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本編
【第2話】出会いの記憶
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記憶は数年前に遡る。あれはそう、自分がまだ独身だった頃の話だ——
日向 司。現在三十一歳独身。警視庁、捜査第一課に勤務している。階級は巡査部長で、仕事はそれなりに自分には性にあっているのではないかと思う。テレビで警察のドラマを観て、憧れ、生涯の仕事にと選んだクチだ。忙しく、あまり自分の時間は取れないが、それでもやりがいがあった。
「おい、日向。今日は久しぶりに飲みに行かないか?いい店見つけたんだ」
同僚の桐生に声をかけられた。同期な事もあり、無愛想な所のある自分相手でも、普段から何かと声をかけてくれる。コイツはいわゆる典型的な『いい奴』だ。
「ああ、行くよ。ちょっとこれ終わるまで待ってくれないか?」
「んじゃ俺はいつもの場所で待ってるから」
「あぁ、悪いな」
最近忙しかったからな。外で飲むのは何ヶ月ぶりだろう。少し前に大きな事件があったせいでここ最近ずっと残業続きだったから、自分にしては珍しく楽しみだ。
人前に出るのだし、風呂にも入りたい気分だが…… まぁそれはさすがに無理だよなと諦める。
自分の席で報告書を書き上げ、上司に提出。内容に問題は無く、修正する事なくそのまま受け取ってもらえた。
「んじゃお先に失礼します!」
挨拶をして、すぐに俺は待ち合わせ場所まで向かった。
「行こうか」
待ち合わせ場所であった休憩所で缶コーヒーを飲んでいる桐生に声をかけた。
「おぉ、終わったか」
「あぁ。すぐにOKもらえてよかったよ、あの人厳しいから」
「お前が報告書書き直せなんて数回しか言われてないだろうが。俺なんてもう毎回だぞ?」
飲み終わった缶をゴミ箱に捨て、外国人の様なオーバーアクションで桐生がうんざりだと言いたげな仕草をする。そんな姿を前にし、自然と笑みがこぼれた。
「適当に書きすぎなんだよ、お前は」
「面倒なんだよ!ああいった書類ってのは。俺は現場に出てるだけの方が合ってるんでな。そういったのはお前に任せた!」
背中をバンバンと叩かれながら、廊下を歩く。
「絶対に嫌だ」としかめっ面で返したが、全然本気では受け取ってもらえなかった。
「お疲れ様です」
通り過ぎる人達が声をかけてくるので、自分達も同じように返す。エレベーターに乗り、一階へと降りて外へ。十一月という事もあって、頰に当たる風が少し風が冷たくなってきている気がした。
「店の名前は?」
「『火の屋』って店だ。焼き物系の専門店だよ。餃子が美味いんだ」
「…… おいおい、焼き物専門だったらオススメは焼き鳥じゃないのかよ。しかし、知らないなぁそんな店」
「お前もともと詳しくないじゃないか」
豪快に笑われながら言われた。
「…… まぁ、そうなんだけど」
飲み会が好きな友人が少なく、自分も積極的ではない為飲み屋の情報なんて桐生からしか入ってこないに等しいんだから当然だ。
「とにかく行こうぜ、結構人気なんだ。待つのは覚悟しておけよ?すごい可愛い看板娘が居るんだよ!」
「おいお前、メシが美味いから行きたいんじゃなく、その子が見たいだけなんじゃないのか?」
呆れてしまったが、コイツはこういう奴だった。
仕事の事や店のメニューの内容を話しながら、歩いて店のほうへ向かう。少し時間はかかったが、でもまぁ最近事務処理も多くて運動不足だったからな。丁度いい運動になるだろう。
「ここだよ」
桐生が店の看板の前に立って教えてくれた。和風な作りの外観で、どうやらいたって普通居酒屋のようだ。周辺にも飲み屋が結構あるが、その中でもかなり新しい感じがする。が、今風のお洒落な作りって程ではない。でも、だからそこ入りやすそうだった。
「半年前にオープンしてな、雑誌にも紹介されたんだぜ」
「相変わらず詳しいな、お前」
「宴会となると皆俺を頼るからな、情報は常に新しいぞ」
と、自慢気に話す顔がやたらと誇らしげだったので、今度から職場の飲み会予約もコイツに全て押し付けようと俺は心に決めた。
「ほら、早くしようぜ。きっと並ぶ事になるから」
俺の腕を引き、桐生がドアを開けて先に中に入る。
「いらっしゃいませー!お二人様ですか?」
元気のいい声が店内から聞こえた。
「ああ、二人なんだけど待ち時間あり?」
「そうですね、申し訳ありません」
そう言って、深々と店員が頭を下げる。
桐生の背中越しにちらっと見える姿が、やけに小さい気がする。目の錯覚か?と疑うレベルで。
「こちらの席でお待ちいただけますか?あと十五分ほどでご案内できると思いますので」
「了解、仕事頑張ってねー唯ちゃん」
「はい!ありがとうございます!」
タタタッと店内に戻る店員の後姿だけが見える。終始桐生の背中が邪魔で、結局顔まではよくわからなかった。
「今のがさっき話した、看板娘の唯ちゃんだ!なかなかに可愛いだろう?」
順番待ち用に用意されている席に座りながら、桐生が言う。
「お前が邪魔で顔は見えなかったよ」
「げ、悪い悪い。でもまぁお前の好みじゃないだろうからいいか」
「…… 俺の好みなんて、お前知ってるのか?」
俺を指差し、桐生がニヤっと笑う。
「おいおいおい、俺たち何年一緒に仕事してると思ってんだ?お前が付き合った女くらい知ってるぞ?」
年単位で誰とも付き合っていないんだが、いつの話を持ち出してるんだコイツは。
「会わせた事はないと思うんだが」
「警察官をなめるなよ!」
「おい、ちょっと待て。尾行でもしてたのかよ…… ストーカー容疑で逮捕するぞ?」
「いやいやいや、偶然見ただけだって!男のケツなんかプライベートでわざわざ追いかけるかよ」
「…… どうだかな」
——なんて、くだらないやり取りをして時間を潰していたら、十五分なんかあっという間だった。
「お待たせいたしました!ご案内いたしますね」
予告通りの時間で、さっきの店員が戻って来た。
席から立ち、彼女の側に行くとあまりの背の低さに驚いた。
「…… ちいさっ」
つい、口元を押えながらぼそっと言ってしまった。
ピクッと言葉に対し少し反応するのがわかった。でも彼女は、表情にそれを出さなかった。なので俺は、失敗したなとは思ったが、敢えて詫びたりはしない事にした。
「個室が空きましたので、こちらをご利用下さい」
席まで案内され、靴を脱いで中にあがる。畳に掘りごたつといった古民家の様な雰囲気の室内。ちょっと気持ちがほっとするのは、懐かしさを感じるからだろう。
俺達が座ると、メニューを俺達の前に置き「こちらお使いください」と、まだ少し熱いおしぼりを差し出してきたのでそれを受け取る。
「ありがとう」
「お手洗いはこの通路を奥に進みまして、右手になります。飲み物の注文はございませんか?」
「んと、俺は唯ちゃんがいいかなー」
「あはは!お客様、その様なメニューはございませんよ?メニューの中からお願いします」
まだ素面なのに酔っ払いの様な発言をした桐生の言葉をサラッと流し、俺達の注文を待つ。慣れてるな流石に。
「俺はビールで」
「んじゃ俺も」
「中ジョッキでよろしいですか?」
「ああ、頼むよ」
「かしこまりました!すぐお持ちいたします」
居酒屋定番のやり取りをし、唯と呼ばれる彼女は、店の奥のほうへと戻って行った。
後ろ姿を視線で追いながら、ニヤーと桐生が笑う。さっきの発言といい、今の顔といい、酒も飲んでいないのに既に酔っ払いだコイツ。
「惚れてるのか?」
疑問のままにするのも面倒で、率直に訊いた。
「いやいやいや、違う。そんなんじゃない。もっと…… なんていうか、ファン?みたいな感じだな」
「彼女はアイドルじゃないぞ?」
「今やネットアイドルとかもいる時代だぜ?何にだってファンってのはいてもいいんじゃないか?」
「え、そうか?いや、まぁ…… そうだが。あれはどう見ても子供だろうが」
そうだなと、素直に納得は出来ない。結局は居酒屋店員でしかないんだから。
だが奴は、ちっちっちと言いながら指を立て、桐生がそれを横に振る。
「甘い…… 甘いよ、お前は何もわかってない」
何が甘いのかの方がサッパリわからない。テンションが無駄に高い桐生は呆れながら足を崩し、俺は壁に寄りかかった。
「ああいった外見の子が、すごい有能な店員だったらグッとこないか?ギャップがいいっていうかさ」
「…… そんなもんなのか?ってか、有能か否かって誰が決めてるんだよ」
「この店じゃアンケート用紙に応援したい店員の名前が書けるんだよ。んで、彼女は開店時からずっとトップらしいぜ?」
「発表でもしてるのか?そのランキングは」
「いいや、俺独自の情報網だ。店員達の給与にそれなりには影響するみたいで、皆すごい頑張ってるんだぜ」
胸を張り、自慢気に話す。
「そういった能力はさ、もっと仕事に使えよ…… 」
「おまたせいたしました!中ジョッキになります」
テーブルにそれを置き、お通しも二つだされる。正直俺はこのお通しってシステムが嫌いだ。好きでもない、美味しくなさそうな小鉢に強制的に金を払わされると思うとイライラする。結局の所は席代なんだろう?それならば席代なら席代と書いて、同じ値段を請求された方がまだマシだ。
そのせいで、小鉢の中身も見ないでムスッとした顔になってしまった。
「こちらはまかない料理の中で人気が高かった品をお出ししております。当店自慢の料理ですので、よければ召し上がって下さい」
こちらの様子を見ていたんだろうか?店員がお通しの説明を、詳しくしてきたのを初めて聞いた。笑顔を締めに見せられ、不覚にも可愛いなと思ってしまった。
「他のご注文はお決まりですか?」
「いやーごめん!話してて決めてなかったわ」
「では、決まりましたらそちらのボタンでお知らせ下さい。失礼いたします」
——ちょっと関心してしまった。ちゃんとこちらの様子を見てるんだな。ランキングで一位なのも頷ける。
「初めて見たよ、あんなふうに説明してくれる事もあるんだな」
桐生がそう言って、不思議そうな顔で頭を傾げた。
「しないのか?普段は」
「俺はされてないな。お通しだし、向こうは食べてもらえなくったって金取れるんだ。『こちらお通しですー』って置いてくだけで、あえて食ってみろ美味いぞとは勧めてはこないんじゃないか?」
「ふーん。そうか」
…… 普段は、しないのか。
それから二時間くらいは飲んでいたと思う。仕事が同じという事もあって、ほとんどがそういった話になった。個室なので周囲を気にする事無く、外で話しても差し支えない程度ではあるが、直前まで抱えていた事件についても少し話した。
焼き物専門なだけあって、焼き鳥などの料理がすごく美味い。少し運ばれてくるまで時間はかかるが、人気の店だって話だからまぁそれは仕方ない事だと妥協できた。
その代わり、出てくる料理は全部焼き立てですごく熱かった。桐生が勧めていただけあって、餃子がとにかく美味く、追加で頼んでしまったくらいだ。
最初に勧められたお通しも、確かに言われた通りに美味しかったし、この店ならまた来てもいいかもしれない。
この席の担当なのか、常に料理やお酒を持って来てくれたのは毎回あの小さい店員だ。
ついどうしても気になって「身長…… なんぼなの?」と訊くと、照れくさそうに頭をかきながら「女の秘密です」と言われ、こっちまで照れてしまった。
「お客様はとても身長が高いようですが…… 失礼ですがどのくらいあるんですか?」
「俺はね、一七五センチだよ!」
すっかり酒で顔の赤い、桐生が高らかに教えた。
「お前は訊かれてないだろうが!」
即つっこむ。
「最後に測ったやつで百九十近かった気がするかな…… 」
「お、大きいですね」
彼女が俺の身長に、かなり驚いた顔をする。ここまでの身長は彼女の周囲にはいないのかもしれない。
「四十五センチも違うのか…… 」
ポロッと自分の身長につながる言葉が出ていたが、本人は気が付いていないっぽかった。
そうなると一四五センチって事になるが、それって小学生か中学生くらいの身長じゃなかったか?
いくら日本人でも、こんな場所でバイトする年齢だって事を考えるとさすがに小さすぎるんじゃ…… 。
「失礼します、先輩こっち頼めますか?」
別の店員に声をかけられ、彼女が慌てて立ち上がる。
「では、ごゆっくりどうぞ」
そう言って、彼女が俺たちの部屋を後にした。
「小さいとは思ってたが一四五とはねービックリだな」
ビールを飲みながら、桐生が言う。
「別に誘導尋問した訳でもないのに、あっさり『女の秘密』をばらしたな」
はははっと笑いながら「そうだな」と同意。今さっき彼女が運んできた枝豆を手にしてそれを口に放り込んだ。
「お前の身長に驚いたんだろうよ。その目立つ身長どうにかしろっ」
「好きで伸びたわけじゃないぞ。勝手に伸びたんだ。それに、俺の友達の中ではこれで普通なんだよ」
「おいおい、お前の友達って巨人族か何かか?」
ギョッとした顔でそう言われ、それほど驚く事なのかとちょっと思ったが…… まぁ確かに平均以上がワラワラと集まるのは珍しい事なのかもしれないと納得した。
「俺は生粋の日本人だが、昔っからの友達連中が高いのは、ハーフの奴だったり、クォーターだったりするせいだな」
「うへー。一体どこで知り合うんだよ、んなレアポップ人間。正直羨ましいぞ!」
「高校だ。一般的な出会い方をした、古い友人だよ」
そんな話をしていると、久しぶりにアイツらに会いたくなってきた。皆仕事が忙しい年齢だからすぐには無理だろうとわかってはいてもそう思ってしまうのはきっと酒のせいだな。
それから更に一時間は話し、さすがにもうこれ以上は飲めないなと思いながら「ちょっとトイレ行く」と、席を立つ。
「おう。戻ったらそろそろ出るか。もう一軒は…… さすがに俺はキツイから帰るよ」
「問題ない、俺ももう無理だ」と、俺も桐生に同意した。
確か、こっちの奥とか言ってたよな。
右…… だったか?
酔っているせいか記憶があやふやだ。
「お客様、お手洗いをお探しですか?」
迷う様に周囲を見ていたからか、あの小さい店員が声をかけてきた。
「ああ」
短く返事をする。
「こちらになります」
丁寧な仕草で、右の方だと教えてくれる。
「ありがとう」
頷きながら礼を言い、そっちへ行こうとした時、不覚にも壁に顔をぶつけてしまった。
「いたっ!」
なんだってこんな事やってんだ、まずいな久しぶりで飲みすぎたか。
顔を押えている俺に彼女が心配そうな顔をした。
「だ、大丈夫ですか?今、冷たいタオルをお持ちしますね!」
慌てて彼女が店の奥へ行こうとする。それを止める為、咄嗟に彼女の腕をガッと掴んだ。
「いや、そこまではいいから」
「ですが…… 」
「大丈夫、本当に平気だから」
「わかりました」
そうと言いながらも、やはり心配そうに見上げてくるので、頭を撫でてやる。丁度いい高さで、ついやってしまった。
ちょっとビクッとされたが、意外な事に彼女は嫌がらなかった。
「——お客様、そういった行為は店員には控えていただけませんか?」
彼女の後ろから、別の男性店員が声をかけてきた。
「先輩も何やってるんですか」
彼の声色が、ちょっと怒っている。
「ご、ごめんね。お客様が顔をぶつけてしまったんで心配で…… 」
「それで、どうして頭を撫でられてるんです?」
「痛そうだったから心配していたら、今度は心配させてしまったみたいで…… 」
「ったく…… 。あとは俺が引き受けますから、先輩は五番さんに料理運んで下さい」
ふぅと息を吐き、男性店員が彼女に指示をした。
「あ、うん。すみませんお客様。私はこれで…… 」
頭を下げ、彼女は小走りで駆けて行った。
トイレを済ませ、自分達の個室に戻ると、小さな彼女が桐生と一緒に待っていた。
「遅かったな、唯ちゃん心配して氷持って来てくれたんだぞ?顔ぶつけるなんてお前らしくもない」
「別によかったのに」
「いえ、私の案内が悪かったので。申し訳ありませんでした」
氷の入ったビニール袋に、おしぼりを巻いたものを差し出され、仕方なく受け取っておでこにあてる。
酔ってるせいで顔が熱かったから、丁度いいかもしれないな。
「あの、こちらお詫びに割引券を持ってきましたので、よかったら次回お使いください」
「え?いや、いらない。本当にそこまでの事じゃないんだ」
勝手にぶつかったのはこっちなのに、そもそもなんの『お詫び』だ。
「ですが…… 」
「受け取ってやれよ。お前に、何かしてやりたいんだろう?」
『お前』の部分がやけに強調されている。なんだよその何か含みのある言い方は。
「…… そこに置いておいて」
渋々ではあったが、受け取る事にした。
「あ、はい!ではこちらに置かせていただきますね」
やたらと嬉しそうに言われ、少しドキッとしてしまった。
ちょんっとその券を置き「ご注文はなかったですか?」と聞かれたので、もう帰る旨を伝えた。
「では、会計の用意をさせておきますので、伝表をお預かりいたします。お帰りの準備が終わりましたら出口の会計までいらして下さい。本日はありがとうございました」
一礼し、彼女が背中を向ける。
襖を開けて彼女が出て行く時、さっきの男性店員がいて、目があった。店員と客という立場なのに、彼が無遠慮に俺を睨む。
そこまで何を警戒してるんだか。
感情を隠せないのは、若さ故なのか。
◇
次の日。今日は久しぶりの休みだったので、昼まで寝ていた。本を読んだりして夕方まで過ごし、さあ夜は何食べるかと思った時、もらった割引券を思い出した。
美味かったし、また行ってもいいかもな。
開店時間は十七時だったはず。
時計を見ると今は十六時半だった。開店同時には入れそうに無かったが、俺は出掛ける準備を始めた。
「いらっしゃいませ!お一人様ですか?」
昨日の小さな店員が出てきた。
「あ、昨日はどうも」
そう言うと、キョトンとした顔をされてしまった。
「えっと、タオルを巻いた氷もらった者なんだけど」
「あぁ!失礼いたしました、もう大丈夫ですか?」
「…… ああ、別に最初からなんともなかったし」
「よかった!では、こちらへ。お一人様のようですし、カウンターの席でもよろしかったでしょうか?」
「大丈夫だ」
…… ?何だろう今の反応は。
何とも言えない違和感を覚える。その様子を見ていた昨日の男の店員が、ニヤっと笑うのが目に入り少しイラっとした。
彼の顔は、少し勝ち誇ったようにも感じられた。
開店してすぐに入ったのに、十分も経った頃には席がもうほとんど埋まり、ビックリした。人気があるというのは本当だったらしい。昨日はあの時間に十五分程度で入れたのは運がよかったのかもしれない。
チラッと店内を見渡すと、せわしなくあの小さい店員が店全体をまわっている。別に担当の場所があったわけではなかった様だ。
桐生が彼女を『唯ちゃん』と呼んでいた事を思い出し、自分もそう呼ぼうと勝手に決めた。
色々な客に話し掛けられ、笑顔で唯が対応する。あれだけ客に対し愛想がいいと絡まれる事も多いだろうから男の店員がやたらに警戒するのも、まぁ納得できた。
一人で食べているせいで、つい暇になり自然と唯に目が行く。
よく見ると、かなり可愛い部類に入るなと思った。でも、そんな事を誰かに言うと、残念ながら幼女趣味だと思われそうでもあった。
持ってきた本を読みながら酒を飲む。
もうあまりコップに酒が残ってないなというタイミングで、唯が「追加はございませんか?」と、声をかけてきた。
ビックリした。そんな所まで見てるのかと。まぁ偶然かもしれないが。
「えっと、どうするかな。そうだな、緑茶もらえるか?」
「冷たいのと熱いのがございますが」
「熱いので」
「かしこまりました!おぉ…… 難しそうな本ですね」
首を傾げ、俺の本に興味深々といった目を唯が向ける。
「犯罪心理学の本だ。そんなずごい難しいもんじゃない。大学で習う程度のものだ」
「じゅ…… 充分難しいと思うんですが」
「いいや、興味さえあれば誰でも読めるよ。まぁ、辞書が必要な場合もあるかもしれないが」
「そうなんですか…… すごいなぁ。あ、失礼しました。読書のお邪魔をしてすみませんでした。すぐに注文の品、お持ちしますね」
昨日も思ったが、随分と話し掛けてくる店員だな。
不快では無いからいいのだが。
◇
それからというもの、なぜか彼女が気になって、何度も店に足を運ぶようになった。
たまに桐生も誘ってはその店で飲み、奴の方は社交的な性格なせいかすっかり店長とまで知り合いになったらしい。俺といえば話すのは唯くらいで、その度に男の店員に睨まれる。
来店時には毎回色々な事に小さな違和感を覚えながらも、それでも働く彼女の姿を見ているのは楽しかった。
ミスもなく、おっとりしてそうなのに客をかわすのもしっかり心得ている。
こういった店で働くのが向いてるタイプなんだろう。俺には無理だ、面倒でたまらない。愛想はよくないし、基本的に口数も少ない。
少ない証拠をかき集めたり、色々な資料を検証したりしている今の仕事の方がずっとしっくりくる。サービス業ができる奴を尊敬するよ。
◇
ある日、仕事帰りにコンビにでも寄って帰るかと思い立ち歩いていると、俺の行こうと思っていた店の前で唯を見かけた。
あの睨んでくる男性店員と、別の友人らしき人数人と何やら楽しそうに話している。
友人達と話してる所を邪魔する気のない俺は、何も見なかったかのようにコンビ二へ入ろうとした。
「あれ?どうも!お仕事帰りですか?」
男の店員がニヤッと笑いながら声をかけてきた。
こっちが敢えて避けたのがわからないのか?そう思うと、少しイラっとした。
「ああ、そっちはバイト帰りか?」
無視は悪いと思い、無難に返事をする。
「ええ、さっき終わって皆川先輩と一緒に帰る所だったんですよ」
唯は皆川という苗字だったのか、知らなかった。
新しく得た情報に、不思議と嬉しさを感じる。ほっこりした気持ちでいると「知ってる人なの?」と、唯が彼に小声で訊いているのが聞こえ、ビックリした。
何言ってるんだ?あんなに何度も話してるし、顔を見て案内もしてただろうに。
「やだな、先輩。常連さんじゃないですか」
彼の声に嫌味な色が見える。彼女がそういった反応をする事がわかっていたみたいに。
「うそ。ごめん、覚えてないよ…… 」
小さく言うもしっかり聞こえてる。
悪いな、耳はいい方なんだ。
「いい加減お客さんの顔も覚えないとダメですよ?皆川先輩も」
そう言いながら唯の頭を、彼が撫で始めた。ムカッとする。何でかわからないが、気に入らない。
ペコッと唯に一礼されたが、俺を見ている感じがしなかった。
——そうか。何か感じていた違和感の正体はこれか。
唯は客としてしか俺を見ていなくて、客の顔までしっかり記憶する気がそもそも彼女にはないんだ。折角あれだけ気がきくのに、それってかなり致命的な欠点なんじゃないのか?接客業をやるのは。
そう思うも、わざわざ言う気にはなれない。言った所で、客の言葉なんて流して終わりだろうから。
「もう用がないなら、俺はこれで」
そう言って、俺は当初の目的であったコンビにの中に入っていった。
◇
それからどのくらい経ったんだろうか。
大きな事件が起きてしまい、ずっとその件に掛かりっきりですっかり唯の働く店に行けなくなった。桐生も「火の屋の餃子が食いたい…… 」とぼやくも、残念ながら事件が解決する目処はたたず、残業の日が続いた。
何とかまとまった休みが取れそうになってきた頃にはもう、コンビニ前で彼女等と話した日から半年は経っていたと思う。
「今日こそは火の屋行こうぜ!」と誘われ、ちょっと複雑な気分にはなったものの、唯の働く姿は見たいなと思い同意した。
だが、店に行っても、いつもなら出迎えてくれた唯がいない。
桐生が店長に「あれ?唯ちゃんは?もしかしてお休みの日だった?」と訊くと、「就職したからな、もううちには来れないんだよ」と教えてくれた。
…… 就職した?
「え?マジっすか!?どこに?」
「有名なホテルの名前を言ってた気がしたが…… 悪いな!ちょっと思い出せないや」
「おおーいいところに就職できたんだ。唯ちゃんなら、向いてそうだな」
「…… そうか?ホテルなんて全然向いてないと思うが」
顔を覚えれないとマズイだそう、あの仕事は。
コンビニでの出来事を思い出し、少し渋い気持ちになる。
「結構厳しいなお前は」
「事実を言ってるまでだ」
「なんだよ、お前だって気に入ってたんだと思ってたのに」
「気に入ってるのはここの料理だ、彼女じゃない」
「お!そりゃ嬉しいな!ありがとな」
嬉しそうな店長の声に、気まずさを感じた。
まぁ、料理は確かに気にいてるし、嘘では無いよな?
「んじゃ今日は一品好きな品サービスしようか」
気を良くした店長がおごってくれる事になり、俺達は間髪入れずに「餃子で」と同時に言った。
◇
相変わらず仕事に追われるうちに、あれから四年という歳月が過ぎた。その間も火の屋には出入りしていた。だが、唯に会うような偶然は全くなかった。店長からたまに近況を聞くことはあっても、それだけだった。じゃあ、就職先にまで会いに行くかとなると、そうする気にもなれない。どうせ俺の事など覚えてもいないだろうから。
仕事の後、桐生と食事をし、酒は飲まずに帰宅しようとしていた帰り道。
「放して!いやあああ‼︎」
突然女性の悲鳴が聞こえた。急いで声のする方へ走る。どうやら、酔っ払いに絡まれている様だ。見た所凶器を手には持っていない。この程度なら簡単に話は済みそうだ。
「放しなさい、嫌がってる」
睨みながらそう言うと、酔っ払いは驚く程あっさりと引き下がって行った。
交番に連行するまでに至らなくてよかった。今からまた、仕事に関る気分でもなかったから。
「あ、ありがとうございます!助かりました、すみません!」
何度も何度も頭を下げて言うもんだから、襲われていた少女の顔がわからない。
こんなに低姿勢にならなくてもいいだろうに…… ったく。
「…… そのままにもできないから」
視線も合わせずにそう言った。
もし悲鳴を聞いても駆けつけず、その件が殺人に繋がりでもして、警視庁に勤める人間が見殺しにしましたなんてなっから一大事だからなのだが、そこまではわざわざ言わなかった。まぁ、正義感が全く無かった訳でもないので。
「私じゃどうにもできなくて…… 怖かった…… 」
そう言う声が震えている。当然だ、こんな子供が酔った大人に絡まれれて怖くない方がおかしい。可哀想に…… 。
そう思い、軽く頭を撫でてやる。ふわっと柔らかな髪の感触が、何だか新鮮に感じた。異性の髪に触ったのなんて、そういえば何年ぶりだろうか。
「子供がこんな時間に一人で歩いてはダメだ、家は?ご両親に遅れるって言ったのか?」
未成年者が一人で歩くには遅い時間だ。部活があったにしても、この時間はないだろう。
「…… え?あ、私仕事帰りで…… 」
キョトンとした声がかえってきた。
「こんな時間までバイトって、条例違反じゃないか。どこでやってる」
こんな子供に仕事をさせるなんて何を考えてるんだか。これはきちんと調べさせないといけない。
「正社員ですけど…… 」
正社員?何言ってるんだ?
意味がわからなかった。
未成年者の誤魔化しか、いくら補導されたく無いとはいえ無理な言い分だ。これはきちんと確認しないと駄目だ。保護者にも連絡しないと。
「…… は?身分証あるのか?」
「私これでも二十五歳なんですが…… 」
そう言って、少女が俺の顔を見上げてきた。
——え。まさか、唯か?嘘だろ?
時間が止まった気がした。
目の前にいる存在に現実味を感じない。
何やら手をパタパタと動かし、色々説明しだしたがあまり耳に聞こえない。まさかこんな形で再会する事になるとは思いもしなかった。驚き過ぎて、言葉が上手く出せない。
少し言葉を交わした気がするが、よく覚えていない。
何とかしないと、次に繋げないとと気持ちが不思議と焦る。これでまたこのまま別れれば、もう一生彼女に会うチャンスなどないような気がする。どうしてこんな事を考えてしまうのか自分でもわからなかったが、今その理由を模索する時間は無い。
行動を起こせ、後悔はしたくない。
「送っていく。また変な奴が居ても困るから」
「お、お願いします‼︎」
ここは居酒屋か?ってくらいに気持ちのいい返事が返ってきて、少し安心した。
唯の家まで向う道のり、彼女が必死に俺に話し掛けてくる。
でも『どこかでお会いしたことありませんでしたか?』と言う言葉が出てくる気配がまるでない。声も、顔も…… 全く覚えてもらえていなかったんだと思うと、寂しい気持ちになってきた。
俺はどうでもいい存在だったんだ、客の1人でしかなかったんだなと。
唯の記憶に残るには、どうしたらいいんだろう?
十分程度の道のり。意外にも俺の家から近く、こんな側に住んでいたのかと驚いた。四年も偶然道端で会わなかったのが、不思議なくらいご近所だった。
古めのアパートだが女性専用らしかったので、安全面の心配は少ないだろう。
家も覚えたし、まぁ機会があればまた会えるよなと思いながら帰ろうとすると、必死に呼び止められた。
「あのっ!よかったら、うちで紅茶でも飲んで行きませんか?私紅茶集めてて、結構美味しいのとかあるんです。煎れるのもそこそこ上手いんですよ?」
頬を染めながらそう言われれば、断る気になどなれない。唯の方から誘ってもらえるのなら応じよう。
「俺はいいけど、こんな時間にいいのか?」
「はい!是非ともお礼がしたいので」
尋ねる俺に、唯の満面の笑みが返ってきた。
…… 夜に『うちでコーヒーでも』と言う言葉は誘っている場合があると聞くが、紅茶の場合はどうなんだ?しかも、頬は赤くともすごく無邪気な顔で言われてしまったので、これは夜のお誘いだなと勘違い出来る余地も無い。
「女性の入居者しかダメってだけで、男性のお客さんも禁止って訳じゃないんです。なので、気軽に遊びに来てくださって結構ですからね」
ニコニコ笑いながら鞄から鍵を出し、部屋のドアを開ける。
遊びに来いと言われても、正直困った。初対面だと思い込んでいるっぽいのに、随分と懐っこい事に少し不安を感じる。そして、少しの苛立ちも。
…… お前は、誰にでもそうなのか?
「狭くてすみません、そこへどうぞ。ゆっくりしていって下さいね」
ローテーブルの辺りを指差し、そこへ座っていて欲しいと案内された。
「もうここは長いのか?」
座りながら失礼にならない程度に部屋を見渡す。家具は少なく、贅沢している様子はない。本とかはあまりないから、読書の趣味はないようだ。ぬいぐるみが他の物と比べると大目にある気がするから、可愛い物が割と好きなタイプなんだろう。
「ええ、大学入る為にこっちに来てからずっと。職場からは少し遠いけど、引っ越しって結構お金飛びますからね。追い出されない限り、まだまだここに住んでると思います。あ、今お湯沸かしますね」
狭い台所に立ち、ヤカンにペットボトルに入った水を移す。
警戒心皆無の後ろ姿に、不安しか湧いてこない。
「その、あんまり知らない男を簡単に部屋に入れない方がいいぞ?」
「そんな事しませんよ」
笑いながら言われた。全く、全然説得力がない。現に今入れてるじゃないか。
ティーポットとカップをローテーブルに置き、紅茶の缶も何個か持ってきた。
「お好きなのどうぞ、どれが好きですか?」
「すまない、紅茶はよくわからないんだ」
「あれ、あまり飲まれない?」
「コーヒーが多いかな、仕事柄」
「お仕事は何をされてるんですか?」
どれにしようかと、缶を見ながら唯が訊く。
「警視庁に勤務してる」
そう言った途端、瞳をこれでもかってくらいに大きく開いた顔で、唯が俺を見てきた。
「うわぁぁぁ!刑事さんなんですか?」
過剰なテンションに、正直少し引いた。壁が薄かったら、隣から苦情がきそうな音量だが、大丈夫だろうか?
「ああ」
「すごい!私結構好きなんですよ、警察モノのドラマとか映画とか」
どれか決まったようで、ポットの蓋を開けて紅茶の葉を入れながら、興奮気味にそう教えてくれる。
「あんなに派手じゃないぞ。もっと地道な作業の繰り返しだ。名探偵もいなければ、嫌われ者の敏腕刑事もいないからな」
「それでも、皆を守ってくれる存在でしょ?それだけでもうカッコイイなって思います。まるでヒーローみたいですよね、戦隊モノとかライダーとかみたいな」
「…… そうか?褒め過ぎだろう。でも、そう言ってくれるなら嬉しいな。嫌われやすいからな、警察って仕事は」
「あはは!つい違反しちゃう人はそうでしょうね。でも私、これでもゴールド免許持ってるくらいちゃんと規則は守ってるんですよ?斜め横断もしないし、万引きだってもちろんしません!優良な一般市民やってます」
「ゴールド免許なんて、運がよければ誰でももらえるぞ?」
「うわ、ハッキリ言われた!」
昔と変わらず、気さくな奴のままで簡単に会話が続く。話しててすごく楽だ。自然に言葉が出てくる。
なんだかんだと一時間程は話しただろうか。さすがに帰ってシャワーを浴びたりしないと明日に差し支える。そう思った俺は「ごめん、もう帰らないと」と言った。
「あー…… そうですよね」
唯の残念そうな声。そう感じてくれるくらいには楽しんでくれたようで、安心した。
「あの、よかったら名前とか教えてもらえませんか?」
今更か?これだけ話していたのに。苦笑してしまったが、正直嬉しかった。
「失礼、そういうのは最初に教えるべきだったな。日向司だ」
「私は皆川唯っていいます。これ携帯の番号なんですが、よかったらもらってもらえませんか?」
鞄からメモ帳を取り出し、携帯番号とメールアドレスを書いて俺にそれを差し出してきた。
名前なんてとっくに知ってる、だってあんなに店で話してたんだから。自分からつい名乗る事を忘れていたのもそのせいだったし。でも、そう言うのも癪だった。
連絡先は欲しかったので、メモを黙ったまま受け取る。
それを携帯に登録し、自分の連絡先も教えた。
「やった!連絡先ゲット出来たっ」
楽しそうに笑う唯を見てると、帰るのがイヤになる。このまま一緒に居られたらどんなに楽しいだろうか。グッと気持ちを堪えて、俺はこの後すぐに彼女の部屋を出た。
それからというもの、電話は気が引けるのか気を使ってくれているのかどちらかわからないが、メールが沢山届くようになった。近況だったり、今度また会えないかといった内容のメールだ。どうやら今回は流石に、俺の事を記憶してもらえたようだ。
その事がたまらなく嬉しかった。
この頃は運良く割と時間が取れる事が多かったので、互いの仕事帰りに一緒に食事したり、休みが合った日は水族館などにも行ったりするようになった。それがまるでデートでもしているようで、正直毎回楽しみでならなかった。
家に行き来する事も増え、再会してから一ヶ月くらいした頃だ。
「付き合ってもらえませんか?」
裏返った声で唯に言われた。
可愛いと思っているし、一緒にいて楽しい。唯の事が自分は好きなんだろうなと気付き始めていたので、本音を言えば俺から告げたかった。先を越されてしまった事は、もうこの状況では諦めるしかない。——でも、だ。
「俺と君とでは、かなり歳の差あるが本当にいいのか?」
「関係ありませんよ!男は三十台からって言うじゃないですか」
握りこぶしを作り、何故そうなのかの唯が持論を熱弁しだす。
面白い奴だよ、まったく。
相変わらず俺と、四年前にもバイト先で会っていた事は思い出してもいないようだが、それはもう諦める事にした。
「俺で、良かったら」
この日を界に、俺達は正式に付き合うことになった。
◇
それから一ヶ月半。
仕事が互いに忙しくなり、付き合う前より会う機会が激減した。
メールで細々とやり取りはしているものの、ほとんど会えないのはやはり寂しい。自分の一部がなくなったみたいな感覚すら感じる事さえあった。自覚していた以上に、どうやら俺は唯にすっかり惚れ込んでいたらしい。
だが今日は、久しぶりに一緒に食事をする約束がある。
朝からちょっと浮かれ気味だった俺は、桐生に「なんだよ、誰かとデートか?」なんて冷やかされた。
「まぁな」
昔の俺だったら絶対に『んなわけあるか』と隠していただろうが、今回はそう言う気分じゃ無かった。
ニヤッと笑い、素直に答える。付き合っている事を隠したくなるような相手でもないし、コイツには教えても構わないだろう。
「お⁈どんな子だっ今度紹介しろよ!」
「実はな、相手は皆川唯なんだ」
頬をかきながら言う。桐生も知っている相手なせいか、正直照れ臭い。
「まじか⁈なんて懐かしい…… ってか、オイオイちょっと待て!いつの間にそんな関係になってんだよ!俺のアイドルと!」
「色々あったんだよ」
「色々って何だよっ!んな言葉で括るな!」
職場を出て、待ち合わせした場所に駆け足で向う。
珍しく報告書の手直しが入ってしまい、思ったよりも出るのが遅れてしまったのだ。遅れると連絡しようとも思ったんだが、そんな時間も惜しかった。
「ごめん、遅れた!」
息を少し切らしそう言うと、笑顔を向けてくれた。
「私もさっき来たんです。遅れるってメールしてたんですが、私が先でよかった」
え?メール?
携帯を取り出し確認すると、確かに二十分前にそれは届いていた。
「ごめん、見てなかった」
頭をかきながらそう言うと「気にしないで」とまた笑顔に。その顔はもうとにかく愛らしくて、仕事をしているような女性には到底見えなかった。
「今日は私が店決めてもいいですか?」
「ああ、別にいいよ」
特に場所を事前に考えていなかったので、正直ありがたい。
「こっちです」
手をひかれ、案内される。そういえば、手を繋いだのはこれが始めてかもしれない。初めての唯の肌の体温に、心が——ざわついた。
駅前からバスに乗り、降りてからも十分くらいは歩いただろうか。大きく、かなり立派なホテルに案内され、正面に『ホテルカミーリャ』と書いてある。
カミーリャ?もしかしてここって。
「ここ、私の勤め先なんです。最上階のレストランから見える夜景がとても素敵で、予約でいつも満席なんですけどね、同僚がキャンセル席を空けておいてくれたんですよ。あ、これ秘密にしておいて下さいね?本当はマズイ事かもしれないんで」
ちょっと悪戯っ子の様な顔をして教えてくれた。
「私、これでも受付けとかの仕事させてもらってるんです」
「…… 顔覚えるの苦手なのにか?」
ついポロッと言ってしまった。どうやら俺は、忘れられている事をまだ割り切れていないらしい。
「それは飲み屋だけの話ですよ。酔った方の顔なんていちいち覚える気になれなくって…… って、あれ?何で知ってるです?」
顔を覚えるのが苦手ってのは、酔っ払い限定だったのか。器用な脳みそだなと純粋に感心してしまった。
って、俺は初日以外は全く酔ってなかったぞ⁈
…… まぁそれを今ここで抗議しても、意味はないか。
「えっと、前にそう聞いたから」
睨んでばかりのお前の後輩からだが。
「そっかぁ…… ヤダ、私すっかり話した事忘れてますね、ごめんなさい」
いやいや、言ったのお前じゃないし。
「さぁ、気を取り直してっと。今日は私のおごりです!夜景だけじゃなく、料理の味も最高なんで期待してくれていいですよ」
満面の笑みを浮かべ、唯が俺の手を引いてホテルへと入っていった。
「いらっしゃいませ、皆川様。お席にご案内いたします」
背の低い男性が、窓際の席に案内してくれた。
三十五階建てのホテルの最上階。唯が話す通り、確かにすごくいい景色だ。夜景が目の前に広がり、宝石をちりばめたような景色という言葉がしっくりくる。客同士の席の間がずいぶんあり、大声で話さない限りは、隣の声が聞こえて五月蝿いという事のない贅沢な席の配置になっていた。椅子もソファータイプで、くつろいで飲むには丁度いい。
その分値段も相当高そうだが、あんな古いアパートに住んでいるような彼女が払えるのかと心配になった。
「メニューになります」
差し出されたメニューを開き、少し体が固まる。
桁が一つ多くないか?これ。サービス料だとでも言いたいんだろうか。
チラッと唯の方を見るが、彼女が動揺している様子は全くない。
「兵藤さんのオススメで」
メニューに無いぞ?そんなもん
唯が、パタンッと開いていたメニューを閉じて、ウェイターにそれを返す。俺の見ていた物も、彼に渡した。
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
礼儀正しく一礼して、彼が去る。
「なんだ?今のメニュー」
素直に疑問をぶつける。
「えへへ、形だけですよ。他のお客さんもいますしね」
口元に手を当て、小声で教えてくれた。
「ああ、そういう事か」
「社員割引使っても、私じゃここのメニューを存分にご馳走するなんて、とてもじゃないけど無理ですからね。本当は司さんにお財布の心配されちゃうだろうからメニュー見せたくなかったんですけど、彼には渡すなーってお願いしておくのすっかり忘れてました、すみません」
「そんなに無理しなくても、いつもみたいに居酒屋とか普通の店でよかったんじゃないか?」
「今日はダメなんです」
首を横にブンブンと振り、断言する。「だって、ねぇ…… 」と呟き、もじもじと照れくさそうにしだした。
…… なんだろう?久しぶりだからだろうか。
「——話は変わるんだが、ここのホテルって『カミーリャ』とか書いてあったけど…… 」
「椿財閥のグループ企業のホテルです。会長さんはとても有名な方ですよ」
よく知った名前に即納得出来た。
「やっぱり」
「何かありましたか?」
「ああ、まぁ…… うん」
歯切れの悪い返事をしてしまった。
「現会長さんはアメリカ出身の方ですが、昔っから日本文化が好きらしいです。だからなのか、奥様は日本人なんですよ。素敵ですね、国際結婚」
「カミーリャは日本語で『椿』。椿財閥のお嬢様だった彼女に親近感を感じたのがきっかけで、結婚までしたんだろう?知ってる」
「うわーさすが刑事さんですね」
いやいやいや、警察は関係ない。
可愛い顔で感心されてしまったので、心の中だけで否定した。
「大きい財閥同士の結婚だったらしいから、最初は色々あったらしいですけど…… 今はもう日本を代表する企業にまでしちゃったんだから、ホントすごいですよね」
ニコニコと唯が笑う。よっぽど好きなんだろうか、そのエピソードが。
「あぁそうだな。幸せそうでよかったよな」
その二人の息子と俺が友達だと言ったら、唯ははどんな反応をするんだろうか。ちょっと気になるも、今奴の話で盛り上がるような気分でもないので話すのは止めた。
アイツの話になると、ネタがあり過ぎてすぐに時間が足りなくなるのがわかっていたからだ。
「おまたせいたしました、ご注文の品になります」
ウェイターが飲み物をテーブルに置く。一緒に来ていた別の女性が、料理を並べてくれた。
「ありがとう、涼子さん」
小声で唯が話し掛けている。どうやら二人は知り合いの様だ。
「しっ…… 特別なんだからね?」
コクコクと頷いて返事する唯の姿が、小動物みたいだ。
「では、ごゆっくりどうぞ」
目の前に、あまりお目にかかった事のない料理が並んだ。フランス料理だろうか?
「美味しそうですね、料理の名前くらい聞けばよかったかなー」
「そうだな」
「冷めたらもったいないから食べちゃいましょ?あ、でも司さんは…… この量で足ります?」
「この年齢になると若い奴程は食べられないよ、大丈夫だ」
「よかった」
二人して黙々と料理を口に運ぶ。俺は食事中は話さなくなるタイプなのでいつも通りなのだが、俺とは違い、唯は結構話す方だ。なのに、今日はやけに静かだった。
どうしたんだろう?
「…… あの、司さん」
やっと口を開いた。
「なんだ?」
「…… いいです、なんでもない」
俺から視線を逸らし、気持ちここにあらずといった顔になる。態度がおかしくなる瞬間があるが、いったいさっきからどうしたんだろうか?
「——失礼します、デザートをお持ちしてもよろしいですか?」
ウェイターの男性が、料理を食べ終わったタイミングで話し掛けてきた。
「え⁈あ…… あぁぁぁ…… 」
挙動不審なうえ、唯が小声ながらも変な音を出す。
「お願いします」
唯に代わり俺が返事をすると、彼女は驚く程の困り顔になった。クスッと聞こえるウェイターの微かな笑い声。
「かしこまりました、少々お待ちください。こちら、おさげします」
手際よく、お皿を片付けてくれる。
「どうした?もうお腹いっぱいだったのか?」
デザートは断るべきだったのだろうかと心配になってきた。いらないなら、今すぐ断れば間に合うかもしれない。
「え、あ…… いえ、そんなんじゃないですよ?うん」
手を激しく振り否定する顔は、林檎みたいに真っ赤だった。
「おまたせいたしました、こちらデザートになります」
コトッと微かな音をたて、俺の目の前に置かれる小さなお皿。
それを見た瞬間、硬直してしまった。
また…… やられた…… 。
口から出そうになった言葉をぐっと呑み込む。ため息がでそうになったがそれも堪えた。そんな事をしていい状況じゃない。
その場から笑顔で離れるウェイター。
何も言えない、硬直状態を解く事が出来ない。
「あ、あの…… 」
唯が先に声を出したが、震えている。
対面からテーブル越しに俺の手を握り、ジッと顔を見詰めた。
「これを、受け取ってもらえませんか?」
今まで一度も見たことの無い、真剣な顔で言われた。
これとは、どう考えても…… お皿に花と一緒にのせられた“指輪”の事だろう。
まさか、こっちまで先をこされるとは思ってもいなかった。
「私と、結婚してもらえませんか?」
やっぱりそうきたか。
「そういうのは、まだ早くないか?」
なんとか口を開くも、つい否定的な発言になる。
「この間付き合うってなったばかりで、それから何回も会ってなかっただろ?」
諭す様な、宥める様な声が出る。
「あ…… 会えない間に私、色々考えたんです。すごく会いたくて、私…… すごく司さんが好きだなって思って。どうしたらもっと一緒に居られるかなって考えちゃって。それで、もうこれしか思いつかなくって…… 」
唯の言葉が、上手くまとまっていない。俺の反応に動転しているのかもしれなかった。
告白は先を越された。出来れば今回こそは俺からしたかったのに。
俺達は今日やっと手を繋いだっていう亀並みの進み具合で、キスすらもしていない。それなのに結婚とは、流石にやり過ぎじゃないか?
他にも色々…… 体の相性とかも、あるし。
俺から話しておかないといけない、大事な事だって先送りのままだ。
「まだ早い。キスもしてないのにいきなり結婚とかは…… 」
下手な事を言って傷つけたりはしたくない。でも、どう返事をしていいのか頭に浮かばなかった。
「じゃあっ——」
唯が席を立ち、前屈みになって俺のネクタイをグッと掴んだ。
急に引っ張られ、何が起きたのかわからずされるがままになっていると、彼女勢いよく俺の口に唇を重ねてきた。
数秒そのままになり、ゆっくりと離れる。
子どものマネ事みたいな軽いキスを、勢いだけで公衆の面前で唯はかましてきやがった。
「これで、いいですか?」
初めてキスをしたというのに、悲しそうな表情をしている。恥ずかしかったのか、顔は真っ赤だ。
——完敗だった。
見た目とは裏腹に、君の方がずっと一枚上手だな。
「焦る必要なんてないのに」
くすくすと、笑い声が自分から溢れる。
「俺からされるのを、待つとかは出来なかった?」
顔がつい緩んでしまう。
「…… か、考えてませんでした。私の方が絶対司さんを好きだなって…… 思ってるから」
ちょっと泣き出しそうな顔すらも可愛い。だけどな、先に惚れたのは絶対俺だ。
今度は俺が少し腰を浮かし、テーブル越しの唯の頬に軽くキスをした。
「よろこんでお受けします」
そう耳元で囁き、ゆっくり離れる。
唯がしばらく硬直して動かなかったが、少づつ目から涙が落ち始めた。
ポロ…… ポロポロ…… と、綺麗な涙が次々溢れる。
仕舞いには、本気で泣き出した。
「泣く事じゃないだろ?」
出せる限りの優しい声で言いながら、唯にハンカチを差し出す。
席に座り、受け取った俺のハンカチで顔を押えながらコクコクと唯が頷いた。
「安心したら…… なんか…… すごく嬉しくて…… 」
ぐすぐすと泣き続ける唯の頭を、そっと撫でる。
「指輪、はめてもらえるか?俺の為に選んでくれたんだろう?」
ゆっくりハンカチを顔から下げ、それをテーブルに置く。真っ赤で、泣き顔で…… 色っぽさの欠片のない顔だ。でもそれが、すごく可愛いいと思う。
こんな俺がもらって、本当にいいんだろうか?
ちょっと思うも、どうせ今更手放す事もできない。したくない。
時間をかければいいってものでもないし、俺は四年前から唯を目で追っていたんだから、これでいいのかもしれないな。
ぶるぶると震える手で、俺の左手を手にとり、小皿の指輪を唯が手にする。ゆっくりとそれを薬指に彼女がはめていく。
心持ち大きい気がする。サイズがわからないんだ、当然か。
完全に指にはまった瞬間、唯に達成感で満たされたような色が浮かぶ。疑いの余地もなく、嬉しい事が伝わってきた。
パチッ…… パチッパチッパチッ…… 。
突然、拍手のような音が隣の席から聞こえた。
「え?」
不思議に思い横を見ると、知らない老夫婦のような二人が嬉しそうにこちらを見ていた。奥さんらしき人は、ハンカチで目頭まで押えている。
——み、見られていたのか⁈
急に立ち上がって、いきなりキスまでしてたんだ。何事かと、途中から気になって見ていたとしても、まぁしょうがないのかもしれない。
他の席の人達も、店員までもがニコニコと笑いながら拍手を始めた。
俺達の周囲に座っていた人が——皆だ。
少し離れた席の人達は、その様子を不思議そうに見てきている。
「あ、ありがとうございます!」
唯が嬉しそうに周囲へ向けて頭を下げたので、俺も一緒にそうした。
恥ずかしいからさっさと止めてくれ!
そう思うも、皆好意でやってくれているのがわかるので流石に何も言えない。
「こちら当店からのサービスです」
さっき唯が涼子さんと呼んでいた女性が、俺達に花束を渡してくれた。
「ありがとぉ!」
涼子さんとやらに、唯が抱きつく。俺も彼女へと一礼し感謝を伝えた。
周囲の人達が、それぞれまた自分達の会話を楽しみだした頃。
「…… もう店から出ないか?」
懇願するように、でも小声で言う。すると、コクコクと恥ずかしそうに唯も頷いてくれた。さっきの騒ぎは彼女も予想外だったはずだきっと唯も相当恥ずかしかっただろう。
置いてあった伝表に手を伸ばすと「これは私のですよ」と言い、取られてしまった。
席を立ち、周囲にペコペコと頭を下げながら出口に向かおうとする。だが、老夫婦のような二人には声をかけられ、別れを惜しまれてしまった。
会計に行くと「俺達からのおごりですよ、おめでとう」と言われ、彼女は悪いですと断るも「お祝いだから」と結局タダにしてもらった。
何度も何度も頭を下げ、その場を後にした。
エレベーターの中に二人きり。
俺は乗るなり、すぐに唯を抱き締めてしまった。きつくて、少し痛かったかもしれない。でも唯は俺の腕に触れ、いとおしそうに体を預けてくれた。
ドクン…… ドクン…… ドクン——
自分の心臓がやけに五月蝿い。何か衝動的なものが、体の奥からこみ上げてくる感じが自分でもわかる。
唯の顔をクッと上にあげ、唇を重ねる。さっきのような子供のお遊びではなく、大人のキスがしたい。そう想う気持ちが抑えられなかった。
真上を向く唯の口は自然に開き、その中へ俺の舌入れて、絡めるように互いを求めた。
「んん…… んくっ…… ぁぁん」
洩れる声が可愛くてしょうがない。もっとその声が聞きたい。その一心で、彼女の股にグッと俺の脚を入れて根元を擦る。
「んんんっ!」
俺の腕をぎゅっと唯が強く掴んだ時だった——
ポンッ
エレベーターが目的の階に着いたぞと音をならす。その音を機に俺達は慌てて離れた。扉が開いた瞬間、待っていた団体客が乗ろうとするのを外へ外へとかき分ける。
「降ります、すみません」
唯の手を引き、なんとか降りる事が出来た。振り返り彼女の方を見ると、真っ赤な顔のままボーッとしている。
まずい…… 今のは危なかった…… 。あのまま理性が飛んでいたら、マズイ事になっていた。
予想外の展開ではあったものの、やっとここまできたんだ。唯を失いかねない所だった事を深く後悔した。
さっきみたいな、勢いで手を出してはダメだ。彼女とはちゃんと話し合わないと。
「家まで送っていくよ。帰ろう?未来の奥さん」
「…… はい」
達成感に満ちた、にこやかな笑顔を向けてくてる。
まずは、この笑顔を壊さぬよう…… 大事にするんだ。
日向 司。現在三十一歳独身。警視庁、捜査第一課に勤務している。階級は巡査部長で、仕事はそれなりに自分には性にあっているのではないかと思う。テレビで警察のドラマを観て、憧れ、生涯の仕事にと選んだクチだ。忙しく、あまり自分の時間は取れないが、それでもやりがいがあった。
「おい、日向。今日は久しぶりに飲みに行かないか?いい店見つけたんだ」
同僚の桐生に声をかけられた。同期な事もあり、無愛想な所のある自分相手でも、普段から何かと声をかけてくれる。コイツはいわゆる典型的な『いい奴』だ。
「ああ、行くよ。ちょっとこれ終わるまで待ってくれないか?」
「んじゃ俺はいつもの場所で待ってるから」
「あぁ、悪いな」
最近忙しかったからな。外で飲むのは何ヶ月ぶりだろう。少し前に大きな事件があったせいでここ最近ずっと残業続きだったから、自分にしては珍しく楽しみだ。
人前に出るのだし、風呂にも入りたい気分だが…… まぁそれはさすがに無理だよなと諦める。
自分の席で報告書を書き上げ、上司に提出。内容に問題は無く、修正する事なくそのまま受け取ってもらえた。
「んじゃお先に失礼します!」
挨拶をして、すぐに俺は待ち合わせ場所まで向かった。
「行こうか」
待ち合わせ場所であった休憩所で缶コーヒーを飲んでいる桐生に声をかけた。
「おぉ、終わったか」
「あぁ。すぐにOKもらえてよかったよ、あの人厳しいから」
「お前が報告書書き直せなんて数回しか言われてないだろうが。俺なんてもう毎回だぞ?」
飲み終わった缶をゴミ箱に捨て、外国人の様なオーバーアクションで桐生がうんざりだと言いたげな仕草をする。そんな姿を前にし、自然と笑みがこぼれた。
「適当に書きすぎなんだよ、お前は」
「面倒なんだよ!ああいった書類ってのは。俺は現場に出てるだけの方が合ってるんでな。そういったのはお前に任せた!」
背中をバンバンと叩かれながら、廊下を歩く。
「絶対に嫌だ」としかめっ面で返したが、全然本気では受け取ってもらえなかった。
「お疲れ様です」
通り過ぎる人達が声をかけてくるので、自分達も同じように返す。エレベーターに乗り、一階へと降りて外へ。十一月という事もあって、頰に当たる風が少し風が冷たくなってきている気がした。
「店の名前は?」
「『火の屋』って店だ。焼き物系の専門店だよ。餃子が美味いんだ」
「…… おいおい、焼き物専門だったらオススメは焼き鳥じゃないのかよ。しかし、知らないなぁそんな店」
「お前もともと詳しくないじゃないか」
豪快に笑われながら言われた。
「…… まぁ、そうなんだけど」
飲み会が好きな友人が少なく、自分も積極的ではない為飲み屋の情報なんて桐生からしか入ってこないに等しいんだから当然だ。
「とにかく行こうぜ、結構人気なんだ。待つのは覚悟しておけよ?すごい可愛い看板娘が居るんだよ!」
「おいお前、メシが美味いから行きたいんじゃなく、その子が見たいだけなんじゃないのか?」
呆れてしまったが、コイツはこういう奴だった。
仕事の事や店のメニューの内容を話しながら、歩いて店のほうへ向かう。少し時間はかかったが、でもまぁ最近事務処理も多くて運動不足だったからな。丁度いい運動になるだろう。
「ここだよ」
桐生が店の看板の前に立って教えてくれた。和風な作りの外観で、どうやらいたって普通居酒屋のようだ。周辺にも飲み屋が結構あるが、その中でもかなり新しい感じがする。が、今風のお洒落な作りって程ではない。でも、だからそこ入りやすそうだった。
「半年前にオープンしてな、雑誌にも紹介されたんだぜ」
「相変わらず詳しいな、お前」
「宴会となると皆俺を頼るからな、情報は常に新しいぞ」
と、自慢気に話す顔がやたらと誇らしげだったので、今度から職場の飲み会予約もコイツに全て押し付けようと俺は心に決めた。
「ほら、早くしようぜ。きっと並ぶ事になるから」
俺の腕を引き、桐生がドアを開けて先に中に入る。
「いらっしゃいませー!お二人様ですか?」
元気のいい声が店内から聞こえた。
「ああ、二人なんだけど待ち時間あり?」
「そうですね、申し訳ありません」
そう言って、深々と店員が頭を下げる。
桐生の背中越しにちらっと見える姿が、やけに小さい気がする。目の錯覚か?と疑うレベルで。
「こちらの席でお待ちいただけますか?あと十五分ほどでご案内できると思いますので」
「了解、仕事頑張ってねー唯ちゃん」
「はい!ありがとうございます!」
タタタッと店内に戻る店員の後姿だけが見える。終始桐生の背中が邪魔で、結局顔まではよくわからなかった。
「今のがさっき話した、看板娘の唯ちゃんだ!なかなかに可愛いだろう?」
順番待ち用に用意されている席に座りながら、桐生が言う。
「お前が邪魔で顔は見えなかったよ」
「げ、悪い悪い。でもまぁお前の好みじゃないだろうからいいか」
「…… 俺の好みなんて、お前知ってるのか?」
俺を指差し、桐生がニヤっと笑う。
「おいおいおい、俺たち何年一緒に仕事してると思ってんだ?お前が付き合った女くらい知ってるぞ?」
年単位で誰とも付き合っていないんだが、いつの話を持ち出してるんだコイツは。
「会わせた事はないと思うんだが」
「警察官をなめるなよ!」
「おい、ちょっと待て。尾行でもしてたのかよ…… ストーカー容疑で逮捕するぞ?」
「いやいやいや、偶然見ただけだって!男のケツなんかプライベートでわざわざ追いかけるかよ」
「…… どうだかな」
——なんて、くだらないやり取りをして時間を潰していたら、十五分なんかあっという間だった。
「お待たせいたしました!ご案内いたしますね」
予告通りの時間で、さっきの店員が戻って来た。
席から立ち、彼女の側に行くとあまりの背の低さに驚いた。
「…… ちいさっ」
つい、口元を押えながらぼそっと言ってしまった。
ピクッと言葉に対し少し反応するのがわかった。でも彼女は、表情にそれを出さなかった。なので俺は、失敗したなとは思ったが、敢えて詫びたりはしない事にした。
「個室が空きましたので、こちらをご利用下さい」
席まで案内され、靴を脱いで中にあがる。畳に掘りごたつといった古民家の様な雰囲気の室内。ちょっと気持ちがほっとするのは、懐かしさを感じるからだろう。
俺達が座ると、メニューを俺達の前に置き「こちらお使いください」と、まだ少し熱いおしぼりを差し出してきたのでそれを受け取る。
「ありがとう」
「お手洗いはこの通路を奥に進みまして、右手になります。飲み物の注文はございませんか?」
「んと、俺は唯ちゃんがいいかなー」
「あはは!お客様、その様なメニューはございませんよ?メニューの中からお願いします」
まだ素面なのに酔っ払いの様な発言をした桐生の言葉をサラッと流し、俺達の注文を待つ。慣れてるな流石に。
「俺はビールで」
「んじゃ俺も」
「中ジョッキでよろしいですか?」
「ああ、頼むよ」
「かしこまりました!すぐお持ちいたします」
居酒屋定番のやり取りをし、唯と呼ばれる彼女は、店の奥のほうへと戻って行った。
後ろ姿を視線で追いながら、ニヤーと桐生が笑う。さっきの発言といい、今の顔といい、酒も飲んでいないのに既に酔っ払いだコイツ。
「惚れてるのか?」
疑問のままにするのも面倒で、率直に訊いた。
「いやいやいや、違う。そんなんじゃない。もっと…… なんていうか、ファン?みたいな感じだな」
「彼女はアイドルじゃないぞ?」
「今やネットアイドルとかもいる時代だぜ?何にだってファンってのはいてもいいんじゃないか?」
「え、そうか?いや、まぁ…… そうだが。あれはどう見ても子供だろうが」
そうだなと、素直に納得は出来ない。結局は居酒屋店員でしかないんだから。
だが奴は、ちっちっちと言いながら指を立て、桐生がそれを横に振る。
「甘い…… 甘いよ、お前は何もわかってない」
何が甘いのかの方がサッパリわからない。テンションが無駄に高い桐生は呆れながら足を崩し、俺は壁に寄りかかった。
「ああいった外見の子が、すごい有能な店員だったらグッとこないか?ギャップがいいっていうかさ」
「…… そんなもんなのか?ってか、有能か否かって誰が決めてるんだよ」
「この店じゃアンケート用紙に応援したい店員の名前が書けるんだよ。んで、彼女は開店時からずっとトップらしいぜ?」
「発表でもしてるのか?そのランキングは」
「いいや、俺独自の情報網だ。店員達の給与にそれなりには影響するみたいで、皆すごい頑張ってるんだぜ」
胸を張り、自慢気に話す。
「そういった能力はさ、もっと仕事に使えよ…… 」
「おまたせいたしました!中ジョッキになります」
テーブルにそれを置き、お通しも二つだされる。正直俺はこのお通しってシステムが嫌いだ。好きでもない、美味しくなさそうな小鉢に強制的に金を払わされると思うとイライラする。結局の所は席代なんだろう?それならば席代なら席代と書いて、同じ値段を請求された方がまだマシだ。
そのせいで、小鉢の中身も見ないでムスッとした顔になってしまった。
「こちらはまかない料理の中で人気が高かった品をお出ししております。当店自慢の料理ですので、よければ召し上がって下さい」
こちらの様子を見ていたんだろうか?店員がお通しの説明を、詳しくしてきたのを初めて聞いた。笑顔を締めに見せられ、不覚にも可愛いなと思ってしまった。
「他のご注文はお決まりですか?」
「いやーごめん!話してて決めてなかったわ」
「では、決まりましたらそちらのボタンでお知らせ下さい。失礼いたします」
——ちょっと関心してしまった。ちゃんとこちらの様子を見てるんだな。ランキングで一位なのも頷ける。
「初めて見たよ、あんなふうに説明してくれる事もあるんだな」
桐生がそう言って、不思議そうな顔で頭を傾げた。
「しないのか?普段は」
「俺はされてないな。お通しだし、向こうは食べてもらえなくったって金取れるんだ。『こちらお通しですー』って置いてくだけで、あえて食ってみろ美味いぞとは勧めてはこないんじゃないか?」
「ふーん。そうか」
…… 普段は、しないのか。
それから二時間くらいは飲んでいたと思う。仕事が同じという事もあって、ほとんどがそういった話になった。個室なので周囲を気にする事無く、外で話しても差し支えない程度ではあるが、直前まで抱えていた事件についても少し話した。
焼き物専門なだけあって、焼き鳥などの料理がすごく美味い。少し運ばれてくるまで時間はかかるが、人気の店だって話だからまぁそれは仕方ない事だと妥協できた。
その代わり、出てくる料理は全部焼き立てですごく熱かった。桐生が勧めていただけあって、餃子がとにかく美味く、追加で頼んでしまったくらいだ。
最初に勧められたお通しも、確かに言われた通りに美味しかったし、この店ならまた来てもいいかもしれない。
この席の担当なのか、常に料理やお酒を持って来てくれたのは毎回あの小さい店員だ。
ついどうしても気になって「身長…… なんぼなの?」と訊くと、照れくさそうに頭をかきながら「女の秘密です」と言われ、こっちまで照れてしまった。
「お客様はとても身長が高いようですが…… 失礼ですがどのくらいあるんですか?」
「俺はね、一七五センチだよ!」
すっかり酒で顔の赤い、桐生が高らかに教えた。
「お前は訊かれてないだろうが!」
即つっこむ。
「最後に測ったやつで百九十近かった気がするかな…… 」
「お、大きいですね」
彼女が俺の身長に、かなり驚いた顔をする。ここまでの身長は彼女の周囲にはいないのかもしれない。
「四十五センチも違うのか…… 」
ポロッと自分の身長につながる言葉が出ていたが、本人は気が付いていないっぽかった。
そうなると一四五センチって事になるが、それって小学生か中学生くらいの身長じゃなかったか?
いくら日本人でも、こんな場所でバイトする年齢だって事を考えるとさすがに小さすぎるんじゃ…… 。
「失礼します、先輩こっち頼めますか?」
別の店員に声をかけられ、彼女が慌てて立ち上がる。
「では、ごゆっくりどうぞ」
そう言って、彼女が俺たちの部屋を後にした。
「小さいとは思ってたが一四五とはねービックリだな」
ビールを飲みながら、桐生が言う。
「別に誘導尋問した訳でもないのに、あっさり『女の秘密』をばらしたな」
はははっと笑いながら「そうだな」と同意。今さっき彼女が運んできた枝豆を手にしてそれを口に放り込んだ。
「お前の身長に驚いたんだろうよ。その目立つ身長どうにかしろっ」
「好きで伸びたわけじゃないぞ。勝手に伸びたんだ。それに、俺の友達の中ではこれで普通なんだよ」
「おいおい、お前の友達って巨人族か何かか?」
ギョッとした顔でそう言われ、それほど驚く事なのかとちょっと思ったが…… まぁ確かに平均以上がワラワラと集まるのは珍しい事なのかもしれないと納得した。
「俺は生粋の日本人だが、昔っからの友達連中が高いのは、ハーフの奴だったり、クォーターだったりするせいだな」
「うへー。一体どこで知り合うんだよ、んなレアポップ人間。正直羨ましいぞ!」
「高校だ。一般的な出会い方をした、古い友人だよ」
そんな話をしていると、久しぶりにアイツらに会いたくなってきた。皆仕事が忙しい年齢だからすぐには無理だろうとわかってはいてもそう思ってしまうのはきっと酒のせいだな。
それから更に一時間は話し、さすがにもうこれ以上は飲めないなと思いながら「ちょっとトイレ行く」と、席を立つ。
「おう。戻ったらそろそろ出るか。もう一軒は…… さすがに俺はキツイから帰るよ」
「問題ない、俺ももう無理だ」と、俺も桐生に同意した。
確か、こっちの奥とか言ってたよな。
右…… だったか?
酔っているせいか記憶があやふやだ。
「お客様、お手洗いをお探しですか?」
迷う様に周囲を見ていたからか、あの小さい店員が声をかけてきた。
「ああ」
短く返事をする。
「こちらになります」
丁寧な仕草で、右の方だと教えてくれる。
「ありがとう」
頷きながら礼を言い、そっちへ行こうとした時、不覚にも壁に顔をぶつけてしまった。
「いたっ!」
なんだってこんな事やってんだ、まずいな久しぶりで飲みすぎたか。
顔を押えている俺に彼女が心配そうな顔をした。
「だ、大丈夫ですか?今、冷たいタオルをお持ちしますね!」
慌てて彼女が店の奥へ行こうとする。それを止める為、咄嗟に彼女の腕をガッと掴んだ。
「いや、そこまではいいから」
「ですが…… 」
「大丈夫、本当に平気だから」
「わかりました」
そうと言いながらも、やはり心配そうに見上げてくるので、頭を撫でてやる。丁度いい高さで、ついやってしまった。
ちょっとビクッとされたが、意外な事に彼女は嫌がらなかった。
「——お客様、そういった行為は店員には控えていただけませんか?」
彼女の後ろから、別の男性店員が声をかけてきた。
「先輩も何やってるんですか」
彼の声色が、ちょっと怒っている。
「ご、ごめんね。お客様が顔をぶつけてしまったんで心配で…… 」
「それで、どうして頭を撫でられてるんです?」
「痛そうだったから心配していたら、今度は心配させてしまったみたいで…… 」
「ったく…… 。あとは俺が引き受けますから、先輩は五番さんに料理運んで下さい」
ふぅと息を吐き、男性店員が彼女に指示をした。
「あ、うん。すみませんお客様。私はこれで…… 」
頭を下げ、彼女は小走りで駆けて行った。
トイレを済ませ、自分達の個室に戻ると、小さな彼女が桐生と一緒に待っていた。
「遅かったな、唯ちゃん心配して氷持って来てくれたんだぞ?顔ぶつけるなんてお前らしくもない」
「別によかったのに」
「いえ、私の案内が悪かったので。申し訳ありませんでした」
氷の入ったビニール袋に、おしぼりを巻いたものを差し出され、仕方なく受け取っておでこにあてる。
酔ってるせいで顔が熱かったから、丁度いいかもしれないな。
「あの、こちらお詫びに割引券を持ってきましたので、よかったら次回お使いください」
「え?いや、いらない。本当にそこまでの事じゃないんだ」
勝手にぶつかったのはこっちなのに、そもそもなんの『お詫び』だ。
「ですが…… 」
「受け取ってやれよ。お前に、何かしてやりたいんだろう?」
『お前』の部分がやけに強調されている。なんだよその何か含みのある言い方は。
「…… そこに置いておいて」
渋々ではあったが、受け取る事にした。
「あ、はい!ではこちらに置かせていただきますね」
やたらと嬉しそうに言われ、少しドキッとしてしまった。
ちょんっとその券を置き「ご注文はなかったですか?」と聞かれたので、もう帰る旨を伝えた。
「では、会計の用意をさせておきますので、伝表をお預かりいたします。お帰りの準備が終わりましたら出口の会計までいらして下さい。本日はありがとうございました」
一礼し、彼女が背中を向ける。
襖を開けて彼女が出て行く時、さっきの男性店員がいて、目があった。店員と客という立場なのに、彼が無遠慮に俺を睨む。
そこまで何を警戒してるんだか。
感情を隠せないのは、若さ故なのか。
◇
次の日。今日は久しぶりの休みだったので、昼まで寝ていた。本を読んだりして夕方まで過ごし、さあ夜は何食べるかと思った時、もらった割引券を思い出した。
美味かったし、また行ってもいいかもな。
開店時間は十七時だったはず。
時計を見ると今は十六時半だった。開店同時には入れそうに無かったが、俺は出掛ける準備を始めた。
「いらっしゃいませ!お一人様ですか?」
昨日の小さな店員が出てきた。
「あ、昨日はどうも」
そう言うと、キョトンとした顔をされてしまった。
「えっと、タオルを巻いた氷もらった者なんだけど」
「あぁ!失礼いたしました、もう大丈夫ですか?」
「…… ああ、別に最初からなんともなかったし」
「よかった!では、こちらへ。お一人様のようですし、カウンターの席でもよろしかったでしょうか?」
「大丈夫だ」
…… ?何だろう今の反応は。
何とも言えない違和感を覚える。その様子を見ていた昨日の男の店員が、ニヤっと笑うのが目に入り少しイラっとした。
彼の顔は、少し勝ち誇ったようにも感じられた。
開店してすぐに入ったのに、十分も経った頃には席がもうほとんど埋まり、ビックリした。人気があるというのは本当だったらしい。昨日はあの時間に十五分程度で入れたのは運がよかったのかもしれない。
チラッと店内を見渡すと、せわしなくあの小さい店員が店全体をまわっている。別に担当の場所があったわけではなかった様だ。
桐生が彼女を『唯ちゃん』と呼んでいた事を思い出し、自分もそう呼ぼうと勝手に決めた。
色々な客に話し掛けられ、笑顔で唯が対応する。あれだけ客に対し愛想がいいと絡まれる事も多いだろうから男の店員がやたらに警戒するのも、まぁ納得できた。
一人で食べているせいで、つい暇になり自然と唯に目が行く。
よく見ると、かなり可愛い部類に入るなと思った。でも、そんな事を誰かに言うと、残念ながら幼女趣味だと思われそうでもあった。
持ってきた本を読みながら酒を飲む。
もうあまりコップに酒が残ってないなというタイミングで、唯が「追加はございませんか?」と、声をかけてきた。
ビックリした。そんな所まで見てるのかと。まぁ偶然かもしれないが。
「えっと、どうするかな。そうだな、緑茶もらえるか?」
「冷たいのと熱いのがございますが」
「熱いので」
「かしこまりました!おぉ…… 難しそうな本ですね」
首を傾げ、俺の本に興味深々といった目を唯が向ける。
「犯罪心理学の本だ。そんなずごい難しいもんじゃない。大学で習う程度のものだ」
「じゅ…… 充分難しいと思うんですが」
「いいや、興味さえあれば誰でも読めるよ。まぁ、辞書が必要な場合もあるかもしれないが」
「そうなんですか…… すごいなぁ。あ、失礼しました。読書のお邪魔をしてすみませんでした。すぐに注文の品、お持ちしますね」
昨日も思ったが、随分と話し掛けてくる店員だな。
不快では無いからいいのだが。
◇
それからというもの、なぜか彼女が気になって、何度も店に足を運ぶようになった。
たまに桐生も誘ってはその店で飲み、奴の方は社交的な性格なせいかすっかり店長とまで知り合いになったらしい。俺といえば話すのは唯くらいで、その度に男の店員に睨まれる。
来店時には毎回色々な事に小さな違和感を覚えながらも、それでも働く彼女の姿を見ているのは楽しかった。
ミスもなく、おっとりしてそうなのに客をかわすのもしっかり心得ている。
こういった店で働くのが向いてるタイプなんだろう。俺には無理だ、面倒でたまらない。愛想はよくないし、基本的に口数も少ない。
少ない証拠をかき集めたり、色々な資料を検証したりしている今の仕事の方がずっとしっくりくる。サービス業ができる奴を尊敬するよ。
◇
ある日、仕事帰りにコンビにでも寄って帰るかと思い立ち歩いていると、俺の行こうと思っていた店の前で唯を見かけた。
あの睨んでくる男性店員と、別の友人らしき人数人と何やら楽しそうに話している。
友人達と話してる所を邪魔する気のない俺は、何も見なかったかのようにコンビ二へ入ろうとした。
「あれ?どうも!お仕事帰りですか?」
男の店員がニヤッと笑いながら声をかけてきた。
こっちが敢えて避けたのがわからないのか?そう思うと、少しイラっとした。
「ああ、そっちはバイト帰りか?」
無視は悪いと思い、無難に返事をする。
「ええ、さっき終わって皆川先輩と一緒に帰る所だったんですよ」
唯は皆川という苗字だったのか、知らなかった。
新しく得た情報に、不思議と嬉しさを感じる。ほっこりした気持ちでいると「知ってる人なの?」と、唯が彼に小声で訊いているのが聞こえ、ビックリした。
何言ってるんだ?あんなに何度も話してるし、顔を見て案内もしてただろうに。
「やだな、先輩。常連さんじゃないですか」
彼の声に嫌味な色が見える。彼女がそういった反応をする事がわかっていたみたいに。
「うそ。ごめん、覚えてないよ…… 」
小さく言うもしっかり聞こえてる。
悪いな、耳はいい方なんだ。
「いい加減お客さんの顔も覚えないとダメですよ?皆川先輩も」
そう言いながら唯の頭を、彼が撫で始めた。ムカッとする。何でかわからないが、気に入らない。
ペコッと唯に一礼されたが、俺を見ている感じがしなかった。
——そうか。何か感じていた違和感の正体はこれか。
唯は客としてしか俺を見ていなくて、客の顔までしっかり記憶する気がそもそも彼女にはないんだ。折角あれだけ気がきくのに、それってかなり致命的な欠点なんじゃないのか?接客業をやるのは。
そう思うも、わざわざ言う気にはなれない。言った所で、客の言葉なんて流して終わりだろうから。
「もう用がないなら、俺はこれで」
そう言って、俺は当初の目的であったコンビにの中に入っていった。
◇
それからどのくらい経ったんだろうか。
大きな事件が起きてしまい、ずっとその件に掛かりっきりですっかり唯の働く店に行けなくなった。桐生も「火の屋の餃子が食いたい…… 」とぼやくも、残念ながら事件が解決する目処はたたず、残業の日が続いた。
何とかまとまった休みが取れそうになってきた頃にはもう、コンビニ前で彼女等と話した日から半年は経っていたと思う。
「今日こそは火の屋行こうぜ!」と誘われ、ちょっと複雑な気分にはなったものの、唯の働く姿は見たいなと思い同意した。
だが、店に行っても、いつもなら出迎えてくれた唯がいない。
桐生が店長に「あれ?唯ちゃんは?もしかしてお休みの日だった?」と訊くと、「就職したからな、もううちには来れないんだよ」と教えてくれた。
…… 就職した?
「え?マジっすか!?どこに?」
「有名なホテルの名前を言ってた気がしたが…… 悪いな!ちょっと思い出せないや」
「おおーいいところに就職できたんだ。唯ちゃんなら、向いてそうだな」
「…… そうか?ホテルなんて全然向いてないと思うが」
顔を覚えれないとマズイだそう、あの仕事は。
コンビニでの出来事を思い出し、少し渋い気持ちになる。
「結構厳しいなお前は」
「事実を言ってるまでだ」
「なんだよ、お前だって気に入ってたんだと思ってたのに」
「気に入ってるのはここの料理だ、彼女じゃない」
「お!そりゃ嬉しいな!ありがとな」
嬉しそうな店長の声に、気まずさを感じた。
まぁ、料理は確かに気にいてるし、嘘では無いよな?
「んじゃ今日は一品好きな品サービスしようか」
気を良くした店長がおごってくれる事になり、俺達は間髪入れずに「餃子で」と同時に言った。
◇
相変わらず仕事に追われるうちに、あれから四年という歳月が過ぎた。その間も火の屋には出入りしていた。だが、唯に会うような偶然は全くなかった。店長からたまに近況を聞くことはあっても、それだけだった。じゃあ、就職先にまで会いに行くかとなると、そうする気にもなれない。どうせ俺の事など覚えてもいないだろうから。
仕事の後、桐生と食事をし、酒は飲まずに帰宅しようとしていた帰り道。
「放して!いやあああ‼︎」
突然女性の悲鳴が聞こえた。急いで声のする方へ走る。どうやら、酔っ払いに絡まれている様だ。見た所凶器を手には持っていない。この程度なら簡単に話は済みそうだ。
「放しなさい、嫌がってる」
睨みながらそう言うと、酔っ払いは驚く程あっさりと引き下がって行った。
交番に連行するまでに至らなくてよかった。今からまた、仕事に関る気分でもなかったから。
「あ、ありがとうございます!助かりました、すみません!」
何度も何度も頭を下げて言うもんだから、襲われていた少女の顔がわからない。
こんなに低姿勢にならなくてもいいだろうに…… ったく。
「…… そのままにもできないから」
視線も合わせずにそう言った。
もし悲鳴を聞いても駆けつけず、その件が殺人に繋がりでもして、警視庁に勤める人間が見殺しにしましたなんてなっから一大事だからなのだが、そこまではわざわざ言わなかった。まぁ、正義感が全く無かった訳でもないので。
「私じゃどうにもできなくて…… 怖かった…… 」
そう言う声が震えている。当然だ、こんな子供が酔った大人に絡まれれて怖くない方がおかしい。可哀想に…… 。
そう思い、軽く頭を撫でてやる。ふわっと柔らかな髪の感触が、何だか新鮮に感じた。異性の髪に触ったのなんて、そういえば何年ぶりだろうか。
「子供がこんな時間に一人で歩いてはダメだ、家は?ご両親に遅れるって言ったのか?」
未成年者が一人で歩くには遅い時間だ。部活があったにしても、この時間はないだろう。
「…… え?あ、私仕事帰りで…… 」
キョトンとした声がかえってきた。
「こんな時間までバイトって、条例違反じゃないか。どこでやってる」
こんな子供に仕事をさせるなんて何を考えてるんだか。これはきちんと調べさせないといけない。
「正社員ですけど…… 」
正社員?何言ってるんだ?
意味がわからなかった。
未成年者の誤魔化しか、いくら補導されたく無いとはいえ無理な言い分だ。これはきちんと確認しないと駄目だ。保護者にも連絡しないと。
「…… は?身分証あるのか?」
「私これでも二十五歳なんですが…… 」
そう言って、少女が俺の顔を見上げてきた。
——え。まさか、唯か?嘘だろ?
時間が止まった気がした。
目の前にいる存在に現実味を感じない。
何やら手をパタパタと動かし、色々説明しだしたがあまり耳に聞こえない。まさかこんな形で再会する事になるとは思いもしなかった。驚き過ぎて、言葉が上手く出せない。
少し言葉を交わした気がするが、よく覚えていない。
何とかしないと、次に繋げないとと気持ちが不思議と焦る。これでまたこのまま別れれば、もう一生彼女に会うチャンスなどないような気がする。どうしてこんな事を考えてしまうのか自分でもわからなかったが、今その理由を模索する時間は無い。
行動を起こせ、後悔はしたくない。
「送っていく。また変な奴が居ても困るから」
「お、お願いします‼︎」
ここは居酒屋か?ってくらいに気持ちのいい返事が返ってきて、少し安心した。
唯の家まで向う道のり、彼女が必死に俺に話し掛けてくる。
でも『どこかでお会いしたことありませんでしたか?』と言う言葉が出てくる気配がまるでない。声も、顔も…… 全く覚えてもらえていなかったんだと思うと、寂しい気持ちになってきた。
俺はどうでもいい存在だったんだ、客の1人でしかなかったんだなと。
唯の記憶に残るには、どうしたらいいんだろう?
十分程度の道のり。意外にも俺の家から近く、こんな側に住んでいたのかと驚いた。四年も偶然道端で会わなかったのが、不思議なくらいご近所だった。
古めのアパートだが女性専用らしかったので、安全面の心配は少ないだろう。
家も覚えたし、まぁ機会があればまた会えるよなと思いながら帰ろうとすると、必死に呼び止められた。
「あのっ!よかったら、うちで紅茶でも飲んで行きませんか?私紅茶集めてて、結構美味しいのとかあるんです。煎れるのもそこそこ上手いんですよ?」
頬を染めながらそう言われれば、断る気になどなれない。唯の方から誘ってもらえるのなら応じよう。
「俺はいいけど、こんな時間にいいのか?」
「はい!是非ともお礼がしたいので」
尋ねる俺に、唯の満面の笑みが返ってきた。
…… 夜に『うちでコーヒーでも』と言う言葉は誘っている場合があると聞くが、紅茶の場合はどうなんだ?しかも、頬は赤くともすごく無邪気な顔で言われてしまったので、これは夜のお誘いだなと勘違い出来る余地も無い。
「女性の入居者しかダメってだけで、男性のお客さんも禁止って訳じゃないんです。なので、気軽に遊びに来てくださって結構ですからね」
ニコニコ笑いながら鞄から鍵を出し、部屋のドアを開ける。
遊びに来いと言われても、正直困った。初対面だと思い込んでいるっぽいのに、随分と懐っこい事に少し不安を感じる。そして、少しの苛立ちも。
…… お前は、誰にでもそうなのか?
「狭くてすみません、そこへどうぞ。ゆっくりしていって下さいね」
ローテーブルの辺りを指差し、そこへ座っていて欲しいと案内された。
「もうここは長いのか?」
座りながら失礼にならない程度に部屋を見渡す。家具は少なく、贅沢している様子はない。本とかはあまりないから、読書の趣味はないようだ。ぬいぐるみが他の物と比べると大目にある気がするから、可愛い物が割と好きなタイプなんだろう。
「ええ、大学入る為にこっちに来てからずっと。職場からは少し遠いけど、引っ越しって結構お金飛びますからね。追い出されない限り、まだまだここに住んでると思います。あ、今お湯沸かしますね」
狭い台所に立ち、ヤカンにペットボトルに入った水を移す。
警戒心皆無の後ろ姿に、不安しか湧いてこない。
「その、あんまり知らない男を簡単に部屋に入れない方がいいぞ?」
「そんな事しませんよ」
笑いながら言われた。全く、全然説得力がない。現に今入れてるじゃないか。
ティーポットとカップをローテーブルに置き、紅茶の缶も何個か持ってきた。
「お好きなのどうぞ、どれが好きですか?」
「すまない、紅茶はよくわからないんだ」
「あれ、あまり飲まれない?」
「コーヒーが多いかな、仕事柄」
「お仕事は何をされてるんですか?」
どれにしようかと、缶を見ながら唯が訊く。
「警視庁に勤務してる」
そう言った途端、瞳をこれでもかってくらいに大きく開いた顔で、唯が俺を見てきた。
「うわぁぁぁ!刑事さんなんですか?」
過剰なテンションに、正直少し引いた。壁が薄かったら、隣から苦情がきそうな音量だが、大丈夫だろうか?
「ああ」
「すごい!私結構好きなんですよ、警察モノのドラマとか映画とか」
どれか決まったようで、ポットの蓋を開けて紅茶の葉を入れながら、興奮気味にそう教えてくれる。
「あんなに派手じゃないぞ。もっと地道な作業の繰り返しだ。名探偵もいなければ、嫌われ者の敏腕刑事もいないからな」
「それでも、皆を守ってくれる存在でしょ?それだけでもうカッコイイなって思います。まるでヒーローみたいですよね、戦隊モノとかライダーとかみたいな」
「…… そうか?褒め過ぎだろう。でも、そう言ってくれるなら嬉しいな。嫌われやすいからな、警察って仕事は」
「あはは!つい違反しちゃう人はそうでしょうね。でも私、これでもゴールド免許持ってるくらいちゃんと規則は守ってるんですよ?斜め横断もしないし、万引きだってもちろんしません!優良な一般市民やってます」
「ゴールド免許なんて、運がよければ誰でももらえるぞ?」
「うわ、ハッキリ言われた!」
昔と変わらず、気さくな奴のままで簡単に会話が続く。話しててすごく楽だ。自然に言葉が出てくる。
なんだかんだと一時間程は話しただろうか。さすがに帰ってシャワーを浴びたりしないと明日に差し支える。そう思った俺は「ごめん、もう帰らないと」と言った。
「あー…… そうですよね」
唯の残念そうな声。そう感じてくれるくらいには楽しんでくれたようで、安心した。
「あの、よかったら名前とか教えてもらえませんか?」
今更か?これだけ話していたのに。苦笑してしまったが、正直嬉しかった。
「失礼、そういうのは最初に教えるべきだったな。日向司だ」
「私は皆川唯っていいます。これ携帯の番号なんですが、よかったらもらってもらえませんか?」
鞄からメモ帳を取り出し、携帯番号とメールアドレスを書いて俺にそれを差し出してきた。
名前なんてとっくに知ってる、だってあんなに店で話してたんだから。自分からつい名乗る事を忘れていたのもそのせいだったし。でも、そう言うのも癪だった。
連絡先は欲しかったので、メモを黙ったまま受け取る。
それを携帯に登録し、自分の連絡先も教えた。
「やった!連絡先ゲット出来たっ」
楽しそうに笑う唯を見てると、帰るのがイヤになる。このまま一緒に居られたらどんなに楽しいだろうか。グッと気持ちを堪えて、俺はこの後すぐに彼女の部屋を出た。
それからというもの、電話は気が引けるのか気を使ってくれているのかどちらかわからないが、メールが沢山届くようになった。近況だったり、今度また会えないかといった内容のメールだ。どうやら今回は流石に、俺の事を記憶してもらえたようだ。
その事がたまらなく嬉しかった。
この頃は運良く割と時間が取れる事が多かったので、互いの仕事帰りに一緒に食事したり、休みが合った日は水族館などにも行ったりするようになった。それがまるでデートでもしているようで、正直毎回楽しみでならなかった。
家に行き来する事も増え、再会してから一ヶ月くらいした頃だ。
「付き合ってもらえませんか?」
裏返った声で唯に言われた。
可愛いと思っているし、一緒にいて楽しい。唯の事が自分は好きなんだろうなと気付き始めていたので、本音を言えば俺から告げたかった。先を越されてしまった事は、もうこの状況では諦めるしかない。——でも、だ。
「俺と君とでは、かなり歳の差あるが本当にいいのか?」
「関係ありませんよ!男は三十台からって言うじゃないですか」
握りこぶしを作り、何故そうなのかの唯が持論を熱弁しだす。
面白い奴だよ、まったく。
相変わらず俺と、四年前にもバイト先で会っていた事は思い出してもいないようだが、それはもう諦める事にした。
「俺で、良かったら」
この日を界に、俺達は正式に付き合うことになった。
◇
それから一ヶ月半。
仕事が互いに忙しくなり、付き合う前より会う機会が激減した。
メールで細々とやり取りはしているものの、ほとんど会えないのはやはり寂しい。自分の一部がなくなったみたいな感覚すら感じる事さえあった。自覚していた以上に、どうやら俺は唯にすっかり惚れ込んでいたらしい。
だが今日は、久しぶりに一緒に食事をする約束がある。
朝からちょっと浮かれ気味だった俺は、桐生に「なんだよ、誰かとデートか?」なんて冷やかされた。
「まぁな」
昔の俺だったら絶対に『んなわけあるか』と隠していただろうが、今回はそう言う気分じゃ無かった。
ニヤッと笑い、素直に答える。付き合っている事を隠したくなるような相手でもないし、コイツには教えても構わないだろう。
「お⁈どんな子だっ今度紹介しろよ!」
「実はな、相手は皆川唯なんだ」
頬をかきながら言う。桐生も知っている相手なせいか、正直照れ臭い。
「まじか⁈なんて懐かしい…… ってか、オイオイちょっと待て!いつの間にそんな関係になってんだよ!俺のアイドルと!」
「色々あったんだよ」
「色々って何だよっ!んな言葉で括るな!」
職場を出て、待ち合わせした場所に駆け足で向う。
珍しく報告書の手直しが入ってしまい、思ったよりも出るのが遅れてしまったのだ。遅れると連絡しようとも思ったんだが、そんな時間も惜しかった。
「ごめん、遅れた!」
息を少し切らしそう言うと、笑顔を向けてくれた。
「私もさっき来たんです。遅れるってメールしてたんですが、私が先でよかった」
え?メール?
携帯を取り出し確認すると、確かに二十分前にそれは届いていた。
「ごめん、見てなかった」
頭をかきながらそう言うと「気にしないで」とまた笑顔に。その顔はもうとにかく愛らしくて、仕事をしているような女性には到底見えなかった。
「今日は私が店決めてもいいですか?」
「ああ、別にいいよ」
特に場所を事前に考えていなかったので、正直ありがたい。
「こっちです」
手をひかれ、案内される。そういえば、手を繋いだのはこれが始めてかもしれない。初めての唯の肌の体温に、心が——ざわついた。
駅前からバスに乗り、降りてからも十分くらいは歩いただろうか。大きく、かなり立派なホテルに案内され、正面に『ホテルカミーリャ』と書いてある。
カミーリャ?もしかしてここって。
「ここ、私の勤め先なんです。最上階のレストランから見える夜景がとても素敵で、予約でいつも満席なんですけどね、同僚がキャンセル席を空けておいてくれたんですよ。あ、これ秘密にしておいて下さいね?本当はマズイ事かもしれないんで」
ちょっと悪戯っ子の様な顔をして教えてくれた。
「私、これでも受付けとかの仕事させてもらってるんです」
「…… 顔覚えるの苦手なのにか?」
ついポロッと言ってしまった。どうやら俺は、忘れられている事をまだ割り切れていないらしい。
「それは飲み屋だけの話ですよ。酔った方の顔なんていちいち覚える気になれなくって…… って、あれ?何で知ってるです?」
顔を覚えるのが苦手ってのは、酔っ払い限定だったのか。器用な脳みそだなと純粋に感心してしまった。
って、俺は初日以外は全く酔ってなかったぞ⁈
…… まぁそれを今ここで抗議しても、意味はないか。
「えっと、前にそう聞いたから」
睨んでばかりのお前の後輩からだが。
「そっかぁ…… ヤダ、私すっかり話した事忘れてますね、ごめんなさい」
いやいや、言ったのお前じゃないし。
「さぁ、気を取り直してっと。今日は私のおごりです!夜景だけじゃなく、料理の味も最高なんで期待してくれていいですよ」
満面の笑みを浮かべ、唯が俺の手を引いてホテルへと入っていった。
「いらっしゃいませ、皆川様。お席にご案内いたします」
背の低い男性が、窓際の席に案内してくれた。
三十五階建てのホテルの最上階。唯が話す通り、確かにすごくいい景色だ。夜景が目の前に広がり、宝石をちりばめたような景色という言葉がしっくりくる。客同士の席の間がずいぶんあり、大声で話さない限りは、隣の声が聞こえて五月蝿いという事のない贅沢な席の配置になっていた。椅子もソファータイプで、くつろいで飲むには丁度いい。
その分値段も相当高そうだが、あんな古いアパートに住んでいるような彼女が払えるのかと心配になった。
「メニューになります」
差し出されたメニューを開き、少し体が固まる。
桁が一つ多くないか?これ。サービス料だとでも言いたいんだろうか。
チラッと唯の方を見るが、彼女が動揺している様子は全くない。
「兵藤さんのオススメで」
メニューに無いぞ?そんなもん
唯が、パタンッと開いていたメニューを閉じて、ウェイターにそれを返す。俺の見ていた物も、彼に渡した。
「かしこまりました、少々お待ち下さい」
礼儀正しく一礼して、彼が去る。
「なんだ?今のメニュー」
素直に疑問をぶつける。
「えへへ、形だけですよ。他のお客さんもいますしね」
口元に手を当て、小声で教えてくれた。
「ああ、そういう事か」
「社員割引使っても、私じゃここのメニューを存分にご馳走するなんて、とてもじゃないけど無理ですからね。本当は司さんにお財布の心配されちゃうだろうからメニュー見せたくなかったんですけど、彼には渡すなーってお願いしておくのすっかり忘れてました、すみません」
「そんなに無理しなくても、いつもみたいに居酒屋とか普通の店でよかったんじゃないか?」
「今日はダメなんです」
首を横にブンブンと振り、断言する。「だって、ねぇ…… 」と呟き、もじもじと照れくさそうにしだした。
…… なんだろう?久しぶりだからだろうか。
「——話は変わるんだが、ここのホテルって『カミーリャ』とか書いてあったけど…… 」
「椿財閥のグループ企業のホテルです。会長さんはとても有名な方ですよ」
よく知った名前に即納得出来た。
「やっぱり」
「何かありましたか?」
「ああ、まぁ…… うん」
歯切れの悪い返事をしてしまった。
「現会長さんはアメリカ出身の方ですが、昔っから日本文化が好きらしいです。だからなのか、奥様は日本人なんですよ。素敵ですね、国際結婚」
「カミーリャは日本語で『椿』。椿財閥のお嬢様だった彼女に親近感を感じたのがきっかけで、結婚までしたんだろう?知ってる」
「うわーさすが刑事さんですね」
いやいやいや、警察は関係ない。
可愛い顔で感心されてしまったので、心の中だけで否定した。
「大きい財閥同士の結婚だったらしいから、最初は色々あったらしいですけど…… 今はもう日本を代表する企業にまでしちゃったんだから、ホントすごいですよね」
ニコニコと唯が笑う。よっぽど好きなんだろうか、そのエピソードが。
「あぁそうだな。幸せそうでよかったよな」
その二人の息子と俺が友達だと言ったら、唯ははどんな反応をするんだろうか。ちょっと気になるも、今奴の話で盛り上がるような気分でもないので話すのは止めた。
アイツの話になると、ネタがあり過ぎてすぐに時間が足りなくなるのがわかっていたからだ。
「おまたせいたしました、ご注文の品になります」
ウェイターが飲み物をテーブルに置く。一緒に来ていた別の女性が、料理を並べてくれた。
「ありがとう、涼子さん」
小声で唯が話し掛けている。どうやら二人は知り合いの様だ。
「しっ…… 特別なんだからね?」
コクコクと頷いて返事する唯の姿が、小動物みたいだ。
「では、ごゆっくりどうぞ」
目の前に、あまりお目にかかった事のない料理が並んだ。フランス料理だろうか?
「美味しそうですね、料理の名前くらい聞けばよかったかなー」
「そうだな」
「冷めたらもったいないから食べちゃいましょ?あ、でも司さんは…… この量で足ります?」
「この年齢になると若い奴程は食べられないよ、大丈夫だ」
「よかった」
二人して黙々と料理を口に運ぶ。俺は食事中は話さなくなるタイプなのでいつも通りなのだが、俺とは違い、唯は結構話す方だ。なのに、今日はやけに静かだった。
どうしたんだろう?
「…… あの、司さん」
やっと口を開いた。
「なんだ?」
「…… いいです、なんでもない」
俺から視線を逸らし、気持ちここにあらずといった顔になる。態度がおかしくなる瞬間があるが、いったいさっきからどうしたんだろうか?
「——失礼します、デザートをお持ちしてもよろしいですか?」
ウェイターの男性が、料理を食べ終わったタイミングで話し掛けてきた。
「え⁈あ…… あぁぁぁ…… 」
挙動不審なうえ、唯が小声ながらも変な音を出す。
「お願いします」
唯に代わり俺が返事をすると、彼女は驚く程の困り顔になった。クスッと聞こえるウェイターの微かな笑い声。
「かしこまりました、少々お待ちください。こちら、おさげします」
手際よく、お皿を片付けてくれる。
「どうした?もうお腹いっぱいだったのか?」
デザートは断るべきだったのだろうかと心配になってきた。いらないなら、今すぐ断れば間に合うかもしれない。
「え、あ…… いえ、そんなんじゃないですよ?うん」
手を激しく振り否定する顔は、林檎みたいに真っ赤だった。
「おまたせいたしました、こちらデザートになります」
コトッと微かな音をたて、俺の目の前に置かれる小さなお皿。
それを見た瞬間、硬直してしまった。
また…… やられた…… 。
口から出そうになった言葉をぐっと呑み込む。ため息がでそうになったがそれも堪えた。そんな事をしていい状況じゃない。
その場から笑顔で離れるウェイター。
何も言えない、硬直状態を解く事が出来ない。
「あ、あの…… 」
唯が先に声を出したが、震えている。
対面からテーブル越しに俺の手を握り、ジッと顔を見詰めた。
「これを、受け取ってもらえませんか?」
今まで一度も見たことの無い、真剣な顔で言われた。
これとは、どう考えても…… お皿に花と一緒にのせられた“指輪”の事だろう。
まさか、こっちまで先をこされるとは思ってもいなかった。
「私と、結婚してもらえませんか?」
やっぱりそうきたか。
「そういうのは、まだ早くないか?」
なんとか口を開くも、つい否定的な発言になる。
「この間付き合うってなったばかりで、それから何回も会ってなかっただろ?」
諭す様な、宥める様な声が出る。
「あ…… 会えない間に私、色々考えたんです。すごく会いたくて、私…… すごく司さんが好きだなって思って。どうしたらもっと一緒に居られるかなって考えちゃって。それで、もうこれしか思いつかなくって…… 」
唯の言葉が、上手くまとまっていない。俺の反応に動転しているのかもしれなかった。
告白は先を越された。出来れば今回こそは俺からしたかったのに。
俺達は今日やっと手を繋いだっていう亀並みの進み具合で、キスすらもしていない。それなのに結婚とは、流石にやり過ぎじゃないか?
他にも色々…… 体の相性とかも、あるし。
俺から話しておかないといけない、大事な事だって先送りのままだ。
「まだ早い。キスもしてないのにいきなり結婚とかは…… 」
下手な事を言って傷つけたりはしたくない。でも、どう返事をしていいのか頭に浮かばなかった。
「じゃあっ——」
唯が席を立ち、前屈みになって俺のネクタイをグッと掴んだ。
急に引っ張られ、何が起きたのかわからずされるがままになっていると、彼女勢いよく俺の口に唇を重ねてきた。
数秒そのままになり、ゆっくりと離れる。
子どものマネ事みたいな軽いキスを、勢いだけで公衆の面前で唯はかましてきやがった。
「これで、いいですか?」
初めてキスをしたというのに、悲しそうな表情をしている。恥ずかしかったのか、顔は真っ赤だ。
——完敗だった。
見た目とは裏腹に、君の方がずっと一枚上手だな。
「焦る必要なんてないのに」
くすくすと、笑い声が自分から溢れる。
「俺からされるのを、待つとかは出来なかった?」
顔がつい緩んでしまう。
「…… か、考えてませんでした。私の方が絶対司さんを好きだなって…… 思ってるから」
ちょっと泣き出しそうな顔すらも可愛い。だけどな、先に惚れたのは絶対俺だ。
今度は俺が少し腰を浮かし、テーブル越しの唯の頬に軽くキスをした。
「よろこんでお受けします」
そう耳元で囁き、ゆっくり離れる。
唯がしばらく硬直して動かなかったが、少づつ目から涙が落ち始めた。
ポロ…… ポロポロ…… と、綺麗な涙が次々溢れる。
仕舞いには、本気で泣き出した。
「泣く事じゃないだろ?」
出せる限りの優しい声で言いながら、唯にハンカチを差し出す。
席に座り、受け取った俺のハンカチで顔を押えながらコクコクと唯が頷いた。
「安心したら…… なんか…… すごく嬉しくて…… 」
ぐすぐすと泣き続ける唯の頭を、そっと撫でる。
「指輪、はめてもらえるか?俺の為に選んでくれたんだろう?」
ゆっくりハンカチを顔から下げ、それをテーブルに置く。真っ赤で、泣き顔で…… 色っぽさの欠片のない顔だ。でもそれが、すごく可愛いいと思う。
こんな俺がもらって、本当にいいんだろうか?
ちょっと思うも、どうせ今更手放す事もできない。したくない。
時間をかければいいってものでもないし、俺は四年前から唯を目で追っていたんだから、これでいいのかもしれないな。
ぶるぶると震える手で、俺の左手を手にとり、小皿の指輪を唯が手にする。ゆっくりとそれを薬指に彼女がはめていく。
心持ち大きい気がする。サイズがわからないんだ、当然か。
完全に指にはまった瞬間、唯に達成感で満たされたような色が浮かぶ。疑いの余地もなく、嬉しい事が伝わってきた。
パチッ…… パチッパチッパチッ…… 。
突然、拍手のような音が隣の席から聞こえた。
「え?」
不思議に思い横を見ると、知らない老夫婦のような二人が嬉しそうにこちらを見ていた。奥さんらしき人は、ハンカチで目頭まで押えている。
——み、見られていたのか⁈
急に立ち上がって、いきなりキスまでしてたんだ。何事かと、途中から気になって見ていたとしても、まぁしょうがないのかもしれない。
他の席の人達も、店員までもがニコニコと笑いながら拍手を始めた。
俺達の周囲に座っていた人が——皆だ。
少し離れた席の人達は、その様子を不思議そうに見てきている。
「あ、ありがとうございます!」
唯が嬉しそうに周囲へ向けて頭を下げたので、俺も一緒にそうした。
恥ずかしいからさっさと止めてくれ!
そう思うも、皆好意でやってくれているのがわかるので流石に何も言えない。
「こちら当店からのサービスです」
さっき唯が涼子さんと呼んでいた女性が、俺達に花束を渡してくれた。
「ありがとぉ!」
涼子さんとやらに、唯が抱きつく。俺も彼女へと一礼し感謝を伝えた。
周囲の人達が、それぞれまた自分達の会話を楽しみだした頃。
「…… もう店から出ないか?」
懇願するように、でも小声で言う。すると、コクコクと恥ずかしそうに唯も頷いてくれた。さっきの騒ぎは彼女も予想外だったはずだきっと唯も相当恥ずかしかっただろう。
置いてあった伝表に手を伸ばすと「これは私のですよ」と言い、取られてしまった。
席を立ち、周囲にペコペコと頭を下げながら出口に向かおうとする。だが、老夫婦のような二人には声をかけられ、別れを惜しまれてしまった。
会計に行くと「俺達からのおごりですよ、おめでとう」と言われ、彼女は悪いですと断るも「お祝いだから」と結局タダにしてもらった。
何度も何度も頭を下げ、その場を後にした。
エレベーターの中に二人きり。
俺は乗るなり、すぐに唯を抱き締めてしまった。きつくて、少し痛かったかもしれない。でも唯は俺の腕に触れ、いとおしそうに体を預けてくれた。
ドクン…… ドクン…… ドクン——
自分の心臓がやけに五月蝿い。何か衝動的なものが、体の奥からこみ上げてくる感じが自分でもわかる。
唯の顔をクッと上にあげ、唇を重ねる。さっきのような子供のお遊びではなく、大人のキスがしたい。そう想う気持ちが抑えられなかった。
真上を向く唯の口は自然に開き、その中へ俺の舌入れて、絡めるように互いを求めた。
「んん…… んくっ…… ぁぁん」
洩れる声が可愛くてしょうがない。もっとその声が聞きたい。その一心で、彼女の股にグッと俺の脚を入れて根元を擦る。
「んんんっ!」
俺の腕をぎゅっと唯が強く掴んだ時だった——
ポンッ
エレベーターが目的の階に着いたぞと音をならす。その音を機に俺達は慌てて離れた。扉が開いた瞬間、待っていた団体客が乗ろうとするのを外へ外へとかき分ける。
「降ります、すみません」
唯の手を引き、なんとか降りる事が出来た。振り返り彼女の方を見ると、真っ赤な顔のままボーッとしている。
まずい…… 今のは危なかった…… 。あのまま理性が飛んでいたら、マズイ事になっていた。
予想外の展開ではあったものの、やっとここまできたんだ。唯を失いかねない所だった事を深く後悔した。
さっきみたいな、勢いで手を出してはダメだ。彼女とはちゃんと話し合わないと。
「家まで送っていくよ。帰ろう?未来の奥さん」
「…… はい」
達成感に満ちた、にこやかな笑顔を向けてくてる。
まずは、この笑顔を壊さぬよう…… 大事にするんだ。
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