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最終章

【第話】孕み子との対面

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 幽閉塔の長い長い螺旋階段を上がりきった最上階。
 廊下を少し進んだ先ある部屋の前の狭いホールは、とてもガランとしている。全てが石造りのその空間には、大きな木製の扉と豪奢な椅子、後は車輪の付いたワゴンくらいしか置いておらず、窓から見える景色が絵の様で綺麗な以外は、ひどく殺風景だ。床には絨毯すらも敷かれていない為、無機質な雰囲気をより助長させている。

 そんな空間に一人、柊也は呆然とした顔のまま床の上にぺたんと座っている。
 近くにはルナールの着ていた深緑色をしたローブや白いシャツなどの衣類が無造作に散らばり、鞘に治ったままの長剣と木の葉が一枚ひらりと落ちていた。

「…… ルナール」

 影の姿をした彼がさっきまで居た場所をただ見詰めたまま、柊也が動かない。真っ白いウェディングドレス姿のまま力無く呆然とする姿は、悲しみしか抱えていない。短時間で二度も恋しい人が目の前で失い、もう心はズタズタだ。

『私は、トウヤ様を離す気などありません』

 一番とは言わずとも、ルナールから欲しい言葉を貰えた矢先に彼を失い、正気を保てる気がしない。『好きだ』ってもっと早く言えば良かった。『この先ずっと離れたく無い』と。もっと彼の肌に触れたかったし、『置き土産』だなんて言い訳など抜きにして、きちんと愛し合ってもみたかったのに——

(あぁ…… 今だったら、ニャルラトホテプの気持ちがわかるかも)

 そう思いながら、柊也はゆっくりと立ち上がった。
「…… ルナールの最後の願いを、叶えないと。僕が…… やらないと」
 ぽつぽつと呟きながら、柊也が大きな扉の前に立つ。
 さっきまではブレスレットとお揃いだなとしか感じなかった扉に描かれたつがいのドラゴンの姿が、今では嫌味ったらしいものに見えた。

「願いを叶える…… 望みを、ニャルラトホテプを満足させられれば…… 。あぁ、そうか…… 彼に喰べてもらえば、ルナールの所に行けるじゃないか——」

 柊也は急に、天啓でも受けた様な気持ちになった。
 そうだ、相手は邪神の怨念やら執念だ。愛しいと想う者への愛の示し方など、どうせ限られているじゃないか。そうとわかれば、もう何も怖くない。
 絶望に満ちていた柊也の顔が一転して、とても静かなものとなった。目が座り、達観した様な雰囲気を纏っている。

 ドアノブを回し、“孕み子”をこの世界から隔離している扉を柊也が開ける。幽閉塔全体を含め、強力な結界が目の前に張られているが、彼には全く感じられないし、見えもしなかった。ただ、『扉が開いた』という事実が目の前にあるだけだ。

 広い空間が視界に入り、柊也は真っ先に目に入った者の姿に体が強張った。
「…… 銀色の、ドラゴン?」
 そう、目の前には、ベットがあると思わしき空間に、巨大な銀色の鱗を持つドラゴンが横たわっていたのだ。体を猫の様にゆるりと丸め、目を閉じて眠っている様に見える。
「これが、ユラン王子?」
 慣れない高さの靴のせいで、不器用な足取りになりながら、柊也がユランだと思われるドラゴンへと近づいて行く。
 呼吸をしている事で体が規則的に上下に揺れていて、眠るユランはとても穏やかな顔をしている。長い首と尻尾には角や棘が何本も生えていて、大きな体と背中に折りたたまれた翼はコウモリにちょっと似ている。口元からは鋭い牙が剥き出しになっており、柊也は少しだけ恐怖を感じた。

 ベットの位置まで真っ直ぐに敷かれた細長いバージンロードを思わせる真紅の絨毯を進み続け、柊也はユランの前に立った。声をかけるべきか、触れて起こすべきか…… 。どちらにするか柊也が迷っていると、ユランの鼻先が匂いを嗅ぐ様に軽く動いた。その動きを間近で見て、柊也が少し強張った顔をしていると、ユランの瞼がゆっくりと開き、長い首が優雅な所作で持ち上がった。

「 ………… 」

 互いに目を見合ったまま、黙ってしまう。
 体より少し濃い銀色をした瞳はとても美しく、光を受けてプラチナの様に輝いている。銀色の鱗肌は光を反射する事で虹色にも見えて、とても綺麗だ。さっきまでは怖いと感じた牙や大きな角も、ユランの纏う穏やかな雰囲気のおかげで威圧感は皆無だった。
「は、はじめまして」
 何と切り出すか迷ったが、柊也は無難な言葉を選んだ。開口一番『とっとと喰べてくれ』と頼むのも変だと思ったのだ。
「トウヤ様…… 」
 ユランはそう言うと、柊也の体に巨大な顔を擦り寄せて、甘える様な仕草をした。
「あぁ…… これは夢の続きですか?いや、違う。…… やっと生身でお逢い出来た…… 。ずっと、ずっと恋い焦がれておりました」
 その言葉を聞き、柊也の顔色に少し影がさした。まさか、ルナールの言っていた事が本当になったのでは?と。
「あ、あの僕は——」
 好きな人がいる。いや…… 今はもうどこにも居ない。そのせいで、続きの言葉が柊也の喉から出てこなかった。

(待てよ、完全に“孕み子”をこの現象から解放させるには『ニャルラトホテプの後悔やら怨念やらそんな感じのもんを満足させてみたらどうだ』なんてざっくりとした案しか、今は可能性の高そうなものが無い。そうなると、彼の感情を拒否する様な言葉は、言えなくって正解だったかもしれない)
 そう思った柊也が口を閉じ、目も瞑り、柊也がただ黙ってユランの頬擦りをされ続ける。
 この先どうするべきか少し困っていると、柊也に対し、ユランが額を重ねる様な仕草ををしてきた。

「…… さぁ、約束ですよ。私に『完全なる解呪のヒントか方法』を教えて下さいませんか?」

(約束?…… ユラン王子には初めて逢うのに、何故そんな言い方を?)
 柊也は不思議に思いながら目を開けて、ユランの姿を見た。
 …… 近過ぎてほぼ鱗しか視界に入らなかった事にちょっとだけ笑いながら、彼の鼻根らしき部分にそっと手を当ててみる。白い手袋越しでも、ユランの鱗肌の艶やかさと温かさを感じ、少し心が凪いだ。
「方法を、どうか…… 」
 それを言った結果、自分が本当にどうなるのか、柊也は少し不安だ。
 アグリオスの予想通り喰われて終わるのであればむしろ望ところだし、本望だ。だが、ユランの言っていた『恋い焦がれていた』という言葉がどうにも引っかかってしまう。目を開けるなり甘えてきて、今は額を柊也の全身に押し付けてきている。まさか…… ルナールの予測通り『好きだ、結婚しよう。もう君を帰さない。閉じ込めておけ』なんて流れになったりするのでは?と思うと、なかなか言葉が出なかった。
「…… トウヤ様?如何されましたか?」
 少し距離を取り、首を傾げる様な仕草をしながら、ユランが訊いた。
 その姿を見て、柊也はユランとルナールの姿が重なった。声の感じは随分違うが、口調や甘え方が不思議とかぶる。
(…… いや、そんなはず)
 愛しい者の影をただ追っているだけだ、と柊也は首を軽く横振った。
「すみません、何でもないですよ」
 本当にそうだろうか?と言いたたげに、ユランは柊也に対して疑いの目を向ける。
 体をゆったりと動かし、ユランは伏せをする様な体制になり、柊也に向かって頭を下げた。
「トウヤ様…… 方法を、是非」
 懇願され、流石に柊也も居たたまれない気持ちになってきた。

 このまま迷って、黙ったままでいても何も解決しない。ならばもう、言うしかないのだ。この方法が正しいという保証は無いが、無駄だったとしても、少なくとも抑え込む事は出来るかもしれない。自分ではそれすら無理だったとしても、まだ二人目の“純なる子”という保険だってあるじゃないか。
 そう言い聞かせて、柊也はユランに対し、真っ直ぐに顔を向けた。

「貴方の望ままに。心から欲する事を、満足出来るまでおこなってみてはどうか、と」

 柊也の言葉を聞き、今度はユランが黙ってしまった。目を見開き、石化でもしたかの様に、完全に固まっている。
「…… あの、ユラン王子?」
 柊也が声をかけ、そっと手を伸ばそうとすると、今度はプルプルとユランの体が震えだした。
「ほ、本当に…… それで、良いのですか?」
「いや、成功するかはかなり疑問ですけど、アグリオスさんは、この方法でやってみればみたいな事を…… 」
 ユランの凶器にも似た尻尾がベシュベシュと床の上で嬉しそうに弾む。まるで犬などが喜んでいる仕草みたいだ。周囲の家具や石造りの古い床が壊れやしないか心配でヒヤヒヤするレベルで激しく動いている。そんなユランの尻尾に柊也が気を取られていると、彼は柊也の体を口で軽く咥えてぽいっとベットの上へと落とした。
 一瞬だけ、大きな牙と舌のドアップの中に体を緩りと挟まれ、柊也は生きた心地がしなかった。『喰われたい。ルナールの側に行きたい』といった本心は今でもちゃんと残っているが、それでも怖いものは怖かった。

「トウヤ様からその様なお言葉を頂けるなど、感無量です」

 そう言ったユランの顔はとても嬉しそうに見えて、柊也までは少し嬉しくなってしまう。爬虫類そのものな顔なのに、大きな角とか牙とかまで生えてるのに、なんか可愛いなとまで感じてしまった。
「ど、どういたしまして?」
 柊也がどう答えていいか迷った末に出た言葉がコレで、ユランはクスッと笑った。

「では…… 我が望みのままに、己の根底にある…… 欲望のままに——」

 くすっと笑った愛嬌のある顔が一転して、とても淫靡な表情に変わった。
 目を細め、巨大なベットの上でちょこんと座っている柊也の周りをユランが体を丸めて全身で包み込む。何が起きるのか柊也は焦り、周囲を見たが、鱗肌の尻尾や胴体に完全に囲まれていた。

 早速この時がきたのか、と柊也が姿勢を正し、ベットの上で正座をする。膝の上に拳を作り、瞼を閉じる。穏やかな気持ちで——とは、正直いかず、心臓はバクンバクンと破裂しそうなほどに鼓動を早め、口元は小刻みに震えている。
 ただ考えるのは、ルナールの事だけだ。

 出来れば一瞬で済ませて欲しい。ジワジワと、嬲り殺す様な真似だけはせめて…… あぁ、そういえば“彼”って邪神だったよね。無理か!

 諦めに似た感情を柊也が感じた瞬間、頰を温かなモノでペロリと舐められ、柊也は反射的に目を開けた。
「 ………… 」
 頰を舐めた者と目が合い、柊也が固まる。
「——誰?」
 人の姿をした全裸の男と目が合い、柊也は困惑の末、再びその身を硬直させたのだった。
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