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【第二章】嫁々パニック

【第八話】山猫亭③(スキア・談)

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「はぁぁぁぁぁぁ⁉︎」

 店内どころか、外にまで聞こえそうな声をマリアンヌがあげた。彼自身がこの店や周辺一体のオーナーでもなければ通報モノの大声だ。“男”丸出しの低い声だったからか、彼を“彼女”だと認識していたルスがかなり驚き、僕の穿いているスラックスの太腿部分をぎゅっ掴んでくる。その甘えがちょっと嬉しいなと思っている自分に喝を入れつつ、「その夫です」と宣言して僕は軽く手を挙げてみた。

「最初から『誰だ?コイツ』とは思ってはいたけど、ま、ま、まさか、一番有り得ないだろうと思った答えだったなんて…… 」

 愛どころか恋すら理解していなさそうな(実際問題、マジで理解していないのだが)くらいに幼い容姿をしたルスの連れが、こんなオッサンでは確かに一番予想しない関係性だろう。しかも昨日まではこの町に居なかった、急に降って湧いた存在だし当然か。
「…… あ、詐欺?詐欺ね?結婚詐欺。『お金あげるから結婚しろ』って言われて『うん』って答えちゃったんじゃないの?ルスちゃん!」
 結婚詐欺としては辻褄の合わぬ内容を早口で捲し立て、僕の腕の中に綺麗に収まったままになっているルスの方へぬっと筋肉質な腕を伸ばし、マリアンヌが彼女の右手をぎゅっと掴んだ。

「お金なら私がいくらでもあげるから、そっちじゃなくって、私と結婚しときましょ!」

 ごっつい体型の顔だけ美人が、叫ぶわ半泣きだわでもう、この席周辺だけ完全に地獄絵図である。何故僕は、この短時間の間に二度も嫁(仮)が求婚される様子を目にせねばならんのだ。愛情ありきで結婚した訳ではなくても不愉快極まりない。
「まさか、この色香に惑わされたの⁉︎駄目、絶っ対!こういうタイプの男はどこに行っても散々モテまくって浮気し放題よ!釣った魚には餌もやらず、ルスちゃんが浮気を責めれば『お前は黙って家に居ればいいんだ、面倒臭い奴め』って自分の行為を棚上げしてくるに決まってるんだからっ」
 散々な言われ様だが、僕のこの容姿を充分評価しているみたいだ。五十代くらいのオッサンである点を除けば、彫りの深い目鼻立ちや少し垂れ目がちなのに意志の強そうな印象のある青鈍色瞳、シミの無い艶やかな肌質や後ろにただ流しただけなのに様になる髪質などはかなりの高得点をつけられるものがあるので、マリアンヌが警戒心を丸出しにするのも納得である。
「ルスちゃんみたいに純粋無垢な子には付き合いの長い相手の方が絶対にオススメよ!そうね、例えば移住の同期とか!」

(それってもう、アンタ一択じゃねぇか)

 マリアンヌとルスは元々住んでいた世界は違えども、オアーゼにやって来たタイミングがほぼ同時期らしい。前の世界では相当な金持ちで不動産王と呼ばれていたらしく、『やりたい事はもうやり尽くした』という理由で異世界に移住して来たそうだ。優秀が故に教育期間を最短で完了し、この町の立て直しをたった半年足らずでやり遂げたのだとか。その手腕を買われて早々に別の町や大都市から移動願いが打診されたのだが、『此処が気に入っている』と断って、この一体にある賃貸住宅群と山猫亭この店の経営を始めたそうだが、何となく…… ルスとリアンの二人が原因でこの町に残った様な気がしてきた。
「ちょっと待った。マリアンヌとかいったな。君だって彼女みたいなタイプを好みそうには見えないが?どちらかと言うと、彼女の背後で、さも当然顔をしているオッサンの方とお似合いだろ」
 ビシッとシュバルツが僕の顔面を指差してくる。物凄く不快だが、まぁ見た目や雰囲気から察する年齢だけで言うのなら確かに否定は出来ない。

「何言ってんの?そっちのオッサンの雄っぱいがアンタには見えない訳?こんなデカ乳した男は、全っ然私の範疇には入らないわ!」

「…… デカ乳?」と呟きながら、シュバルツとルスの二人が同時に僕の胸を見る。そしてルスはそっと自分の胸に左手を当てて無言のままゆるりと項垂れた。
「確かに、デカイな。男の乳に全く興味の無いボクですら、シャツを着ていてもわかる程の雄っぱいは見事だと思う!」
 ウィンクまでしながら親指を立てているシュバルツに褒められても、ちっとも嬉しくはない。だから何だと言うんだとしか思えなかった。

「胸はね、無くってなんぼなの。ちっぱいこそが至宝っ!年齢が進んでも全くこれっぽっちも育たなかった未開拓感が堪らないのっ。子供みたいなスタイルだっていう事で背徳感を得られるのに、大人だから合法なのよ!陥没乳首だったら尚の事よね、完全無血のまっさら感っ。んー!ホント最高っ」
 熱く語ってしまった後でマリアンヌの顔色がサーッと青くなっていく。本人的には褒めているつもりでも、流石に好みに突っ走り過ぎたと今更気が付いたのだろう。

「ありがとうございます、マリアンヌさん。でももうワタシは彼の妻ですから結婚は無理です」

 冷めた表情をしながら何の迷いもなくルスが僕を選んでくれた。リアン以外には見られた事が無いはずの陥没乳首まで言い当てられて流石にどん引いたのかもしれない。そもそも僕とは契約関係にあるんだから断って当然と言えば当然なのだが…… 地味に嬉しいとか、そんな事は決して思ってはいない。思うもんか、絶対に。
「——あっ!ま、待って。あ、えっと、本心だけどルスちゃんの胸だけが好きって訳じゃないのよ⁉︎」
 慌ててマリアンヌが言い訳を重ねようとするが、他のウェイトレスの「お料理お持ちいたしましたー」の声でかき消されてしまう。

「オーナー。無駄口叩いている暇があるなら貴方も働いて下さいね。ラ・ン・チ・タ・イ・ム、なんですから」

「…… あ、はいっ」
 威圧感たっぷりの笑顔で至極真っ当な指摘をされ、マリアンヌの巨体が項垂れる。先程よりも一層客が増えていて捌き切れていない為、『早く仕事に戻って欲しい』と従業員から言われると、いくらこの店のオーナーであっても我儘は通りそうにはなかった。

「…… ぺったんこな胸が好きってのは確かに事実なんだけど、ルスちゃんの優しい一面とか、頑張り屋さんな所に惚れて、告白したって事はちゃんとわかってね?」
 眦に涙をいっぱいに溜め、マリアンヌが訴える。伝えるだけ伝えたからか、ずっと握ったままだった手をゆっくり離すと、彼は「一年も想っていたんですもの、簡単に諦めたりはしないんだからっ」とだけ残し、立ち去ろうとした。
 そんな彼の背にルスが「マリアンヌさん!」と声を掛ける。
「後でもいいんで、今月分のお家賃払っていきたいんですが大丈夫ですか?」
 今までと全く変わらないルスの態度を前にして、少しの間の後、マリアンヌが「あははは!」と笑う。

「えぇ、わかったわ。じゃあ冷めちゃう前に食べて食べて。もうちょっと店内に余裕が出来たらお家賃貰いに戻って来るわね」

 すっかり気持ちを切り替えたのか、マリアンヌが一度も振り返らずに厨房の方へ戻って行く。そんな姿を無言で見送っていると、シュバルツが頬を赤く染めてぼそっと呟いた。
「二人目の嫁枠は、マリアンヌさんで決まりだな」と。
 ロリッ子つるぺた獣人女子枠にはルスを。多分マリアンヌは美人系高身長女子(男だが。どう誤魔化そうが未改造なボディは完全に男のままだけど)枠だろう。多妻希望とはいえ、無防備な笑顔が可愛かったとかの理由があったとしても、いくら何でも許容範囲の幅があまりに広過ぎやしないか?と思ったが、所詮シュバルツは他人なので口は挟まないでおいた。
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