愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第五章】

【第八話】身に覚えのない夫。そして、お出かけのお誘い

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 一方その頃。
 七音は私室であーでもない、こーでもないと頭を抱えていた。

(…… 違うな。あ、こっちを変えたら?——って、これじゃ経度や緯度にしか影響を与えられないから、世界そのものまで跨ぐ事は無理か。じゃあこっちが間違ってる?えっと…… でもどこが違うんだろ)

 床に座った状態で様々は様式の術式を描いた大量の紙と格闘していた七音が小さく唸り、持っていたペンを放り投げた。聴覚も優れているクルスに独り言を聞かれては困ると考えてずっと意識して考えを口には出さないように気を付けていたが、どうにも頭がぼぉっとしてしまい唸り声までは我慢出来なかった。いつも以上に頭が上手く回らず、過剰にソワソワもする。本来のよりも随分とサイズアップした形の良い胸は妙に張って痛いし、少し体が火照っている様な感じも。

(あれ?これって、ま、まさか…… 生理の前兆なんじゃ?)

 はっとその事に気が付き、七音の顔が青ざめた。この世界にも生理用品なんか、あるんだろうか?と。慌てて床に散らばる紙を全て拾い、ひとまず机の引き戸の中にペンと一緒に押し込む。鍵の魔法をかけておきたい所だが、扉を開けっぱなしにしてあるし、他に誤魔化せそうな匂いの発生源が無いので危険そうだと考え、それは我慢する事にした。
 クローゼットを開けて、下着などをしまってある棚を片っ端から開けて中にある物を確認する。生活に必要な物は驚く程きちんと揃っているが、残念ながら肝心の品は一つも無かった。

(男性の二人暮らしだし、そこまで気が回らないのは当然か…… )

 あれ?でも、不自然なくらいに女性物の衣類や鞄、化粧品といった物は最初から揃っていたのは何故だろう?と、七音が首を傾げた時——
「ナナリー?…… 部屋、かな」と言うクルスの声が聞こえ、七音の赤い獣耳がピクッと動いた。
 開けっぱなしにしてしまっていた棚の引き出しを全部元に戻し、「今戻ります!」と大きな声で応えた。


「な、何かありましたか?」
 少し慌てつつ、小走りになりながら七音が店の方へ戻って行くと、店とバックヤードを仕切る扉のすぐ近くにクルスが立っていた。ただそこに立っているだけなのに絵になるのはスタイルの良さと背筋が綺麗なおかげだろうか。
「ちょっと商品の用意をしたいから、客にお茶でも出してもらえるか?」
「わかりました。お出しするのは紅茶でいいですか?」
「いいんじゃないか?好き嫌いをしそうな感じのヒトじゃないしな」

(…… 珍しいな、そういった予測の話すら普段はしないのに。もしかして、親しいヒト、なのかな?)

 そう思った時、七音の胸の奥が少しだけチリッと焼けた気がした。だが、その違和感の正体をちゃんと考えようともせずに七音は即、気のせいだろうと流す事を選んだ。
「わかりました。すぐに用意してお出ししておきますね」
「ありがとう」と言って、クルスが七音の頭を優しく撫でる。獣耳まで意図して撫でてくるせいでとてもくすぐったいが、嫌な気はしない。でもこのまま撫でられ続けたら喉がゴロゴロと鳴ってしまいそうだ。

(そんな音、聴かれるのは恥ずかしい!)

 クルスの手から逃げるみたいに一歩下がって距離を開ける。すると彼はちょっと残念そうな表情をしたが、七音の照れ臭そうな赤い顔を見て、すぐに笑みを取り戻した。
「じゃあ、頼むよ」
 ぽんっと軽く七音の肩を叩き、クルスは更紗に引き渡す魔装具の加工をする為にエルナトの作業部屋に向かった。


       ◇


 七音の淹れたお茶を飲みながら更紗は店内で仕上がるのを待つ。
 女性客とは出来るだけ関わるまいと、早々に七音は奥に引き篭もり、洗面所や日用品をしまっている棚の中に生理用品がしまってあったりはしないかと必死に探してみた。だが、残念ながら何処にもそれらしい品は無さそうだ。

 クルスの作業は十分程度で終わり、すぐに商品を更紗に引き渡すことが出来た。
「こ、これが…… 。可愛いですね」
 嬉しそうに微笑み、受け取った商品を更紗が手の上でコロンッと転がす。元々は上質なオパールを加工したペンダントトップだった物なのでボタンとして扱うには少し華美ではあるものの、サイズが小さいので十分誤魔化しがきくだろう。服のデザイン次第ではブローチ代わりに使うのもありかもしれない。
「常に身に付けておいて下さいね。寝衣の時も出来るだけ付ける事をお勧めします」
「んー…… 。ど、努力します」
 顔が真っ赤に染まり、更紗が俯く。ここ数日の痴態を思い出してしまい、恥ずかしくてならない。ベッドに押し倒されてすぐに一糸纏わぬ姿にされたのだが、この魔装具を身につけ続けるにはどうしたものかと頭を悩ます。いっそ髪留めとかにしてもらった方が良かったのかもしれないが、今更追加で加工代金を払う余裕は無く、『…… どうにかするか』と諦めこのまま持ち帰る事にした。

「じゃあ、私は仕事に戻りますね」と言って、更紗はそそくさと店を後にした。この先しばらくはお財布の中身がより一層寂しくなるのかと、ため息をついての帰路となったが、顔見知りでもある事から分割での支払いをする事に。

(やっぱり、この店の商品は一般人には高過ぎるよね…… )

 トボトボとした足取りですぐ近くにある精肉店へと戻る更紗の丸まった背中を窓越しに見送りながら、七音は改めてそう思った。


 更紗が居なくなった途端、また店内は閑古鳥が長い時間鳴き始めた。今日は前回よりも更に客が少ないかもしれない。『あれ?この状況はもしかして、好都合なのでは?』と気が付いた七音がハッと顔を上げる。

「クルスさん!」

「んー?どうかしたのか?そんな声を出して」
 珍しく大きな声で名前を呼ばれ、クルスは上機嫌になりながら七音の近くに寄った。

「ちょっと一人で出掛けて来てもいいですか?」
「駄目だな」

 恥ずかしいと思う気持ちを投げ捨てて、うるうると潤んだ大きなキャッツアイを上目遣いにして頼んでみたのだが即座に却下されてしまった。だがこうなる事は当然七音にもわかっていた。わかってはいたが、物は試しと考えたのに…… 自分程度ではやはり無理だったかと肩を落とす。
「散歩か?それとも、買い物に行きたいとか。いずれにしても、すぐに店を閉じるから一緒に行こう」
「…… いえ、それは…… ちょっと」
 今すぐにでも欲しい物が生理用品である為、出掛ける理由を言い難い。隠すような買い物ではないと頭ではわかっていても、やっぱり何となく恥ずかしいので男性と一緒に買うのは避けたいの品だ。だがここはそんな気持ちを押し殺してきちんと伝えねば。
 店を閉めて出掛ける用意を始めたクルスに駆け寄ると、七音が彼の服の裾を掴み、片付けの手を止めさせた。

「…… つ、月の物…… の準備品が、ほ、欲しいので…… 流石に、一緒には…… ちょっと」

 真っ赤な顔を俯いて隠し、ゆるゆると首を横に振る。だが、そんな七音の言葉を聞き、クルスは少し首を傾げた。
「…… 何か、体調に変化でもあるのか?」
 そんなはずはないんだが、と彼はつい言いそうになったが、敢えて違う言葉をクルスは選んだ。
「あります…… 。なので、多分ですけど、あと数日でくるんじゃないかな、と」
 元の世界では体調の記録をして予定日なども管理していたのだが、この体になってしまってからはサイクルが全くわからないので確信は無い。だが変調がある以上間違いないだろうと七音は考えている。
「…… そっか。わかった。だが、買い物には一緒に行こう。店までは一緒に行って、会計だけは一人でして来るといい」
 そう言って、クルスがお気に入りのローブを纏い、革製の黒い鞄をつかむ。「そうだ」と口にしつつ、クルスが自分の顔につけている仮面を外した。褐色色の肌をした素顔はエルナトと瓜二つなのに、目付きの雰囲気が少しクルスの方が凛々しいからか、精悍さは彼の方が少し上かもと七音は思った。
「コレを着けてくれないか?」と言って、七音はクルスから烏の仮面を手渡す。勢いで受け取ったはいいものの、何故だろう?と七音は困惑気味だ。
「…… この仮面を、私が…… ですか?」

「外に出たいんだろう?街中で買い物となると、この辺はかなりヒトも多い。前の外出とは違ってすぐに通り過ぎる訳でもないしな。獣人型の奴らも近隣に増えてきたから、危険度が更に上がっているんだ。それに君は、そもそも“ヨミガエリ”は、ちょっと見てはみたいかもくらいな感じなんだろ?なら俺としては、本気で探している奴らの目からナナリーを隠しておきたい」

「でも私は、流石にコレは…… 」
 確か獣人型の者が仮面を渡す行為はエンゲージリングの交換と同等の意味があると、古書店から借りている本に書いてあった気がする。そんな重たい物を、しかもこんな軽々しく受け取る訳にはいかない。『元の世界へ帰るつもりだから無理だ』とまでは流石に言えないが、この世界に居るうちはまだ、誰かと結婚する気なんか全く無いのだから。

 駄目だ、もうそろそろ本気を出してハッキリと断ろう。

 そう決断し、七音が顔を上げた。するとクルスは彼女の空いている手を取って指を恋人繋ぎみたいに絡め、ぐぐいっと顔を近づけてきた。端正な顔立ちが間近に迫り、言葉が喉の奥で詰まる。美貌とは完全に凶器だと、七音は改めて思った。

「誰のモノにもならないというアピールにもなるし、着けておいてくれないか?」

 …… 誰のモノにも、ならない?
 あ、それなら好都合じゃないか、と考えた七音は一呼吸おき、「…… わかりました」と言って頷いた。そんな彼女に対し、ニコッと優しい笑みだけをクルスが返す。
 当然、クルスの言葉の最初には『俺以外の、』という意味が込められていたのだが、受け取らせてしまえばこっちのモノだからと、彼が敢えて伏せた事に気付ける程、七音は聡い子ではなかったのだった。
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