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第三章

【第六話】呪われてなどいませんよ

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 台所にある作業台の上に、クイネがルナールから預かった鞄をドンッと勢いよく置いた。
「重かったぁ!ルナールさんよくこんな物を顔色も変えずに持ち歩いてたな」
 柴犬タイプの獣人であるクイネは柊也くらいの身長しかないせいもあってか、ルナール程力持ちでは無い。居間から台所までの短い距離だったとはいえ、何十キロ分もの食材は鞄の中であろうが重くって持ち難く、うっすらと汗が出てしまった。
 男らしい所を奥さんに見せたかったのに情け無い姿を晒しただけだったなぁとクイネが肩を落としていると、鞄の中からカボチャや白菜などの野菜を引っ張り出しているシュキュウが彼に声をかけた。
「…………あ、ありがとう。助かり、ました」
 野菜を見ながらで目を合わせてはおらず、声も小さかったが、シュキュウから感謝の言葉を貰えてクイネが嬉しい気持ちになった。
「いいんだよ、これくらい。ボク達は夫婦なんだしね」
 ニッコリと微笑むクイネの顔をチラッとシュキュウが見たが、即座に目を逸らした。喜ぶ顔を見られて嬉しかったのに、どうしても眉間にシワがよってしまう。結婚したのだから普通に接しようとこの一ヶ月ずっと思っているのに、全然上手くいかない。焦るせいで微妙な態度になってしまい、実はこの二人、シュキュウ側の問題で初夜もまだだった。
「…………ところで、えっと……お客様のお二人は、どなたなんですか?」
「彼等は“純なる子”だよ。シュキュウの呪いを解いてもらう為に来てもらったんだ」
「…………え?」
 訝しげな顔をシュキュウがした。
 何度も『呪われていない』『解呪など必要無い』と言ったのに、まさか家にまで柊也達を呼ぶ程疑われたままでいるとは流石に思っていなかったのだ。
(そんなに今の自分は変なんだろうか?)
 そう思うと、シュキュウはとても悲しい気持ちになってきた。捨てられない様にと努力していたつもりなのに、嫌われては意味が無い。だけどいったいどう行動するのが正解なのか、ショックのせいもあってシュキュウは段々わからなくなってきた。
「ボクは先に居間に戻っていてもいい?あ、この果物の入った籠を先に出しておくね」
「…………はい。お願いします」
 クイネに話しかけられるたび、きちんと答えねばとシュキュウが一呼吸置いてから返事をする。これさえも、もしかしたらクイネは不快に思っているのかもしれないと考えると、シュキュウはすごく怖くなってきた。
 青ざめる顔を隠す様にクイネから離れ、頂き物を棚や保存箱へしまっていく。
(いっそ呪われているフリでもした方がいいんだろうか。でも、どうやって?クイネさんが何に対し『今までと違うから呪われているんじゃないだろうか』と思っているのかもわからないのに、そんな事は嘘の苦手なワタシじゃ無理だ……)
 大きなキャベツを手に持ちながら、シュキュウが頭の中でグルグルと必死に考える。せめて『何が前と違うのか』くらいは、病院まで解呪に行こうと説得された段階でクイネに訊いておけば良かったとシュキュウは後悔した。
 奥さんが頭を悩ませている事に気が付かぬまま、クイネが果物籠を手に居間へ戻って行く。
 キャベツをひとまず作業台の上に置き、紅茶の用意をする為にヤカンへお水を入れ始めたシュキュウは、どうやって今の状況を解決したらいいんだ?と必死に考え続けた。


 クイネとシュキュウが台所にいる間、二人はソファーに座り、柊也は部屋の中をキョロキョロと見渡していた。きっちり整頓された部屋はとても綺麗で、埃一つ無い。ソファーにテーブル、シックなサイドボード、大きな観葉植物の植木鉢が置いてあるだけで無駄の無い雰囲気がモデルルームみたいでちょっと落ち着かないが、センスはとても良かった。
 僕の部屋とは大違いだなぁと思っていると、壁に飾っている地図が彼の目にふと留まった。茶色いインクのみで刷られた地図をじっと見て、柊也の頭の中が疑問符でいっぱいになった。
「何で……世界地図がここにあるの?」
「お二人のどちらかがそういった物が好きだからではないですか?」
「違う、そうじゃ無くって」
 柊也はそう言うと、ソファーから立ち上がり、地図の飾られている壁に近寄った。
「この地図、ボクの世界の地図だ……」
 よく知った地形に驚きが隠せない。世界地図の隣には日本地図や太陽系の製図まで飾られていている。洋風にデザインされた地図は英語で全ての文字が書かれていて、海外の土産物の様だと柊也は思った。
「お待たせしました!あれ、どうしました?何か気になる物でもありましたか?」
 果物籠を持ったクイネが居間に戻って来て、首を傾げた。
「あ、いえ。何でも……無いです」
 疑問は沢山あったが、今はそれどころじゃ無いなと思い、柊也はソファーに戻った。
 柊也が座ったのを確認してクイネがテーブルを挟んで対面に座る。果物籠をテーブルに置くと、それを二人に勧めた。
「さて、早速本題で申し訳ないんですけど、ウチの奥さんの呪いを解いてもらう事は出来ますか?出来ない場合とかもあるんでしょうか」
 拳を作り、興奮気味にクイネが言った。
「その件なのですが、そもそも彼は呪われていません。呪われていないものは解呪も出来ません。何が前と違うのか私達では詳しくわかりませんが、諦めて下さい」
 クイネに対し、ルナールが速攻で否定した。
「そんなはず無いです!前と全然違うんです。絶対に反転しています。間違い無いです」
 納得出来ず、クイネがルナールに反論した。
「あの……失礼ですけど、今のままでは駄目なんですか?お二人は夫婦なのだし、会話はあった方が幸せですよね?ご飯も一緒に食べられて、同じ部屋に居てくれて、とてもいい関係だと僕は思うんですけど」
「……そ、それはそう……なんですけど」
 柊也の発言は至極もっともで言い返せず、クイネは困った。
「まさか、今の奥さんの事は好きじゃないとか?」
 台所には聞こえぬ様、小さな声で柊也が尋ねる。今までの言動からそんな訳は無いとは思うけど、頑なに呪いのせいで変わったんだと信じて疑わないクイネが不思議でならなかった。
「そんな訳ないです!そうだったらシュキュウの事を“奥さん”だなんて呼びませんもん!」
(……えっと、奥さんと呼ぶ呼ばないが一体どんな証明になるんだろう?)
 柊也が困っていると、ルナールが柊也の耳元に顔を寄せた。
「トウヤ様はご存知無いのかもしれませんが、この世界で“奥さん”とは『家の奥にしまっておきたいくらいに大事な人』という意味なんですよ」
「え、そうなの?」
 んな事わかるか!と柊也は叫びたくなった。随分と差異の少ない世界だが、言葉の意味が変化していたりするので、もしかしたら自分の言葉もたまに彼らには通じていないのでは⁈と、柊也は今更少し不安になった。
「シュキュウの事は本当にとっても大好きです。でも……何で急に変わってしまったのか、ボクには呪いのせいだとしか思えなくって……」
 肩を落とし、クイネが見るからに落ち込んでいる。結婚を機に関係を改善したかっただけだというシュキュウの真意には、どうしても気が付けないみたいだ。

「——……っ」
 紅茶の入るティーポットとカップをのせたトレーを持つシュキュウが、居間へ入る丁度いいタイミングを逃してしまい、廊下の陰で棒立ちになっている。
(ワタシの事を、クイネさんが本当にす、す、好き?しかも、大好きとか……。わぁ……ど、どうしよう、嬉し過ぎてまた何かやらかしてしまいそうだ)
 顔は真っ赤に染まり、シュキュウの体が緊張でガタガタと震えだす。そのせいで食器が音をたててしまい、廊下に居る事が三人にバレた。
「シュキュウ?そんな所に居ないで、こっちへおいでよ」
「…………は、は、はい」
 返事は即座にしたが、一歩一歩がやたらと遅く、牛歩並みだ。
 眉間にシワが寄って、シュキュウが険しい顔つきになる。『お待たせしてはダメだ』と焦るせいで赤かった顔色が青くなり、トレーをテーブルに置いた時には睨みつけるような表情になっていた。
「こちらをどうぞ」
 笑える程震えたままティーポッドを手に持ってシュキュウが紅茶を淹れる。だけど、ソーサーに紅茶を溢す事だけは、ヤモリのプライドでどうにか阻止した。
「ありがとうございます」
 柊也が礼を言い、紅茶を飲み始める。シュキュウは四人分の紅茶をカップに注ぐと、緊張した顔でソファーの横に立ったまま動かなくなった。
「座りなよシュキュウ。ほら、ボクの隣にさ」
 腕を引かれ、シュキュウがクイネの顔をキッと睨みつけるような顔をした。ただ緊張がピークに達しているだけなのだが、大きな黒い瞳が半分くらい閉じられ眉間にシワがよっている。完全に喧嘩を売っている顔付だ。
 奥さんがそんな顔をしているのに、クイネはすごく嬉しそうにニコニコと笑っている。その二人の様子を見て、ルナールの獣耳がピクッと動いた。
「…………はい」
 険しく見える顔のまま一度頷き、シュキュウがクイネの隣に座る。だけどかなり隅っこの方で、お尻が落ちかねない位置だった。

「えっと……呪いのせいではないので僕達ではどうにも出来ないのですが、どうしましょう?」
 シュキュウがせっせと果物の皮を剥き、紅茶が半分くらい減った頃、皮剥きの音だけになった室内に耐えかねて柊也が言った。
「本当に……呪いじゃないんですか?」
 呪いであって欲しいクイネが、諦め切れず二人に向かい問いかけた。
「えぇ。どこにもその形跡はありません」
「…………ワタシは、何度も、そうだと言ったはずですけど……」
 皮を剥く手を止めぬまま、シュキュウがボソッと言った。
「そうだけど、でもシュキュウ……何か変なんだもん。知らない人みたいだ」
 クイネの言葉にショックを受け、シュキュウが持っていた果物とナイフを手から落とした。長く皮が続いていた赤い林檎がテーブルに当たり、跳ね返って床に転がる。ナイフは音もなく、シュキュウの膝に突き刺さっていた。
「シュキュウ!」
 その事に気が付いたクイネが叫び、即座に立ち上がる。ルナールも体を前のめりにして手助けをしようとしたが、夫が動いたので座り直した。
「大丈夫ですか?」
 二人よりもワンテンポ遅れて反応した柊也が、シュキュウに声をかける。
 それに答えようとシュキュウが顔を柊也に向けた時、クイネがシュキュウの穿くズボンの一部を破き、脚に刺さる果物ナイフを引き抜いた。
 血のついたナイフをテーブルに置き、傷ついた鱗肌にクイネが顔を寄せる。
「ク、ク、クイ——⁈」
 シュキュウが驚いて叫ぼうとしたが、声が上手く出ていなかった。
 奥さんの驚きなど構わず、クイネが脚を両手で押さえつけ、傷に対し舌を伸ばす。唾液をたっぷり含ませた舌先で傷を舐めると、白い煙が傷口から立ち込め始めた。
「……ごめん、ルナール。クイネさん何してるの?」
 ギョッとした顔をし、柊也が慌ててルナールに小声で訊いた。
「彼はどうやら癒し手ヒーラーの様ですね。もしかしたら、村長のアイク氏の血縁者かもしれませんよ」
「舐める必要あるの⁈」
「……魔力量の少ない者にとって、口からというのは一番楽な手段なのですよ。私も一度、トウヤ様の体を温める際にした様に」
(そ、そんな事もあったね!)
 この世界に飛ばされた日の事を思い出し、柊也の顔が一気に赤面した。
 シュキュウの方はと言えば、予想通り真っ青な顔をしている。夫に脚に触れられるなど初めてだし、ましてや舌が肌を這う感触など未知との遭遇で、今すぐにでもその足でクイネの顔面を蹴り上げて逃げたい気分だった。……でも、それは出来ない。そんな事を客人の前でおこなっては、家長である夫に恥をかかせてしまう。家を守る身としてそれだけは絶対に避けなければいならない。その一心で蹴りを入れてしまう事には耐えているが、でもじゃあどうしたら最善なのかなど、全く思い付かなかった。
「ク、イネ……さ、……ん。も、はな……っ」
 口元を両手で強く押さえ、涙を浮かべながらシュキュウが訴えた。だがクイネはその言葉を聞いていなかった。自分が癒し手である事を逆手に取り、傷口を麻痺させ、治すどころか舌先を中に忍ばせ抉っていく。綺麗な線でしか無かった傷口は切れない刃物を突き刺し、ぐちゃぐちゃにかき混ぜたみたいに酷い状態になっていく。
 恍惚とした目でぼんやりと口を離せずにいるクイネの様子を見て、柊也が人様の前戯でも見ているかのような気分になり慌てて顔を逸らす。
 だがルナールは『……あぁ。確かにコレは、ある意味では“呪い”みたいなもんなだ』と思った。
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