愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【最終章】

【第六話】帰還への努力①

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「ナナリー」
 ガゼボの下で本を読んでいる七音に向かって名前を呼び、エルナトが腕を高く上げて左右に軽く振りながら、少し離れた所から声をかけた。
 ついさっきまで一人でこっそり外に出ていたからか、平静を装っている七音の心音は不規則にバクバクと鳴りっぱなしだ。

 出掛けったってバレていたらどうしよう…… と。

 危険だから一人では出掛けるなという彼等からの言い付けを破ったのだから無理もない。
 一度私室に寄って上着を片付け、汗を拭き、荷物を全て棚の中に押し込んでから、七音は庭にある和風のガゼボまでほんの数分前に戻って来たばかりだ。ずっと此処で本を読んでいましたよという演技をし始めてすぐにエルナトから声を掛けられたせいで、もし戻るタイミングがズレていたらどうなっていた事かと考えてしまい、冷や汗が背中を伝う。

「お昼の用意が出来ましたよ。風も出てきましたし、良かったら中に戻りませんか?」

 エルナトの言う通りに少し強い風が吹き始め、七音が長い髪を軽く押さえた。
「そうですね」と答え、七音は開いていた本を閉じて片手に持ってその場ですくっと立ち上がった。するとエルナトが七音の方へ手を差し出し、「一緒に戻りましょう」と提案してきた。

(いつの間に…… 隣まで来ていたんだろう?)

 近付いて来ていた気配なんか無かったのに——と、七音は少し気味悪さを感じた。だけど笑顔で「さ、お手をどうぞ」と絵本の王子様みたいに優しく微笑まれてはその手を取らない訳にもいかない。「では、遠慮なく」と彼の手を七音が掴むと、ダンスホールへでもエスコートするみたいな動きで、エルナトは彼女を家の方へ誘導してくれる。大事に大事に扱ってくれるせいか、七音の頬が自然と緩む。心が少しくすぐったい感じもして、七音は自分が彼から好かれている事を実感してしまった。

 少し強めの風が吹こうが庭園内の雰囲気はとても穏やかなので、出来ればこの空気を壊したくない。そのせいか、『ところで、先程はどこへ?』などと、いつエルナトに訊かれるのだろうか?いや、訊かないで欲しい。と言うか、いなかった事なんか出来れば気が付いてもいませんように!と七音が心の中で必死に願う。——そんな彼女の百面相を横目に見ながらエルナトは、クスッと小さく笑った。もちろん、彼女が勝手に一人で出掛けていた事も、アパートのあった場所が更地になっている事も、慌てて戻って来たせいでばれやしないかと七音がドキドキしっぱなしである事も、全てわかっている。

 自分の手の上で踊る七音の可愛さに軽く酔いしれながらエルナトが、「庭での読書は如何でしたか?何か、興味深い事でも書かれていましたか?」と柔らかな笑顔で訊く。
「えっと、そうですね…… 色々な地域の信仰に関して書かれていた部分が、結構興味深かったです」
「良かったら、僕にも教えてもらえますか?」
「あ、はい」

(良かったバレてない)

 ——と、楽観しながら安堵の浮かぶ顔でそう答える七音の手をエルナトが優しく引き、二人は家へ戻って行った。


       ◇


 昼ご飯を済ませ、その後はずっと夕刻になるまで三人は共に時間を過ごした。一緒にお菓子作りをしたり、紅茶を淹れて会話を楽しむなどといったとても穏やかな半日だった。七音の体調の悪さはずっと付き纏ってはいたが、幸いにして何かをしている時にはあまり気にならず、ふとした瞬間にだけ肌がざわついたり、下っ腹の重さで膝の力が抜けそうになった時があるくらいだ。そういえば、その反応はクルスが触れそうなくらい近くにいた時が特に酷かった気がする。だが、そんなものは気のせいだと言われたらそんな気もする。そもそもそんな非科学的な事は起こるわけがないと七音は考え、ただの偶然だろうと一蹴した。決して錯覚などでは無いのだが、そもそもこの体調不良の原因を知らぬ身なので無理もないだろう。

 居間の時計が二十一時を告げた頃。風呂、食事などといった寝る前に済ませておきたい一通りの事も済ませた七音が早々に寝室へ引き篭もった。残念ながら帰還魔法の術式を書いた物に対してヴァイスからの返事は無い。きっと今日は忙しい日なのだろうと諦め、さっさと寝るフリを決め込む。彼らが眠ったらまたアパートの空き地まで戻り、帰還魔法を試してみようという算段だ。最近はずっと体調が悪い事をエルナト達は知っているから、いつも以上に早く横になっていても不審に思う事も無いだろうとの考えで。

 一足先にベッドで横になった七音のペースに合わせる様に、エルナトとクルスも寝具の中に潜り込んできた。七音は既に規則的な寝息を立てていて、本当に眠っている時みたいにしっかりと瞼を閉じている。エルナトは『…… コレは起きているな』とは思いつつも、寝たフリを突き通す七音に合わせてやる事に。コレではまるで狸と狐の化かし合い状態だ。残念ながら狸みたいに愛嬌のある七音の方が相当分が悪いのだが、その事にまだ彼女は気が付いていない。

 片手で体を支えつつ、エルナトとクルスが七音の左右から顔を近づけ、彼女の頬にそっと口付けを贈る。不意打ちに驚き、ビクッと体が跳ねそうになったが七音は寸での所で何とか耐え切った。

「おやすみ、いい夢を」
「しっかり休めよ。おやすみ、ナナリー」

 甘ったるさのある優しい小声で二人が囁き、七音を中央に挟んだままの状態で、それぞれがゆっくりと横になる。よし、もう真正面からは顔を見られてはいない。その安心感で気が緩み、眠っているフリでしかないせいで七音の口元は震え、変に食いしばってしまった。


 さて、後は二人が眠ってくれるのを待つだけだ。エルナトもクルスも眠りが深いと思っている七音は、緊張のせいで騒ぐ心臓の上に手を置きながら、辛抱強く二人の寝息を聞き続けた。そのせいで何度も自分まで強い眠気に襲われそうになったがどうにか耐え抜き、二十分くらい経過した頃にはもう七音が動いても大丈夫そうな状態に。

 もう抜け出してしまおうか?

 そんな衝動に七音は駆られたが、これもぐっと我慢する。この時間ではまだ商店街は酒を飲みに来た客で賑わっているだろうし、住宅街も気が抜けないままだろう。実行するなら人が寝静まった頃がいい。それならば断然深夜だ。

 一時間、二時間——
 眠気と戦いながらじっと耐える。離れた位置にある時計の針をこんなにも長い時間見続けたのは初めての事だ。幾度となく意識が飛んだりもしたが、カチッと時計が小さな音を立てたおかげで七音は目を覚まし、慌てて時計に視線を戻す。深夜二時を告げる文字盤を見て安堵すると、七音は両サイドで眠るエルナトとクルスの様子をそぉっと伺った。珍しく二人は七音にしがみついたりもせず、それぞれがパーソナルスペースを確保しながら穏やかな寝息を立てている。『普段からこうだったらいいのに』と七音は渋い顔をしながらのっそりとした動きでベッドから這い出ると、一度私室へと戻る事にした。

 昼間に一度着た上着を再度羽織り、単身外に出る。きっと荷物は持っていけないだろうからと鞄の類は部屋に置いて来た。思った通り外はしんっと静まり返っていて、商店街の人通りももう殆ど無い。
「…… 良かった」
 ぽつりと呟き、七音は逸る気持ちを抑えつつ、赤い尻尾を揺らしながらアパートの跡地に向かって駆けて行った。
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