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第ニ章

【第六話】怒りの矛先

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「そうか!とっとと帰れ!お前ら何かいたって迷惑なだけだっ!」
 柊也達と顔を合わせるなりそう叫んだ男は、このレーヌ村の漁師の一人で名をモユクという。普段は豪胆だが人情に厚く、唯一の家族である弟を大事にする気のいい男として高評価を得ている。そんな彼が急に柊也達が休む宿屋に乗り込んでこの一言を宿中に聞こえる声で言った事で、宿屋を管理している老主人が大慌てて一階から二階へと全速力で走って来た。
「この馬鹿者がぁぁぁぁ!」
 言うが同時に、白髪で長いヒゲのある細身の老主人がモユクの背中に飛び蹴りを喰らわせた。あまりの華麗なフォームに、柊也が言葉を失う。とてもじゃないが老人が入れた蹴りとは思えない。片膝を抱えてから伸ばされたことによりもたらされる、重みと素早さのある素晴らしい一蹴りで、巨体であるモユクの体が勢いよく床へと崩れた。ルナールの力任せの蹴りとは違い、老主人の蹴りには美学がある。迷惑行為に及ぶ客達のあしらい行為により昇華された老主人のは、村一番のものらしい。
「ふん!……これはこれは、おくつろぎの所大変失礼致しました、トウヤ様。コレは私共が外へと捨てておきますので、ごゆっくりどうぞ」
 老主人の態度が一転して、執事並みの丁寧な所作に変わる。頭を下げて一礼すると、腰が少し曲がり、細い腕だと言うのにモユクの首根っこを掴んで廊下へと引きづり始めた。
 一連の流れに茫然自失だった柊也が、はっと我に返った。
「待って下さい!倒れた彼は、えっと……、何で怒っているんです?」
 ルナールに抱きついたままになっている柊也の腕に、力が入る。この世界へ飛ばされて、初めて向けられた理由の分からぬ強い拒否反応に、動揺が隠せない。知らない土地で知人もほぼおらず、それでもここで何とか望まれるままに要求をこなそうと思えたのは、周囲の人が協力的であることが前提だったからだ。
「それは……ご本人にお聞きした方が、よろしいかと」
「聞けますか?……気絶してるようにしか、見えないんですが」
 うつ伏せに倒れるモユクをチラッと見て、どうしたらいいのかな……と柊也が困った顔をした。
「どれ、それでしたら此奴を起こしましょうか。ですが、このままでは危険そうですなぁ——……」

「——ハッ!」
 老主人の美しい飛び蹴りにより、完全に落ちていたモユクが意識を取り戻した。
「どこも痛くはないですか?大丈夫?」
 モユクの顔を離れた位置から覗き込み、柊也が首を傾げた。
 何が気に入らなくて怒っているのか不明な為、不快感を与えぬ様ひとまず金のブレスレッドは外し、銀色のブレスレッドを柊也は身に付けている。
「貴様ぁぁぁぁ!まだ性懲りも無くこの村に居たのか!」
 柊也とルナールの姿を認識するなり、噛みつかんばかりの勢いでモユクが叫ぶ。勢いよく柊也の方へ飛びかかろうとしたが、モユクの体が何かに阻まれてぐんっと止まった。何でだ?と焦り、モユクが下を向く。立派な巨体が小船を停泊する時に使う様なぶっといロープで縛られ、椅子に拘束されていて全く抜け出せそうにない。
 諦めの悪いモユクは、拘束された椅子に座ったまま前へ移動しようと体をもがく。だが、ロープをガシッと老主人に掴まれており、柊也達の方へ近づいていくことは出来なかった。
「えっと、僕は九十九柊也といいます。まずは貴方の怒っている理由を訊いてもいいですか?顔を見るなり帰れと言われても、納得は出来ませんよ?」
 ベットに腰掛け、柊也が出来る限り穏やかに話した。
 柊也の側に立っているルナールと、柊也の顔をモユクが交互に見る。どっちが“純なる子”なのかわからない。威厳の有無で判断するならば、ラウルと同じく迷わずにルナールの方であると判断できるのだが、座っているのは柊也の方だ。座っている者の方が偉いに違いない!と自己判断し、モユクは柊也の目を睨みつけながら、再び怒りを撒き散らした。
「お前らは呪いを消しに来たんだろう?しかも、村中の奴等をまとめて解呪しようとしてるんだってな!」
「そうして欲しいとラウルさんに頼まれたので、まぁそうですね」
 一気に出来るかはやったことが無いのでわからないが、頼まれた以上最善を尽くそうと思っていたのに、モユクの否定的な言葉で柊也の心に影が差す。
「ラウルの奴か、余計な事を……」
 吐き捨てるように、モユクが呟いた。
「文句ばかりでは無く、理由を話さんか!」
 老主人に後頭部を叩かれ、モユクの目の前で火花が散った。相当痛かったのか、首が項垂れ「うぐぅぅっ……」と声をもらして堪えている。
「弟が……呪われたんだ。俺の、唯一の家族だ」
 それならば余計に早く解呪するべきなのでは?と柊也は不思議に思ったが、言葉を挟む事無く、続きを待った。
「アルビノなんだ、弟の……ヨモノは。生まれつき体が弱くって、ウチは代々家族みんなで川なり海なりに出て漁師をやってるのにヨモノはずっと家で留守番だった。それが……呪いのおかげなのか、最近になって急に健康体になって、遠洋漁業にまで出られる様になったんだよ」
「それは、成長して体力がついたからとかではなく、ですか?」
「あぁ、真っ白かった肌が健康的な肌色になったし、赤い目が黒い瞳に変わったんだ。もうこれは呪いのおかげしかないだろ」
 柊也の問いかけを聞き、『んな事もわかんねぇのか!』と訴える目でモユクに睨まれ、柊也がうっと喉を詰まらせた。見てもいないのにんな事わかんなよと、言ってしまいたいが……言えない。
「短命のアルビノ種が、呪いの効果で反転したのでしょうね」
「呪いが無くなったら、ヨモノはいつ死ぬかわかんねぇくらいにもう弱ってたんだ……呪いが消えたら、アイツは死んじまう。だから頼む!この村の事は放っておいてくれないか?それか、弟だけは呪いを解かないでやってくれ!」
 泣きそうな顔で懇願されたが、柊也は返事が出来なかった。どの範囲まで鈴の音色による解呪効果が伝わるのか知らないし、一人だけ解呪しないという事が出来るのか否かもわからない。不用意な事を言って無駄に期待させるわけにもいかず、柊也は視線をルナールに向けた。
「今我々がこの村を避けたとしても、純なる子が孕み子の呪いを抑え込めば、自然と蔓延している呪いの効果も消えて無くなります。近々死ぬか、数週間後に死ぬかの差でしかありません。それなのに、多くの困窮者達を犠牲にしてまで自分の弟の寿命を取るのですか?」
 ルナールが冷たい眼差しをモユクに向け、問い掛ける。
「ウチのヨモノ程切迫してる奴はいねぇ!だったら俺は迷わずに、一日でも長く、一緒に居られる道を選ぶ」
「……先程広場で何人もの村人を見ましたが、寿命に影響がありそうな箇所が呪われた者達が随分多くいました。心臓です」
 トントンと心臓の位置を指先で叩き、ルナールが言葉を続ける。
「まだ若く、健康的は体躯をした者達ばかりです。心臓が弱ればその分、無理がかかり急死する可能性だって多々ある。切迫した危機にあるのは何も貴方の弟だけでは無い」
「……何でんな事わかるんだ?人間化したとか、目に見えるもんなら俺だってわかるけど、中身の話なんかお前が今テキトーに言ったって事実はどうかわかんねぇだろ」
 納得出来ず、モユクが喚いた。
「私には呪いの印が見えるんですよ。貴方はまだ何も起きていないが、そこのご老人と広場にいるラウルは人間化していて尻尾と、耳か角を失っている。受付に立っていた女性は手に、厨房からこちらを覗いていた恰幅のいい女性は口に関する呪いを受けている。違いますか?」
「その通りです……。見える方が、おるのですなぁ」
 ルナールの指摘を聞き、老主人は驚きを隠せない様だ。長く生きてきて一度も呪いの印を見た者の話など聞いた事も無く、ただただ目を見開くばかりだった。
「どうしても今晩の解呪を望まぬのなら、さっさと城下町にでも行けばいい。この村からならすぐ隣だ、今から向かえば夜までには到着出来ますよ。純なる子の解呪行為から逃げに逃げて、見知らぬ地で過ごせば済む話です。己の不幸に、他人を巻き込むな!」
「ルナール、流石に言い過ぎだよ!」
 柊也に服の袖を引っ張られ、ルナールがハッと我に返った。
「……すみません。ここまで言う気は、無かったんですが」
 しゅんっとルナールが項垂れ、袖を掴む柊也の手に手を重ねた。
「ねぇルナール、一人だけ解呪しないとかは出来ないの?」
「トウヤ様の力は水に投げた小石のみたいに、波紋を広げて効果が出ます。今ならばまだ、鈴を使わなければ一人だけを解呪する事も可能ですが、一人を除いて多くを助けるといった救い方は出来ません」
「……そうなんだ」
 家族を救いたい気持ちが痛いほどわかる。柊也は煩悶はんもんし、瞼をギュッと瞑ったが、最良の行動など思い浮かばなかった。

「——兄さん。ダメだよ、純なる子を困らせたら」
 明るい声がドアの方から聞こえ、項垂れて暗い雰囲気になっていた四人が一斉に声のする方へ顔を向けた。
 柊也並みに小柄な青年が、まあるい尻尾をゆらゆらと揺らし、和かに笑いながら開け放たれたままになっていたドアの横に立っている。人懐っこそうな顔は愛らしく、『兄さん』というワードを言っていなければモユクの弟だとは到底思えないくらい、細い体をしている。
「んなふうに縛られるとか……呆れちゃうよ全く。ここのおかみさんが慌ててウチに来て『早く来い!』って怒ってるから何事かと思って慌てて来たらコレだもん。……バカだなぁ兄さんは、ホント」
 肩を落とし、ヨモノがため息をついた。
「ヨモノ……お前、もしかして聞いてたのか?」
「そりゃぁ兄さん、図体だけじゃ無く声もでっかいからねぇ。廊下までバッチリ響いてたよ」
 呆れ顔をしたヨモノはそう言うと、一転して真面目な顔に変わった。
「兄さん、頼むから彼等の邪魔はしないで欲しいな。俺は別に、アルビノで生まれた事を悔いてなんかいないし、こんな騒いでまで呪いをどうこうしたいとか思っていないよ」
「んな訳無いだろ!漁に出た時、お前めちゃくちゃ喜んでたじゃねぇか!」
「そりゃ嬉しいさ、『俺だって家族と一緒に漁をしてみたい』って、願いが叶ったんだしね。そう、叶ったんだ……こんな体じゃ絶対に無理だって思っていたのに、呪われた事で望みが一度叶えられたんだ。これで悔いなく死ねるなって思えるくらいに、嬉しかったよ」
「死ぬとか言うな!まだどうにか出来るかもしれないじゃねぇか」
「兄さん、純なる子達の話聞いてた?ここで別の町へ逃げても、解呪されるのが今か、ちょっと後かの話でしか無いって言ってたよね?それなら俺は、父さん達の眠るこの村で死にたいなぁ」
「……な、何で、何でヨモノが呪われたのが最近なんだ……何で、異世界から純なる子なんか来ちまうんだ、呪いが広がり始めてからもう二十六年だぞ?もっと早く呪われていれば、もっと遅くコイツらが来たなら……ヨモノは、まだまだ生きていられたのに——」
 俯いたままボロボロと涙をこぼし、モユクの膝が濡れていく。大粒の涙は止まる事を知らず、柊也の心に深く刺さる。
 自分だってここへ来たくて来た訳じゃ無い。無理矢理飛ばされて、目が覚めたら世界を救えとか言われただけなんだ。なのに、蓋を開いてみたら『何で来た』と不用品扱いをされても、受け止めきれない。それでも——と思える程の決意は、柊也の中には無かった。
「『何で』なんて言っても誰も知らないし、誰も答えられないよ、兄さん。彼等には彼等の事情があって、解呪して欲しい人達は山の様にいるんだ。そうやって目の前のことから逃げて理不尽に彼等を責めるよりも、俺は……いつまで続くかわかんなくても、家族の時間をゆっくりこの村で過ごしたいな」
 ヨモノはそう言うと、老主人の方に顔を向け「兄さんのこれ解いてもいい?」と訊いた。無言で頷き、老主人がロープを解く。自由になった途端柊也に喰ってかかるかとルナールは少し警戒していたが、モユクは大きな両手で顔を覆い、やり切れない思いを抱えたまま泣き続けるだけだった。
「帰ろう?兄さん。夜には俺、村長さんっとこのばあちゃんの誕生日祝いに行ってみたいな。祭りなんて人が多いからって今まで行けなかったろ?だから今夜は連れて行ってくれよ。あのラウルが仕切ってるって聞いたしさ、俺すごく興味あるな」
 大きな背中を丸めて泣きじゃくる兄の背を、ヨモノが優しい手つきで撫でてなだめる。
「……あぁ、そうだな。祝いに行ってやろうか、ばあちゃん……には、世話になりっぱなしだしな」
 ゴシゴシと服の袖で顔を擦り、モユクが涙を拭って立ち上がる。
「あのこれ、よかったら使って下さい」
 柊也がそっとモユクに向かいハンカチを差し出した。
「いいのか?俺、散々な態度しかアンタにとってないよな?」
 グズグズと鼻水を啜り上げながら、モユクが気まずげに視線を彷徨わせる。今の状況に納得なんかしていない、でも弟が受け入れる事を決めている以上、柊也の行為を蔑ろにもしたくない。酷い態度をとった以上自分が柊也に甘えてもいいとも思えず、モユクが受け取る事を躊躇した。
「兄さん、受け取らないとかえって失礼だよ」
「あ、あぁ。なんか……すまないな」
 ヨモノにせっつかれ、モユクが柊也からハンカチを受け取る。
「いいんですよ。僕には……これくらいしか出来なくって、本当にごめんなさい」
 頭を下げて謝られ、モユクが目を見開く。
 柊也の小さな背中にヨモノの姿が重なり、こんな小さい奴を理不尽に、自分側の言い分だけで攻め立てた事を、彼は後悔した。

 揃って頭を下げて、モユクとヨモノの兄弟が家へと帰って行く。老主人と二、三言やりとりした後、部屋には柊也とルナールの二人きりになった。
「……難しいなぁ」
「そう、ですね」
 主語のない呟きだったのにルナールは何となく言いたいことが伝わり、揃ってふぅと息を吐き出した。思うこと、考えなければいけないことが数多く浮かぶが上手く言葉にならなず、二人は黙ったまま、ベットに座って寄り添った。
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