異世界に逃げたら、仮初の夫に取り憑かれた!

月咲やまな

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【第四章】歩み

【第一話】月夜(スキア・談)

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 寝付けない夜。窓越しに見上げた夜空に満月が光り輝いていると、思い出す奴がいる。何十年、いや…… 何百年以上も前に喧嘩別れをした友の姿をあの月に重ねてしまうのだ。この世の全てを呑み込みそうな程の闇夜の中で、気高くも美しく輝く月は奴の瞳によく似ている。

 ドラゴン族の長・リュークェリアス。

 ドラゴンは巨狼・フェンリルに並ぶ、いや——もしかすると、それ以上に希少な存在だ。その中でも黒い個体は彼しかおらず、希少種・ドラゴン族の中でも唯一の不老不死個体でもある為、それ故に生命の頂点にも立つ生き物だ。不死身の巨体は影の中に引き込んで喰らう事も不可能で、内側から引き裂こうが、猛攻撃で粉砕しようが瞬時に復活する不滅の体を持つ。奴は彼は僕が殺す事の出来ない無二の生き物であり、彼も彼で、肉体を持たない僕を害する事が出来ない為、対等な存在として僕らは永年“友”という関係を続けてきた。

 当然、最初の頃の僕は奴を嫌っていた。制圧不能でこちらが絶対に優位に立てない相手だ、そんなの誰だってただただ恐ろしいに決まっている。警戒心を隠す事なく、毛を逆立てた猫みたいに今にも噛みつきそうな態度をずっと取っていたのに、次第に、会うたび会うたび気さくに接してくるアイツの態度に絆されていき、気が付けば利害抜きで気兼ねなく話せるくらいの存在になっていた。

 喧嘩別れをしたあの日だってそうだった。僕の領域で二人、最初はどうでもいい話をしていたんだ。『巣の近くで猫が出産をしたんだが、母猫が死んでしまったから仔猫を保護しようかと思っている』だの、『最近雨が続いているから山崩れが心配だ』だの。いつもの様に僕とは全然関係の無い話ばかりだったが、対等な関係にある者の側に居るというのは案外心地良く、そうかそうかと聞いているだけで楽しかった。
『猫なんかどうでもいいだろ。どうせ勝手に育つさ』
 肉体を持たない僕の声に耳を傾け、ははっと短く笑いながら『可愛いんだぞ、生まれたての猫は』と言って、今度はいかに仔猫が可愛いかを教えてくれる。
『君だって、いつかはあの可愛さがわかる日がくるよ』
『やめろ。そんな感情、気色悪いだけなのに、アンタが言うと本当になりかねないんだから勘弁してくれ』
『あぁ、そうだね。でも、だからそうならないように、いつも此処で話しているんじゃないか』
 そう言って、リュークェリアスが周囲を見渡す。上や下どころか広ささえもわからないくらい真っ暗な漆黒の空間の中で、奴だけが悠々と存在し、淡い光を纏っている。僕の領域である影の中でドラゴンの姿を保ったまま、その身を僕に喰われる事なく優雅に寛ぐ様子はまるで一枚の絵画の様だった。

 そんなリュークェリアスが発した声は、言葉は全て、力を持っている。

 所謂『言霊』と言われる能力だ。だから不用意に無闇な事は話せない。それが現実になってしまう可能性が非常に高いからだ。だからこそ、リュークェリアスは僕と良好な関係になる事を願っていたそうだ。“僕”という個を持った闇は、影は、奴の“声”ならば喰らう事が可能だからだ。影が織りなす闇夜の世界に篭っていれば奴も好きに話せる。何だって言える。

 黒竜・リュークェリアスが、ただのリュークェリアスでいられる唯一の空間を僕は提供出来る。

 あの日、あの時までは、その事が誇りだった。全ての生き物の頂点にある者が無防備に素を晒してくれるんだ、そんなの…… 嬉しいに決まっているじゃないか。

『…… はぁ』
『どうしたんだ?今日は、随分とため息が多いな』
 よくよく観察すると表情も少し冴えない気がする。真っ黒な鱗に覆われた奴の巨体では流石に顔色の変化までは全く掴めないが、何となくそんな感じがした。
『そうかい?…… いや、そうだね』とこぼし、一考してから、リュークェリアスはぽつぽつと語り始めた。
『——実はね、大事にしていた魔法生物が死んでしまったんだ』
『魔法生物が、か。それは、御愁傷様と言うべき、かな?』
 奴は生きている者に対しては満遍なく優しいが、失った者を相手に感傷的になっているリュークェリアスをこの時初めて見た。永い永い時を生きているからこそ、自分の手から零れ落ちて逝った者をいつまでも気に掛けたりなんかしないはずなのに。ましてやその対象が泥人形にも等しい“魔法生物”となると、益々今のリュークェリアスの心情が理解出来ない。

『初めて私の鱗を核として創った個体だったからね、子供みたいな者だったんだよ』

 膨大な魔力と緻密な想像力を必要とする“魔法人形”の創造。リュークェリアスの得意分野だが、僕には壊滅的にその才能が無く、他者に取り憑いて対象者の想像力を拝借せねば、自分の肉体すら得られない。その想像力の精巧さには羨望を抱く事もあるが、だからって奴に取り憑くつもりは一切無い。対等だからこそ、友という関係は成り立つものだから。
『遠くから聞こえてきた花火の音に驚いてね、急にあらぬ方向へ走り出したと思ったら、そのまま壁にドンッて全身を強打して死んじゃったんだよね…… 』
『おいおい。リュークェリアスの鱗から創ったわりに、随分と脆いな』
『うん。私にも予想外の事だったからかなり驚いたよ。でも、そこまでだったならまだ心の整理も出来たんだけど、運が良いのか悪いのか、意図せずその個体に魂が宿ってしまっていたんだ。核とした私の鱗がその魂と一体化したみたいで回収不能になって、しかもそのまま輪廻の輪にその魂が引っ張り込まれてしまったせいで、もう何処に行ったのかわからず探しようがなくなったんだよ』
『別にそんなの放っておけばいいだろう?小さな鱗程度じゃ、損害も小さそうだし』

『そうはいかないんだ。あの子は君への抑止力のつもりで創った者だったからね』

『——は?』
『ほら、最近の君は変な遊びを覚えただろう?他者に取り憑いて肉体を創造させ、周囲に悪戯を仕掛けるっていうやつだよ。今はまだその程度で済んでいるけど、そういった遊びは度を越していきやすい。際限なく深みにはまり、もっともっとと過激になって害悪を振り撒きかねないからね。でも私では君を止められないから、念の為にと創った子だったんだ』
『…… なんだ、それ…… 初耳だぞ?』
『まぁ…… こんな事でもないと話す気なんか無かったからね。あくまでもあの子は念の為の保険であって、君が現状を維持するのなら使う必要も無いわけだし』

『まだ僕がやってもいない事を先んじて心配して、勝手に「コイツならやるかも」って決めつけるのが、友のする事か⁉︎』

『あー…… 。その事は悪いと思っている。だからこそ、今こうやってちゃんと話しているんだろう?君の遊びは他者の生に介入し過ぎる。「悪戯」なんて軽い言葉で済んでいるうちに止める手段を用意するのも、友の勤めだと私は思う』
『煩い煩い煩い、黙れ!お前ら肉体を持つ生き物が、「腹が減ったから食う」「眠いから寝る」のと同じで、生き物達の悪意の塊から生まれた僕には息をするみたいに自然な行為なんだ!何が善か悪かなんか、お前の主観でしかないだろ!』
 大きな声で叫んでみても鬱憤はまるで晴れない。これで僕にも肉体でもあれば、破壊衝動のままに任せてリュークェリアスに八つ当たりをしてこの苛立ちを発散する事も可能だろうに、今は何も出来ない自分が情けない。

(狡い、酷い、憎いっ!——僕はアンタと対等だと信じていたのに、裏切られた!)

『確かに、そうだな…… 。でも、これだけは聞いてくれ!何も知らずに君が、いつか転生するかもしれない“あの子”に取り憑いたらマズイんだ。あの子は今も“監獄の乙女”と名付けた能力を持っているかもしれない。君の様な精神個体が取り憑くと一生涯閉じ込められる。生まれ変わったからって、私の鱗を宿している以上その能力が勝手に消えるとは思えないんだよ』
『んなっ⁉︎とんでもない生き物を創りやがって!』
『勿論、使う予定なんか無かった。でも抑止力として本当に用意しておかないと、君は私の制止を聞かないだろう?』

『もういい、お前なんか出て行け!』

 耳を塞ぐ事も出来ない僕は、闇雲に大声をあげた。
『待って!あの子は君とは対局の存在だ!惹かれるであろう要素を集めて創った。でももう私の制御下には無いから、君自身が気を付けないと本当に——…… 』と叫び続ける奴の言葉を、『もういい、黙れ!消えろ!』と叫んで遮る。

 強制的にリュークェリアスを追い出し、一瞬にして僕の周囲に静寂が訪れた。奴が消えたからって此処に安らぎなんか無い。ただ重苦しいだけの闇が僕を包み込む。何も持たない僕は悔しかろうが悲しかろうが泣けもせず、裏切りに対しての怒りに支配されようが、何も出来やしない。

『何かを食べてみたい』
『匂いを嗅いでみたい』
『目の前のモノに触れてみたい』
『——眠って、みたい』

 生き物ならば当然に経験している事への小さな憧れさえも否定された気がして、あの時の僕は完全にリュークェリアスを拒絶した。「いつかやるかも」と思われているのなら、すぐにでもやってやると言わんばかりにその後は暴走を極め、色々な悪人に取り憑いては人の欲望を増長させたり、他者を傷付けさせて遊んだり、大量に生き物達を虐殺させ続けた。

 楽しいけど満たされない。
 満たされないから、もっとやる。

 刹那の快楽を求めて繰り返してきたが、本心では、リュークェリアスのくだらない会話のやり取りをしていた頃の方がずっと…… 楽しかった。


       ◇


「…… スキア、眠れないの?」
 薄手のキャミソールにショートパンツ姿という軽装のルスがベッドの上で上半身を起こして僕に声を掛けてきた。魔力を馴染ませる行為で疲れ、深く眠っていたはずなのだが、窓から差し込む月明かりが眩しかったんだろうか。
「悪い、今カーテンを閉めるよ」と言って、すぐに部屋のカーテンを閉める。ベッドに戻ってルスの横に寝そべると、彼女もゴロンと寝転がった。瞼はまだちょっと眠そうで、放っておけばまたすぐに眠りに落ちていきそうな気配だ。
「お月様が綺麗だから、見てたの?」
 小さくて、優しくて、穏やかな声が部屋の中で妙に響いた。
「まぁ、そんな感じだな。…… 闇の中で何かが輝いている様は、見ているとちょっと落ち着くんだ」

(…… いつもなら、の話だけどな)
 
 普段は月を見上げても、ただ意味の無い雑談をした事を思い出すばかりだったから落ち着けたのだが、今日に限って、ずっと記憶の底に沈んでいた出来事を思い出してしまった。よりにもよって一番思い出したくもない、喧嘩別れをした日の記憶だ。

(それにしても、何だってあんな日の事を思い出したのやら)

「わかるなぁ。ワタシも、月を見るのは好きだったから」
 そう言ったルスの瞳には少し寂しさが混じっている。あんな部屋に、閉じ込められたままみたいな生活では何もする事がなかったのだろう。窓からそっと外を見るくらいしか楽しみはなかったのかもしれない。…… そう思うと胸の奥がちくりと痛んだが、どうせコレはそう思われたいルスが僕に感じさせている感情でしかないのだと考えれば、素直に受け止められた。おかげで、「今は、違うのか?」と穏やかな声で問い掛ける事が出来る。
「もちろん今も好きだけど、夜は疲れていて眠ってばかりだったから、最近はのんびり月見とかはしていないなぁ」
「…… 明日にでも、やるか?月見には団子を用意するんだったよな。昼間に作っておくよ」
「いいねぇ、楽しそうだ」
 ふふっと笑ってルスが僕の胸の中に飛び込むみたいに体を近づけてきた。温かくて、いい匂いがし、程よい重さが眠気を誘う。眠れるってだけで幸せな気分になってくるんだから、僕の憑依先となったルスの善良っぷりは恐ろしい。

 この後も二、三言何か言葉を交わした気がするが、覚えていない。この日は久しぶりに深い眠りに落ちたみたいで、ルスの過去の記憶を夢で見る様なこともなく朝までゆっくり寝入った。

 月夜を見上げているうちに思い出した記憶の重要性なんか、全く考えもせずに。
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