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第一章
【第一話】初恋は古書の香り
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私の住む地域に古くからある商店街には、昔から一軒の古書店がある。
アンティークショップも併設されているその店は学校の教室程度の広さがあり、アールデコ調の本棚には洋書を中心とした古書がずらりと並び、この国の商店街にあるには不釣合いな品揃えだ。
ガラスのショーケースは蜂蜜色をしたアール・ヌーヴォー調の仕上がりで、中に並ぶ品々はどれも値札が無い為、本気でこれらを売る気があるのだろうか?と、ちょっと思う。
白百合の刺繍が美しい白いドレス、懐中時計、手鏡、紅茶のカップや宝石も入った金属製の栞など、どれも見るからにお値段が高そうで、中流家庭の多いこの街にはやっぱり不釣り合いだなと思っていつも見ている。
天井や壁にはクリスタル製の小さなシャンデリアが数個設置されており、それらが店内を仄かに照らしてはいるが、窓のある方角的に日光があまり入らないせいもあり、店の中は昼間でも常に薄暗い。
なんとなくかかる店内音楽は、全てオルゴール仕立てのクラシカルな曲ばかりだ。
そんな古書店に、私は物心ついた時から時間を見付けては通っている。お店の雰囲気が好きだというのもあるが、一番の理由は…… 店長であるセフィルさんが昔から大好きだからだ!初恋ってやつを、見事に引きずっての行為だった。
「こんにちは!」
学校帰り。鞄を片手に持ちながら扉を開けると、ガムランボールみたいなシャリンとした鈴の音が店内に優しく響く。
「いらっしゃい、柊華さん。そろそろ来る頃だと思って、ココアを淹れておきましたよ」
私の名前を呼び、右眼にモノクルをつけたセフィルさんが、店内に置かれた丸い四人掛けのテーブルの上にカップを置く。その側にはクッキーや焼き菓子の載せられたケーキスタンドが既に用意されていて、美味しそうな香りを店内に漂わせている。瞼を閉じて香りだけ嗅ぐと、絶対にここは喫茶店だった。
「テストはどうだったんですか?」
側に駆け寄る私の為に椅子を引き、セフィルさんが座りやすいようにしてくれる。好意に甘え椅子へ腰掛けると、そっと前へと押してくれた。
「バッチリですよ。セフィルさんのおかげですね」
昔から私は、セフィルさんに勉強をみて貰っている。博識で教え上手な彼は私の不明点を的確に見付けて指導してくれるので、つい毎回テスト前は甘えてしまうのだ。悲しくなる程凡人でしか無い私が、難関校に入れたのはひとえに彼のおかげだろう。
「柊華さんが頑張って勉強したからですよ。私は何も」
隣の席に座り、銀色の長く美しい髪を揺らしながらセフィルさんが首を横に振る。
彼の肌は透けるように白く、シミひとつない。端正な顔は彫刻みたいに整っていて、同じ人間だとは思えぬ程綺麗で、男性というよりも中性的な美を持った女性の様に美しい。かなりの長身で脚も長く、椅子に座っていても彼に視線を合わせようとすると、少し首が痛い。
初めて逢った瞬間『およめさんにしてください』と言ってしまった私の目に狂いはなかったなと、あれから十年以上歳を重ねた今でも思う程に、彼は完成された存在だ。今も昔も、不思議な程…… 微塵も変わらず。
絵画の様に整った笑みを浮かべるセフィルさんの顔にウットリとしながら見惚れていると、「ココアが冷めてしまいますよ」と言いながら、頰をぷにっとつつかれてしまった。
「あ、飲みます!いただきます」
勧められるままカップを手にし、ココアを体に流し込む。外とは違い、涼しい店内には丁度いい温かさだった。
ほっと息を吐き出し、甘い味を噛みしめる。何度淹れてもらってもここ以上に美味しいココアを飲んだことは無いと思う程、今日も美味しかった。ここが古書店だということを、これを飲むたびに益々忘れてしまう。
「…… また髪が伸びましたね」
私の黒髪を一房掴み、セフィルさんが柔らかく微笑む。そんな笑みにドキドキし、私は頰を赤く染めてしまった。
「綺麗だ」と囁き、一房の髪にセフィルさんがキスをしてきた。海外ではよくあることなのかもしれないが、私は生粋の日本人なのでその行為にどうしても意味を探してしまう。だが『なぜそんな事をするんですか?』とは、口に出せなかった。
「セフィルさんの髪の方が綺麗ですよ。銀色で、サラサラしていそうで、長いのに全然傷んだ感じがしないし…… 私なんか全然です」
照れる顔を伏せながら、私も必死に褒めてみた。
そんな私を見て、セフィルさんがクスクスと笑う。
「じゃあ、私のも触りますか?どうぞ」
そう言いながら、セフィルさんが自分のまとめ髪を背中から前へと移動させ、私の方へ差し出してきた。
「貴女の物ですよ、お好きにどうぞ」
にこやかに意味不明な事を言われたが、日本語を間違ったのかな?と私は思った。ここでの生活は長くても、生まれは海外だと聞いた事があるし、きっとそうだ。
「あ、ありがとうございます」
髪を掴まれたまま、差し出された髪を手に取る。はたから見たら、今の私達の姿はきっと滑稽に感じるだろう。
「柔らかいですね、思った以上にサラサラしてる」
錦糸の束を手にしているみたいで、とても気持ちがいい。どんな手入れをしたら、これ程の髪質になれるのか不思議に思うレベルだった。
感心する私に向かい、嬉しそうにセフィルさんが頰を染めて私をじっと見詰める。
視線に気が付き顔を上げると、更に嬉しそうに微笑まれ、私は慌てて髪から手を離した。
「もういいのですか?いいんですよもっと触っても。なんだったら、持って帰りますか?切りますよ」
「え?いやいや!髪ですよ?そんな簡単に切っちゃダメです」
「そうなんですか?私は柊華さんの髪が欲しかったんですが……」
必死に断る私に対し、セフィルさんが明らかに沈んだ顔になる。この様子は本気で欲しがっていたみたいで、かなり驚いた。
私の黒髪など貰ってどうするんだろう。アンティーク品も扱う店だし、日本人形の修復でもするのかな。
「えっと、お菓子もいただいても?」
話題を変えようと、私はケーキスタンドを指差し、訊いてみた。
「もちろんですよ、全てどうぞ。柊華さんの為だけに用意したんですから」
私の髪を離す事なく、セフィルさんがニコニコ笑う。許可は嬉しいが、これでは食べられない。
「えっと……髪を——」
「貰っても?」
言葉を遮り訊かれたが、「離してもらってもいいですか?」と返した事で、セフィルさんがシュンと落ち込んでしまった。
名残惜しげではあるものの、髪を離してくれたのは有難いが、こんな顔をさせたかった訳ではないので罪悪感を感じる。修復の為だという確信は無いが、必要量次第では今度髪を切る機会があった時に美容院から持って帰り、それをわけてあげようと心に留めた。
手を伸ばし、最上段に並ぶスティックチーズケーキを一つ手に取る。それを口に入れると、隣に座るセフィルさんが頭を撫でてくれた。
「お口に合いましたか?テストで沢山頭を使ったでしょうから、甘いものは特別美味しく感じるでしょうね」
咀嚼しながら、コクコクと頷く。
セフィルさんが出してくれるお菓子はいつも彼の手作りだ。イケメンでお菓子も作れるとか、完璧過ぎる。存在が眩しくて、私は食べながらスッと目を細めた。
「ゆっくり食べて下さいね。少しでも長く、一緒に居たいですから」
私の頭を撫で続け、セフィルさんがそんな事を言うもんだから、頰の熱がなかなか引かない。海外から来た人なのだ、きっと歳下にはこうやる習慣でもあるのだろう、うん。
いつも距離感の近いセフィルさんだが、今日は特別近い気がする。何かいい事でもあって、機嫌がいいのかもしれない。もしくは、今日はお客さんが少なくて、人恋しいのかも。
私は一人勝手に納得し、ココアとお菓子へ勧められるままに手をつける。学校の話や、友達の事などをダラダラと話しながら、私達はお客のいない店内で小さなお茶会を楽しんだのだった。
「これをどうぞ。テストを頑張ったご褒美です」
セフィルさんが文庫サイズの絵本を一冊差し出してきた。
中身が知りたくて古い書物のような風貌の本を即座に開く。すると、本の中から厚紙で形作られたウサギが飛び出し、私は「わぁ!」と声を上げた。
「海外製の飛び出す絵本ですよ。短いお話ですが、英語の勉強にもなると思いまして」
ページを捲るたびウサギとオオカミが色々なポーズで飛び出し、綺麗な背景の中で追いかけっこをしている。どうやら最後には二匹が森の中で沢山のお友達に囲まれながら結婚式を挙げて終わるお話の様だ。逃げて追っての関係だった二匹がどうしてそうなったのか、内容がとても気になった。
「ありがとうございます。…… でも良いんですか?もう何冊も本を貰ってるのに」
私の部屋には、セフィルさんから貰った本が既に棚一つ分はある。売れば高そうな古書からこの様な絵本まで、幅広い種類の本を色々な理由をつけてはプレゼントしてもらっているので、流石に申し訳ない気持ちになってしまう。
「側に居たいだけなんで、気にしないで」
また不思議な言い回しをされて、私は首を傾げた。
何と言おうとして間違ったのかはわからないが、好意を無下にする訳にもいかず、私は今回も素直に本を受け取る事にした。
本を鞄へとしまい、店内の壁に飾られた仕掛け時計を見る。残念ながら、もう帰らないといけない時間だ。
「あ、私そろそろ帰りますね」
名残惜しさを感じつつも、椅子から立ち上がり、鞄を持つ。セフィルさんに切なそうな表情をされ、何とも言えない気持ちになった。
「お好きなタイミングで来てくださいね。何時であろうとも、いつでも貴女を待っていますから」
セフィルさんも立ち上がり、私の頰をスッと軽く撫でてくる。少しくすぐったくて、私はギュッと目を瞑った。
名残惜しそうな顔のまま、セフィルさんが外へと続くドア近くまで歩き、側に立つ。
硝子製のお洒落な扉を開けて上を見ると、一面夕闇の空が広がっていた。雲は少なく、深い青からオレンジ色へと変わる綺麗なグラデーションをセフィルさんと一緒に見ることができ、少し嬉しい気持ちになった。
「じゃあ、また来ますね」
振り返り、店内に居るセフィルさんに声をかける。
「えぇ、また」
短く答え、セフィルさんが軽く手を振ってくれた。
私が店を出ると、すぐに店内の照明が一気に消えた。今日はもう閉店するみたいだ。
前を向き、家路につく。甘味で満たされた体は足取りが軽い。憧れの人と幸せな時間を過ごせたから余計にかもしれない。何をした訳でもないのんびりとした時間だが、それでも私には幸せなひと時だった。
定期テストも終わり、懸念事項が無くなった為か心まで軽い気がする。スキップでもしかねないくらいの足付きで急速に暗くなっていく道を家に向かって歩いていく。
こんなささやかな幸せですら、いつまでも続くものではないとも知らずに……。
アンティークショップも併設されているその店は学校の教室程度の広さがあり、アールデコ調の本棚には洋書を中心とした古書がずらりと並び、この国の商店街にあるには不釣合いな品揃えだ。
ガラスのショーケースは蜂蜜色をしたアール・ヌーヴォー調の仕上がりで、中に並ぶ品々はどれも値札が無い為、本気でこれらを売る気があるのだろうか?と、ちょっと思う。
白百合の刺繍が美しい白いドレス、懐中時計、手鏡、紅茶のカップや宝石も入った金属製の栞など、どれも見るからにお値段が高そうで、中流家庭の多いこの街にはやっぱり不釣り合いだなと思っていつも見ている。
天井や壁にはクリスタル製の小さなシャンデリアが数個設置されており、それらが店内を仄かに照らしてはいるが、窓のある方角的に日光があまり入らないせいもあり、店の中は昼間でも常に薄暗い。
なんとなくかかる店内音楽は、全てオルゴール仕立てのクラシカルな曲ばかりだ。
そんな古書店に、私は物心ついた時から時間を見付けては通っている。お店の雰囲気が好きだというのもあるが、一番の理由は…… 店長であるセフィルさんが昔から大好きだからだ!初恋ってやつを、見事に引きずっての行為だった。
「こんにちは!」
学校帰り。鞄を片手に持ちながら扉を開けると、ガムランボールみたいなシャリンとした鈴の音が店内に優しく響く。
「いらっしゃい、柊華さん。そろそろ来る頃だと思って、ココアを淹れておきましたよ」
私の名前を呼び、右眼にモノクルをつけたセフィルさんが、店内に置かれた丸い四人掛けのテーブルの上にカップを置く。その側にはクッキーや焼き菓子の載せられたケーキスタンドが既に用意されていて、美味しそうな香りを店内に漂わせている。瞼を閉じて香りだけ嗅ぐと、絶対にここは喫茶店だった。
「テストはどうだったんですか?」
側に駆け寄る私の為に椅子を引き、セフィルさんが座りやすいようにしてくれる。好意に甘え椅子へ腰掛けると、そっと前へと押してくれた。
「バッチリですよ。セフィルさんのおかげですね」
昔から私は、セフィルさんに勉強をみて貰っている。博識で教え上手な彼は私の不明点を的確に見付けて指導してくれるので、つい毎回テスト前は甘えてしまうのだ。悲しくなる程凡人でしか無い私が、難関校に入れたのはひとえに彼のおかげだろう。
「柊華さんが頑張って勉強したからですよ。私は何も」
隣の席に座り、銀色の長く美しい髪を揺らしながらセフィルさんが首を横に振る。
彼の肌は透けるように白く、シミひとつない。端正な顔は彫刻みたいに整っていて、同じ人間だとは思えぬ程綺麗で、男性というよりも中性的な美を持った女性の様に美しい。かなりの長身で脚も長く、椅子に座っていても彼に視線を合わせようとすると、少し首が痛い。
初めて逢った瞬間『およめさんにしてください』と言ってしまった私の目に狂いはなかったなと、あれから十年以上歳を重ねた今でも思う程に、彼は完成された存在だ。今も昔も、不思議な程…… 微塵も変わらず。
絵画の様に整った笑みを浮かべるセフィルさんの顔にウットリとしながら見惚れていると、「ココアが冷めてしまいますよ」と言いながら、頰をぷにっとつつかれてしまった。
「あ、飲みます!いただきます」
勧められるままカップを手にし、ココアを体に流し込む。外とは違い、涼しい店内には丁度いい温かさだった。
ほっと息を吐き出し、甘い味を噛みしめる。何度淹れてもらってもここ以上に美味しいココアを飲んだことは無いと思う程、今日も美味しかった。ここが古書店だということを、これを飲むたびに益々忘れてしまう。
「…… また髪が伸びましたね」
私の黒髪を一房掴み、セフィルさんが柔らかく微笑む。そんな笑みにドキドキし、私は頰を赤く染めてしまった。
「綺麗だ」と囁き、一房の髪にセフィルさんがキスをしてきた。海外ではよくあることなのかもしれないが、私は生粋の日本人なのでその行為にどうしても意味を探してしまう。だが『なぜそんな事をするんですか?』とは、口に出せなかった。
「セフィルさんの髪の方が綺麗ですよ。銀色で、サラサラしていそうで、長いのに全然傷んだ感じがしないし…… 私なんか全然です」
照れる顔を伏せながら、私も必死に褒めてみた。
そんな私を見て、セフィルさんがクスクスと笑う。
「じゃあ、私のも触りますか?どうぞ」
そう言いながら、セフィルさんが自分のまとめ髪を背中から前へと移動させ、私の方へ差し出してきた。
「貴女の物ですよ、お好きにどうぞ」
にこやかに意味不明な事を言われたが、日本語を間違ったのかな?と私は思った。ここでの生活は長くても、生まれは海外だと聞いた事があるし、きっとそうだ。
「あ、ありがとうございます」
髪を掴まれたまま、差し出された髪を手に取る。はたから見たら、今の私達の姿はきっと滑稽に感じるだろう。
「柔らかいですね、思った以上にサラサラしてる」
錦糸の束を手にしているみたいで、とても気持ちがいい。どんな手入れをしたら、これ程の髪質になれるのか不思議に思うレベルだった。
感心する私に向かい、嬉しそうにセフィルさんが頰を染めて私をじっと見詰める。
視線に気が付き顔を上げると、更に嬉しそうに微笑まれ、私は慌てて髪から手を離した。
「もういいのですか?いいんですよもっと触っても。なんだったら、持って帰りますか?切りますよ」
「え?いやいや!髪ですよ?そんな簡単に切っちゃダメです」
「そうなんですか?私は柊華さんの髪が欲しかったんですが……」
必死に断る私に対し、セフィルさんが明らかに沈んだ顔になる。この様子は本気で欲しがっていたみたいで、かなり驚いた。
私の黒髪など貰ってどうするんだろう。アンティーク品も扱う店だし、日本人形の修復でもするのかな。
「えっと、お菓子もいただいても?」
話題を変えようと、私はケーキスタンドを指差し、訊いてみた。
「もちろんですよ、全てどうぞ。柊華さんの為だけに用意したんですから」
私の髪を離す事なく、セフィルさんがニコニコ笑う。許可は嬉しいが、これでは食べられない。
「えっと……髪を——」
「貰っても?」
言葉を遮り訊かれたが、「離してもらってもいいですか?」と返した事で、セフィルさんがシュンと落ち込んでしまった。
名残惜しげではあるものの、髪を離してくれたのは有難いが、こんな顔をさせたかった訳ではないので罪悪感を感じる。修復の為だという確信は無いが、必要量次第では今度髪を切る機会があった時に美容院から持って帰り、それをわけてあげようと心に留めた。
手を伸ばし、最上段に並ぶスティックチーズケーキを一つ手に取る。それを口に入れると、隣に座るセフィルさんが頭を撫でてくれた。
「お口に合いましたか?テストで沢山頭を使ったでしょうから、甘いものは特別美味しく感じるでしょうね」
咀嚼しながら、コクコクと頷く。
セフィルさんが出してくれるお菓子はいつも彼の手作りだ。イケメンでお菓子も作れるとか、完璧過ぎる。存在が眩しくて、私は食べながらスッと目を細めた。
「ゆっくり食べて下さいね。少しでも長く、一緒に居たいですから」
私の頭を撫で続け、セフィルさんがそんな事を言うもんだから、頰の熱がなかなか引かない。海外から来た人なのだ、きっと歳下にはこうやる習慣でもあるのだろう、うん。
いつも距離感の近いセフィルさんだが、今日は特別近い気がする。何かいい事でもあって、機嫌がいいのかもしれない。もしくは、今日はお客さんが少なくて、人恋しいのかも。
私は一人勝手に納得し、ココアとお菓子へ勧められるままに手をつける。学校の話や、友達の事などをダラダラと話しながら、私達はお客のいない店内で小さなお茶会を楽しんだのだった。
「これをどうぞ。テストを頑張ったご褒美です」
セフィルさんが文庫サイズの絵本を一冊差し出してきた。
中身が知りたくて古い書物のような風貌の本を即座に開く。すると、本の中から厚紙で形作られたウサギが飛び出し、私は「わぁ!」と声を上げた。
「海外製の飛び出す絵本ですよ。短いお話ですが、英語の勉強にもなると思いまして」
ページを捲るたびウサギとオオカミが色々なポーズで飛び出し、綺麗な背景の中で追いかけっこをしている。どうやら最後には二匹が森の中で沢山のお友達に囲まれながら結婚式を挙げて終わるお話の様だ。逃げて追っての関係だった二匹がどうしてそうなったのか、内容がとても気になった。
「ありがとうございます。…… でも良いんですか?もう何冊も本を貰ってるのに」
私の部屋には、セフィルさんから貰った本が既に棚一つ分はある。売れば高そうな古書からこの様な絵本まで、幅広い種類の本を色々な理由をつけてはプレゼントしてもらっているので、流石に申し訳ない気持ちになってしまう。
「側に居たいだけなんで、気にしないで」
また不思議な言い回しをされて、私は首を傾げた。
何と言おうとして間違ったのかはわからないが、好意を無下にする訳にもいかず、私は今回も素直に本を受け取る事にした。
本を鞄へとしまい、店内の壁に飾られた仕掛け時計を見る。残念ながら、もう帰らないといけない時間だ。
「あ、私そろそろ帰りますね」
名残惜しさを感じつつも、椅子から立ち上がり、鞄を持つ。セフィルさんに切なそうな表情をされ、何とも言えない気持ちになった。
「お好きなタイミングで来てくださいね。何時であろうとも、いつでも貴女を待っていますから」
セフィルさんも立ち上がり、私の頰をスッと軽く撫でてくる。少しくすぐったくて、私はギュッと目を瞑った。
名残惜しそうな顔のまま、セフィルさんが外へと続くドア近くまで歩き、側に立つ。
硝子製のお洒落な扉を開けて上を見ると、一面夕闇の空が広がっていた。雲は少なく、深い青からオレンジ色へと変わる綺麗なグラデーションをセフィルさんと一緒に見ることができ、少し嬉しい気持ちになった。
「じゃあ、また来ますね」
振り返り、店内に居るセフィルさんに声をかける。
「えぇ、また」
短く答え、セフィルさんが軽く手を振ってくれた。
私が店を出ると、すぐに店内の照明が一気に消えた。今日はもう閉店するみたいだ。
前を向き、家路につく。甘味で満たされた体は足取りが軽い。憧れの人と幸せな時間を過ごせたから余計にかもしれない。何をした訳でもないのんびりとした時間だが、それでも私には幸せなひと時だった。
定期テストも終わり、懸念事項が無くなった為か心まで軽い気がする。スキップでもしかねないくらいの足付きで急速に暗くなっていく道を家に向かって歩いていく。
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