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【最終章】本当の夫婦に

【第一話】休日

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 週末が来て、ルスとスキアは二日間の休みを得た。スキアと出逢うきっかけとなった事柄が起きる前まで、ルスは殆ど休みなく働いていたが、状況が改善され、報酬の中抜きをされずに済んでいるおかげでルスもしっかり休暇を満喫出来ている。討伐の同行依頼を得られないせいで暇なのと、仕事をしつつ得られる休暇では質も心境も全く別のものだ。しっかり働いた後で取る休暇は格別なもので、ルスもスキアも無駄に早い時間から活動を始めていた。
 気候の変化が緩やかな地域にあるソワレの春は終わり、夏が近づいてきた今でも過ごしやすい気温のままだ。窓から入り込んでくる日差しも心地いい程度のもので、窓を開けると入ってくる風は眠気を誘う。
 そんな中、スキアはソファーに腰掛け、膝の上で寝転がるリアンの毛をブラッシングしてやっている。『お前はフェンリルだっていうのに、気の抜けた姿なんぞ情けない』と内心では思いつつも、自分の手で毛艶が良くなっていく様子は見ていて楽しい。ブラシで撫でる度に自然と落ちていくムダ毛をルスがかき集め、大きな袋に詰めていく。今までリアンが自分で毛繕いをしていただけだったからか、とんでもない量の毛だ。これを全て集めたらクッションくらいは作れるかもしれない。

「——さて、お次はルスだな」
「…… え?」
 すっかり綺麗になったリアンはスキアの膝からトンッと降り、少しだけ開いていた窓に鼻頭を突っ込んで無理矢理隙間を広げると、早々に外へ遊びに行ってしまった。退屈だった行為から解放されたというよりは、友達に美体を自慢したいという気持ちからだった。
「リアンはもう終わったけど、ルスの尻尾はまだだろう?」
 ぽんぽんっと膝を叩いて、早く寝転べとスキアが催促する。
「…… うぅっ」
 うつ伏せになり、尻尾を晒す自分の姿を想像し、気恥ずかしさが勝ってルスが唸り声をあげた。ブラッシングは気持ちよさそうではあるが、『毎日自分でもやってはいるので必要性は低いはずだ』と表情だけで訴えてみる。
「ほら、早く」
 無言の言い分は一切聞き入れずにすっと瞳を細め、スキアが言う。その色っぽい眼差しには到底抗えず、ルスは渋々といった様子で彼の膝の上にゴロンと横たわった。
「いい子だな」
 くすっと笑いながらスキアが頭を撫でると、ルスの瞳がとろんと蕩ける。お尻を叩かれる前みたいに不恰好な体勢ではあるが、感じる体温に胸がドキドキと高鳴っていく。魔力を契約印へ馴染ませる行為をルスの体が勝手に思い出し、下っ腹の奥でじわりと蜜が染み出した。
「リアンよりは、手入れしてあるな」
「お風呂のたびにちゃんとやってるからね」
 伏せってるおかげで顔が見えないのをいい事にわざと元気一杯に答えてみせた。顔は真っ赤だし、下着が少し濡れた気がするが、『きっと気のせいだ』とルスは呪文の様に頭の中で繰り返している。

「そう言えば、最近シュバルツの姿を見てないね。出会った頃はよく食事時に遊びに来てたのに」

 気を逸らそうとルスはスキアに話題を振ってみた。興味無しと返される懸念も正直あったが、黙ったままブラッシングをされるよりはマシだと判断したのだ。
「知らないのか?アイツは今、護衛の仕事でソワレに居ないぞ」
「え⁉︎し、知らないっ。…… でもそっか、どうりで全然見かけない訳だ」
「随分と薄情な奴だなぁ、プロポーズまでされたのに」
「いや、だ、だって、自分達の事で精一杯だったし、回復担当の補佐とはいえ、教師みたいな仕事って初めてだから」と早口で言い訳を並べ立てて慌てるルスの頭をスキアが優しい手付きで撫でてやる。ちょっと揶揄っただけのつもりだったのだが、ルスにはそうとはわからなかったみたいだ。
「そうだな。そのせいか、毎晩眠りも浅そうだけど大丈夫か?」
「あ、うん…… 」
 みるみると尻尾から力が抜けて、耳も項垂れている。口では「大丈夫だよ、ちゃんと寝てるし」と言っているが、嘘であると体現しているも同然だった。

 実は、契約印へ魔力を馴染ませる行為が完了し、二人の契約が確かなものとなったあの夜からずっと、ルスは眠りが浅いく、夜中によく目を覚ます様になった。契約により、今はもう無尽蔵に使える魔力で無自覚なまま自己回復している為、体力的には問題無さそうなのだが、精神面をじわじわと削られているのか態度に出てしまっている。浅い呼吸を繰り返し、冷や汗をかいた状態で朦朧としていたりも珍しくはない。スキアがぎゅっと抱き締めていると次第に落ち着いて眠りに戻っていくのだが、そのせいで彼はまだルスの側から去れずにいた。
 契約が完了する直前までは普通に眠れていたのに、それ以後はずっと不眠気味になるだとか、『まさか、性質が対局の属性だと悪影響でもあるんだろうか?』と思うと原因もわからぬまま放置は後味が悪い。憑依対象者の絶頂期に捨てる、裏切るなどはお手の物であっても、その逆はどうも苦手で今に至る。ささやかな幸せに浸っている今のルスから去れば、このまま不眠が続き、不幸にしてやったといえなくもないなと考えた日もあったが…… その程度で満足するくらいなら、これまで通り負けを認めて何もせずに離れる方がプライドを守れるなと判断した。

「悪い夢でも見てるのか?」

 毎夜、眠れる様にと寄り添っているスキアはそうであるとわかってはいるが、敢えて口に出して訊いてみた。そろそろ自覚させておこうという気持ちもある。
「…… わかんない。起きたら何も覚えてないし」
「そっか」
 嘘ではなさそうだが、スキアは正直心配だった。彼はあの日以降ルスの過去の記憶を夢に見る事がなくなったが、あんな日々が毎夜夢の中で繰り返されていたらと思うと気が滅入る。たとえ衝撃的な出来事があった日の夢ではなくても、一人寂しく部屋に篭っていたあの時間に囚われて繰り返しているとしたら…… 『コイツを不幸にしてやる』と意気込んで取り憑いたクセに、今では『あの悪夢から解放してやりたい』と願う様になった自分の変わり身の早さを振り返り、スキアは自嘲気味に笑った。

「今日はゆっくり休むといい。掃除も洗濯ももう終わってるし、リアンも速攻で遊びに行ったから、見守っている必要もないしな」

「そうだねぇ。あ、でも、そろそろユキとヤタのお祝いの用意した方がいいと思うんだけ——」
「無駄だな」とスキアがルスの言葉を途中でぶった斬る。
「前に仕事を頼んだ日の終わり際に、『しばらくは交尾に勤しむ』って言ってユキの首根っこ噛んだまま、喜んで巣に飛んで行ったからな。…… 溜めに溜めてきた繁殖衝動だから、まだ当分出ては来ないと思うぞ」
「そ、そっかぁ。鳥さんも大変だね」
 餌の確認をする度に最近は全然減っていなかった事の理由を知り、ルスが納得する。全てをあるがままに受け止め過ぎていたせいでくる己の情報不足を実感したが、かと言って何か改善策があるのかと考えると何も思いつかない。それでもしばらく思考を巡らせてはみたが、『スキアに任せればいいか』と易きに流れた。

 その後も色々な話をしながら、スキアはずっとルスの尻尾をブラッシングし続けていた。丁寧に優しく扱われ、今の格好への気恥ずかしさや、体温や匂いのせいで感じてしまう体の変調よりも眠気の方が上回っていく。
「そういえばアンズも、新し布を仕入れるんだとかで、町から少しの間離れているらしいな」
「あんずさんの方は…… ワタシも、小耳に挟んだよぉ」
 眠気のせいか、ゆっくりとした口調になっていく。そんなルスの耳奥では微かに子守唄の様な声音が流れ始めた。子守唄なんか誰からも歌ってもらった経験の無いルスは聴いたの事の無い音色だったが、ゆるりとした音程と優しい声色、絶妙な音量とか混じり合い、段々ルスの瞼が閉じられていく。窓から入り込む風の心地よさも相まって、ルスの意識がとうとう途切れた。

「…… 眠った、か?」

 しっかり眠るといいと願いを込めて、子守唄をルスの耳奥で流していた主が、彼女の頭を優しく撫でる。
 深く眠った事を確信すると、スキアの体が一瞬でその場から足元にある影の中へずるんっと消えて行く。ソファーに一人寝そべった状態になったルスの体の上に、ブランケットでも掛けるみたいに、彼が着ていた服だけが残っていた。
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