上 下
3 / 87
第一章

【第三話】転移者、らしい

しおりを挟む
 奥深い森の中。緑色のフードを目深にかぶった一人の青年が、先程仕留めた子鹿を片手に抱えて歩いている。知人へ差し入れとして持って行くか、近隣の村に持って行って物々交換の対象にするか……どちらがいいかなと悩みながら、彼は薄暗い道を歩いていた。

「ん?」

 鬱蒼とした木々の少し先に、開けた場所があるのが目に入った。太陽光が綺麗に差し込んでいて、薄暗い森の中なのにそこだけがとても明るい。森を上から丸く切り取ったようになっているその場所は、芝生が一面に生えており、花も数多く咲いていてちょっとした楽園みたいだ。中心付近には上手い具合に倒木が横たわっていて、座るにはもってこいの状態になっている。
 前にこの付近を通った時には見付ける事が出来なかった空間だった。というか、無かったような気さえする。いきなりそんな空間が出現する訳がないと普通ならば思いたくもなるだろうが、彼は違った。魔法の存在するこの世界では、ごく稀にある事だったからだ。
「粋な事をする者がいますねぇ」
 ニッと笑い、そのスペースへと足を向ける。休憩するには丁度いい場所なので、当然の流れだった。


 一歩、一歩、新設された憩いの空間へと近づくにつれ、倒木の奥に何かがある事に彼が気が付いた。目を凝らすとソレは、人の足の様に見える。
 誰かが倒れているのか?まさか……魔物に襲われたとか?
 不安になり、子鹿をその場に投げ捨てると、彼は一目散に走り出した。周辺を気にせず走ったせいで細い木の枝が体に当たり、頰を引っ掻く。それでも気にする事なく先へ先へと進むと、人が倒れている事を確信出来た。幸い周囲に魔物などの気配は無い。自力で倒した後、その場で力尽きたのだろうか。

(せめて、怪我だけで済んでいるといいのですが……)

 不安になりながらも先へ進み、やっと開けたスペースへ男がたどり着いた。
 倒れている存在に近づき、声をかけるべきかどうするか悩みながらそっと倒木の奥を覗き込んで、彼は言葉を失った。
「……っ」
 小さな体は見たことの無いデザインの服に覆われていて、異世界の服装みたいだ。シンプルな顔立ちはとても鼻が低く、丸顔で子供っぽい。

(……もしかして、コレは……人間か?まさか……転移者、だろうか)

「おーい、生きていますか?」
 倒れている少年の側に近づき、すぐ横で膝をつく。パッと見た感じ全く怪我をした気配は無い。気を失っているだけみたいだ。
 その事に安堵はしたが、次の問題が発生した。この少年をどうするか、だ。
 転移者の人間ならば城へ連れて行くべきか?いや……城はマズイ。
 見つけた以上放置もできない。鹿は諦めて、そのらへんの獣にくれてやるか。
 本人に直接何者なのか、どこへ連れて行くべきかを訊ければ助かるのだが、軽く頰を叩いてみても反応は無かった。
「……起きる気配はありませんよね」
 仕方なく、彼は倒れる者を横抱きに持ち上げた。
 近隣の村々では、この少年の情報を得ることも出来ないだろう。一番事情を知っていそうな者がいる城へは個人的な事情で向かえない。そうなると向かう先はもう、一つしかなかった。

       ◇

 白亜の神殿を目の前にして、深緑色をした長いローブを着込み、フードで頭を完全に隠した彼は、自信なさげな顔をして建造物を見上げた。
 王族の住まう城並みに立派だが、豪奢な感じはない。白だけで統一された教会部分には、この神殿が祀る神をイメージした石像がいくつも配置してある。建物の周囲には広い庭があり、巫女達の手入れがとても行き届いているのか、様々な種類の白い花が美しく咲いていて、来訪者の目を楽しませていた。
 中に入るべきか、引き返すか。
 ヌカ喜びをさせてしまう訳にもいかず、少年を抱えたまま彼が躊躇していると、中から数人の巫女が入口へと出てきた。
「神殿に何か御用でしょうか?」
 穏やかな笑顔で彼女達は微笑んだが、彼が抱える存在を見た瞬間、巫女達の顔色がすぐに変わっていった。
「ま……まさか、このお方は——転移者様では⁈」
「やはり、そうなのですか?」
 口元を押さえて叫んだ巫女に対し、彼は確認した。
「あ、いえ……多分そうではないかと。この通り、このお方からは混じり気がほとんど感じられません。魔力も全くありませんから、きっとそうなのではないかと」
「すみません。見ての通り、私は魔力があまり無いので、この子がそうであるかはわかりません」
 魔力量を目視出来る巫女が、彼を一瞥すると「失礼致しました」と頭を下げた。
「まずは中へお入りください。司祭様をお呼びして、色々確認もしませんと」
「ここで彼を引き渡して、私は帰っても構いませんか?」
 無駄な事には関わりたく無い。駄目元で彼は訊いてみたが、答えはノーだった。
「いいえ。司祭様にお会い下さい。今の状況を直接説明して頂きたいのです」
 あまり面倒事とは関わり合いになりたくない彼は、ガッカリした。でも断る事は出来そうに無いなと思い、仕方なく頷く。
「こちらへどうぞ、応接間でお待ち下さい」
 神殿の巫女達が先に歩き始め「ご案内致します」と彼に言う。
 無言のまま案内に従い、少年を抱えた彼は、神殿へと入って行った。


 案内された応接間のソファーに、そっと転移者らしき少年を寝かせる。
 サラサラとした美しい髪がクッションに広がり、彼は少年が同性だというのに見惚れてしまった。ここまで美しい黒髪を彼は初めて見た。派手な髪色をした者が大半であるこの世界では、黒い髪の色はとても珍しい。それこそ、千年前、二千年前にも訪れた異世界からの転移者くらいしか黒髪の者がこの世界に現れた事は無く、この目で見る前までは物語の世界の存在だったのだから無理もない。

 この少年は何者なのか。

 彼が疑問に思いながらそっと頰を撫でると、ゆっくり少年の瞼が開いていく。その様子から、彼は視線を逸らせなくなった。
 黒曜石を思わせる瞳はとても大きく、幼い顔立ちをより子供っぽく感じさせる。まだしっかり覚醒していないのか、少年は虚ろな眼差しを少し彷徨わせながら何度も瞬きをした。
「起きたのですね、体調に問題は無いですか?」
 彼は問いかけたが、少年から返事がない。まだ状況が掴めず、少年はどうしていいのかわからなかった。
「私の名前はルナール。君の名前は?」
「……名前?名前……僕は、つく……も、九十九……柊也。そうだ、だ……」
 額を軽く押さえ、柊也が何度も自分の名前を繰り返し呟く。記憶を遡り始めたのか、段々と顔色が赤くなっていった。

「——あんのやろぉぉ!人生返せぇぇ!」

 ガバッと勢いよく起き上がり、柊也が絶叫した。
 その様子にルナールはとても驚いた。だがそれと同時に、五月蝿い——良く言えばイキイキとした柊也の姿に魅了もされていた。人と関わる事を極力避けてきた為、こんな激しい感情を見たのは初めてのことだったのだ。
 柊也の肩がプルプルと震え、唇を血が滲みそうな程に噛んでいる。悔しさを隠さず「うわぁぁ!」と叫びながら、何度もソファーを叩いた。
「人生?何があったのですか?」
 大げさな言葉の意味がわからず、ルナールが柊也へ問いかける。すると彼はピタッとソファーを叩くのを止めて、周囲を見渡した。
「ここ、どこだ?」
 怒りで赤かった柊也の顔が、不安で一気に青くなる。コロコロ変わる表情は、ルナールにとって、とても面白いと感じるものだった。
 クスクスと笑いながら、ルナールがフードを脱いだ。
 腰まであるチョコレート色をした髪を後ろで一本にまとめている。肌は助けるように白く、顔立ちはとても端正で唇は薄い。鼻はスッと整い、西洋風な顔立ちをしており、頭にはキツネの様な尖った獣耳が生えていた。
 柊也は『この人は俳優だろうか?仮装なんかしてるけど、撮影か?』と思いながらも、つい見惚れてしまった。
「ここはルプス王国にある神殿です」
 ルナールの言葉を聞き、柊也が渋い顔をした。『この人は何を言ってんだ?』と顔に書いてあり、彼は笑い出したい気持ちになった。
(なんなんだ、この感情の読みやすい面白い生き物は!)
 気分が高揚し、ルナールの口元が緩む。早く帰りたいという考えは、もうスッカリ彼の中から消えていた。
「トウヤ、貴方は転移者ではないのですか?」
 ソファーに座る柊也の手を取りルナールがそう訊くと、彼は頰を赤らめた。美形に手を握られた経験が無く、同性だというのにイヤでも心臓が騒ぎ出す。手の甲をスッと指で撫でられ、柊也の体がビクッと跳ねた。
「てん、てんいしゃ……医者の一種ですか?医学部へは行っていないので、違いますけど。通っているのは文系の大学なんで」
 柊也の言葉の意味がルナールには少ししかわからず、眉を寄せた。今度は『コイツは何を言っているんだ?』と、彼が表情で語った。
 お互いに首を傾げあう。
 何もわからない同士で困っていると、応接間のドアがノックも無く両面同時に勢いよく開き、壁にぶつかって壊れた。勢いが強過ぎたみたいだ。

「転移者様がぁ!純なる子がいらしたとは、本当ですかぁ!」

 神殿中に響かんばかりの大声で問われ、柊也とルナールが同時に耳を塞いだ。
 肩でハアハアと息をし、白い司祭服が異常なまでに似合わない男性が一人、壊れたドアを背に立っている。
 スキンヘッドに厳つい顔。はち切れんばかりの筋肉質ながたいは、純白の司祭服などでは無く、鎧を着込み魔物退治でもしていた方が似合っている。
 そんな男の存在に柊也は怖さを感じ、無意識のままルナールの手を強く握った。
「純なる子よぉ!長年心からお待ちしておりましたぞ‼︎」
 一々声が大きくて、鼓膜に響く。
 確信を持った呼び声を聞いて、ルナールは安堵の息をついた。柊也を連れてくるべき場所はこの神殿でも問題は無かったみたいだ、と。
「何?何のこと?何言ってるの?誰、貴方達!」
 状況が全く理解出来ず、柊也が困惑を隠さず声を上げた。
「私の名はウネグ。この神殿にて司祭をしています。長年貴方様の来訪を心待ちにしておりました」
 ウグネと名乗った者が胸に手を当て、柊也に向かい頭を下げる。
「ここへ貴方様がいらしたという事は、レェーヴが上手い事やったのですな!あやつは完璧主義な上に理想が高く、しかも遊び好きといった大変困った奴ですから一番期待していなかったのですが……戻ったら、褒めてやらねばなりませんな」
 はっはっは!と、ウグネが豪快に笑う。
 だが状況が全く読めない柊也は、ウグネにつられて笑う事など無く、狼狽する心を隠さずに「誰か一から説明して下さい!」と叫んだのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

迷子の僕の異世界生活

クローナ
BL
高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。 通りかかった子供に助けられついていった先は人手不足の宿屋で、衣食住を求め臨時で働く事になった。 その宿屋で出逢ったのは冒険者のクラウス。 冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。 神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。 2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

あたたかく光る

たまこ
BL
獣人は最上位、人間は最下位の世界。 そんな世界の王子がひとりの人間に恋をし離宮へ住まわすが、慣れない環境でどんどんと元気を無くしてしまう人間。 そんな人間を元気にしようと呼ばれたのが一緒の村に住む孤児のミウと誰にでも好かれるハオのふたり。 ハオは獣人にも好かれるのに、ミウは人間にも獣人にも好かれない。 そんなミウが幸せになるお話。 ⚠︎︎不定期更新です⋯。間が空いてしまうかもしれません泣 獣人が好きな中の人の自己満小説です。

処理中です...