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第四章

【第一話】幽閉塔の王子

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【ルプス王国・王都】
「……ユランは起きている?」
 夕焼けが王都を照らす時刻、ラモーナ王妃は第一子であるユラン王子の居る幽閉塔を訪れた。
 魔力のあるものは非常に呪いの影響を受け易い為、魔力がほぼ無い者が従者として働くこの場所は、念の為にと一年程度で人の入れ替えがおこなわれる。その為ラモーナは今自分が話しかけた相手の名前がわからず、「えっと……ごめんなさい。貴方のお名前は、なんだったかしら?」と、少し気不味げな声で訊いた。彼女の立場的には覚えておらずとも全く問題は無いのだが、息子の世話を一任している以上、相手の名前も知らぬというのはどうにも気持ち的に落ち着かないみたいだ。
「ジェスと申します、王妃様。えっと……孕み子は只今寝ておりまして——」
 そう言うジェスの言葉を「ユランよ」と、ラモーナが遮った。
「え?」
「あの子の名前はユランです。“孕み子”だなんて名前ではないわ」
 ゆったりとした口調で、糸目の瞳は笑っている様にしか見えないのだが、ラモーナから纏う空気からは苛立ちを感じる。幽閉の身という不遇な息子を、孕み子としてしか扱わぬ態度が気に入らず、不機嫌さを隠せない。
「し、失礼いたしました!申し訳ありませんっ」
「……いいのよ。でも、ユランの事は大事に接してあげて下さいね?」
「は、はい!」
 有無を言わさぬ空気感は流石一国の王妃様だ。
「最近のユランはの様子はどうなのかしら」
 幽閉塔の入り口は結界と共に閉まっており、外からは中を窺い知れない。何世代も前に“孕み子”対策にと念の為に作られた建物はもう何千年も前から存在し、蔦が幾重にも巻きついており、所々外壁が老朽化により崩れているせいもあってか、廃墟の様に鬱蒼とした雰囲気がある。夕陽に照らされても尚あまり美しいとは言えない建物を見上げながら、ラモーナはため息をついた。
「最近はほぼ眠ったままなんです。お食事を運んで行っても、朝と昼の分は手付かずのままで、かろうじて夕飯だけは深夜に召し上がっているみたいなのですが、なにぶん起きていらっしゃる姿は一度も拝見しておらぬ為、様子まではわかりません」
「まぁ……それは心配ね」
「はい」
 肩を落とし、ジェスが項垂れる。
 ここへ来て彼はまだ数週間なのだが、その間一度もユランが動いた姿を見ておらず、『まさか死んでいるのでは?』と思ったくらいだ。だが、結界は何重にも張られていてユランの寝屋にまでは入れない。眠るベットを遠くから見て、遠目からなんとなく様子を確認する事しか出来ない。
「上がっていかれますか?王妃様」
「えぇそうね。今日はコンフィチュールを作ってきたから、ユランに渡したいわ」
「きっと喜ばれますよ」
「……そうだといいのだけれど」
 切なそうな笑みを浮かべ、ラモーナが頷いた。


 石造りのゴツゴツとした古くて狭い階段を、長いスカートの裾を持ち上げながら最上階へとラモーナが登って行く。後ろにはジェスが付いて来ていて、王妃の持ってきた籠を手に抱えていた。
 何度も何度もこの階段を上がり下りしている彼女達だが、孕み子を囲う為に張られた結界に近づいて行くたびに肌がビリビリした感じがする。特にラモーナは、ジェスとは違い魔力が強いせいで受ける影響が大きい。結界へと自ら近づいて行く行為はあまり気分の良いものでは無いのだが、息子の顔を見る為なのだとラモーナはぐっと堪えた。

 最上階まで上がりきり、簡素な繕いの廊下を通ってユランの居る部屋へ通じる扉の前に立つ。寝屋も、居間の様なスペースも、壁で簡単に仕切られただけで全て最上階の広間にある。扉を開けて室内を遠くから伺うくらいしかラモーナ達には出来ず、中に居るユランは扉を超えて廊下へとは出られない。豪奢な細工のなされた木製の扉で、互いの世界が完全に分断されているみたいなものだ。
「……ユラン?起きているかしら」
 扉を開けて、結界越しにラモーナがユランに声をかける。だが反応は無い。ジェスの言った通り眠ったままだ。
「やはり、ユラン様は起きられないみたいですね」
 動いている姿を見られる良い機会になるかとも思っていた分、ジェスもちょっとガッカリした。
「今日はね、林檎のコンフィチュールを作って来たのよ。ここに置いておくから、よかったら食べてみてちょうだいね」
 眠っていては聞こえないとわかってはいても、ラモーナは息子に向かってそう言った。
 ラモーナがジェスに目配せをすると彼は頷き、近くに置いてある木製の小さなワゴンを持って来た。コンフィチュールの入る籠を小さな車輪付きワゴンの上に乗せ、そっと押して広間へと入れる。お互いに結界を超えられない為、荷物のやり取りにはこのワゴンを使うしかないのだ。
「ありがとう、ジェス」
 ジェスに礼を言い、残念そうな顔をしながらラモーナがユランの部屋に背を向けた時、「……母上?」と、遠くで声がした気がして彼女が慌てて振り返った。
「ユラン!起きたのね?あぁ……最近はずっと寝てばかりだと聞いたわ。大丈夫なの?体が辛い?お医者様に相談した方がいいのかしら……」
 結界越しにオロオロする母の姿を見て、ユランがくすっと笑った。
 白銀の長い髪を揺らし、ゆっくりとした動きでユランがベットの上で体を起こす。
 横長の目、綺麗に通った鼻筋、陶器の様に滑らかな真っ白い肌と、全てが完成された存在で芸術家の創り出す彫刻の様にユランはとても綺麗だ。優しげな笑みを浮かべた口元は品があり、王子と呼ぶに相応しい雰囲気がある。
 床に裸足を置き、広間の中を扉に向かって歩き出した姿は窓から入る夕陽に照らされ、神々しささえあった。
 生まれた時から一度も切っていない髪をズルズルと床の上にひきづりながらゆっくり歩き、ユランが廊下へと続く扉の前に立つ。生まれて一度もこの部屋を出た事が無いのに病弱な様子は微塵も無く、かなりの長身な上に、服の上からでも多少は察する事が出来る筋肉質なユラン王子の体を見て、ジェスは畏敬の念と共に少しの違和感を感じた。
(……まさか部屋の中を走ったりとか、筋トレでもしてるのかな?)
 広間の中に視線をやり、ジェスはユランがぐるぐると走る姿を想像する。長過ぎる髪はきっと物凄く邪魔だろうなぁと考えた時、全てを見透かす様な顔をしたユランと目が合い、ジェスは慌てて視線を逸らした。
「椅子をご用意しますね!」
 不自然さを誤魔化す様に、ジェスがラモーナの為、廊下の端に置かれた椅子を取りに行った。
「まぁ。ありがとう、ジェス。気がきくのね」
「い、いえ!どうぞ、ラモーナ王妃。えっと、私は階段の中腹にでも居ますので、終わりましたらお声かけください」
「えぇ、わかったわ」
 用意してもらった椅子に座り、ラモーナが頷く。ユランも自分の椅子を用意すると、それに座り、ワゴンの方へ目をやった。
「これは差し入れですね?いつもありがとうございます。この間のクッキーもとても美味しかったですよ」
「まぁ!口に合って良かったわ。私にはこれくらいしか母親らしい事が出来ないから、そう言ってもらえると、とっても嬉しいわ。本当なら、毎日だって顔を出したい所なのに……」
「母上は公務がありますし、父上やライエンの面倒も見ないと。私はもういい大人ですから、放置していて下さっていても問題ありませんよ」
「そうは言っても、心配だわ」
「いつもお心遣い頂きありがとうございます、母上」
 こうして会うたびに二人は同じ様なやり取りを繰り返す。ルーチンワークみたいなものでも、『ユランの不遇は自分が孕み子として産んでしまったせいだ』と自分を責める母の心を落ち着かせる為にはどうしても必要なものだった。
「ところで、最近はずっと眠ってばかりだと聞いたけど、体の調子は大丈夫なの?見た感じでは、とても元気そうだけど」
「問題無いですよ、医者への相談も必要ありません。ただ眠いだけですから」
「呪いや結界の影響かしら……。抑え込む為に魔力を相当使うのでしょう?貴方のおかげでまだこの国の中だけの話で済んでいるけど、それも後何年保つかしら」
「心配いりませんよ。“純なる子”のお力で全てが解決しますからね」
 穏やかな笑みを浮かべたユランの顔を見て、ラモーナも嬉しそうに微笑んだ。
「そうね、そうだったわ。まだお会いしていないからか……異世界から助けが来たという実感が私にはまだ無いの。ごめんなさいね」
「純なる子と直接お逢いする日が楽しみですね」
「えぇ、本当に。私もそう思うわ」
 うんうんとラモーナが頷いた。
 どちらからともなく部屋に差し込む夕陽の穏やかな明かりに目をやり、美しい光景に対し同時に微笑む。窓越しに見える茜色の景色を二人はしばらく見ていたのだが、ユランが何かを思い出したかの様に口を開いた。
「そうだ、母上」
「何かしら?」
「結婚したい相手がいるのですが」
「………………え?」
 えっと……今のは聞き間違いかしら?と、ラモーナは思った。
「ご、ご、ごめんなさい。えっと、今何と言ったのかしら」
 従者か家族とくらいしか会った事の無いユランの一言が、ラモーナは処理出来ずに訊き返した。
「『結婚したい相手がいる』と言ったのですよ、母上」
「……ま、まぁ!う、うれ、嬉しいわ……でも、一体相手は誰なのかしら?」
 戸惑いを隠せず、ラモーナの言葉が吃り、不自然な仕草をしてしまう。
「此度の純なる子である、ツクモ・トウヤ様ですよ」
「……会った事も無いのに?」
 ラモーナの糸目が見開き、一般的なサイズになった。
「だって、私の為に力を身に付けようと国中を回って下さっているのですよ?その様な素晴らしい人に、惚れない方にこそ無理がありませんか?」
 和かな笑みを浮かべ、ユランが当然の様に言った。
 ユランの頰が桜色に染まる様子を見て、じわじわとラモーナの心が嬉しさに満ち溢れていった。息子がこんな顔で笑う様を始めて見たからだ。
「わかったわ、いいでしょう!では私は婚儀の準備をしておくわね!レーニアとライエンにも話しておくわ。でも……純なる子は承諾して下さるかしら?」
 頰に手を当て、「んー……」とラモーナが唸る。
「あぁ。それなら、いざとなったらこの部屋にでも閉じ込めて、夜通しかけて私と結婚する気になる様考えざるおえなくなるまで説得しますから、ご心配無く」
 爽やかな風をまといながら、物騒な事をユランが言う。
「……そ、そう?」
(この子ったら若い頃のレーニアにそっくりね!)
 会った事の無い純なる子に対し『ごめんなさい。ユランの事は私では止められないわ。トウヤ様、色々と頑張ってね!』とラモーナが心の中で謝ったのだった。


 その後もしばらく母親の雑談に付き合い、幽閉塔の広間でまた一人きりになったユランが、ふぅと息を吐いた。
 来訪者と話すというのは楽しい時間ではあるのだが、生まれてこのかた一人きりの時間が圧倒的に長いせいか、人と話し続けていると相手が家族だろうが少し疲れる。いずれ呪いが解ければ第一継承者として王位を継ぎ、多くの者に囲まれて過ごす事となる身としては致命的な欠点だが、育った環境のせいなのでこればかりは本人の意思でどうこうなるものではないのが残念だ。
 ラモーナの持って来てくれた籠を手に持ち、ユランがベランダへ続く大きな窓を開けた。
「ガーゴイル、頼みがあるんだ」
 ユランがベランダの飾りにしか見えない石像に話しかけると、その石像が岩同士を擦った様な鈍い音をたてながらゆっくりと動き出した。
「——お呼びですか?ユラン様」
 地を這う様な低い声でガーゴイルが返事をした。厳つい顔にある牙だらけの口を動かすたびに、ボロボロと薄く小さな石が崩れ落ちる。
「あぁ、すまないがこの籠をに届けて欲しいんだ」
「今回もクッキーですかな?」
「いいや、コンフィチュールらしいよ。林檎のね」
「それはそれは……。きっと、純なる子がお喜びになられますな」
「あぁ、そうだね。楽しみだよ」
 ユランはそう言うと、籠を床に置き、強めに押してベランダへそれを滑らせた。
 ガーゴイルが大きな体をのっそりと動かし、結界外へ出てきた籠を手に持つ。蝙蝠みたいな翼を広げると、彼は即座に空へと飛び立って行った。
 その姿を部屋から見送り、ユランが遠い目をする。
「あぁ、早く——……。トウヤ……様」
 太陽が沈み、夕闇に染まり始めた薄暗い空にユランの小さな呟きが吸い込まれていった。
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