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【第三章】

【第六話】契約とお買い物(メンシス・談)

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 何の迷いも無くカーネが契約書にサインをしてくれる。この書類は魔法契約書でもある為、これで契約内容は絶対的なものとなった。万が一彼女が契約を破ろうとしようものならペナリティーが発生する。何が起きるかは契約書を制作した者の裁量に任されているので、今回は睡眠魔法を付与しておいた。
 例えばの話。もし私への報告も無しに敷地の外へ出た場合はその場で即眠りにつき、朝まで目を覚さない。いっそ発動して欲しい様な、約束を守って欲しいような…… 複雑な気分である。

「これで大丈夫ですか?」
 羽ペンを持ったまま、カーネがこちらを見上げた。たったそれだけの事なのに心が躍り、今までその体ごと“ティアン”を壊してしまいたい衝動を耐えに耐えてきて本当に良かったなと心底思う。

 書類を手に取り、中身を確認する。違反すると何が起きるのかなどは訊かれてもいないので話さなかった。
「はい、大丈夫ですよ。仕事は明日からでも大丈夫ですか?」
「問題ありません」と何の疑問も抱いていなさそうな顔でカーネが頷き返してくれる。もしかすると、魔法契約書である事にすら気が付いていないのかもしれない。
「仕事の合間を縫って、神力の扱い方などの練習をしていきましょうか」
「わかりました。よろしくお願いします」

「あ、そうそう、もし僕が規約違反をした場合は給料の三ヶ月相当に値する品物を貴女に贈りますね」
「え?」と驚く顔もとても可愛い。ついつい口元が緩んでしまう。
「指輪とかでどうですか?」
「い、頂けません!」
『あラ、素敵ネ。貰っちゃえばいいの二』
 窓辺で寝転がっているララが揶揄うみたいな声で言う。私はララが見えていないていでいるのでさらりと無視をきめたが、カーネの方は『何を言ってるの⁉︎』とでも言いたそうな顔で困っていた。
「まぁ、そもそも違反する様な事はしませんけどね」
 そう言うと、私の言葉を冗談だと受け取ったのか、ほっとした表情になった。綺麗な装飾品だって欲しい年頃だろうに、育ちのせいか、カーネには欲が無さ過ぎて残念だ。

「さて、と——」と口にし、契約書にもう一度目を落とす。“カーネ”とだけサインされた文字を見て複雑な気分になった。私の祖国の言語だと“カーネ”には“犬”という意味がある。そのせいで、最愛の女性を『犬』呼ばわりするみたいでどうも彼女の名前を口にしづらい。かといっていつまでも『貴女』呼びは不自然だ。姉とは不仲だったから、この先“ティアン”としては生きていかないという決断には納得出来ても、全く違う名前で新しい人生を歩む道を選ばなかった事が不思議でならない。今まで“カーネ”として碌な目に遭ってこなかったのに何故なんだろうか。

「えっと、この後何か予定はありますか?」
「いいえ、何も」
「じゃあ、僕と一緒に買い物にでも行きませんか?ついでに近所の案内も出来ますし、明日から着る仕事着なども用意してあげないとなので」
「是非お願いします。私も丁度、買いたい物が何点かあったので助かります」
「決まりですね。出たついでに、外でお昼ご飯も食べて来ちゃいましょうか。僕がご馳走しますよ」
「そういういうわけには」と断られたが、「仕事着を買いのがメインの用事なので、これからの時間は仕事の一環だと思って下さい。となると、食事代は僕が出すのは自然な事ですよね」と返すと、カーネはうぐっと声を詰まらせた。そこですかさずララが援護してくれる。
『あんまり断り過ぎるのも失礼ヨ。カカ様は少食デ、結局トト…… シス様にご馳走して貰ったとしてモ、結局はあの方が残りを食べるだろうから気にしなくてもいいんじゃないかしラ』
 日差しの心地良さで気が緩んでいたのか、ララが“トト様”と言いかけて、名前を言い直した。そのせいで『ん?』と不思議そうな顔をカーネがしているが、「じゃあ、お言葉に甘えて」と言ってくれたので結果良ければと思っておこう。


       ◇


 貴族達のタウンハウスを中心に栄えたウォセカムイ地区内にある、商店が多く並ぶ一帯までカーネと共に足を運んだ。ララももちろん一緒で、あの子はカーネの肩に乗っている。城下町でもあるカルム地区と比べるとこれといったランドマークも無く、華やかさには欠けるが、一通り何でも揃っているから彼女の欲しい物もきっとあるだろう。

(まぁ、無ければ創ればいいだけ、だけどな)

「先に買い物を済ませてしまおうかと思うんですが、お腹の空き具合的には大丈夫ですか?」
「はい、全然大丈夫です」
 眼鏡をきらりと輝かせてカーネが頷く。人の多い通りは苦手かとも思っていたのだが、好奇心の方が優っているのか、何だかとても楽しそうだ。
「では、仕事着を先に選んでしまいましょうか。この通りを少し行った先に、仕事着の取り扱い数が多い店があるのでそこで選ぼうかと」
 本心としては採寸から頼んできっちりした服を仕立ててあげたい所なのだが、明日から着るとなると私が創らねば間に合わない。だが自分でそこまで用意するとなると、欲望がダダ漏れな衣装になってしまいそうなので流石に既製品で済ませるつもりだ。

(最速脱がせたくなる様な服を仕事着として贈るわけにもいかないしな…… )

 だけどちょっとその“欲望のままに仕立てた仕事着”を着ているカーネを想像してしまう。
 短いスカート丈、フリル仕立てのガードルから続く長い脚と肌色の絶対領域、胸元は少し広めに肌が見えて、軽くかがむと谷間が見てるメイド服とか最高じゃないか?と真顔で考えていると、何かを察したララがジト目で見てきていることに気が付き、慌てて咳払いをしてやましい想像は打ち捨てた。


「この角の店で買おうかと」
 この店は私の同族であるルーナ族の青年が家族と共に営んでいる店だ。そもそも此処ウォセカムイ地区はルーナ族が経営している店が多いのだが、ヒト族はそれを知らない。初代聖女の事件以降両種族は断交しており、セレネ公爵家以外とは些細な交易すらもしていない事になっているが、実際にはヒト族のフリをして働いているルーナ族は多数いる。皆私の配下であり、古くからの協力者なので、カーネに悪感情を向ける者はいないから利用するには最適な店ばかりだ。
「…… どうかしましたか?」
 返事の無いカーネに改めて声を掛けると、彼女は少し前に通り過ぎた小さな露店を気にしていた。
「あ、すみません。あの店は何を売っているのかなと気になって」
「あぁ」と答えながら確認すると、複数種類の新聞を扱っている露店だった。
「新聞を売っているお店ですね」
「新聞、ですか」
 存在は知っているみたいだが、実際には読んだ事が無いのだろう。興味津々といった眼差しでじっと見ている。
「買いましょうか?丁度僕も、今日の分は読んでいなかったですし」
「いいですね、そうしましょう」
 ふわりと笑い、カーネが露店まで走って行く。何社もの新聞が並ぶ中、見出しとなっている記事をチラリと読んで欲しい物をカーネが一部手に取った。
「すみません。この新聞を一部下さい」
「あいよ」と短く返す店主にお金を渡して支払いを済ませる。自分が払うと言ったカーネの言葉はすぐに却下した。
「読み終わったら、僕にも見せて下さい。何だったら一緒に並んで読んでもいいですけど」
「あ、私は読むのが遅いので、お先にどうぞ」
 ずいっと渡されたが、受け取らずに彼女に返した。
「シェアハウスに配送される新聞もあるので、僕は先にそっちを読もうかと」
「…… え?そ、そしたら別にこれは買わなくても良かったのでは?」
「いえいえ。定期購入している物とは違う社のものですから、ちゃんと買う価値はありますよ。大きな事件でもない限り、内容は結構違いますからね」
「新聞って、何種類も沢山あるんですね」
「情報は力ですからね。世論操作に使いたい貴族達が新聞社を経営していたりもしているので」
「なるほど」と頷くカーネの選んだ新聞は、セレネ公爵家が経営している新聞社のものだ。見出し部分には『公爵令嬢が乗る馬車が事故に』と書かれていたから、自分の関わった事故の真相がわかるかもと思って選んだのだろう。

「じゃあ次は仕事着を買いましょうか」
「すみません、脱線してしまって」
 カーネが頭を下げて謝罪してくる。いつかやんわりと事故の真相を伝えねばと思っていたのでむしろ好都合だったのだが、そうとは直では言えないもどかしさを感じつつ、私達は衣裳店へと入って行った。
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