上 下
29 / 88
【幕間の物語】

添い寝

しおりを挟む
 馬車の中で首を絞められて五度目の死を迎え、今回は双子の姉である“ティアン”の体で蘇ったカーネは、姉の婚約者であるメンシス公爵とは会いたくない一心で家出を決意した。鞄一つだけを持って屋敷から飛び出し、一夜目は野宿になったが、第二夜となった今日は宿屋『月下草』の二階・最奥にある部屋に泊まっている。思わぬ流れで三日目以降から住む先と職を得て、万人には見えぬ不思議な白猫のララと共に部屋に戻ったカーネは確かに内側から鍵をかけた。——掛けたのだが、何故かガチャリと勝手に鍵が開き、青年が一人、彼女の部屋の中へ忍び込む。

「ありがとう、ロロ」

 青年は小声でそう言うと、木製の扉をするりとすり抜けて顔と前足だけを廊下側に出している黒猫のロロの頭を優しく撫でた。どうやら部屋の鍵を開けた犯人はロロの様だ。そして侵入者の方は、カーネの前では“シス”と名乗っているメンシス公爵だった。
『このくライ、お安いご用ダヨ』
 ニコッと笑うロロの顔は古い童話に出てくる縞模様の巨大な猫にそっくりだ。そのせいか、ロロは嬉しそうに笑っているはずなのに、どうしたって悪巧みでもしていそうな雰囲気がある。

(トト様だって自分でも開けられるノニ、敢えてボクを頼ってくれるのが嬉しイナ)

 ゴロゴロと喉を鳴らしながらロロがメンシスの肩の上に飛び乗った。猫の割に巨体な為、上半身は彼の頭の上に乗せた状態で寛いでいる。高身長のメンシスの上に更に黒猫が乗っかると今にも天井に猫の頭がめり込みそうだ。

 念の為、「眠ってる、よね?」と小さな声で訊きつつ、メンシスが部屋の中を気配も音も無くそっと歩く。起きている様な物音はせず、室内からの返答も無い。深く寝ているっぽい事に安堵しながら彼がもう一歩前に出た時、カーネとララの寝姿がメンシスの目に入った。

「——!(眼福っ!)」

 声は出さず、心の中だけでメンシスが叫ぶ。大声をあげずにぐっと耐えた自分を褒めてやりたい気分になった。『可愛い可愛い可愛い——』と、同じ単語で頭の中がいっぱいになり、頬を染めてメンシスがそっと自分の鼻頭を押さえる。そうでもしないと鼻血が出てしまいそうで、ついつい宥め行動をしてしまった。

 カーネとララはダブルベッドの上でゴロンと寝転がって寝息を立てている。宿泊客側から特に要望が無ければこの宿は、お一人様の客にはシングルベッドの個室に案内するのが通例なのだが、カーネがダブルベッドのある広い部屋の鍵を渡されたのはもちろんメンシスの指示によるものだった。ララに誘導されて到着したこの宿がそもそもセレネ公爵家所有の物件なので、このくらいの細工は造作もない。
「記録しておきたいくらいに、尊い寝顔だな」
『…… マァ、そうダネ』
 興奮気味にそう言うメンシスに、ロロが渋々同意する。我が妹の寝顔の可愛い事よと内心思っていたから、どうしたってロロも否定はしづらかった。

「ロロ。彼女の眠りを深くしてもらえるか?」
『いイヨ、わかッタ』
 ロロは頷くと、すぐにカーネの眠りが深るなる様に魔法をかける。これでもう夜中に自然と目を覚ます心配は無い。だが、このまま放っておけばいつまででも眠ったままになるリスクもある魔法なので、ロロはメンシスがこの部屋から退室したのを合図として解除する様に紐付けをしておく事にした。

『ヨシ、もう大丈夫ダヨ。——もしかシテ、早速子作りすルノ?』

 首を傾げ、期待に満ちた瞳のロロがメンシスに尋ねる。ド直球な問い掛けをされた事でメンシスは口元を少し震わせたが、頬を赤ながら「…… イヤ」と言って首を振った。
「お前達の傍でそれは、な?流石に私も抵抗があるから」
『そうナノ?まだなのカァ』
 残念そうな顔をされ、メンシスが少し困り顔になる。ロロが望んでいるからと免罪符を掲げて睡眠中に襲う事は容易いが、二匹の息遣いを気にしながらは背徳的過ぎて萎えてしまいそうだ。そもそもそんな葛藤をまずするな!と自分に言い聞かせ、メンシスはロロの体を抱え上げると、ぽすんっとララの隣に座らせてやった。

(…… 良い寝顔だ。君の魂がその身に収まっただけで、こうも美しく輝くとは。もっと早くこの体を君に返してやれれば…… 私達はもっと早く、正しい形で再会出来たのに)

 カーネの寝姿を見ながらそんな事を考え、メンシスは彼女の頬を手の甲でそっと撫でた。
 “ティアン”に奪われていた体は、略奪者本人が手放すと決意せねば取り戻せなかった。そのせいで十八年も歪な状態のまま放置せざるおえなかった事が悔やまれてならない。
 あの女ティアンならばもっと早くに“カーネ”を殺そうとするだろうとメンシス達は思っていたのだが、短絡的な性格なくせに、意外と殺意に関しては忍耐強かった事は計算外だった。母親、婚約者、父親、兄とが“歪な者”への殺意を抑えきれずにカーネに手出しをしてきたが、馬車でのトラブルがなければきっと、今もまだ“ティアン”はカーネを殺すにまでは至っていなかっただろうとメンシスは推察している。体を奪った事により、あの魂が一番欲しかったであろう“優位性”を既に得ていた為、自分の代わりに“カーネ”となった者を死なない程度にいたぶって、虐めてなじって、常に己よりも下位の存在にしておきたい欲求の方が遥かに強かったのであろうと彼は思った。

(『お前』は生まれ変わろうが、結局は唾棄すべき存在のままなのだな)

 カーネ達は五歳。メンシスは七歳の頃に参加したお茶会で会った“ティアン”の姿が不意に頭に浮かび、彼は吐き気を催した。その姿に彼女達の前世の姿も重なり、より一層不快感が強くなる。だが…… もう、復讐は果たした。なのにまだこの不快な感情を解消出来ないのは完全に個人の問題である為、メンシスはただただ強く拳を握りしめる事しか出来なかった。


 カーネは寝落ちしてしまったので、掛布もなく、外を歩き回っていた時の格好のままだ。そんな二人の上にメンシスがブランケットを掛けながら、一つロロに提案をしてみる事にした。
「ロロ、今日は皆で一緒に寝るのはどうだい?」
『——ッ!』
 ロロが大きな瞳を更に大きくさせ、すぐ側に腰掛けたメンシスを見上げる。青いキャッツアイには期待が満ちており、まるでお祭り前の子供みたいだ。
『添い寝?二人に添い寝をしてあげルノ?』
 声が弾み、ロロがそわそわと大きな体を揺らす。
「あぁ、そうだ。…… “家族”っぽいだろ?」
 一方で、そう言うメンシスの方は少し瞳に切なさが滲み出ていた。
 ロロだけじゃなく、側でぐっすり眠っているララも『家族』というワードに強い憧れを持っている。それも全ては二人の生い立ちが原因だ。母の胎に居る間に殺されて今の姿となった二匹を相手に、『生い立ち』と言うのも変な話かもしれないが。

(もっと早くに、叶えてやりたかったな…… )

 心からそう思うからかメンシスの表情には憂いが混じる。大きなベッドに家族皆で寝転んで、仲良く寄り添い合って眠るという、ただそれだけの事すらも長い間叶えてやれなかった事への不甲斐なさと、それを不可能とした者達への恨みがましい気持ちで彼の胸の中はぐちゃぐちゃだ。
『ウン!ボクモ、そう思ウ』
 瞳を細めてそう言うロロの表情はとても柔らかくて穏やかだ。目の前にあるささやかな幸せと、緊急イベントへの期待だけを享受している。そんな愛らしいロロの気持ちに水を差すまいと、メンシスは作り笑いをしながらゴロンッと、ちょっと大袈裟な動作でベッドの上で横になった。カーネと彼の間にロロとララが寝転ぶ形となり、自分の腕を枕がわりにして体を横向きにする。ロロは既に液体と化した様にでろんと寝転がり、妹であるララの体にぴたりと寄り添っていた。
『…… 目を覚ましタラ、絶対ララも喜ブネ』
 もう眠気が襲ってきているのか、ロロの声はか細くってとても小さい。
「あぁ、そうだな」

『…… いつカハ、カカ様も喜んでくれるカナァ』
「そうだな。彼女も、喜んでくれる様に頑張ってみるよ」

 眠るララと寄り添うロロの姿を見ているうちに、段々とメンシスも気を緩ませ、彼の頭に尖った獣耳が現れた。背後には大きな尻尾も生え始め、みるみる間に全身が獣の姿に変貌していく。美しい碧眼を持ち、濡れ羽色をした真っ黒な狼の姿に。
『トト様、本体になっちゃっタネ。珍しいネェ、そんなに気が緩むノハ』
「そうだな、やっとこうやって皆揃ったからかもな」
 当人は敢えて変化したのだが、その辺はロロの受け止め方に合わせた。
『フフッ、きっとそうダネ』
 二匹揃って尻尾を嬉しそうにパタパタと動かす。カーネを強制的に眠ったままになどせず、当たり前の様にこうやって眠れる日が来る日を夢見て、ロロとメンシスが瞼を閉じた。

 ヒトであるカーネ、猫の姿をしたロロとララ、そして緊張を解いて狼の姿に戻っているメンシス達の体に窓の外から月明かりが差し込んでいく。その月光はとても優しい光を放ち、まるで月の女神のであるルナディアが彼らの再会を祝福しているかの様だ。まだ全てが『本来あるべき正しい姿』ではなくとも、また逢えた喜びを噛み締めながら眠りに落ちていく彼らの見る夢はきっと、とても幸せなものだろう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

【R18】ヤンデレに囚われたお姫様

京佳
恋愛
攫われたヒロインが何処かおかしいイケメンのヤンデレにめちゃくちゃ可愛がられます。狂おしい程の彼の愛をヒロインはその身体に刻みつけられるのです。 一方的な愛あり 甘ラブ ゆるゆる設定 ※手直し修整しました

美貌の騎士団長は逃げ出した妻を甘い執愛で絡め取る

束原ミヤコ
恋愛
旧題:夫の邪魔になりたくないと家から逃げたら連れ戻されてひたすら愛されるようになりました ラティス・オルゲンシュタットは、王国の七番目の姫である。 幻獣種の血が流れている幻獣人である、王国騎士団団長シアン・ウェルゼリアに、王を守った褒章として十五で嫁ぎ、三年。 シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。 そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。 ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。 そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。 邪魔なのなら、いなくなろうと思った。 そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。 そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。 無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈 
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

処理中です...