愛と呼ぶには歪過ぎる

月咲やまな

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【第五章】

【第三話】古書店への納品②

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「ところで、彼女にあの絵本を読ませているのは、もしかして自分の過去を知っていて欲しいから、ですか?」
「まぁ正直な話、そんなところですね。まさかあの絵本の内容が過去に実際あった出来事をそのまま書いているものだとは夢にも思っていないでしょうけど。他人の死への贖罪の為に何度もずっと回帰し続けていただなんて、奇怪なストーリーですからね」
「あぁ。やっと貴方も、愛がどんなモノなのかわかったみたいですね」
 口元に手を当てて、ふふっと嬉しそうにセフィルが笑う。白銀色の髪をしたセフィルと銀髪のエルナト。セフィルの一言でカッと顔を真っ赤にした二人の様子を他人が見たらきっと、兄弟が仲良く話している様に見えるかもしれない。彼らは完全に他人なのだが、永い時間を共有してきたせいで他者よりは気安い関係を築けているのだろう。

「あ、愛だなんて!…… ま、まぁ否定はしませんけど、そうハッキリ言われると…… 」

 真っ赤に染まる顔を隠すように俯き、髪をくしゃとかき上げてエルナトが口を引き結んだ。今まで理解出来なかった。あんな気味の悪いモノを理解だけはすまいと頑なだったせいか、ハッキリ言葉にされると恥ずかしくてならない。他人からの好意のせいで不幸になる“ナナリー”ヒトの姿ばかりを延々と観てきた自分が、まさかそんな感情に心の全てを支配されるなんて信じられない気持ちもまだ少しだけ胸の中に残っている。それと同時に、彼女を手に入れたいとひたすら渇望するこの感情を、果たして愛と定義してもいいものなのかという疑問も。

「じゃあ今回は、“ヨミガエリ”を犠牲にして、回帰魔法を使ったりはしない予定ですか?」

「…… そう、ですね」
 髪から手をゆっくり下ろし、冷めた瞳をしながらエルナトは顔を前に向けた。
「今回の“ナナリー”彼女は自分から死を選んだんです。ならもう、僕は関与するべきじゃないでしょう」と言って、エルナトが首を横に振る。
「それよりも——」と言い、違う話を持ち出そうとしたエルナトに対してセフィルは、やっと現状が今までよりも好転しているのを感じ取った。もうエルナトは“ナナリー”に対して一切の執着を抱いていないのだと。それが元々この世界で生きていた“ナナリー”にとっては絶望しか抱けない結果であったとしても、この変化はセフィルにとっては好ましいものだった。

「もしかして貴方は、今のナナリーの事を前々から知っていたんですか?」
「えぇ。今のナナリーさんが、“七音”と呼ばれていた時から知っていますよ」
 そう口にしつつ、セフィルが指先で空中に『七音』と文字を描く。その動きそって文字は淡く光り、数秒経った後、ふわっと消えてなくなった。

「…… な、七音」

 七音の名前を口にしたエルナトの声が震えている。頬を赤く染め、自然と高鳴る胸元をぎゅっと無意識に掴んだ。想い人の本名を知る事が出来た事実が彼の胸の内をじわりと熱くする。
「随分と前に、七音さんには図書館で絵本を読んでもらった事があったんです。弟妹達の面倒をみつつ、柊華の事も当然の様にあやしてくれる姿はとても好感の持てるものでしたよ」
「…… え?じゃあ七音は、元々この近くに住んでいたんですか?」

(という事は、“ナナリー”と“七音”は全くの別人なのか。どうりで違う性格なわけだ)

 表情を見て、エルナトが勝手にそう結論付けている事がセフィルには手に取るようにわかった。
 元々居た場所に帰りたいと願っている様だが、以前からこの近隣に住んでいたのなら連れ戻すのも容易いだろうと思い、エルナトはほっと胸を撫で下ろしている。だがそれなら何故すぐにでも家に帰らないのかといった当然の疑問は抜け落ちているみたいだ。

「いいえ。七音さんが元々居た場所は、君では全く手に届かない世界です」

「…… え?」
「もし元の世界へ帰る術式を彼女が組み上げたら、貴方では今の七音さんを取り戻す事は不可能でしょうね」
 きょとんとした顔をし、言葉の意味を汲み取れぬまま思考停止状態にあるエルナトに対してセフィルは、彼に笑いかけながら話を続ける。
「でもまぁ七音さんが元の世界へは帰るべきじゃない理由が多々ある状況ですし、分が悪いのは圧倒的に彼女の方です。ですが『元の世界へ帰れた』という事実だけが欲しいとなれば、まだ望みが無い訳じゃない。魔力だけは事欠かないので、術式を組む手助けをする者がいれば目的の達成だけは可能でしょう」

「元の…… 世界?待って下さい!一体、貴方は何を言っているんです?」

「馬鹿ですねぇ。七音さんは、別の世界から来たヒトだって言っているんですよ。この間、異世界から来た獣人と関わりを持たせてあげたばかりなのに、まだピンときませんか?」
 本音はただ面倒事を押し付けただけであり、言い方を変えて親切心からの行為だと思わせようとしているのが見え見えだ。普段のエルナトならばすぐに気が付くのだが、今はこの見え透いた嘘にすらも文句が出てこない。

「異世界って…… 意味が、よく…… 」

 頭が動かない。自分の手の届かない場所へ七音が消える可能性があるのだと突きつけられただけで、エルナトは思考する回路に支障をきたしている状態だ。
「正確に言えば、七音さんの場合は『並行世界から来たヒト』です。随分昔に分岐した世界なので、共通点はせいぜい地理的環境や文化の雰囲気、あとは魔法が使える世界である事くらいなものですけどね。向こうは科学と魔法が共存した世界で、宇宙開発なんかも進んでいて此処よりも随分と暮らしやすい場所ですよ。あぁ、だからあの子は、帰りたい気持ちが捨てきれないのかもしれませんね」
 わざと楽しそうに笑うセフィルに向かい、エルナトの表情が苛立ちで歪んでいく。強く歯を食いしばったせいで口内には血が滲み、こめかみに浮き出た血管が今にも切れてしまいそうだ。

「でも大丈夫ですよ。全ての手札は、エルナトさんに託されていますから」

 優しい声でそう言って、セフィルはエルナトの強く握られた拳にそっと手を重ねた。
「貴方が少しの慈悲も持たず、泣きながら『帰りたい』と懇願する七音さんにすら同情しなくなるくらいあの子を愛してさえいれば、永遠に彼女は、君のモノになりますよ」
 口元に弧を描き、セフィルがニタリと笑った。到底ヒトの笑顔ではない。これではもう、願いを叶えたくば魂を売り渡せと甘く囁く悪魔と同じだ。

「ほんの一掬いだけまだ君の中に残っているヒトの情を捨てられる程の情報と人材が、欲しくはないですか?」

「情…… 報と、人材…… ですか?」
 目を見開き、小さな声で呟くエルナトに対し、セフィルはこくんと頷いてみせた。
「今現在、七音さんが望む様な完全なる形での帰還は、貴方が回帰魔法を使い、この状況をそもそも無かった事にする以外に何一つとして方法はありません」
「そんな事、僕がするとでも?」
 エルナトが回帰魔法を再度使う為には多大なる魔力を必要とする。その為には当然犠牲が付き物で、今回の場合その対象は“ヨミガエリ”である七音本人だ。

 獣人型であるクルスに“ヨミガエリ”を食わせ、彼の体で得た魔力を使い、時間を戻す。

 これが、内なる力を使い切ってしまい、仕方なく苦肉の策で過去に何度もやってきた魔力を得る方法だった。だがそんな事、七音相手にするはずがない。選べる訳がない。七音の『帰りたい』という願いを叶える為に七音を殺すなんて、本末転倒もいいところだ。
「でしょう?でも貴方は、泣き叫ぶ“ナナリー”さんを冷たく切り捨てる事は何度だって出来ても——」とまで言って言葉を止め、セフィルが席を立つ。そしてエルナトの背後へ瞬時に移動し、両肩を掴み、そっと耳元で呟いた。

「静かに涙する“七音”さんを前にして、それでも彼女の願いを握りつぶせますか?」

「…… 」
 瞬時に『やれる』と口に出来ず、エルナトが黙り込んだ。激しく感情を露わにしてくれたなら、今の七音相手でも非情になれるだろう。だが感情を押し殺して静かに泣く七音の姿を前にした時でも同じ気持ちでいられる自信なんか全く持てない。想像しただけで躊躇して、自分の方が泣き叫びながら願いを叶えてしまう姿しか思い浮かばない。

「…… でも、何で、今回は…… ここまで僕達に干渉するんですか?」

 今までのセフィルならここまで関わってこようとはしなかった。七音が元の世界で少しだけ、その世界の柊華とも関わりがあったくらいではここまで干渉してこないはずだ。なのにセフィルはエルナトが七音を元の世界へ戻れなくする為の一押しとなる情報だけでなく、人材をもくれようとする理由が全くわからない。

「そんなの、簡単じゃないですか。全ては柊華の為ですよ」

 エルナトの両肩から手を離し、セフィルがそっと自身の胸に手を当てる。
「柊華が七音さんを気に入ったからです。『お姉さんができたみたいで嬉しい』とね。なのに元の世界へ帰してしまったら、この世界の柊華が可哀想じゃないですか」
「——…… は、はははっ!」

(たったそれだけの為にとか。何処までも歪んでるな、この男は)

 最初は呆気に取られたエルナトだったが、セフィルの行動理念の全てが柊華を起点としている事を思い出し、突き抜けた異常性を前にした気がして笑い声をあげた。笑うしかなかった、と言うべきかもしれない。

 愛しい者の為なら、他人の犠牲なんかどうせもいい。

 たとえ些細な願いだろうがそれを叶える為なら何だってやれると割り切ったセフィルの考えに、清々しさすら感じられる。
「わかりました。なけなしの情すらも捨てられるというその情報を、僕に教えてもらえますか?」
「今の君なら、そう言うと思っていましたよ。…… あぁ、丁度紹介したい者も来たみたいですね——」
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