愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第五章】

【こぼれ話】執心男子の回想④(カイト・談)←【NEW】

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 顔に影が入って表情のわからぬ、やけに大きな鎌を持つ黒衣の男が口元を綻ばせた様子を見た、次の瞬間——
 クワッと勢いよく瞼が開いた。

 瞬き程の暗転だった気がするんだが…… 此処は、何処だ?

 今さっきまで確かに屋敷内にある執務室に居たはずなのに、眼前に広がっているのはどこまでも青くて広い、雲一つとして無い綺麗な空だ。周囲には森らしき空間が広がり、動物の鳴き声や小川のせせらぎ、土臭い匂いまでする。
 訳もわからぬまま地面に寝転んでいた体をゆっくり起こして辺りを見渡したが、サラサの姿が無い。ならば此処は天国ではないな。天国ならば、彼女が居ないはずがないから。あぁ…… でも、自殺した自分達はそもそも天国に行けるはずがないのか。だが、それなら此処は地獄なのか、と思い至るには早計か。あまりに平穏過ぎる。

 無造作に頭を掻きむしり、はぁとため息をついた。
 まさか、死んだと思われてその辺の森に遺棄されたが、実はまだ生きていたとか、そんなオチか?長年雇っていた執事の事だけはそれなりに信頼していたのだが、アレも所詮は金の亡者でしかなかったのかと思うと、正直少しだけ悔しかった。
 それにしても——

『…… 確かに脳天を撃ち抜いたはずなんだが』

 なのに体はどこも痛く無い。頭部に傷口がないかと触って確認したが、全くそれらしい感触はなかった。呼吸も正常で、腕や脚などを動かしたりもしたが体に異常は皆無だ。

 何度周囲を見渡しても、やはりサラサは見当たらない。もしかしたら別々に遺棄されたのかもしれない。遺体の状態が悪かったからだろうか?
『一緒に埋葬しろと書いておいたのに』
 せめて一緒に埋葬されていたのなら、土の中でサラサと共に本当の最後を迎えられただろうに。
 チッと盛大に舌打ちをして、その場で立ち上がる。着ている服についている土埃を手で払い落としたが、持っていないはずの服を着ている事に今更気が付いた。

 誰の服だ?

 だが、それにしてはしっくりと馴染んでいるし、いかにも平民が好みそうなデザインではあるが嫌いではなかった。
 さっきからわからない事だらけだ。
 情報があまりに足りない。困りながら少し歩くと、樹齢の古そうな大樹の下に見慣れぬ鞄と蓋の開いた小瓶が一つ転がっているのが目に入った。

 誰の物かも知らないが、少しでもこの状況を知る手掛かりになるかもしれない。

 そう思ってすぐに駆け寄り、中身を全てざっと地面に出して並べ見た。
 鞄の中には筆記用具を入れた細長いポーチ、見た事も無いデザインをした大量の紙幣と少しの貨幣、干し肉といった携帯食、スケッチブック、日記帳と化している分厚い手帳と調査書の様な様式の書類が何十枚も入っていた。
 持ち主の姿はどこにも見当たらない。窃盗は良くないとわかってはいるが、背に腹は変えられない。悪いがこれはオレが有効的に利用させてもらおう。

 革製の鞄の中に手帳以外の物を戻し、荷物を肩にかけて人の居そうな方角に足を向けた。オカシイ、オレの嗅覚は人並みにしかなかったはずなのに、調理をする雑多な匂いがかなり遠くから感じられる。匂いを頼りに認知している距離よりも、実はもっと近い位置に町があるとかそんなオチだろうか。
『…… それにしても、コレは』
 町のある方角に進みつつ、手帳を開いて中を読む。人様の日記を盗み見たい趣味は無いのだが、この内容は一見の価値のある物だった。

 そこかしこに、何度も何度も何度も、“更紗さらさ”という女の名前が登場しているのだ。

 この日記帳はその女について書かれたものだと言っても過言ではないくらい、日々その女性に対しての感情などが書かれていた。
『今日も可愛かった』から始まり、彼女の行動の記録、誰と会っていたか、何を周囲からされたか。日付も内容も随分と半端なスタートだったので、手帳の持ち主の家にはこれ以前の物もありそうだ。

 読み進めていくと、どれもこれも遠くから観察している節がある事に気が付いた。好きで好きで堪らないのに近くに寄れず、触れるどころか、話す事も叶わない悔しさなども書かれているからだ。そここうしているうち手帳の持ち主は、更紗という女が家族から唯一持たされている装飾品が呪われた品である事を知った。

 他人から嫌悪され、記憶にも残らず、信じてもらえずに避けられる類の呪いだ。

 どんなに自分だけは更紗を愛していると自覚していても、ある一定の距離に近づくと、一気に感情が裏返ってしまったそうだ。そのせいで話し掛ける事も出来ず、長年抱えている片思いを拗らせていった事が内容から読み取れた。
 そんな状況をどうにも出来ないまま時だけが無情に過ぎ去り、ある日突然更紗は学校を退学させられた。無実の罪を全て押し付けられたからだ。この場合、女の行動の詳細を知るこの男が更紗は無実である事を証明してやれば良かったのだろうが、コイツは別の考えに至ったみたいだ。

 “傷心状態にある更紗ならば、自分だけのモノにするチャンスなのでは?”と。

 “学校に引き続き、家も追い出されたらしいし、欲深い妹のクリシスなら、あの装飾品も更紗から取り上げるに違いない”と日記には書かれていた。
『“クリシス”?更紗の妹は、“クリシス”というのか?』
 どちらの女の名前もそこらじゅうに居る様な名では無い。

 ただの偶然の一致なのか?

 疑問には思いつつも、オレは日記の続きを読み進めた。
 どうやら事態は男の思い通りにはならなかったらしい。家を追い出された更紗は早々に町を出てしまい、行き先が全く掴めなかったそうだ。商人達の馬車に相乗りして旅に出た事までは突き止められたみたいだが、何度も乗り継ぎを繰り返されてしまったせいで追跡が出来なかった。更紗への愛情で綴られていた内容は、焦り、焦燥、苛立ちに染まっていき、執着を加速させていく。

 “欲しい欲しい欲しい欲しい——更紗だけが、欲しい”と。

 筆圧の高い字で書かれた欲望のみのページが増えていき、ある日パタリと男は続きを書かなくなり、日記は数ヶ月前の日付で終わっていた。
 手帳を鞄の中に仕舞い、今度は報告書の様な束に目を通す。こちらには“ヨミガエリ”とかいう者について調べた事が書かれている。

 死体が復活し、獣人型として生まれ変わる事。
 並行世界で分たれていたはずの、二人分の魂が一体に宿る事。
 獣人型でありながら魔法が使え、獣人型達に命を狙われる事と、その理由など。

 “獣人”だ“エルフ”だ“ヒト”だと言われてもオレにはさっぱりだったが、ありがたい事にそれらの生態まで書かれている。昔のツテで複数の禁書に目を通し、かなり深く“ヨミガエリ”の事を調べたらしい。どれもこれもかなり詳しい内容で、まるで何も知らない人間に読ませる為に集めた資料の様に感じられた。
 最後のページには、男の荒れた字で“もう自分がヨミガエリになるしかない。そうすれば、更紗にまた逢える”と書かれている。更紗の名も、過剰な程大量に。
『なるほど、やっと理解出来た』

 つまりはだ、此処はオレの知る世界では無く、自分達は死を共有した事で“ヨミガエリ”になったのか。

 ならばあの場所でオレが一人で転がっていた事にも合点がいく。、鞄の側に落ちていた小瓶にはきっと毒でも入っていたのだろう。サラサの居ない世界で生きていたい訳じゃないからまた死なねばならないが、このイカれた状況を掴めただけ良しとするか。

 報告書の束を戻し、次は鞄の中からスケッチブックを取り出す。こんな物を見ても意味は無いだろうと開く前までは思っていたのだが、オレは表紙を開いた途端、その場で歩みが止まった。
 目を見開き、驚きで声が詰まる。

『…… サ、サラサ?』

 髪の長さは違えども、鉛筆で描かれた女の姿はどれもこれもサラサの生写しだった。本人であると言ってもいい。
 そういえば、此処は並行世界だとさっきの紙には書かれていたな。並行世界…… 選択によって分岐した、根底は同じ世界だと。と言うことは、だ。

『“更紗”は、オレのサラサと同じ魂の女性だという事か』

 ニタリと笑い、舌なめずりをする。魂が同じなのならば、同一人物であると言ってもいいだろう。こうして死なずにこの世界へ来てしまったのも何かの導き、夫婦としての誓いを果たせという女神の思し召かもしれない。ならばそれに従うのがオレの使命という訳か。
『くっくっく』
 そっと絵を指先で撫でるだけで、ゾクッと体が震えた。

 だが今のままではこの男と同じで更紗の居場所はわからないままだ。でも男には“ヨミガエリ”になれば逢えるという確信があったはず。そう思い、再びレポートを読み返すと、“獣人型がヨミガエリを食らえば願いが叶うらしい”と書かれた一文が。さっきは見逃していた箇所だ。だが確証の得られる資料が無かったのか、別の色々な考えも汚い字で書かれている。
『獣人型が“ヨミガエリ”を、か』
 自分はその両方に当てはまる。ならば、する事は一つだろう。

 物は試しだ、身の内で眠るコイツの魂を食らってしまおうか。

 ——と思い至ってすぐにオレは、身の内に眠る意識の無い男の魂をごくりと飲み干した。その途端、瞳と肌に激痛が走った。慌てて袖を捲り上げると、肌を埋めていた半透明な鱗がボロボロと剥がれ落ちていく。この身は蛇か何かの獣人型だったのだろうが、それがヒト型へと変貌していっているみたいだ。痛みに耐えきれずその場に脚から崩れ落ちる。汗が全身から吹き出し、血の混じる涙が大量に地面へ流れ落ちた。


       ◇


 やっと痛みが落ち着いた頃にはもう、陽が傾き始めていた。音に従って川まで這う様にして向かい、手で水を掬って顔を洗う。自分の姿を水面で映し見ると、見知った姿ではあったが、瞳だけが白目の無い気味の悪いもののままだった。獣人型からヒト型に変貌した弊害か、はたまた己と同じ魂を無理矢理食らった事への戒めか。答えは得られないが、どうやら願いは叶った様だ。

『…… サラサの居場所が、わかる』

 顔を上げ、空を見上げる。体が勝手に動き、次の瞬間にはもう目標に向かって走り出していた。
 オレの願いは、オレ達の願いはただ一つだ。

 サラサが欲しい。

 その願いが叶うのなら、消えたもう一人の自分の魂も本望だろう。そう思うからか罪悪感は微塵も無い。
 サラサの魂と己の魂を完全に結びつけ、魂の番にして欲しいと願いをかけたおかげで手に取る様に彼女の居場所が自分にはわかる。かなり遠いが、元々は獣人型だった肉体なおかげか、いくら走っても疲れを感じないのは幸いだ。

 オレの世界のサラサは追い詰めすぎて壊してしまった。だから次は、どっぷりと甘えさせてオレしか見えない様に染め上げてしまおう。愛を囁き、甘やかし、ひたすら尽くし、逃げ難い様に夫婦という絆で傍に置く。執着と独占欲で造った鎖を愛という言葉でそれっぽく彩って、じわりとゆっくりその身を縛り付けるんだ。快楽に溺れ、怯え、恥ずかしさから涙する姿さえ見られれば、オレの過大な加虐心も充分満たせるのだから。

 お前を再びこの手に抱けるのなら、オレはどんな道化にだってなってやる。


【こぼれ話・完】
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