上 下
26 / 88
第二章

【第十一話】カーネの食事

しおりを挟む
 宿屋の飲食スペースの一角にあるカウンター席に二人が並んで座る。『随分と強引な人だな』とカーネは思いつつも、本心を口にする事に慣れていないせいか言葉には出来なかった。眼鏡越しに見る彼が纏う色から判断して、悪い人じゃないみたいだしという考えが警戒心が働く邪魔をする。

「改めまして、僕の名前はシス。シェアハウスの管理人を担っています」
「しぇあはうす?」
 初めて聞く単語だった為、カーネはぽかんとしてしまった。もしかするとその単語は一般常識の範囲なのかな?と思うと少しずつ心が焦りだす。

「あぁ、“シェアハウス”は最近人気の新しいシステムですよ」

 カウンター越しにそう教えてくれたのはこの宿で働く男性店員だった。宿泊の受付をした店員と似たような印象の制服を着ており、短めに切った茶色髪には白いメッシュが入るというとても特徴的な容姿をしている。
「はーい、こちらどうぞ」と店員は言って、料理の乗ったトレーをカーネの前に置いた。
「彼の言う通りです。家族向けの大きな作りの部屋や屋敷を複数人で分けて使う感じの、新しい暮らし方なんです。家族で過ごすリビングに該当する部屋は共用スペースとして使用し、あとはそれぞれの個室を各人が借りている感じですね」
 店員の言葉をシスが補足する。二人の方に体を向けて、カーネは知ったかぶりをせずに「なるほど」と軽く頷いた。
「そそ。いいですよ、一人で一部屋借りるよりも断然安いのに、使える施設は家族向けなんで広めだし!」
「一人で暮らすよりも、近くに人が居る分健康面などでもお互いに頼れるので、いざという時に心強いですからね。——ああ、このままでは料理が冷めてしまいますね。僕は気にせずどうぞ召し上がって下さい」
 メンシスにそう言われ、「じゃあ、遠慮なく」と控えめな声で返してカーネが夕食を口にする。夕飯を食べている間中、カーネは頭の中でシェアハウスの件が気になり続けていた。


「——美味しかったですか?」
 カウンター席の隣を当然の様に陣取っているシスが、頬杖をつきながらニコニコとした笑顔を浮かべて訊いてきた。髪の隙間からちらりと見えた瞳の色は碧眼で、カーネの中でメンシス公爵の姿が一瞬浮かぶ。

(…… 瞳の色も、名前までメンシス様と似てるとか、変な偶然もあるものね)

「あ、はい。こんなにしっかり食べたのは…… 初めてです」
 そうは言ったが、トレーに乗っている料理はほとんど残ったままだ。どれも二口、三口程度食べただけでもうお腹がいっぱいで、これ以上は食べられる気がしない。そのせいか『…… しっかり食べた、ネェ』とこぼすララは呆れ顔だ。

(私もこれはもったいないとは思うけど、もう本当にお腹がいっぱいで…… )

 すぐ傍にシスが居る為、ララに言い訳も出来ない。ずっと一日一食の生活だったから食べない事に慣れていて、気持ちがすぐに白旗をあげてしまう。ティアンは痩身が趣味だったからこの体も胃が小さいのかもしれない。まだどれも温かくて美味しそうなのに、食べられない事をカーネは悔しく思った。
「少食なんですね。でもそうだな、あと一口頑張ってみませんか?」
「一口、ですか?」
 シスの方に向かいカーネが顔を上げると目の前に、小さく切った猪肉を乗せたスプーンが口の側まで差し出されていた。

「はい、あーん」

 口を開けながら言うもんだから、シスの真っ赤な舌と綺麗な歯並びが丸見えだ。八重歯が結構鋭く、大型犬の子犬みたいな印象のある彼とはちょっと不釣り合いだった。
「ほら、美味しいですよ。デミグラスソースで煮込んでいるから味もしっかり染みていますし」
「あの、自分で食——」まで言い、カーネがスプーンを受け取ろうとしたが、カーネが口を開けた隙に、口内にそのスプーンを突っ込まれた。さっきも食べたので美味しいと知ってはいたが、知っていようが美味しい物は何度食べようと美味しい。

「もう一口、いけそうですね」
「いえ、あの」なんてか細い声は物ともせずに今度は一口サイズに千切ったパンを差し出された。先程のスープに端っこを少しつけたのか、今にも汁気が滴りそうになっている。
「ほらほら。早くしないと、垂れちゃいますよー」

(あーもう!)

 半分ヤケになりながら口を開け、ぱくっとカーネがパンにかぶりつく。勢いがあったせいでシスの指をカーネが少しだけ甘噛みしてしまった。気味悪がられる!とすぐにカーネは身を引いたが、彼は穏やかな笑みを湛えたまま頬を赤くしているだけだった。

(…… 気持ち悪くない、の、かな?)

 彼の背後には霞草がふわりと咲いては消えていく。花が咲いているから悪感情を抱いている訳ではないと知り、カーネはホッと息をついたが、その時々で背負う花に違いがある事が少し気になった。


「——頑張りましたね」と嬉しそうに言って、シスがパンッと軽く手を叩いた。カーネは少し恨めしそうな瞳をしつつ、「そう、ですね…… 」と小さくこぼしている。もう流石にこれ以上は本当に絶対無理だ。食べ過ぎで胃がムカムカしそうなラインまであと少しといった感じがする。
『それでも半分残っちゃったわネ』
 ララにそう言われても、もったいないけどもう本当に食べられない。残りはどうしたものかとカーネが考えていると、「残りは僕が頂いてもいいですか?」とシスが訊いてきた。頷きで返事をすると、シスはトレーの料理を綺麗に全て平らげていく。カトラリーの持ち方も美しく、流れるような手付きでカーネの残飯を食べ切り、ナフキンで口元を拭いて食事を終える。到底平民とは思えない所作だったが、まるで小さな舞台の演劇でも見終わった様な気分になってしまい、カーネはその事に気が付けずにいた。

「ご馳走様でした」
「あの…… お腹が空いていたのなら、別に頼んでも良かったのでは?此処って、宿泊客じゃない人も注文出来ますよね?」
「あぁ、食事はもう済ませていたので、このくらいで充分ですよ」

(もう食べていたのに、更に追加で食べていたのか!)

 少食の身では成人男性の食事量には驚きしかない。残っていたのが一人前の半分の量だったとはいえ、よく入るなと思いまじまじとシスのお腹をカーネが見ていると、彼がそっと自分のお腹を押さえた。
「そんなに見られると恥ずかしいですよ」
「あ、す、すみません」と言って慌ててカーネが顔を逸らす。「…… 視線だけで、勃つかと思った」というシスの呟きは、「お食事の終わった食器をおさげしてもいいですかー?」と訊いてきた店員の大きな声で見事に掻き消されたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

【R18】ヤンデレに囚われたお姫様

京佳
恋愛
攫われたヒロインが何処かおかしいイケメンのヤンデレにめちゃくちゃ可愛がられます。狂おしい程の彼の愛をヒロインはその身体に刻みつけられるのです。 一方的な愛あり 甘ラブ ゆるゆる設定 ※手直し修整しました

美貌の騎士団長は逃げ出した妻を甘い執愛で絡め取る

束原ミヤコ
恋愛
旧題:夫の邪魔になりたくないと家から逃げたら連れ戻されてひたすら愛されるようになりました ラティス・オルゲンシュタットは、王国の七番目の姫である。 幻獣種の血が流れている幻獣人である、王国騎士団団長シアン・ウェルゼリアに、王を守った褒章として十五で嫁ぎ、三年。 シアンは隣国との戦争に出かけてしまい、嫁いでから話すこともなければ初夜もまだだった。 そんなある日、シアンの恋人という女性があらわれる。 ラティスが邪魔で、シアンは家に戻らない。シアンはずっとその女性の家にいるらしい。 そう告げられて、ラティスは家を出ることにした。 邪魔なのなら、いなくなろうと思った。 そんなラティスを追いかけ捕まえて、シアンは家に連れ戻す。 そして、二度と逃げないようにと、監禁して調教をはじめた。 無知な姫を全力で可愛がる差別種半人外の騎士団長の話。

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈 
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

処理中です...