ける状態で横向になって休む事にした。
 それでも、少し背中がロシェルに触れている気がする。これは早々に寝るしか無いと考え、俺は羊を数えるかのように『俺は枕だ』とひたすら頭の中で唱え続け、気疲れした体は感謝したいくらい早く眠りに落ちていってくれた。


 そんな一行を、木の陰から見守る男が一人。馬車屋にも居た者だ。
「……何も起きませんね」
 二人用のテントから期待するような音や動きが感じ取れず、ヤキモキする。
「鉄の意志でも持っているのですか、揃いも揃って」
 額に手を当て深いため息を吐く。せっかく敵襲のタイミングで荷物鞄ごと入れ替えたのに、全くの無駄に終わった事に落胆が隠せなかった。
「まぁ……流石に幾夜を共に過ごせば……あるいは——」
 男は言っていて虚しくなってきた。今起こらない事が、明日や明後日なら起こるとはとても思え無い。
 多方面にあらゆる手を尽くしておきたい主人の命でここまで来ているとはいえ、もう放置でもいいのでは無駄ですよコレ、と正直なところ考え始めている。かといって帰るわけにもいかない彼は近くの木に飛び乗り、一夜の休憩へと入った。


       ◇


「……ん」
 ドスの効いたあまり可愛らしく無い鳥の鳴き声が遠くで聞こえ、私は朝がきた事を認識した。
 目を閉じたまま短い声をあげたが、あまりに寝心地のいい感触にこのまま起きてしまうのが勿体無く感じてしまう。瞼を開けるのはまだ億劫だったのも重なって、私はそのまま寝床を堪能する事にした。
 抱き枕がとても温かく適温で心地いい。硬くて大き過ぎるのが難点だなと思いながら必死に抱きつき、顔を押し付けた。

(……あれ?テントの中に抱き枕?持ってきたかしら、そんな物)

 疑問に思い、本当にそれは抱き枕なのか確認せねばと目を開けた。するとそれは一面鎖帷子に覆われていて、見た感じにもかなり硬そうだった。
 まともな思考など出来ぬまま、なんとか頭を動かし上を見る。すると、抱き枕だと思っていた物体の先にシドの後頭部が見え、私はやっと抱き枕だと思って抱きしめていた物が彼の背中だと理解した。
「ひゃっ」
 驚き、小さな声が出てしまったがシドが起きた気配は無く、少しだけ安堵する。今のうちに離れなけらば……と、彼にしがみついていた手をそっと引いたが、シドにギュッと手を握られ動けなくなった。
「っ‼︎⁉︎」
 予想外の事で更に驚いたが、様子を伺ってみてもシドはやっぱり寝ているっぽい。とっても温かいのでくっついていられるのは嬉しいのだが、密着度の高さを意識してしまい心臓がすごい勢いで跳ね始めた。
 昨夜は必死に異性との同衾という、婚前の身には有り得ない状況を気疲れによる睡魔のお陰で何とか乗り切ったというのに、まさか朝にこんな罠が待っているとは。

  側に居たい、離れたく無いと思ってはいるが、流石にこれは近すぎる。

 筋肉質の体はとても男らしく、体温が高い。匂いも何だか野性味があって、シドは使い魔なのでは無く人間の男性なのだなと改めて感じさせた。
 ギュッと後ろから抱き締めるのは初めての事では無いが、前はまだシドを本気で使い魔だと思っていたのでクマに抱きつくくらいの気持ちだった。

 でも今は違う。

 巻き込まれて来ただけの人だとちゃんとわかっているから、この体温や質感は私の心と体を無遠慮に高鳴らせるものだった。優しくて、頼り甲斐があって、カッコいいとか……惚れてしまいそうだ。
 こうも無意識に手を離さないでいてくれたりされると、もしかしてシドも少なからず何か思ってくれているのでは?と期待したくなる。だが、ここに自分達が居る目的が『シドの帰還』の為である事を思い出し、私は胸が苦しくなった。
 帰らせてあげねばと思う気持ちと、離れたく無いと思ってしまう気持ちとがぶつかり合い大喧嘩をしている。ここは仮であっても主人として、帰るという目的を果たしあげねば……そう思うと余計に苦しさが増し、理由のわからぬ感情に支配された。
 手を離せないままグダグダ考え事をしていると、シドの体がビクッと震え手を離してくれた。彼が起きたのかもしれない。

「……おはようございます?」

 確信が無かったので小声で声をかけた。
「な、な……何故こんな事に?」
 挨拶の返事より先に、状況を問われた。まぁ当然だろう。私が背後からしがみつき、これでもかというくらいの密着度なのだから。
「ごめんなさい、抱き枕と勘違いしてしまって」
 素直に謝り、そっと離れる。感じていたシドの温かさが消え、心まで寒くなった気がした。
「か、勘違いなら仕方がないな」
 返ってきた声は裏返ったうえに震えていて、シドが何を考えているのかは読めなかった。
 一度自分から離れたくせに名残惜しくなり、そっと背中に手を当てて頰をくっつける。「んな⁈」と声をあげられてしまったが、彼は逃げなかった。その事に安堵し、背中越しに感じる彼の激しい鼓動の音を聞くと、冷えた心が再び熱を持った気がした。
「よく眠れましたか?シド」
「ま、まぁ何とか」
 先程のように裏返った声で答え、シドが髪を掻きむしった。落ち着かないといった感じだ。
「ロシェルは眠れたのか?狭かったんじゃないか?無駄に大きくてすまない……」
 項垂れるような雰囲気で問う姿が背後から見ても愛らしく、胸の奥を鷲掴みされた気がした。何故この人はこんなにも私の胸を高鳴らせるのかと不思議に思う。
「疲れもあってか、朝までぐっすりでしたよ。狭くなどなかったわ、大丈夫」
 自然と笑みがこぼれる。シドの気遣いがとても嬉しかった。
「それならば良かった。これからが本番だろうから、体力はしっかり回復させておかないといけないからな」
「そうですね。頑張らないと」
 シドのお陰で心も落ち込みも回復出来た気がする。落ち込んだ理由は相変わらずわからなかったが、今日も一日頑張れそうだ。


       ◇


 レイナードとロシェルはその後身支度を整えてテントから出ると、寝ずの番をしてくれていたサビィル達に声をかけた。
「おはようございます。サビィル、シュウ。昨夜は大丈夫だったみたいね」
「あぁ、魔物はあれから全く来なかったから暇なもんだったぞ。シュウがダンスを披露してくれなかったら、あまりに暇過ぎて寝ていたかもしれぬ程安全な夜だった」
「まぁシュウがダンスを!私も見てみたかったわ」
 ロシェルが手を叩き興奮した声をあげると、シュウが「ピャァァッ」と叫びならが何度もジャンプした。楽しみにしていろという事だろう。
「動くたびに光る粒を撒き散らすシュウなら、ダンスは是非夜に見たいな」
 興味を持ったのか、レイナードもちょっと楽しそうに言った。
「そうね、きっと綺麗でしょうね。楽しみだわ」
 考えただけでワクワクしてきたロシェルが、シュウと一緒にクルッと回り軽くダンスを踊る様な仕草をする。そんな二人を見て、レイナードとサビィルは嬉しそうに目を細めた。

 朝ご飯を携帯食で簡易的に済ませ、レイナードがテントを片付けると、彼等は早速黒竜の鱗を探しに森の奥へと歩き出した。
 途中で鱗を拾う事が出来ればそこで目的達成なので帰る予定だが、ここ何年も森の中で鱗を発見したのいう情報は無いらしい。『黒竜は引き篭もりだ』とカイルが言っていたので、住処を探すのが一番確実だろう。カイルは昔この森で黒竜に会った事があるらしく、その時の場所がもしかしたら住処から近いかもしれないという話だったので、彼等は今そこを目指している。
 奥へと向かうにつれ魔物との遭遇率が高くなっていく。
 一体だけだったモノが、二体・三体同時にと増えていった。だが、魔物達は単体では強い存在では無いので、ここまでは全てレイナードが一人で対処している。
「……すごいですね、流石です」
 ロシェルはペンダントサイズにしていた物を元のサイズに戻した杖を強く握りしめながら、感動に声を震わせた。
「出る幕無しですが、そんな事どうでもよくなりますね!カッコイイです!惚れ惚れするわ」
 一人で魔物を一掃し続けるレイナードに、ロシェルがすっかり心を奪われている。絶賛しながら頰染めていて、彼を見る目は完全に恋する乙女なのだが、その事にレイナードどころか本人すらも気が付いていない。そんな二人を見て、サビィルは呆れっぱなしだった。

 食料は昨夜話し合ったように、森にいる獣をサビィルが追い立て、ロシェルが雷の魔法で罠を仕掛け、調理はレイナードがする。食べられる木ノ実などをシュウが見付けるといった具合に、見事な役割分担をして調達する事が出来た。
 豊かな大地を誇るこの世界は水場の発見にも困る事なく、上空からサビィルが川を探し出し確保した。
 夜には一緒にテントで寝るロシェルとレイナード。
 初日の様に、レイナードは寝ようとするたびに『今度こそ何も起きないようにせねば』と緊張しっぱなしのスタートだったが、朝起きた時には彼女に腕枕をした状態で目覚めるなど、日を追うごとに密着度はアップしていった。
 そのたびに『何故こうなった⁈』とは思うが、自制心が強くても所詮はレイナードも男だ。可愛い女性に密着されるのは嫌じゃ無いので、必死に抵抗する事はしなかった。避けられない以上、もうこれは役得なのだと思う事にした。

 ——そんな事を繰り返しながら、早くも一週間がすぎた。
 成果は全く得られず、体力だけが疲弊していくが、ロシェルの心は軽かった。
 黒竜の鱗が見つかれば、レイナードは古代魔法により元の世界へ帰ってしまう。でも、見つからなければ、まだ彼の側に居られる。
 彼の願いを叶えたい気持ちと離したくない気持ちがせめぎ合い、何度考えても後者が勝ってしまう。本気で探してはいるが、見付からなけれないいとも思っていた。
 ここに居る間は離れないで済む。その事を励みに、ロシェルは慣れない森での野営生活を乗り切っていた。

 レイナードはといえば、黒竜やその鱗が見付からない事に焦りは無かった。その一番の理由を彼はわかってはいなかったが、焦った所でどうにかなるものでも無いと思っているのは確かだ。
 領地の管理や騎士団長としての責務など、気掛かりな事は確かにあるが、自分でなければならない理由は無い。自分が戻らなくてもカルサールには優秀な者が多くいるので『絶対に早く帰らねば国が!』とは思えなかった。
 家族は戦争で失い、もう居ない。
 親しい友人は多く居るが、戦地に行くたびに彼等との別れは常に覚悟していたので、今もその延長の様な気分だった。

 離れたく無いと願う者と、現状に対し達観した者。
 そんな二人の旅路は、サビィルが心配になる程ゆったりとしたものとなるのだった。
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