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第ニ章
【第七話】誕生日のお祝い
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日が沈み、レーヌ村に夜が訪れた。広場で準備をしていた様々な騒音は美しい音楽に姿を変え、指示内容が飛び交っていた大声は楽しげな笑い声となった。
日光を反射してキラキラと輝いた水面を湛えていた川や海は闇夜のせいで漆黒色に染まり、吸い込まれそうな怖さがある——はずなのだが、今夜は違った。明かりの灯る丸い形をした物が水面に幾万も浮かび、ぷかぷかと漂っているのだ。雲の無い星空の下に、もう一つの星空が現れた様な幻想的な美しさに、広場へと向かう人達の足が思わず止まり、輝く光景に目を奪われている。
そんな人々の様子を、少し離れた場所にある荷物置き場になっている位置からこっそり覗いていたラウルが、八重歯の少しこぼれた満面の笑みを浮かべて見ている。
「俺って天才じゃね?」
「あーうん、すごいすごい」
ラウルに話しかけられたトラビスは、今日既に何度も聞かされた発言に対し、棒読みの言葉で彼を褒めた。
「もっと褒めろよ!かなりの自信作なんだぜ?今夜の演出は。何てたって、今夜は……今夜は特別だからな!」
「ホントすごいと思ってるよ。普段笑い顔しかしない主賓のカオルばあちゃんが会場を見た途端、歯の無い口で『ふぉぉぉぉ!』って叫んでたくらいだしな」
トラビスはそう言うと、側ではしゃいでいるラウルの頭を一回くしゃっと撫でて、すぐに離した。雑多に小物が入る箱の前にしゃがみこみ、中をゴソゴソと漁り始めたが、別に探し物がある訳では無かった。ただラウルから離れる理由が欲しかっただけだ。
「何探してんだ?」
しゃがむトラビスの肩に手を置いて、ラウルも後ろから箱の中を覗き込んできた。
「んー……カツラ。ほら、今夜被れってお前が渡してきたやつあったろ?」
そんな物本当は探してもいないのに、トラビスが適当に嘘をつく。背後から抱きつくみたいな近過ぎるラウルの距離感のせいで心臓がドクンッと跳ねて、トラビスの顔色が少し陰った。
「そのカツラなら、ここにあるわよ」
荷物置き場を覆っていたカーテンの隙間から顔を出し、一人の女性がブンブンと手に持つカツラを振っている。
「ヴァールス!ありがと、見つけてくれたのか」
ラウルはそう叫ぶと、トラビスからパッと離れてヴァールスの元へと急いで近寄った。
「もう広間の人達がかなり集まってるよ。果物摘んだり、音楽演奏するようせっついて踊り出しちゃう人まで出始めてるから、うちらも早く用意した方が良さそうだわ」
「そっか、わかった。んじゃさっさとメイクしないとだね」
二人で話し始めた声が、箱を覗いたまま座っているトラビスの耳に届き『あぁ、やっぱ見たく無いわ』と彼は思った。
「手伝ってあげるわね、今夜はちょっとでも綺麗にライン描きたいでしょ?」
ヴァールスがチラッとトラビスの方に視線をやってから、ラウルの耳元に顔を寄せて小声で話した。
「えへへ、そうだね。頼むよ」
(仲が良さそうなアイツらなんか……見たくない。見たくない、見たくない見たくない見たく——)
トラビスの頭の中に、一つの言葉が繰り返される。
「ほい!カツラあったぞ、よかったな。って——どうした?顔青いぞ?」
金髪のモフモフとしたカツラを目の前に差し出され、ラウルを見上げたトラビスの顔色の悪さに、彼は驚いた。
「……あ、あぁわるい。ちょっとぼぉっとしてたわ。疲れが出たんじゃないかな、準備でさっきまで走ってたし、昨夜は床で寝たしな」
「純なる子と一夜を明かしたんだもんな!そりゃ緊張して疲れるわ」
バンバンと背中を叩かれ、トラビスの体が前に少しつんのめった。
「ラウル、もう準備しないと」
「あぁごめん、そうだな」
ヴァールスがラウルの腕を引き、鏡台の置いてある方へ引っ張って行く。
「トラビス、ごめん。俺準備始めるから、トウヤ様達の方頼めるか?迎えに行ったりして欲しいんだ、時間ざっくりとしか言ってないからさ」
引っ張られながらも軽く振り返り、箱の前にしゃがんだままになっているトラビスにラウルが言った。
「わかった」
短く答え、トラビスが頷いた。ラウルはホッとした顔をすると、ヴァールスと共に寄り添いながらトラビスから離れて行く。腕を組み、鼻先をすり寄せながら歩く二人は、かなり親密である事が見て取れた。
『城下町で逢ったんだ!同業者でさ、今ではすっかり意気投合して、最高のパートナーだよ!』
昨日初めて彼女を紹介された時にラウルが言っていた言葉が、トラビスの耳奥で勝手に再生される。その言葉を聞いた途端、トラビスは『今夜の為に肉を用意しないといけないから狩りに行く』と言って、その場から逃げ出していた。
獣を追いながら『見たくない』『消えてしまいたい』と、彼は何度も心の中で叫んでいた。獣を追い駆けているのか、自分が追われているのか、途中からわからなくなる程無我夢中で森を駆けていて——トラビスは呪われ、失明した。ある意味、願いが叶ったと言えなくもない。だが、柊也達に助けてもらえた事をトラビスは心から感謝している。また……アイツに触れる事が出来たのだから、と。
頭の丸い耳を軽く叩き、トラビスがのっそりとした動きで立ち上がる。丸まっていた腰をぐっと伸ばし、ふぅと息を吐き出す。
「……嫁さん欲しいなぁ」
叶わぬ想いを慰める手段として求めた願いは、誰の耳にも届かぬまま風と共に消えていった。
◇
「トウヤ様、ルナール様。お迎えに来ましたよー」
広間から少し離れた位置にある宿屋に到着したトラビスは、一足早く何でかわからぬままに呪いが解けてホクホク顔をした従業員達に軽く挨拶をしてから二階に居る柊也達の元へとやって来た。
ドアをノックし、許可をもらって中へと入る。気持ちをすっかり切り替え済みのトラビスがニコニコ顔で二人を見て、言葉に詰まった。
「大丈夫、ですか?」
「……え?あ、うん……まぁ」
歯切れの悪い返事をし、柊也が腰掛けていたベットから立ち上がる。準備は完了しており、いつでも解呪をしに行けるのだが、柊也は気持ちの整理が出来ていなかった。
昼間の騒動の後、踊りの練習をしていたせいで解呪の波紋が宿中を満たし、『なんかわかんないけど呪いが解けた!』と喜んだ宿屋の従業員達の協力により、装身具を多く借りられた柊也とルナールはすっかり踊り子の一団に混じっても遜色ない程派手な雰囲気を持っている。だが、顔色の悪さで、全てが台無しだった。
透け感のあるシャツに身を包まされ、前ボタンは全て空いている。口元をシフォンの布で隠し、布は金色の髪留めで固定した。首には豪奢なネックレスを多く身に付けたルナールの姿はすっかり王族のようでもあった。
「こんな心境のままでも平気かなぁ」
ほぼ同じ格好をしている柊也が、ルナールの袖をくっと引っ張って不安気な顔をして見上げてた。
「正直、影響はあるかと思います。純なる子の力は、その心の有り様がとても影響するので」
柊也の力を高める為の旅のはずなのに、まさか一回目で躓くような事になるとはルナールも思っていなかった。
「そうかぁ……」
困ったなぁと顔をしかめ、柊也が俯く。
「広間に村の人はほぼ皆集まるそうですし、あの場所くらいなら鈴の音は届くかと思いますよ。村を包む程というのは、このままでは難しいでしょうが」
「そうだよねぇ」
「……多くの者が解呪を望んでいます。一例だけをあげて悲観に浸らず、気持ちを強く持って下さい」
ルナールはそう言うと、小さな体が不安でいっぱいになっている柊也の体をギュッと強く抱き締めた。少しでも、少しでもこれが柊也の力になればと思いを込めて。
「お二人共行けますか?」
邪魔をしたいわけではないのだが、もう時間が迫っている。主賓のカオルおばあちゃんが眠気に襲われる危険性も捨てきれないので遅延する訳にもいかず、トラビスは二人に声をかけた。
「行きましょう、何があっても私が側にいますのから」
「うん。……ありがと、ルナール」
柊也はそう言うと、ギュッとルナールを抱き締め返す。仲睦まじい二人の姿をトラビスがほっこりした気分になりながら見守っていると、「行こうか!」と柊也が無理に笑いながら言った。
「盛大なお祝いを見た経験が無いらしいヨモノにとって、最高の思い出になるようにしましょう、トウヤ様」
「そうだね、うん」
頷き合い、ドアの側に立つトラビスの元へ柊也達が駆け寄って行く。
「お待たせしました。さぁ、行きましょうか」
「はい。今夜はよろしくお願いします」
◇
「賑やかですねぇー!」
村の中心にある広場は、リボンや花で周囲の壁という壁の全てが綺麗に飾られている。お洒落な格好をした人達が踊ったり、会場に多々並ぶテーブルに置かれた食事を摘んだりしている人もいて、会場はもうすっかり盛り上がり始めていた。
舞台の様な物などは無く、広場の真ん中には主賓となるカオルお婆さんが椅子に座って次々に来る村人達の祝いの言葉をニコニコ顔で聴いて楽しんでいた。
思い思いの場所で好き勝手にパフォーマンスを見せている人達が、それを囲む子供達を魅了している。大きな牛を一頭まるまる焼いている人が居たり、ルナールが狩った熊や猪を調理した鍋を大きな木のヘラでくるくると回している者などもいる。鳥串や豚串などを炭火で焼いた匂いや、ケーキの甘い匂いなどが漂い、側を通った柊也がゴクリと唾を飲み込んだ。
「誕生日のお祝いというよりは、完全にお祭りですね」
宿屋に居た時よりも顔色が良くなっている柊也の様子にほっとしたルナールが、穏やかな表情で言った。
「主賓のカオルばあちゃんはこの村の最高齢者で、お世話になった者ばかりですからね。祝いたい者達が持ち寄っただけでコレです。昼間に会ったラウルが全て取り仕切ったので、派手になるのはもう必然でしたよ」
「お祭りの企画の仕事でもしている人なんですか?ラウルさんって」
「んー……まぁ派手好きではありますが、そういうのじゃあないですね——あ、丁度あそこにラウルが居ますよ」
トラビスはそう言うと、人集りの中心にいるピエロの様な格好をした人を指差した。右は赤く左は青い、優雅な光沢をしたサテン生地で作られた服を着て、褐色の肌は真っ白に塗られていた。目の周りには星と月が黄色で描かれていて、唇は真っ赤な口紅が塗られている。手には黒いシルクハットを持ち、白い子兎を出したり花を飛ばしては、彼の周囲を囲む子供達を笑顔にしていた。
「わぁ、手品だ!まるで魔法みたいですね」
手を軽く叩いて子供の様に柊也が喜ぶ。
「あぁ、そのとおりですよ。熟練の技も何も無い、ただの魔法です。手品っぽい演出をしているだけなんですけど、魅せ方が上手いから村のみんなはそれをわかっていながらも、楽しめるんです」
そう説明をしたトラビスは、ちょっと誇らしげな顔をしている。
「魔法だとしても、転移魔法はかなりの上級魔法なんで彼は相当鍛錬をしたと思いますよ。今使ったのは二種の複合魔法ですし、なかなかの練度です」
ラウルがトランプカードを空に投げると、そのカードがボッと瞬時に燃え、花弁に変わり周囲を舞った。
「へぇ、そうなんだ。軽い感じの人だったけど隠れて努力するタイプなんだね、ラウルさんって」
友人を褒められ、トラビスの誇らしげな顔が笑顔へと変わる。この方達は人をよく見ているなと思うと、そんな二人と知り合いになれた事が嬉しくなった。
明るい気持ちになりながら三人で遠巻きにラウルの芸を見ていると、「トウヤ様」と横から呼ばれ、柊也が声のする方に顔を向けた。
「ヨモノさん!モユクさんも、もう来ていたんですね」
「えぇ、開始時間はまだのはずなのに、なんか既に騒がしいんで。でも来て正解でしたよ、コレってもう始まってますね」
少し困った顔をして、ヨモノが周囲を見渡した。
「開始の合図だ、挨拶だをするような堅っ苦しい集まりじゃ無いからな、そもそも。誕生日祝いのスタートなんて、毎度こんなもんらしいぞ」
後頭部を軽くかき、呆れた顔をしながらそう言ったのはモユクだった。体の弱い弟に気を遣い、祭りの類に参加していなかったので、モユクも実際には知らない。だが、準備は手伝っていたので、様子を又聞きはしていたから少しだけ知識があった。
「いいね、そういう適当感がザ・村!って感じで」
あははーと、顔を見合わせて柊也とヨモノが笑う。そんなヨモノの笑顔に、一緒に笑いながら柊也は少し気持ちが軽くなった気がした。
「良かった……トウヤ様に笑ってもらえて」
笑い合う二人を見ながら、モユクがボソッと呟いた。
「ヨモノに……あの後、家に帰ってこう言われたんだ、『兄さんだって、漁に出てたら海が荒れていつ死ぬかわかんないんだしさ、どっちもいつ死んでもおかしく無いよね。だから、俺の生き死になんか気にするなよ』ってな」
困り顔をしながら、モユクがルナールの顔を見る。
「……失う覚悟なんか微塵も出来てないけど、残された時間を大事にするよ。もうアンタらに八つ当たりは、しない。悪かったな、ホント」
そう言うモユクに、ルナールが真剣な顔を向けた。
「トウヤ様への不敬は許せませんが、貴方の気持ちはなんとなくわかります。互いをとても思い合っている、素晴らしい兄弟だ。……きっと、良い事が起きますよ」
ルナールはそう言うと、とても穏やかな笑みをモユクへ向けたのだった。
日光を反射してキラキラと輝いた水面を湛えていた川や海は闇夜のせいで漆黒色に染まり、吸い込まれそうな怖さがある——はずなのだが、今夜は違った。明かりの灯る丸い形をした物が水面に幾万も浮かび、ぷかぷかと漂っているのだ。雲の無い星空の下に、もう一つの星空が現れた様な幻想的な美しさに、広場へと向かう人達の足が思わず止まり、輝く光景に目を奪われている。
そんな人々の様子を、少し離れた場所にある荷物置き場になっている位置からこっそり覗いていたラウルが、八重歯の少しこぼれた満面の笑みを浮かべて見ている。
「俺って天才じゃね?」
「あーうん、すごいすごい」
ラウルに話しかけられたトラビスは、今日既に何度も聞かされた発言に対し、棒読みの言葉で彼を褒めた。
「もっと褒めろよ!かなりの自信作なんだぜ?今夜の演出は。何てたって、今夜は……今夜は特別だからな!」
「ホントすごいと思ってるよ。普段笑い顔しかしない主賓のカオルばあちゃんが会場を見た途端、歯の無い口で『ふぉぉぉぉ!』って叫んでたくらいだしな」
トラビスはそう言うと、側ではしゃいでいるラウルの頭を一回くしゃっと撫でて、すぐに離した。雑多に小物が入る箱の前にしゃがみこみ、中をゴソゴソと漁り始めたが、別に探し物がある訳では無かった。ただラウルから離れる理由が欲しかっただけだ。
「何探してんだ?」
しゃがむトラビスの肩に手を置いて、ラウルも後ろから箱の中を覗き込んできた。
「んー……カツラ。ほら、今夜被れってお前が渡してきたやつあったろ?」
そんな物本当は探してもいないのに、トラビスが適当に嘘をつく。背後から抱きつくみたいな近過ぎるラウルの距離感のせいで心臓がドクンッと跳ねて、トラビスの顔色が少し陰った。
「そのカツラなら、ここにあるわよ」
荷物置き場を覆っていたカーテンの隙間から顔を出し、一人の女性がブンブンと手に持つカツラを振っている。
「ヴァールス!ありがと、見つけてくれたのか」
ラウルはそう叫ぶと、トラビスからパッと離れてヴァールスの元へと急いで近寄った。
「もう広間の人達がかなり集まってるよ。果物摘んだり、音楽演奏するようせっついて踊り出しちゃう人まで出始めてるから、うちらも早く用意した方が良さそうだわ」
「そっか、わかった。んじゃさっさとメイクしないとだね」
二人で話し始めた声が、箱を覗いたまま座っているトラビスの耳に届き『あぁ、やっぱ見たく無いわ』と彼は思った。
「手伝ってあげるわね、今夜はちょっとでも綺麗にライン描きたいでしょ?」
ヴァールスがチラッとトラビスの方に視線をやってから、ラウルの耳元に顔を寄せて小声で話した。
「えへへ、そうだね。頼むよ」
(仲が良さそうなアイツらなんか……見たくない。見たくない、見たくない見たくない見たく——)
トラビスの頭の中に、一つの言葉が繰り返される。
「ほい!カツラあったぞ、よかったな。って——どうした?顔青いぞ?」
金髪のモフモフとしたカツラを目の前に差し出され、ラウルを見上げたトラビスの顔色の悪さに、彼は驚いた。
「……あ、あぁわるい。ちょっとぼぉっとしてたわ。疲れが出たんじゃないかな、準備でさっきまで走ってたし、昨夜は床で寝たしな」
「純なる子と一夜を明かしたんだもんな!そりゃ緊張して疲れるわ」
バンバンと背中を叩かれ、トラビスの体が前に少しつんのめった。
「ラウル、もう準備しないと」
「あぁごめん、そうだな」
ヴァールスがラウルの腕を引き、鏡台の置いてある方へ引っ張って行く。
「トラビス、ごめん。俺準備始めるから、トウヤ様達の方頼めるか?迎えに行ったりして欲しいんだ、時間ざっくりとしか言ってないからさ」
引っ張られながらも軽く振り返り、箱の前にしゃがんだままになっているトラビスにラウルが言った。
「わかった」
短く答え、トラビスが頷いた。ラウルはホッとした顔をすると、ヴァールスと共に寄り添いながらトラビスから離れて行く。腕を組み、鼻先をすり寄せながら歩く二人は、かなり親密である事が見て取れた。
『城下町で逢ったんだ!同業者でさ、今ではすっかり意気投合して、最高のパートナーだよ!』
昨日初めて彼女を紹介された時にラウルが言っていた言葉が、トラビスの耳奥で勝手に再生される。その言葉を聞いた途端、トラビスは『今夜の為に肉を用意しないといけないから狩りに行く』と言って、その場から逃げ出していた。
獣を追いながら『見たくない』『消えてしまいたい』と、彼は何度も心の中で叫んでいた。獣を追い駆けているのか、自分が追われているのか、途中からわからなくなる程無我夢中で森を駆けていて——トラビスは呪われ、失明した。ある意味、願いが叶ったと言えなくもない。だが、柊也達に助けてもらえた事をトラビスは心から感謝している。また……アイツに触れる事が出来たのだから、と。
頭の丸い耳を軽く叩き、トラビスがのっそりとした動きで立ち上がる。丸まっていた腰をぐっと伸ばし、ふぅと息を吐き出す。
「……嫁さん欲しいなぁ」
叶わぬ想いを慰める手段として求めた願いは、誰の耳にも届かぬまま風と共に消えていった。
◇
「トウヤ様、ルナール様。お迎えに来ましたよー」
広間から少し離れた位置にある宿屋に到着したトラビスは、一足早く何でかわからぬままに呪いが解けてホクホク顔をした従業員達に軽く挨拶をしてから二階に居る柊也達の元へとやって来た。
ドアをノックし、許可をもらって中へと入る。気持ちをすっかり切り替え済みのトラビスがニコニコ顔で二人を見て、言葉に詰まった。
「大丈夫、ですか?」
「……え?あ、うん……まぁ」
歯切れの悪い返事をし、柊也が腰掛けていたベットから立ち上がる。準備は完了しており、いつでも解呪をしに行けるのだが、柊也は気持ちの整理が出来ていなかった。
昼間の騒動の後、踊りの練習をしていたせいで解呪の波紋が宿中を満たし、『なんかわかんないけど呪いが解けた!』と喜んだ宿屋の従業員達の協力により、装身具を多く借りられた柊也とルナールはすっかり踊り子の一団に混じっても遜色ない程派手な雰囲気を持っている。だが、顔色の悪さで、全てが台無しだった。
透け感のあるシャツに身を包まされ、前ボタンは全て空いている。口元をシフォンの布で隠し、布は金色の髪留めで固定した。首には豪奢なネックレスを多く身に付けたルナールの姿はすっかり王族のようでもあった。
「こんな心境のままでも平気かなぁ」
ほぼ同じ格好をしている柊也が、ルナールの袖をくっと引っ張って不安気な顔をして見上げてた。
「正直、影響はあるかと思います。純なる子の力は、その心の有り様がとても影響するので」
柊也の力を高める為の旅のはずなのに、まさか一回目で躓くような事になるとはルナールも思っていなかった。
「そうかぁ……」
困ったなぁと顔をしかめ、柊也が俯く。
「広間に村の人はほぼ皆集まるそうですし、あの場所くらいなら鈴の音は届くかと思いますよ。村を包む程というのは、このままでは難しいでしょうが」
「そうだよねぇ」
「……多くの者が解呪を望んでいます。一例だけをあげて悲観に浸らず、気持ちを強く持って下さい」
ルナールはそう言うと、小さな体が不安でいっぱいになっている柊也の体をギュッと強く抱き締めた。少しでも、少しでもこれが柊也の力になればと思いを込めて。
「お二人共行けますか?」
邪魔をしたいわけではないのだが、もう時間が迫っている。主賓のカオルおばあちゃんが眠気に襲われる危険性も捨てきれないので遅延する訳にもいかず、トラビスは二人に声をかけた。
「行きましょう、何があっても私が側にいますのから」
「うん。……ありがと、ルナール」
柊也はそう言うと、ギュッとルナールを抱き締め返す。仲睦まじい二人の姿をトラビスがほっこりした気分になりながら見守っていると、「行こうか!」と柊也が無理に笑いながら言った。
「盛大なお祝いを見た経験が無いらしいヨモノにとって、最高の思い出になるようにしましょう、トウヤ様」
「そうだね、うん」
頷き合い、ドアの側に立つトラビスの元へ柊也達が駆け寄って行く。
「お待たせしました。さぁ、行きましょうか」
「はい。今夜はよろしくお願いします」
◇
「賑やかですねぇー!」
村の中心にある広場は、リボンや花で周囲の壁という壁の全てが綺麗に飾られている。お洒落な格好をした人達が踊ったり、会場に多々並ぶテーブルに置かれた食事を摘んだりしている人もいて、会場はもうすっかり盛り上がり始めていた。
舞台の様な物などは無く、広場の真ん中には主賓となるカオルお婆さんが椅子に座って次々に来る村人達の祝いの言葉をニコニコ顔で聴いて楽しんでいた。
思い思いの場所で好き勝手にパフォーマンスを見せている人達が、それを囲む子供達を魅了している。大きな牛を一頭まるまる焼いている人が居たり、ルナールが狩った熊や猪を調理した鍋を大きな木のヘラでくるくると回している者などもいる。鳥串や豚串などを炭火で焼いた匂いや、ケーキの甘い匂いなどが漂い、側を通った柊也がゴクリと唾を飲み込んだ。
「誕生日のお祝いというよりは、完全にお祭りですね」
宿屋に居た時よりも顔色が良くなっている柊也の様子にほっとしたルナールが、穏やかな表情で言った。
「主賓のカオルばあちゃんはこの村の最高齢者で、お世話になった者ばかりですからね。祝いたい者達が持ち寄っただけでコレです。昼間に会ったラウルが全て取り仕切ったので、派手になるのはもう必然でしたよ」
「お祭りの企画の仕事でもしている人なんですか?ラウルさんって」
「んー……まぁ派手好きではありますが、そういうのじゃあないですね——あ、丁度あそこにラウルが居ますよ」
トラビスはそう言うと、人集りの中心にいるピエロの様な格好をした人を指差した。右は赤く左は青い、優雅な光沢をしたサテン生地で作られた服を着て、褐色の肌は真っ白に塗られていた。目の周りには星と月が黄色で描かれていて、唇は真っ赤な口紅が塗られている。手には黒いシルクハットを持ち、白い子兎を出したり花を飛ばしては、彼の周囲を囲む子供達を笑顔にしていた。
「わぁ、手品だ!まるで魔法みたいですね」
手を軽く叩いて子供の様に柊也が喜ぶ。
「あぁ、そのとおりですよ。熟練の技も何も無い、ただの魔法です。手品っぽい演出をしているだけなんですけど、魅せ方が上手いから村のみんなはそれをわかっていながらも、楽しめるんです」
そう説明をしたトラビスは、ちょっと誇らしげな顔をしている。
「魔法だとしても、転移魔法はかなりの上級魔法なんで彼は相当鍛錬をしたと思いますよ。今使ったのは二種の複合魔法ですし、なかなかの練度です」
ラウルがトランプカードを空に投げると、そのカードがボッと瞬時に燃え、花弁に変わり周囲を舞った。
「へぇ、そうなんだ。軽い感じの人だったけど隠れて努力するタイプなんだね、ラウルさんって」
友人を褒められ、トラビスの誇らしげな顔が笑顔へと変わる。この方達は人をよく見ているなと思うと、そんな二人と知り合いになれた事が嬉しくなった。
明るい気持ちになりながら三人で遠巻きにラウルの芸を見ていると、「トウヤ様」と横から呼ばれ、柊也が声のする方に顔を向けた。
「ヨモノさん!モユクさんも、もう来ていたんですね」
「えぇ、開始時間はまだのはずなのに、なんか既に騒がしいんで。でも来て正解でしたよ、コレってもう始まってますね」
少し困った顔をして、ヨモノが周囲を見渡した。
「開始の合図だ、挨拶だをするような堅っ苦しい集まりじゃ無いからな、そもそも。誕生日祝いのスタートなんて、毎度こんなもんらしいぞ」
後頭部を軽くかき、呆れた顔をしながらそう言ったのはモユクだった。体の弱い弟に気を遣い、祭りの類に参加していなかったので、モユクも実際には知らない。だが、準備は手伝っていたので、様子を又聞きはしていたから少しだけ知識があった。
「いいね、そういう適当感がザ・村!って感じで」
あははーと、顔を見合わせて柊也とヨモノが笑う。そんなヨモノの笑顔に、一緒に笑いながら柊也は少し気持ちが軽くなった気がした。
「良かった……トウヤ様に笑ってもらえて」
笑い合う二人を見ながら、モユクがボソッと呟いた。
「ヨモノに……あの後、家に帰ってこう言われたんだ、『兄さんだって、漁に出てたら海が荒れていつ死ぬかわかんないんだしさ、どっちもいつ死んでもおかしく無いよね。だから、俺の生き死になんか気にするなよ』ってな」
困り顔をしながら、モユクがルナールの顔を見る。
「……失う覚悟なんか微塵も出来てないけど、残された時間を大事にするよ。もうアンタらに八つ当たりは、しない。悪かったな、ホント」
そう言うモユクに、ルナールが真剣な顔を向けた。
「トウヤ様への不敬は許せませんが、貴方の気持ちはなんとなくわかります。互いをとても思い合っている、素晴らしい兄弟だ。……きっと、良い事が起きますよ」
ルナールはそう言うと、とても穏やかな笑みをモユクへ向けたのだった。
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